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2006年6月19日

本、リンク、声。

少し古い話題になのですが、BRUTUSの6/15号は全730冊本特集ということで、読書案内の特集でした(既にバックナンバーとなってしまって、最新号はアイスクリーム特集のようです。今日は夏のような暑さだったので、アイスクリームの需要もぐんと伸びたことでしょう。それにしてもさっそく体力が消耗気味です)。

手もとに2003年の12/15号もあって、こちらは映画対決という特集です。ブックレビューにしても映画ガイドにしても、まとまっているものにはつい手が伸びてしまうのですが、ふと考えてみると、雑誌を購入したのにあまりきちんと読んでいない。もったいないのできちんと読もうと思います(いつか)。

どちらも表紙に作品のタイトルがずらりと掲載されていて、これを眺めているだけでも面白い。装丁というのは、限られたスペースでフォントをどうするか、画像をどうするかなどを考えつつ、手にとってもらえる本の"顔"を作る仕事だと思うので、なかなか奥が深い気がします。

本というテーマでいくつかの記事があるのだけど、ぼくが面白いと思ったのは、茂木健一郎さんと内田樹さんの対談と、谷川俊太郎さんのインタビューでした。

茂木健一郎さんと内田樹さんの対談では、二元論を超えるということから話がはじまり、「割り切れない剰余としての生命・身体・精神」という議論を経て、霊的経験の本質というところに展開されていきます。最近、そんな話ばかりでちょっと食傷気味な感じもあるのですが、こんなことが書かれていました(P.27)。

内田 霊性の本質は何かということだと思うんですけど、それってたぶん「つながること」なんです。
茂木 固有名を失うということですか。
内田 ええ。これは三砂ちづる先生の仕込みなんだけど、どんな人でも経験できる超常経験というのは出産の瞬間なんですって。ものすごいピーク・エクスペリエンスがあって、その瞬間に感じるのが「自分は宇宙とつながっている」という実感。僕も自分の子供が生れた時の一番率直な感想というのが、変な話「肩の荷が下りた」なんです。人類発生以来の、そのもっと前のミトコンドリアの時代から始まった何億年かの生命の歴史を、俺は切らずに次へ伝えたということのね。受け取ったパスを、次にパスしたという瞬間の安堵感というのが、すごく深かったんです。

この部分はすごくわかる。といってもぼくは男性なので、お腹を痛めて子供を生んだわけではないのですが、親から子供へのリンクというのはすごく感じる。子供のことを考えるとき、ぼくはどうしても自分の父の姿を自分に重ね合わせていて、同時に子供のなかに自分をみている。リンクと言ってしまうとインターネット的なのですが、要するに「絆」なのでしょう。それを「縁」と言い換えると、血縁をはじめとしてそれ以外の縁もあるだろうし、「因」とすると時系列で起こることのつながりを言っているようにも思える。

いまインターネットを通じて、まったく面識のないひとともリンクができるようになりましたが、どうしてブログやSNSがこれほど爆発的に増えたかというと、やはり自分を表現するよりも、つながること、絆・縁・因ということを動的に生じさせることができるからという気がします。

と、理屈っぽくなってきたのでこの辺にしておきますが、BRUTUSの谷川俊太郎さんのインタビューには「さようなら」という詩が引用されていて、朗読する谷川俊太郎さんの写真が掲載されている。これがいいです。ジャズピアニストである賢作さんと朗読とピアノのセッションをされているようですが、生で聴いてみたいなあと思いました。美術館で相田みつをさんの声を聴いたときにも感じたのですが、やはり肉声というのはよいものです。Vocaloidという音声合成ソフトウェアがあるのですが、どんなにリアルに近づけようとしても何かが足りない。言葉のなかにタマシイがこもっているかどうか、ということかもしれません。タマシイというと、ひゅーどろどろ、な感じがあるので、ソウルと言い換えてみましょうか。

「さようなら」はとてもよい詩です。

投稿者 birdwing : 2006年6月19日 00:00

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