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2006年3月 7日

掌編#03:ちいさきもの。

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ブログ掌編小説シリーズ#03:ちいさきもの。
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春の夕暮れ。さわさわと木の葉が揺れる帰り道の途中で、少年はちいさきものをみつけた。ちいさきものは電信柱の影に隠れて、西のほうの空を眺めていた。その視線の先には、オレンジ色の夕焼け雲が広がっていた。あれはちいさきものだ、と少年はどきどきしながら思った。ちいさきものに出会うことができる日は、それほど多くない。友達から自慢されて、いいなあ、ぼくもいつかは出会ってみたいなあ、と悔しく思っていた。けれどもいま、ちいさきものはそこにいる。手を伸ばせば、つかまえられそうな先に。

少年はちいさきものを驚かさないように、そっと近寄った。そうして一緒に、ことことと煮立ったスープのような夕焼けの空を眺めた。しばらく黙って眺めていた。時間がのんびりと動いていく。ちいさきものも黙っていた。けれどもやがて、ゆっくりと少年のほうに顔を向けた。少年は口を尖らせるような顔をして言った。空を見ていたの?ちいさきものはゆっくりと頷く。夕暮れの空を?ふたたび少年がたずねると、こくりと首を縦に動かした。夕暮れはいいよね。毎日見ることができるわけじゃないのがいいよね。夕焼け雲を見ていると、ぼくはお腹が空いてくる。少年は夕暮れのほうを見ながら、それでもちらりとちいさきものも気にしながら言った。煮立った空が冷たくなるまで、少年とちいさきものは空を眺めていた。やがて少年は言った。ぼくんちに来ない?ちいさきものは、そうして少年と暮らすことになった。

最初のうち、ちいさきものはしゃべることができない。ただ、黙って少年の言葉を聞いているだけだ。ちいさきものは食事をしない。パンくずを食べるわけでもないし、牛乳を飲むわけでもない。けれども、少しずつ成長していく。どういうことかというと、ちいさきものは少年が話しかけた言葉を栄養にして、成長するのだった。今日の給食はね、がーりっくとーすとだった。がーりっくとーすとが、ぼくは大好きなんだ。ちょろぎは嫌いだけどね。ちょろぎは食べられないんだよ、どうしても。お正月に食べて、おえってなった。給食にちょろぎが出なくて、よかったよ。少年はひとりで話しつづけた。ちいさきものは黙って少年の言葉を聞いている。少しだけ左側に顔を傾けながら。漢和辞典のはしっこに腰かけて、ちいさきものは少年の話を聞き続けた。

ある日、ちいさきものはしゃべった。ちいさきものは、ちいさきもの。あれっ、きみ、しゃべれるんだ。少年は図書館から借りてきた恐竜の本(白亜紀)をカーペットの上に放り投げると、机の上のちいさきもののところへ行った。なんて言ったの?もいちど、しゃべってよ。ちいさきものは、ちいさきもの。鈴のような、オルゴールのような、そんな声でちいさきものは話をした。へえ、そんな声なんだね。少年は感心したようだった。ちいさきものは、ちいさきもの、か。そうだね、きみはぼくじゃないもの。きみはきみであって、ぼくはぼくだ。なんだか当たり前のようで、すごいことのようにも思えるね。うん、すごい。テツガクシャっていうんだよね、そういうの。少年が語りかけると、やっぱりちいさきものは応えた。ちいさきものは、ちいさきもの。

ところが、いつまでたっても、ちいさきものはちいさきもの、としかしゃべらなかった。少年は何だか馬鹿にされているような気がして、次第にイライラしてきた。おい、他のことは言えないのかよ、そればっかしかよ、つまんないなあ。でこぴんで、ちいさきもののちいさな頭をつんと弾いたりした。嫌いになりはじめると、ちいさきものの存在は逆に、彼の心のなかでおおきなものになってきたようだ。おまえなんか拾ってくるんじゃなかった、がっかりだよ、おまえになんか出会わなきゃよかった。思いっきり悪態をついてみる。けれども反応は同じだ。ちいさきものは、ちいさきもの。やっぱり同じことを繰り返している。少年はとうとう我慢がならなくなって、おまえなんか顔も見たくないよ、こんなか入ってろ。紅茶の缶のなかに入れて蓋をぎゅうっと閉めた。

それからしばらくの間、少年は友達とサッカーをして遊んだり、母に連れられて田舎に帰ったり、忙しいけれど楽しい毎日が続いた。ちいさきもののことなんて、すっかり忘れてしまった。宿題をやろうとして紅茶の缶のことを思い出して、そういえばちいさきものはどうしただろう、と気になった。

缶のふたをあけてみると、ちいさきものは細長くてひからびたものになっていた。おい。何も応えない。ねえ。指で突っついてみると、かさかさになった細い腕がぽきりと折れた。どうしちゃったんだよ。少年は紅茶の缶の奥に、深いあなぼこが空いたような気がした。胸のまんなかあたりがぎゅうっと縮んだ。ちいさきものが眺めていた夕焼けを思い出した。ことこと煮込んだような夕焼け。ちいさきものは、ちいさきもの。という声を聞いた気がした。

なんだよ、ちっちゃいなあ、おまえ。

声に出して言ってみたら、ふいにぶわっと涙が出てきた。少年はぼろぼろと泣いた。細長くてひからびたものの上に涙がかかって、ふやけたへんてこなものになった。少年は、わんわん泣いた。けれども漢字ドリルを3ページやらなければならなかったので、瞼を擦りながら漢字ドリルを終えて、宿題が終わって夕飯までの間に、また泣いた。

(ブログ掌編小説シリーズ#03/了)

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投稿者 birdwing : 2006年3月 7日 00:00

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