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2006年7月14日

比喩という跳躍。

たいてい本を読んでいる途中には、これはという言葉をいくつもみつけるのだけれど、読み終わってしまうと衝撃や感動を忘れてしまって、気持ちはもう次の本に動いている。そんなわけでブログを書いている途中に、できるだけ本のなかで気になった言葉を書きとめようと思っているのですが、なかなかすべての言葉を書きとめることはできない。もどかしいものです。

海原純子さんの「こころの格差社会」には、たくさんの寓話やエピソードが引用されていて、とても参考になりました。一行だけれど印象に残っているのは、レイ・ブラッドベリの次のような言葉です。海原さんはこの言葉を好きらしい。

安全を求めない生き方とはがけを落ちながら翼を作る生き方である。

その後、「男たちよ、「とび」なさい。」という挑発的な一文がつづくのだけど、なかなか気持ちよいと思いました。

一方で、その前には、ホルヘ・ブカイの「寓話セラピー 目からウロコの51話」という本から「翼は飛ぶためにある」というストーリーが引用されています。海原さんの本では、別の部分でも「寓話セラピー 目からウロコの51話」から引用されていて、この本も読んでみたいと思っているのですが、「翼は飛ぶためにある」という話は要約すると、翼のある息子に父は山の上に登って崖を指差して、ここから飛べと言う。ところが息子は怖くて飛べないので、とりあえずは木のてっぺんから飛んでみる。ところがうまく飛べなくて、頭にたんこぶを作って、父親に「嘘つき!飛べないじゃないか」と怒る。すると、父親は諭すわけです。「飛ぶためにはな、翼が十分に広がるための空間が必要なのだ。」と。

飛ぶためには高さが必要であり、さらにリスクも冒さなければならない。その空間も得られずにリスクも冒せないのであれば、一生翼を引き摺って生きていくしかない。

小説もいいけれど、こうした寓話もいいですね。もちろんあまりにも説教くさい話は読みたくないのですが、人生のエッセンスをそのまま書くのではなく、寓話というカタチに置き換える行為はクリエイティブな感じがします。それは直接書くことよりも技巧が必要であって、創作のためにはちょっとした跳躍が必要になる。

ここで跳躍というのは「とぶ」という言葉に関連しているのだけれど、ぼくがいま内田樹さんの「寝ながら学べる構造主義」という本を読んでいて(現在、P.62。ちなみになぜ現在ページを記しておくかというと、その後読み進めて別の見解を得ることもあるかもしれないと思うからです)、そのなかにヘーゲルの「命がけの跳躍」という言葉が出てきたからです。引用しておきます(P.27 )。

「存在すること」とは、与えられた状況の中でじっと静止しており、自然的、事物的な存在者という立場に甘んじることです。静止していることは「堕落すること、禽獣となることである」という考え方、これをマルクスはヘーゲルから受け継ぎました。たいせつなのは「自分のありのままにある」に満足することではなく、「命がけの跳躍」を試みて、「自分がそうありたいと願うものになること」である。煎じ詰めれば、ヘーゲルの人間学とはそういうものでした。

共感すると同時に、ぼくはこの熱さに距離も感じてしまうのですが、それは時代的な背景あるいはコンテクストの違いがあるからでしょう。次のような部分も同様です(P.30 )。

ヘーゲルの言う「自己意識」とは、要するに、いったん自分のポジションから離れて、そのポジションを振り返るということです。自分自身のフレームワークから逃れ出て、想像的にしつらえた俯瞰的な視座から、地上の自分や自分の周辺の事態を一望することです。

ブログを書き始めた最初の頃、ぼくはこの俯瞰的な視座にこだわって、それが立体的にものごとを考える上で重要な視点であると考えていたことがありました。また、自己のなかに仮想的に他者を存在させることで、相対的に自分をとらえることが可能ではないかと思い巡らせていたこともあります。いまこの本から意味づけてみると、それらはヘーゲル的な思考の枠組みから出ていないものだったんじゃないか、と思います。その思考からこそ跳躍をしたい。

このブログは途方もない助走である、ということも以前書いたことがあるのですが、考えたことをベースに、さらにまったく違うところへ跳躍したいと思っています。論文かもしれないし、仕事かもしれない。音楽かもしれないし小説かもしれないのですが、ある意味、比喩的に、いま考えているAをまったく違う位相のBに展開することができたら、そのときにはじめてぼくは読みつづけてきたこと、映画を観つづけてきたこと、ブログを書きつづけてきたことが完成するような気がしています。

それはひょっとしたら臨終の一瞬に、作品というカタチはとらずにぼくの頭のなかで「ああ、わかった」というものかもしれない。それでもいいと思っています。結果ではなく、プロセスを楽しむために、ぼくは生きようと思います。

++++++

■いろいろとほしいCDが目白押しなのですが、つい中古CD屋でリトル・クリーチャーズのフューチャー・ショッキング・ピンク を買ってしまった。今日のBGMです。

B00005HV6OFUTURE SHOCKING PINK
フェイスレコーズ 2001-03-28

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投稿者 birdwing : 2006年7月14日 00:00

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