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2006年2月19日

お早よう

▽cinema06-018:コミュニティの在り方、無駄の必要性。

B000064OJPお早よう [VHS]
松竹 1983-08-16

by G-Tools


確か茂木健一郎さんの本のなかに「東京物語」と「お早よう」が引用されていた記憶があるのですが、いまその箇所をみつけられていません。とにかく、茂木さんの本を読んで、この映画を観ようと思いました。やはり人間の奥深い気持ちに迫るような、一首のざわざわ感があります。小津安二郎監督の映画は、やはりすごい。

文化住宅のご近所(お隣さん)としておつきあいしている主として3つの家族を中心に物語が進むのですが、笠智衆さんが演じるサラリーマンの家には小学生の息子が2人います。息子たちはテレビを欲しがって、母親と喧嘩をする。そこへ父親である笠智衆さんが帰ってきて、おまえは余計なことを言い過ぎる、というようなことを言って叱る。すると、その長男は、大人だって余計なことを言うじゃないか、おはようございます、いい天気ですね、あれは無駄じゃないか、ということを言って反抗するわけです。さらに父親が怒ると、じゃあもう何も喋らない、という風に子供もすねてしまう。けれども、学校でも近所のおばさんにも何もしゃべらないので、近所に住むおばさんたちが勝手に想像を膨らませて、その子の母親をスポイルしはじめる。

がらがらと戸を開けて、ねえ向かいの子おかしくありません?インテリな顔してるけど、あそこの奥さんひどいのよ、などと井戸端会議的に話がはじまるのですが、これはそのままインターネットの世界のコミュニティ論にも通用できるところがあるのではないでしょうか。誤解が誤解をよんだり、ウワサがあっという間に広がったり、人間のやることは基本的に変わらないんだな、という気がします。そういえばテレビが家に届いて話題になる、ということから「ALWAYS 三丁目の夕日」を思い出しました。

「一億総白痴化」という悪影響を及ぼす「無駄なこと」の象徴としてテレビがあるのですが、「おはよう」という「無駄なことも必要だ」として、間接的にテレビも擁護しているように思えます。確かに「いいお天気ですね」「髪型変えましたか?」などは無駄な言葉のようにみえることもありますが、その言葉が潤滑油になって日々が豊かにもなる。雑談が多すぎるのも困りますが、さりげない「無駄」は場の空気をやわらげることにもなります。

それにしても、昭和30年代初期のひとたちの生活は、かっこいい。服装などもおしゃれです。2月19日鑑賞。

*年間本100冊/映画100本プロジェクト進行中(15/100冊+18/100本)

投稿者 birdwing : 2006年2月19日 00:00

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