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2006年3月16日

弾き語る、自分を表現する。

人間の表現力というのはすごいな、と思っています。そして表現できる人間というのは、やっぱりすごい。インターネットでブログを書いているひともそうだし、アマチュアの方の音楽作品をダウンロードして聴いてもそう思う。そして、リアルな場所で演奏できるひとには圧倒的な存在感があります。

昨日は、ライブの告知をいただき、仕事場からも近かったため、四谷天窓.comfortというところでピアノの弾き語りを聴いてきました。以前、このブログでも紹介したことがある藤田麻衣子さんをはじめ、川崎萌さん、山本さくらさんという3人の方の「カントリーガール」という企画的なライブでした。

四谷天窓というライブスペースがあることは以前から知っていて、しかも仕事場からすぐ近いので気にはなっていたのですが、今回行ってみて、とてもよい雰囲気だなあと思いました。ところで階段を登りながら、FOURVALLEYの文字をみて懐かった。これもまた知らずに行ったのですが、天窓はFOURVALLEYの系列のライブスペースらしい。FOURVALLEYというのは、そのまま和訳して四谷なんだけれど、かつて大学の先輩たちと社会人バンドを組んでいたとき、ここで演奏をしたことがあります。ぼくはベースで、しかしながらものすごく下手で演奏に余裕がなさすぎだったのですが、男3人のギター、ベース、ドラムという最小編成で、ギターを弾いている先輩のオリジナルを5曲ほど演奏しました。当時はへフナーをまだ持っていなかったので、フェンダーのセミアコのプレシジョンベースを弾いていた気がします(そのベースは部屋の片隅でケースに入ったまま埃に埋もれている)。

と、ちょっと回想が長くなりましたが、ちいさなライブスペースではあるのですが、四谷天窓.comfortには50人ぐらいのひとがぎっしりと入っていました。基本的にはグランドピアノとマイクが置かれているだけなのですが、2方向ぐらいからカメラで映像を撮ってプロジェクターで投影もしている。フェードインなどのエフェクトもさりげなくかけていた気がします。DVD制作などもしているようですが、このままインターネットでライブできるといいなあ、とも思いました(もしかしたらできるのかもしれない)。

このところほとんどライブハウスに行っていなかったのですが、まずやはり生のピアノの音、人間の(というと変なのですが)歌声の表現力、存在感もしくは質感は違うなあ、圧倒的だ、という冒頭の感想を得たわけです。ぼくは打ち込みで曲を作ったりもして、Vocaloid MEIKOという拝郷メイコさんというシンガーの歌声を解析した合成音声ソフトウェアに歌わせてインターネットで公開しているけれど、リアルの歌とピアノは別物だ、という当たり前の衝撃を得ました。これはかなわない。同じことをやろうとしても無理です。何が無理かというと、同じひとりのひとの声であっても、その表現はものすごい幅がある。かすれたように歌うとき、強く発声するときなど、それはデジタルな打ち込みでパラメーターを設定して表現できる世界ではない。そしてピアノと歌という同じ構成であっても、演奏するひとによってまったく別の世界観をつくることができるものだな、と。

イメージですが、川崎さんは声のかすれ具合といい、草原を渡っていく風、という感じがする。同じ静岡県人なので同郷の親近感もあり、静岡県人らしい(というのも変ですが)やさしさとあたたかみがある曲調でした。一方で、藤田麻衣子さんは声は繊細でかわいいのですが、その歌っている世界とピアノに意思がある。書かれたものを読んでいても思うのだけど、実は強い意志のあるひとじゃないかと思います。それが演奏からも伝わってきて、かなり感情を揺さぶる。これがいいです。山本さくらさんは、さすがバンドをやっていただけあって、自己主張する輪郭のはっきりしたピアノを弾きます。ツアーしながら演奏しているそうですが、筋金入り(は失礼でしょうか)という感じがしました。

カントリーガールという企画なので、静岡出身(川崎さん)、名古屋出身(藤田さん)、北海道出身(山本さん)という地方の話も交えての演奏だったのですが、曲としても川崎さんの「ここではないどこかへ」や藤田麻衣子さんの「新しい世界」のように地方からトウキョーに出てきたときなどの気持ちを歌った曲が印象に残りました。考えてみると、そんな気持ちからずいぶん遠ざかっています。

それにしても、たとえば50人の前で50分間だけ自分について語ってみろ、と言われてもまずできません。曲と曲の間に入るお話も含めて、自作の曲を弾き語りするというのは、それに近いものがあります。まったく単純なことで恥ずかしいけれど、両手でピアノを弾きながら歌いつつ、お客さんの方に向ってにこっと笑えるということ。この当たり前のようにやっているライブパフォーマンスに、あらためてすごいなと思いました。

そして、このひとたちの演奏する曲とプロの曲はどう違うんだろう、という疑問も感じる。もちろん曲によって完成度にばらつきはあるかもしれないけれど、完成度の高い曲はラジオで流れていてもおかしくない。しかしながら、これはシロウトのぼくの感覚であって、ぼくには0.1ぐらいの差しかないと思うものがプロの目からみると100ぐらいの隔たりがあるのかもしれません。それがプロの世界なのでしょう。きちんとやろうとすると甘くはないのでしょうね。

実はライブのスケジュールをみると、こういうひとたちがたくさんいる。インターネットによって表現する場は増えたと思うのですが、昔から歌いたい、演奏したい、アーティストになりたいひとはたくさんいました。うちの近くの駅でも最近になって路上で演奏しているひとが出てきましたが、若干変わった見方をしてみると、ストリートミュージシャンは路上をインターネット的な表現の場に使っているともいえる。座り込んでじっくり聴いている取り巻きのようなひともいるけれど、通りすがりのひともいる。これもインターネットと同じです。場所の境界をなくすことが、インターネット的な社会の在り方かもしれません。

ところで、通り過ぎてしまうけれど、ひょっとしたら次の世代の名曲を生み出すようなアーティストがいるかもしれない。がしゃがしゃとうるさい曲ばかりのように聴こえるけれど、もしかするとノイズばかりではなかったりもする。

ときどきは耳を澄ましてみよう、と思いました。

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■四谷天窓.comfortはピアノラウンジです。男性のピアノ弾き語りというのも聴いてみたい。あと、ギターの弾き語りも聴いてみたいですね。若林哲平さんという方が、いいと思っています。時間がなくてライブに行けないのですが、手作りの自作曲CDをわざわざ送ってもらったことがあります。これが泣けた。
http://www.fourvalley.co.jp/tenmado/comfort/

■muzieで藤田麻衣子さんの「恋に落ちて」を聴くことができます。
http://www.muzie.co.jp/cgi-bin/artist.cgi?id=a034234

投稿者 birdwing : 2006年3月16日 00:00

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