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2006年7月23日

バタフライ・エフェクト

▽cinema06-045:記憶が現実をつくりかえる。

B000AM6R00バタフライ・エフェクト プレミアム・エディション [DVD]
エリック・ブレス
ジェネオン エンタテインメント 2005-10-21

by G-Tools

内田樹さんの本でラカンについての解説を読んでいたのですが、そのなかで興味深かったのは、過去の記憶というものは真実である必要がなくて、いまここで話をしているコミュニケーションにおいて意味づけられ、現在に都合のよいように作り変えられるものだ、ということでした。つまり記憶は確実なモノとして残っているわけではなく、ぼくの印象なのだけど、ぶよぶよとしたものというか粘土みたいなものというか、自由につくりかえてよいものだ、ということです。少なくとも写真のように現実を切り取るものではないと感じました。

物語は、少年の頃の事件がもとに不幸な現在を過ごしている主人公エヴァンと、彼が想いを寄せる少女ケイリー、少女の兄、ちょっと太目の友人という4人を中心に展開します。主人公は、ときどき記憶がとんでしまう。ひどいストレスにあったときに、抑圧のため記憶を失ってしまうようです。ぼくもときどき記憶をなくしてしまうことがあり(飲みすぎですが)、記憶を失くしても自動操縦で家に戻っているものの、その間に何かとんでもないことをしでかしていないかと心配です。ぼくの記憶喪失なんかはしょうもないことですが、主人公の不安な気持ちはよくわかります。

エヴァンはあまりにも記憶を失うので日記を書きつづけるのですが、心理学を学ぶ大学生になったときに、過去の日記の抑圧されている部分を読むと、記憶を遡ることで過去に戻って、現実を変えてしまう力が自分にあることを知ります。このあたりはバック・トゥー・ザ・フューチャー的な感じがするのですが、何かをよく変えようとすると別の何かが悪い状態になってしまって、その度に新しい現実が生れてしまう。あのときあのひとに会わなければいまどうなっていただろう、ということはよく考えることですが、現実というのはやり直しがきかないもので、出会っていなければよいことがあるわけでもなく、よいこともあるけれども悪いこともある。そういうものかもしれません。世のなかというものは、よいことと悪いことで平衡がとれている。

最初のシーンが重要な意味を持っているというよくある映画の手法ではあるのですが、とても楽しめました。DVDには、マルチエンディングとして2つのラストシーンが掲載されていて、監督たちのコメントもあるのですが、「このエンディングでは、こいつは何も学んでない。あんだけつらいことがあったのに、こりゃないだろう」と、学習することを重視してエンディングの可能性を却下しているのが面白かった。記憶は学習し、成長するためにあるものです。7月23日鑑賞。

公式サイト
http://www.butterflyeffect.jp/

*年間本100冊/映画100本プロジェクト進行中(53/100冊+45/100本)

投稿者 birdwing : 2006年7月23日 00:00

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