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2005年12月18日
限られたリソースで。
金曜日、学生時代の知人たちと飲んだのですが、学生の頃に戻ったようで、なかなか楽しい時間を過ごせました。細かいことは書きませんが、印象的だったのが「それぞれの生き方を確立しようとしている」ということでした。そして、「俺はこれはやらない。こういうことはしない」という、自分の生き方に合わないものは手を出さないようにすること、無駄な重荷を背負わないシンプルな生き方を標榜しているということです。もちろんシンプルになりきれなくて、いろいろと葛藤もあったりするのですが。
確かに学生の頃と比べたら、ぼくらも年を取りました。何かを背負う、ということは、精神的にも肉体的にもタフでなければならないわけで、やはり年老いていくと、足腰も弱ってくる。ただでさえ、仕事やら家庭やら、大変なものを背負っているから、若い頃であればともかく、これ以上何かを抱え込んだら、つぶれるな、という気持ちがあります。でも、いいんじゃないかな、と思いました。別に強くなる必要はない。弱くたっていい。いまのままで十分です。変わる必要はないし、変わるのであればそういう自然な流れがきっとくる。その流れに乗ればいい。
弱い自分を認めた上で、それでもしあわせであれば、どんなに成功してリッチな生活をしているふしあわせな強者よりも、ずっといい。下流という言葉も流行っていて、世の中という社会では、勝ち組、負け組み、上流、下流などのレッテルをつけるのが得意ですが、そんなことはどうでもいいんじゃないでしょうか。いま自分がしあわせであれば、それで十分。ふしあわせであるならば、それはしあわせになれる可能性を持っているということです。自信を持ちましょう。
背負えないというのは受動的ですが、背負わないというかたちにすると能動的になる。そして、選択するということは、逆に何かを切り捨てるということでもあります。切り捨てるためには勇気も要りますが、一度切り捨ててしまうと、とてもさわやかな気持ちになることがあります。生かされている、のではなく、ぼくらは生きている、わけで、つまりそれは自分の意思さえ持てば、どのような選択も可能であるということです。もちろんその選択によっては責任を負わなければならないこともあるし、厳しい世界が待っていることもありますが、誰かに操られてマリオネットのように生きるよりも、しがらみの糸を切ったほうが生きがいがある。
理想を求めすぎるときりがないですね。たとえば趣味のDTMでも、もっといいソフトウェアシンセがほしい、とカタログを読み始めると、そのスペックにあわせたPCもほしくなってくる。そうすると、別の機材もほしくなってきて・・・ときりがありません。でも、果たして現状で120%機能を活用しているかというと、そんなことはない。まだまだリソースを生かしきれていない。無料で手にいれることができる優れたソフトウェアシンセだってまだまだあるはずだし、スペック不足で時々落ちてしまうPCだけど、CPUの負荷を減らすためにSONARにはアーカイブの機能があり(ソフトウェアシンセの音をオーディオにバウンスしたあとでシンセ自体を外す機能)、これらを駆使すればもう少しよくなるはず。限られたリソースで最大限の効果を生み出そうとしたとき、そこに発想や工夫が生まれるわけで、確かに恵まれた環境にあればいいものができるかもしれないけど、ぼくは貧乏DTM打ち込ミストとして、いまある機能を使い倒してやろうと思っています。
さて、お酒を飲むということに関していうと、いままさに忘年会シーズンまっさかりですが、愚痴や自慢話を聞かされるような飲み会は、勘弁してほしいと思っています。お酒は美味しく飲みたいし、飲むのであれば創造的な会話をしたい。どうしようもなく出席しなければならないものはともかく、別に無理をして参加しなくてもいいんじゃないかと最近思うようになりました。そのことでどうこう言われるなら、どうこう言っちゃってください、という感じです。つきあいの悪い狭い人間だ、というなら、その通り、と言いたい。とってもナロウなやつなんです、ぼくは。
うんざりするような飲み会に参加するのであれば、そのための時間や費用は、自分を高めるための投資に使ったほうがいい。人生というリソースも無限にあるものではなく、限られたものです。限られたリソースは有効に使いたい。ただし、古い知人や友人たちと会うことや、まったりといろんなテーマで人生について考えるなどという飲み会は、全面的にウェルカムです。ぼくは基本的にはお酒が好きだし(弱くなっちゃったけど)、いろんな話を聞くのが大好きなので。
異業種交流会のようなものにしても、一時期は積極的に参加していたのですが、終わったあとでネットワークビジネスや年金対策、マンションの電話などがじゃんじゃんかかってくることがあり、うんざりしていました。ああ、そういうことか、じゃあ出席しなくていいや、という気持ちになりました。もちろんなかには新しいビジネスを考えているようなひともいるのですが、飲み会だけの交流会では、そうしたひとと出会う確立が非常に低い。勉強を主体としてセミナーなどをやった後に懇親会、というようなスタイルの交流会に参加したほうが、まだよいような気がします。
なんだか理屈っぽくなりましたが、きっとそれは学生時代の知人たちと会って、みんなと過ごした時間からパワーをもらったからでしょう。書いたことと反しますが、ぼくらは生きている、と同時に、誰かによって生かされてもいる。仕事ではお客様に、家庭では奥さんや子供たちに、そして知人や友人たちに。そのことには感謝したい気持ちでいっぱいです。
それにしても友人とタクシーで帰ったのですが、気持ち悪くなって友人の家の近くで下車。夜中の3時に1時間ほどかけて、とぼとぼと家まで歩いたのはきつかったです。まあ、それで健康になったのかもしれないけど。
投稿者 birdwing : 2005年12月18日 00:00
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