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2006年3月 4日

掌編#01:おじいさんになりたい。

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ブログ掌編小説シリーズ#01:おじいさんになりたい。

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完璧だわよ、とユウコは思った。だから振り返って、斜め後ろの席に座っている悪友のサナエにぴーすをしてみせた。彼女の自慢の指はとても細くて、きれいなコンパスのように20度の角度ですっと伸びる。いつかお弁当を食べながら、サナエがため息をついて、あこがれちゃうわね、その指、と言ってくれたことがあった。完璧なあたし、そして完璧な指(でもピアノは弾けない)。その指を胸のまえでさりげなくぴーすの形にして、ウィンクした。サナエが両手を機関銃にしてこちらに、どどどどどと機銃掃射をしてきた。

じゃあ次、タナカ読んでみろ。

ほらきた。待ってました。国語のオザワが教壇の上で、を(ぅお)の口をして顎を掻きながら、ユウコを指名した。はい。よそゆきの声で返事をすると、椅子を押して立ち上がる。原稿用紙を持ち上げて、えへんと一度咳払いをすると一行目をゆっくりと読んだ。

64歳になったら、あたしはおじいさんになりたい。

読み終わると同時に、隣の席のシゲキがぷっと吹き出した。なんだそりゃ、タナカよう。するとそのひとことに合わせて、クラスの全員がどっと笑った。あはははは。サナエの方を振り返ってみると、教科書で顔を隠している。けれども髪の毛がふるえている。笑ってるな、あいつ。色が黒くて背が低くて、ひしゃげた竹中直人のような国語のオザワは、表情を少しも変えずに言った。

おまえ、おじいさんにはなれないだろう、女子だからさ。なるとしたらさ、その、おばあさんだろうが。

ふん、それだから、あんたは作家になる夢をかなえられずにこんなところで中学生に作文ばっかり書かせてるんだよ。と、ユウコは思ったが、もちろんそんなことは言わない。かっと頭が熱くなるのを感じたけれど、こんなのへっちゃらだ。冷静に、冷静に。

いいんです、これで。

ちょっと右に顔を傾けて、ふっと嘲笑を含んだ感じで言い放ってやった。続きを読もうとすると後ろの方の席で馬鹿っぽいサヤマが、あーでもさートシ取ると、おじいさんだか、おばあさんだか、わかんなくなるよねー、うちのばーちゃんもヒゲ生えてるんだよねー、まいっちゃうんだよねーと言った。また教室の中がどっとわいた。だから馬鹿はやんなっちゃうのよ、もう。ユウコは読みたいメーターの針が思いっきり下がったような気がした。

まあ、いいや。読め、続きを。

オザワが面倒くさそうに言った。もういいです。いや、続きを読まないと全体がわからないだろう、読め。ユウコの頭のなかでぷちんと音がして、思わず怒鳴った。嫌です、読みませんから!

おいおいヒステリーかよ、おまえまさか・・・と、隣のシゲキが言うので、教科書の角のところですこんと殴ってやった。思いのほか決まって、シゲキはいってーと頭を抱えた。ふん、いい気味だ。ほんとうに痛かったらしい。涙を流している。男がそれぐらいで泣くなよ。耐えろよ。しょうがねえなあ、とオザワが言って、じゃあおまえ読め、シゲキ。と、頭を抱えているシゲキを指名した。えっ、おれっすか?そうだよ、おまえだよ、読め。シゲキはしぶしぶ立ち上がった。

64歳のぼくは、おじいさんになっていると思います。

くすっと誰かが失笑。おまえそれじゃあ、タナカの作文と変わらんだろう。やっぱり表情を変えずに、オザワは言った。

***

ユウコは聴いたことがなかったのだけれど、ビートルズという古臭いバンドに「ホエン・アイム・シックスティー・フォー」という曲があるらしい。柄にもなくオザワのお気に入りの曲らしく、その曲にちなんで64歳になったら、というテーマの作文を書かされた。

結局のところ読まなかったけれど、作文の続きをユウコはこんな風に書いていた。あたしのおじいさんは、64歳で亡くなった。おじいさんはいつも陽だまりでにこにことしていた。悪い親戚に騙されて土地を奪われてしまったときにも、癌で病院に入院しなければならなかったときにも、おじいさんは、気にすんな、あしたという字は明るい日と書くんだよユウコ、というのが口癖だった。まだ子供で何もわからなかったあたしは、おじいさんは天国に行っちゃうの?行っちゃやだ、と言って困らせたことがあった。天国なんか行くもんか、おじいさんはね、いつもここにいるから。そう言って、あたしの頭を撫でてくれた。大好きだった。大きな煙突のある場所で、母といっしょにずーっと煙が空にのぼっていくのを見ていた。おじいさんはお空に行ったんだよ。そう言われたが嘘だ。おじいさんはいまでもここにいる。だから64歳になったとき、あたしはおじいさんになって、おじいさんが生きることのできなかった時間をかわりに生きようと思っている。

他のひとが発表している間に、ユウコは原稿用紙をきれいに消しゴムで消した。灰色のかすがいっぱい出たけれど、そんなことはどうでもよかった。捨てちゃえばいい。そして真っ白な原稿用紙に、高齢化社会に対する不安と政治が何をすべきか、という提言をきっちりとした文字で書いた。5分もかからなかった。

窓の外では青空にいわし雲が広がっている。オザワの作文でおじいさんのことを書くのはもったいないや、とユウコは思った。おじいさんのことは頭のなかの原稿用紙に書いておけばいい。干草のような芝生のような、あるいは神様のような、おじいさんの匂いを思い出そうとした。けれども、どうしてもその匂いを思い出せなかった。校庭で金属バットの音がして、わっと歓声があがった。誰かがヒットを打ったらしい。授業の終わりまであと10分。時計の針が進むのが遅い。

(ブログ掌編小説シリーズ#01/了)

投稿者 birdwing : 2006年3月 4日 00:00

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