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2009年4月 2日

草を食む時代に。

いつの時代にも恋愛の傾向をあらわす言葉やモテる人物像を括る言葉があります。評論家によって作られ、マスコミを通して広く使われるようになる、というのが一般化するパターンでしょう。

最近では、"草食(系)男子"という言葉がありました。「協調性が高く、家庭的で優しいが、恋愛に積極的でないタイプ」だそうです(Wikipediaの解説はこちら)。どちらかというとひとりで静かに家で過ごすことを好む性格で、がつがつとコイビトを求めたりしない。そんな男性が増えていて、女性からも人気とか。

確かにそういう傾向もありそうです。ただ、若い頃には愛情に飢えてがつがつと恋愛をしていたような自分としては、すこしばかり違和感も感じていました。そもそも年齢を経ていけば自然と淡白になるのだから、若い時期から達観することもなかろうに、と思う。

草を食むようなおとなしさは行儀がいいし、やさしく聡明な印象も受けますが、反面、人間関係に臆病なだけではないか、という感じもします。正直なところ自分は洗練された人間ではないから、スマートな恋愛ができる若いひとたちに羨ましさもあるんだろうね、きっと。

しかし、恋愛傾向を越えて、ぼくが納得させられてしまったのは、フリーペーパーR25に連載されていた石田衣良さんの「空は、今日も、青いか」の「草食男子進化論(3.26号No.231)」で語られていた時代に対する考察でした。

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石田衣良さんは、草食男子という増加しつつある新しい恋愛のパターンの出現を、100年に一度の金融危機と結びつけて考えています。つまり、この危機的な状況を生き延びるには、消費に積極的ではなく、ひとりで生きることを好む「突然変異で生まれた新たな種」が必要になるとのこと。まず次を引用します。

バブル世代の高エネルギー消費や恋愛・セックスの過剰は、いってみれば白亜紀の恐竜のようなものだったのだろう。草食男子は巨大な恐竜の足元で震えながら生き延びたぼくたち哺乳類の先祖のネズミのような存在なのかもしれない。

時代に合った生活様式が求められ、古い様式は淘汰されていきます。結婚して家を構えること、クルマを持って休日には子供を連れてアウトドアに出掛けること、仕事をバリバリこなして家庭でもよい父でありつづけること、恋愛に積極的であり男らしく生きることが正しいという価値観。そんな理想を求めていた時代もありました。しかし、その生き方を追求すると限りなく「高エネルギー消費」になります。家族はもちろん、彼女とのデートや家のローンやクルマの維持費などを支払う生活は、とにかく金がかかる。節約もできそうですが、究極の節約はひとりでいることです。

残念ながら、この不況はまだまだ続くことだろう。世界が同時に沈んだので、どこか一国だけが浮き上げるのは困難なのだ。サブプライムローンでは傷の浅かった日本も、世界全体がふたたび元の成長コースに復帰するまで景気回復は望めそうもない。そうなると、低成長所得、おまけに貧困率の高まるこの国で、草食男子が選択した閉じた生き方は、最良の生き残り策といっていいかもしれない。恋愛や結婚をすることで、他人の分まで経済的なマイナスを背負いこむのは危険なのだ。嵐の海を漂う救命ボートの定員は1名なのである。

納得してしまった。本音で言ってしまうと、いま働いているおとーさんの何割かは、家族という負担がなければどれだけ安堵するか、と思っているのではないでしょうか。ただ、独身のように、自分ひとりさえよければ、と割り切ることはできませんが。

回想すると、今年のはじめにぼくは自分を究める、深める、のような目標を立てたことがありました。この考え方の基盤にも、内面に向かう志向性があり、いわゆる草食的な守りの考え方といえるかもしれません。内田樹さんがブログで書かれていた内向きの志向に対する擁護というものも、急速に冷え込んだ景気を踏まえて戦略転換のひとつの視点の提言だったと認識しています(関連エントリは「内向きとか外向きとか」)。

つまり、本能的にぼくらは時代の冷たさを感じて、内部をかためることにより外界の激動から自己を守ろうとしている。ちょっと妄想が入るけれど、不況にしても恋愛の保守的な傾向にしても、増えすぎた人類を抑制するための地球規模の機能のひとつかもしれない、などとも考えました。その全体的な傾向が恋愛に波及すると、草食男子となる。

ところで、厳しい状況に対する考察のあとで、石田衣良さんの小説家ならではの次の言葉に和むものを感じました。

草食男子が低消費サステイナブルな世界の主流になる日は近いと、ぼくは思う。願わくば、その世界でも新しい形の恋愛や欲望が生き残っていますように。恋愛小説を書く作家としては、生存には不要かもしれない甘ったるいあれやこれやが絶対に必要なのだ。

和んだのだけれど考えているうちに、時代の傾向も大事だけれど、ちょっとそれは不安に思いすぎじゃないですか石田さん、時代にとらわれすぎ、という印象を受けました。こういう時代だからこそ、時代に迎合しない、草食ではないレトロな純愛、激しい恋愛の形を小説として書いてほしい気もしています。でも、時代に合った小説を書くのが、石田衣良さんのスタイルでしょう。

時代の圧力というものがあります。男子は草食でなければダメよ、草食って素敵よね、と女子から言われてしまうと、ああ大好きな彼女と激しくセックスしたいのだけれど肉食系のぼくの欲望って穢いんですね、嫉妬に狂う自分はいけないのですね、という風に自己否定の呪縛で自分を追い込んでしまう若い男性もいるかもしれません。

けれども肉食恐竜のような進化に乗り遅れた種も、そのまま生きていけばいいんじゃないかなと思う。うまくいかなかったとしても、遠いむかしからそうやって悩んで生きてきた種もまた存在していました。穢い欲望や目を瞑りたいような感情が、さまざまな原動力になる場合もあります。もし、こころの奥深いところに違和感があって、草食ではないのに草食と偽って生きるぐらいなら、貪欲に愛情を求めてアプローチで撃沈して挫折して、絶滅に追いやられたとしても草食ではない生き方をまっとうすればいい。時代に迎合する必要はない。

救命ボートに乗った自分ひとりを救うための閉鎖した考え方も大事だけれど、そうした生き方は、現状を乗り切るだけのものであり、変えることはできないような気がしました。むしろ、草食ではない考え方に、時代をぶち壊すブレイクスルーが生まれるのではないか、と期待もしています。

絶対多数としては、草食的な生き方や自分を大切にする生き方が主流になっていくのかもしれません。他者を尊重する草食男子の紳士的な、成熟した考え方には、学ぶべきところもたくさんあります。しかしながら、静かに草を食み、自分の世界を深めていった過程で培ってきたものが、いつか誰かを求める力になったり、現状を変えるための基盤となってほしい気もします。

愛情はぼくらの根源的な力です。保守的な自己愛として自分の生き残りのためだけに使うだけでなく、仕事に愛情を注げば、愛されるプロダクトやサービスを生み出すこともできる。時代から身を守るためにはコートの襟を閉じることも必要ですが、北風が吹き終わったあとには、太陽のぬくもりを感じたい。

冬を耐えてきたひとたちに、やがておだやかな春が訪れるといいなあと、そんな願いを込めて時代の動きをみつめています。まあ、理想論ですが。

投稿者 birdwing : 2009年4月 2日 23:59

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