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2006年5月25日

並び替えで変わる世界。

個人的な傾向ですが、本屋には一日に一度立ち寄りたいタイプです。学生時代に日曜日をのぞく週6日間、本屋さんでアルバイトをしていた経験があったせいかもしれませんが、本屋に行かない日は何か調子が悪い。ビデオレンタルショップには、週に一度行きたい。いまのところ毎週旧作を一週間借りることにしているので、機械的に借りたら返却するために行かなければなりません。だから満足です。CDショップは月に一度でしょうか。ほんとうはもっと行きたい気がするのですが、なかなかひょいっと立ち寄れる場所がなく、また行っても小遣いに余裕があるわけではないので、月に一度行けばいいほうです。行かない月もある。

もちろん本にしてもCDにしても、Amazonなどを使えばインターネットで簡単に購入できます。でも、なぜかぼくはやっぱりお店に足を運びたいですね。インターネットで選ぶのと、店で選ぶのでは何かが違う。アナログなのかもしれませんが、その理由について考えてみました。どうやらふたつあるようです。

ひとつめは、お店に行って、本やCDを選んでいるひとをみるのが好きだということ。本屋で立ち読みしているひとたちがどういうわけか好きです。本屋では、うつむきがちに書籍を読んでいる横顔がよいと思う。女性がちょっと髪を掻きあげながら、というのもよいと思うし、男性が眼鏡を人差し指で押し上げながら読んでいるのもよい。CDショップは、フロアにもよるのですが、センスのいい女性がおしゃれな洋楽を買っているのも素敵だし、バンドの練習の帰りなのか、ギターケースを抱えたぼろぼろの髭づら男がまとめて何枚もカゴに入れているのもよろしい。時間があると、ぼくは片っ端から試聴をしてしまうのですが、試聴して無名のアーティストのものを思わず買ってしまうこともあります。

ふたつめは、まったく新しい店に入ってみると、同じ本も違ってみえてくるのが楽しいということです。だから行きつけの店もあるけれど、仕事でどこかへ出掛けたときに本屋などをみつけると、なるべく入るようにしています。店のキャラクターがあるというか、おすすめの本またはCDが違っていているのは当然ですが、同じ本でも配置によってまったく別の品物のようにみえてくるものです。ベストセラーがプッシュされているのはあたりまえなのですが、店長によっては、そうじゃないものが平積みされていたりする。これがいい。

市場に出回っている商品は、どの店も同じだと思うのですが、店によって何を平積みにして何をどこにおくのか、ということが微妙に違っているものです。マーケティング的に言うと、棚割りみたいなものかもしれませんが、構成されている品物の要素は同じでも、配置がまったく違うとまったく別ものにみえてくる。不思議なものです。通い慣れていた店では見過ごしていた本やCDが、知らない町でひょいと入った店では急に目に入ってくる。購入してから通い慣れた店に行ってみると、その商品はあるわけです。どうやらずっと前からそこにあったらしいのだけど、みえていなかった、ということがありました。

今日も仕事の途中で、丸の内オアゾにある丸善のビジネス書コーナーに立ち寄ったのだけど、オフィス街で暮らしていないせいか、新鮮なものを感じました。これはプッシュですっ!という本が、あからさまに大量に平積みにされていて、同じ本が複数の場所に置いてあったりもする。ランキングの棚もあって、新聞などから切り抜いた書評もアピールされている。

部屋も、模様替えするとまったく別の部屋のようになるものです。会社でも人員の配置を変えただけで、急に滞っていた空気が流れ出すことがある。構成要素が同じだとすると、配列を変えても結果は同じではないか、と思うのですが、そんなことはない。つまり、やはり「関係性」によって「全体」が変わってしまうものなのかもしれない。思考だって、わざわざ新しい何かを探す必要はなくて、配列を変えてやるだけでまったく新しいものが生み出されることがある。映画もそうですね。映像の順序を変えるなど編集によって映画全体のイメージが変わる。

自分のなかの意識の配列をときどき変えてやることができると、毎日が新鮮になるのかもしれません。

投稿者 birdwing : 2006年5月25日 00:00

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