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2006年4月 5日

漱石の二年間二万冊。

雨降りでした。東京のサクラは一気に葉桜でしょうか。儚いものです。

夏目漱石は二年間のロンドン留学中に二万冊の本を読破した、というエピソードが「絶対情報学」に引用されていました。このエピソードを読み、あらためて漱石はすごいなと思ったのですが、そんなに無理をしたら神経衰弱になるのも当然です。過ぎたるは及ばざるがごとし。過剰に書きすぎるハイパーグラフィアはもちろん、過剰に読みすぎることも精神のバランスを崩すのではないでしょうか*1。とはいえ、その過剰さがあったからこそ漱石は文豪に成り得たのかもしれません。この程度でよかろう、ほどほどにしておこうと妥協していたなら、その後の漱石はなかったのかもしれない。

情報洪水のようなインターネット社会では、ものすごい量の情報の海を泳ぎきらなければなりません。ブログの登場によって、さらに一日に読むテキストの量が増えました。ぼんやりしていると途方もないテキストの洪水に押し流されてしまいそうです。とはいえ大量に情報があっても、重要なのはその一部だったりもします。ロングテールという現象は個人にも当てはまるような気がするのですが、自分にとってほんとうに必要な情報はテールではない部分のほんのわずかに過ぎない。「東大式絶対情報学」にも書かれていましたが、多くの情報はジャンクです。途方もないジャンクのなかから宝を探し出さなければならない。逆に言うと、すべての情報をきちんと最初から最後まで受け止めようとしていると、疲弊もするし破綻もする。

この本のなかに、ひとが意識のなかにあるイメージ(あるいはクオリア)を言葉に置き換えるとき、ものすごく複雑な演算がなされている、ということが書かれていました。接した情報すべてに対して均等に、この演算をしようとするから疲れてしまう。レッスン2「手と目と脳でもっと加速する」では「音読・黙読・視読・熟読」として、書かれたものを意味ではなく音として意識に取り込んだり、音のスイッチを切ったりするようなエクササイズが提示されています。あらゆる言葉の意味を理解するのではなく、情報を音として脳のなかにアーカイブする。必要なときにその音を意味に還元する(なんだか乾燥ワカメみたいなイメージですが)という接し方もあるのかもしれません。聞き流す、読み流す、といってしまうといい加減に聞こえますが、たとえばひとつの文書でも、脳内にきちんと意味を生成する箇所と、意味化で手を抜く箇所があってもいい。つまりツボさえ押さえておけば、あとは手を抜くのが賢い。大切な部分と手を抜くところを逆転させてしまうと、まずいとは思うのですが。このツボを押さえられるかどうかが、情報の達人としての条件になります。

伊東先生は声に出して読むこと、音読することの重要性を述べられています。いま読んでいる黒川伊保子さんの「怪獣の名前はなぜガギグゲゴなのか」という本にも、ブランドマントラとして音のもつ質感がぼくらの意識に影響を与えるということが書かれていました。マントラとはインドの真言のことで、記述されずに呪文のような言葉だけで古くから継承されてきたようです。そして、つぶやくだけで神秘的な気分になる言葉がある。

この言葉の感覚をブランディングにうまく活用されているものとして、黒川さんの本では日立の「Inspire the Next」を冒頭の部分で取り上げています。文字や意味はともかく閃光のイメージをもつヒタチという言葉と、Inspireという先鋭的な英語の語感を組み合わせたところが優れている、という指摘がありました。カローラ、クラウンなどのように、クルマの名前にはCからはじまるとヒットするような法則もあるとのこと。マーケティング的にも面白い見解です。さらに、こころをなごませる語と、緊張感を持たせる語があることなどが書かれていて、特に名前があらわすイメージなどは興味深く読み進めています。

最初の速読の話に戻ると、伊東先生の講義では「知恵蔵」を1〜2時間で読破させるそうです。これはちょっと困惑しそうだと思ったのですが、確かに大量の情報を高速で処理する能力があれば、どんなに大量のデータを読み解いて商品を開発するような仕事も、さくっと片付けられそうです。アイディアは組み合わせなので、大量のインプットがあるかどうかでアウトプットの質も変わってくる。理屈では十分に理解できます。じゃあ知恵蔵を読破するかというと、ぼくにはどうも前向きな気持ちにはなれませんが。

ところで、今日は帰りにディビッド・シルヴィアンの「ブレミッシュ」というCDを購入しました。しかしながら、リズムがまったくなく、ギターのハーモ二クスを多用したような、ある意味マントラ的なアルバムを聴きながら、ちょっと困惑中です。

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■「ミニマルなストラクチャー」と書かれていて、確かにそうだ、とは思うのですが。声だけはディビッド・シルヴィアンそのひとで、存在感のある声です。

B0000CBCBFブレミッシュ
デヴィッド・シルヴィアン
P-VINE 2003-10-22

by G-Tools

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*1:3月分のブログを印刷してみようとふと思ったのですが、100ページを超えてしまいました。もちろんレイアウトのせいもあるので1ページに2枚ずつ印刷したところ、それでも50ページになった。プリントアウトしたものを前にしながら途方に暮れました。過剰に書き過ぎです。慣れちゃいましたが。

投稿者 birdwing : 2006年4月 5日 00:00

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