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2007年6月28日

「魂のみなもとへ―詩と哲学のデュオ」谷川俊太郎, 長谷川宏

▼book017:散文の思考、詩の思考。そしていまを生きること。

4022615346魂のみなもとへ―詩と哲学のデュオ (朝日文庫 た 46-1) (朝日文庫 た 46-1)
長谷川 宏
朝日新聞社 2007-05-08

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「詩と哲学のデュオ」とサブタイトルに付けられたこの本は、近代出版編集部の桑原芳子さんの次のような企画から生まれたことが、長谷川宏さんの書いた「おわりに」で語られています。

谷川俊太郎の詩を一篇選んできて、それにわたしの短文(四百字詰め原稿用紙四枚)を一本つける。そんんなつけあいを三十回くりかえして一冊の本に仕立てる。テーマは、「生・老・死」。

このアイディアが秀逸だと思いました。長谷川宏さんの短文は長すぎもせず短くもなく、谷川俊太郎さんの詩と交互に読んでいると、心地よいリズムが生まれる。詩の解説というわけでもないし、テーマは重なっているけれども散文では少しずつズレていくので、表現の世界が広がる。場合によっては、詩と散文の対決のようにも思える。

そんなことを考えながら、詩と散文の違いは何だろう、ということを考えました。少年時代には、改行すれば散文は詩になるのではないか、などという乱暴なことを考えていた時期があり、確かに改行で体裁を変えることによって言葉のつながりが断絶されるので、散文的な文章は擬似的に詩にみえるようになる。

息子の書く作文は、詩なのか作文なのか明確に分かれていないところがあり、けれども改行させると、どこか詩らしくなる。あるいは、助詞など言葉と言葉をつなぐものを省略して、単語を羅列すると詩っぽい。邪道かもしれないのですが、3分間で息子の作文を詩らしくするには、それがいちばん最短な方法だと思います。

この本を読みながら考えたことは、ピンポイントで刹那を直感的にキャッチして書かれたものが詩であり、そのピンポイントでキャッチした感覚を時間をかけて思索したものが哲学ではないか、ということでした。つまり詩人は外部からのインプットであるセンサー、哲学者は内部の処理能力である思考回路が重要になるような気もします。つまり、詩と散文は体裁の問題ではなく、思考の問題でもあります。散文詩は詩なのか散文なのか、非常にびみょうな分類という気もしています。ブンガクの形態なんて、すべてびみょうなものかもしれないのですが。

好き/嫌いという感情に関するテーマについてはブログに書いたのですが、最近、どちらかといえば子育てから意識が離れつつあるぼくは(以前は子供のことばっかり考えていた気がする)、谷川俊太郎さんの詩「子供は駆ける」に打たれました(P.86)。引用します。

もう忘れてしまった
くちのまわりに御飯粒をくっつけたきみ
拳闘選手みたいに手を前へつき出して
はじめて歩きはじめたきみ
昨日のきみを
私はもう忘れてしまった
それはきみが私に
思い出をもつことを許さないから
きみがいつも今を全力で生き
決して昨日をふり返ろうとしないから
きみは日々に新しく
きみは明日を考えずに
私よりも一足先に明日へ踏み込む
いっしょに散歩するときも
きみはきまって私の先を駆けてゆく
その後姿が四つになったきみのイメージ

この詩を受けて、長谷川宏さんは次のように書きます。まずは冒頭の部分。
「精神は反復をきらう」といったのはポール・ヴァレリーだ。精神の人ヴァレリーに似つかわしい寸言だ。
裏返せば、肉体は反復を好むことになる。あるいは、自然は反復を好むことに。

そして次の言葉につないでいきます。
さて、問題は子供だ。
子供は反復を好む。ヴァレリーのさきの寸言に接したとき、わたしの頭にまっさきにひらめいたのがそのことだ。

確かにそうですね。子供と遊んでいると、楽しいと思ったことは何度でも繰り返す。抱っこして飛行機、などというときは、もう一回!と言われつづけるとへとへとになります。それはきっと、過去の経験を反復しているというよりも、一回性のわくわくやどきどきや嬉しさを、なんども一回性の楽しみとして繰り返すからでしょう。大人はそうは思わない。それってさっきやったでしょ?と思う(苦笑)。

大人は効率的です。既にやったことは同じこととして共通項でくくろうとする。けれども子供にとっては、いまやった飛行機と、さっきやった飛行機は違う。それぞれがユニークな体験として認識するわけです。次のようにも書かれています(P.90)。

子供が反復を厭わないのも、まるごとの体がいまを精一杯生きているからだ。過去を引きずらず、未来を思いわずらうこともなく、いまという時間をまるごと生きる体は、同じことを何度くりかえしても、そのたびに経験が新鮮なのだ。そこには、しあわせというものの原型が示されているように思う。

「過去を引きずらず、未来を思いわずらうこともなく」というくだりがいいですね。いまある自分をまったく新しい自分として、生きてみたいものです。そんなことを考えさせてくれる詩と散文です。

谷川俊太郎さんが書いた詩を生きる、長谷川宏さんが書いた散文を生きる、ということが詩と散文を日常において実践することかもしれません。詩と散文、そして芸術は決して日常とかけ離れたところにあるものではなく、日常を豊かにしてくれます。そういう意味で、ほんとうの詩と散文は生活と乖離せずに、むしろ生活に対して実践的ではないでしょうか。6月22日読了。

※年間本50冊プロジェクト(17/50冊)

投稿者 birdwing : 2007年6月28日 00:00

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