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2006年2月 4日
ビッグ・フィッシュ
▽cinema06-012:おとぎ話が必要かもしれない。
ビッグ・フィッシュ コレクターズ・エディション [DVD] ダニエル・ウォレス ソニー・ピクチャーズエンタテインメント 2007-05-30 by G-Tools |
ぼくには、小学生の息子と今年幼稚園に入る息子と、ふたりの息子がいます。彼等となるべく話すことができる時間をつくろうと思うのだけど、趣味や仕事にかまけていて、なかなか時間もできない。そんな風に断絶した時間が長くなると、パパは忙しいから、と思うようで、話しかけてくれなくなる。でも、こちらから「将棋やろうか」というと、やっぱり息子の顔つきがぱあっと変わるのがわかる。親に話しかけられたくない子供はいません。もう少し大きくなったらまた違うだろうけれど、話せるときに話しておきたい。ぼくの父親は脳梗塞で亡くなったのですが、もっと彼と話したいことがいっぱいありました。けれども、いつでも話せるだろうと思っていたら、話すことができなくなってしまった。だから、話せるときに話しておくべきだと思っています。話しかけられるのを待っているのではなくて、こちらから話しかけることが大事なのかもしれません。
「ビッグ・フィッシュ」は空想の話が好きな父親と、ジャーナリストで現実的な息子を描いた物語です。結婚式の日に得意のほら話を得意気にされて、自分の晴れ舞台をめちゃめちゃにされて頭にきた息子は、以後父親と3年も話をしていない。断絶状態にあった。しかし、その父親が病に倒れて、彼のほんとうの姿を知ろうとしたときに、息子の気持ちも変わっていきます。
そもそも有能なセールスマンはトークがうまい。経営者もそうだと思います。話す言葉に力がなければ、ひとを動かすことはできない。全部がほら話だと信用できませんが、力のある言葉には脚色や演出や、ときには空想も必要になる。そして、何度もブログで書きつづけてきたのですが、語られたことばかりが真実ではない。語られたことの背後には、広大な語られなかった現実があります。
「ビッグ・フィッシュ」という映画のなかでも、おとぎ話だと思っていた大男が現実に存在していたり、人情味に厚くて人気のあった父のほんとうの姿を知ることにもなる。しかし、それに気付くのが余命あとわずかというときというのがかなしいです。そういえば、ぼくも父の亡くなる寸前に、かつて父には好きな女性がいて、彼女が帰省か何かをするときに途中まで電車で送っていった、という話を聞いたことがありました。ちなみに父と母は見合いだったのですが、突然そんな話をはじめる真面目な親父にちょっと面食らってしまい、どう答えていいものか沈黙したことを覚えています。ただ、ぼくはそういうことを話してくれた父を、ものすごく身近に感じました。感謝しています。
ぼくは、たまに奥さんとの出会いを息子に話すことがあります。まだ長男が幼稚園の頃、ママと結婚したいと思っていた長男は、パパと結婚してしまったママとはもう結婚できないのだということを知ってショックを受けたようですが(残念だったな。ははは)、結婚のことはもちろん彼が生まれたときのことなど脚色を加えて、おとぎ話にしちゃおうかな、とちょっと思いました。
創造する力、というのは、こういうときのためにもあるような気がしました。小説を書いたり、音楽を創ることだけがクリエイティブではありません。文字に残さなくても、何度も語ったことは、息子たちの心に永遠に残るのではないでしょうか。それが生活知としてのクリエイティブかもしれません。そういえば、この映画はティム・バートン監督なのですが、ティム・バートン監督らしいちょっと暗めのファンタジックな映像が素敵でした。2月4日鑑賞。
*年間本100冊/映画100本プロジェクト進行中(12/100冊+12/100本)
投稿者 birdwing : 2006年2月 4日 00:00
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