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2005年12月13日

直すよりも予防すること。

思いがけず子供が喘息で入院したので、ひととおり喘息関連のサイトなどをみているのですが、以前にも紹介したグラクソ・スミスクラインのサイトで"「発作を止める」のではなく「発作を出さない」方向へ"というキャッチコピーが印象に残りました。医療においては、病気になってから治療するのではなく、未然に病気を防ぐ医療が重視されつつあるということも聞いた覚えがあります。

確かに、病気になってしまってあわてたり悲しんでも遅い。けれども往々にして、そういうことが多いものです。なぜそういう後悔が起きるかというと、病気に至るまでにはいくつかの兆候があったはずですが、「まあいいか」と見過ごしていたことが要因としてある。つまり大事にならなければ、まだ大丈夫だろう、騒ぐことはないだろう、と軽視してしまうわけです。

うちの息子の件に関しても、10月に一度、夜中に苦しがったので救急車で運んだことがありました。そのときには、はっきり喘息と診断されたわけではないのですが、自宅に戻って、アレルギーの原因になるほこりに注意しなければいけないなあ、カーペットも取り替えるかな、などと考えていたのですが、そこでまた「まあいいか」と思ってしまった。点滴の針を刺されながら泣き叫ぶ子供の声を聞きながら、なぜあのときにもっと気をつけて、実際に行動に起こさなかったんだろうということを痛いほど反省しました。

話は変わりますが、みずほ証券がジェイコム株を誤発注した件が大きく報道されています。61万円の株を1株というところを61万株を1円で売りに出したというあり得ないようなミスですが、当初は270億円の損失といわれていましたが、それだけでは収拾できないようで400億円という報道もあります。一部では、1000億円ともいわれています。当初はみずほ証券の責任が問われていましたが、その後、東証自体の問題、そしてシステムに関与した富士通にも責任問題が波及しています。

まさかそんな発注があるとは想定していなかった、という発言もみられましたが、まさかも含めてどこまでシミュレーションできるか、ということがリスク管理では重要ですね。新規上場の銘柄にみられる特殊な状況だったことも要因だったようですが、大規模なシステムだけに何度もあらゆる状況を想定することが重要です。それはひとごとではなく、ぼくらの仕事に関してもいえることかもしれない。

コンピュータを全面的に信頼するのではなく、やはり人的なチェックは必要であるし、アラート(警告)やインターフェースの部分においても改良が必要かもしれません。東京新聞の「みずほ証券 株誤発注のウラ」という記事では端末上の警告を社員が無視してしまったのではないかという立教大学の芳賀教授のコメントを引用して、「米ボーイング社のジャンボジェット機では操縦席内の操作画面上での警告が三段階ある。一番危険な場合は、警報音とともに画面が赤く点滅して危険度を伝える仕組みだ。」と記事に書いています。このような根本的な解決が必要です。コンピュータは間違えないけれども、人間は必ずミスをするものです。人間が間違えた情報をコンピュータは正確に処理する。これが人間を抹殺するボタンを押してしまった、ということになるとまるでSFの世界ですが、笑えない社会になってしまったなと感じました。

ところでふとJR尼崎線の脱線事故を思い出してしまったのですが、マスコミとしてはこのミスを起こしたのが誰か?という関心は当然あるわけで、それを追求しそうな気もしています。しかし、辛いだろうなあ、この事故の当事者は。

まだ新入社員の頃、電話番号の誤植をしたことがあるのですが、しんどい経験でした。幸い大きなトラブルはなくて済んだのですが、ミスは起きるものとわかっていても、やっぱりしんどい。できればミスは起こしたくない。

あ、やっちゃった、まあいいか、では済まないことも多くあります。病気にしても、ミスにしても、起こってしまって反省するよりも、起きないように未然に防ぎたいものです。

■IT Proの「動かないコンピュータ・フォーラム(17)証券取引所で何が起きているのか」という記事。証券はもちろん、ライフラインに関わるシステムトラブルの場合、ぼくらの生活も脅かされるような気がします。
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/OPINION/20051208/225907/

投稿者 birdwing : 2005年12月13日 00:00

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