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2006年5月16日

次世代を考えること。

いまを考えることにせいいっぱいで、たとえば10年後、自分がどうあるのかということはみえないものです。目の前に片付けることが多すぎて、長期的な展望なんてものは置き去りになってしまう。けれども、だからこそ意識的に遠くをみることができるようにしておきたい。田舎で母がぼやいていたのですが、ひとりぐらしの80歳をこえた姉がぼけはじめてしまって、とても困っているとのこと。何度も呼び出されて、鍵を探したり、鍵を盗んだんじゃないかと疑われたり、外出のときには行方不明になって振り回されているそうです。10年前に、何か対策を講じておけばよかったのに、と呟いていました。けれども10年前は元気だったから、そんな風に自分がなるとは思わなかった。そういうものです。

体調を崩してあらためて体調のことを考えると、いま自分の身体がおかしいのはいまにはじまったことではなく、長い間の不摂生や勝手な振る舞いが要因となっている。因果応報、というのは大袈裟ですが、誰を責めるわけにもいかず、自分の人生はよいことであっても悪いことであっても、自分で選択している。ただ、同様にいまからでも自分の10年後の生き方を選択できるはず。他人に責任転嫁しているうちは、自分の人生を生きていないのかもしれません。でも、自分で選んだことであれば、どんな結果であれ、仕方がないものです。納得できる。

以前にも引用したのだけれど、学生時代に何度もぼくが観た映画に、大林宣彦監督の「日本殉情伝 おかしなふたり ものくるほしきひとびとの群」という作品があり、これは映画としてはお蔵入り寸前の破綻した作品なのですが、破綻しているゆえに美しい。この映画では、やくざな男性ふたりとひとりの女性をめぐる物語が展開するのですが、最後の場面で、やくざ成田(永島敏行さん)が、「まだ間に合う、まだ間に合う」と言いながら破滅に向って歩いていくシーンが印象的でした。ぼくらは乗り遅れそうな電車に、まだ間に合うと思いながら足を速めるような人生を送っているのかもしれません。もう間に合わないかもしれない。だからこそ、まだ間に合う、という言葉が必要になる。

まったく話は変わりますが、週刊東洋経済や週刊ダイヤモンドといえば、おじさんが読む経済誌というイメージだったのですが、4月になってフレッシュマンの入社するシーンに合わせたからか、やわらかい特集が目立つようになりました。週刊ダイヤモンドの5.20号の特集は「やさしいウェブ2.0講座」。用語解説はもちろん、さまざまな取材もあって、なかなか充実した内容という印象を持ちました。特集ではないのですが、転職の事例として、ロボット科学教育事業を立ち上げた鴨志田英樹さんのインタビューがよかったと思います。ロボットづくりを通して科学教育をする、という酔った場の思いつきを行動に起こして、全国に80ほどの教室を開いているとのこと。こういうビジョンに共感します。

一方で、いま養老孟司さんの「超バカの壁」を読んでいるのですが、このなかでも「子供の問題」について書かれていて、教育はとにかく手のかかるものであること、また、子供は株などと違って「ああすればこうなる」ものではないという指摘に頷きました。「毎日手入れを続け、子供の様子を見ていれば親のほうにも努力、辛抱、根性がついてくるものです。(P.87)」という表現に納得です。確かに教育というより「手入れ」のようなものであり、なぜこれがわからないんだ?ということを丁寧に根気強く教えていくことが必要になる。そのことが誰のためになるか、というと、実はいちばん親のためになっている。

自分の人生をきちんと生きることも大事だけれど、乗り遅れてしまった電車は無理に乗ろうとしないで、次世代に渡してあげればいい。無理ができない年齢になりましたが、無理しなくてもいいと思ったりもしています。

投稿者 birdwing : 2006年5月16日 00:00

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