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2006年8月19日

帰省、そして東京とネットふたたび。

1週間ぶりです。帰省して家族とのんびり過ごしました。その間、ネットも断ちました。東京では大変だった方も多いと思うのですが、都内の停電や靖国参拝の議論を、焦点がぼけた田舎の古いテレビのブラウン管の向こうに眺めていました。なんだか遠い世界のようでした。田舎で特筆することもない毎日を平凡に過ごしたのですが、ぼくにとってはターニングポイントのような夏でもあったような気がします。

帰省していつも思うことは、まず目にとびこんでくる緑の色と量が東京とは圧倒的に違う、ということです。そして、遭遇する生き物の種類と量も圧倒的に違う。

東京に暮らしているとわからないのですが(といってもぼくは都内で暮らしているからかもしれないのですが)、蝶というのはこんなに種類があったのか、と思いました。アゲハ蝶であっても、びみょうに異なる種類の蝶に何匹も遭遇して、そのたびに息子は大喜びになる。カワトンボ(たぶん通称で、ほんとうは別の名前があると思うのですが、黒い羽で胴体が青緑色のトンボ)をみつけて、長男は「めずらしいトンボだよ。あんまりみられないんだよ!」と興奮していたのですが、ぼくにとっては、そうでもないだろう、よくみたもんだよ昔には、という感じでした。東京生れの子供たちにとっては貴重なトンボだったのでしょう。

海にも山にも近いぼくの田舎は、さいわいなことに自然に恵まれています。仕事先で自分の田舎を告げると「いいところがふるさとですね。うらやましい」ということをよく言われるのですが、個人的にはよいところというよりも厄介な場所で、観光地としてはすばらしい場所だとは思うのですが、住む場所としてはおおいに疑問が残るものです。

ロハスだ、自然がいちばんだ、さあ田舎へ引っ越そう、ということが言われます。しかしながら、自然にもよいところと悪いところがあり、蝶やトンボならまだよいのですが、とんでもない虫がいたりするものです。美しい田舎というのは「都会人が描いた田舎」の理想あるいは幻想ではないか、と思うのです。過疎化が進んでいて対策は必要かもしれないのですが田舎はやはり田舎であり、面倒であったり厄介なものの上に成り立っています。面倒や厄介を避けるのであれば、都会で暮らした方がずっと快適です。

さて、ぼくらの田舎では、お盆には迎え火で祖先を迎え、先祖とのひととき一緒にすごし、送り火でまた祖先にさよならをする、という風習があります。このお盆の期間に、田舎の家には、祖先たちだけでなく一度きりの昆虫たちもやってきました。

まずは部屋のなかにジャノメ蝶が迷い込んできたのですが、3歳の次男がとことことこと近づいていくと、ぱっと右手で捕まえてしまった。3歳児に捕まえられてしまう蝶はどうだろうと思ったのですが、その風景は見事でした。つかまえたまま固まっている息子に、「お盆だから離してあげな」と言って網戸を開けてあげると、彼ははそのまま手を離したので、蝶はひらひらと明るい庭へと飛んでいってしまいました。

ただそれだけのことですが、捕まえてほしいという感じで迷い込んできた蝶に、ぼくはどうしても先祖の姿を重ねてしまうわけです。じいさんが蝶に姿を変えてやってきて、孫と遊んでくれた、という感じ。そんな物語をつくって、その光景を眺めてしまう。

その日の夕方、今度は居間の窓をこつこつと叩く音がするので、そちらの方をみると、大きなオニヤンマが空中に静止していました。ぼくが少年の頃にも、夕方5時頃になると、優雅な感じで裏山から道の方へ軍艦のようにすいーっと飛んでいくオニヤンマがいたのですが、といってもそれは数十年前のオニヤンマとはまったく違うわけですが、ああ、また来てくれたんだ、という気がした。さらに、昼間のジャノメ蝶のじいさんが今度はヤンマに変わって来てくれたか、という気もするわけです。大喜びの息子のためにオニヤンマは、何度もすごいスピードで滑空してみせたり空中に静止してみせたりしたのですが、やがて夕食がはじまるとどこかへ消えてしまいました。

もちろん夕暮れ時に蚊などのちいさな昆虫を食するためにヤンマは勝手にやってきたわけで、人間の勝手な物語のなかに自然を絡めとってしまうのはどうかと思います。しかしながら、ぼくらの祖先はそんな自然のなかの一回性の偶然から、神話や物語を見出し、自然と人間をつなげて生きてきたのではないか、とあらためて考えました。テレビもインターネットもなかった時代のひとたちは、きっとそうやって自然が与えてくれた偶然を物語にして楽しみ、ときには自然に感謝したり畏れたりしながら、自然と共存してきたのだと思います。

そんな田舎の生活のあとで東京に戻って感じたのですが、東京というのはこんなに人がいたんだ、とあらためて驚きました。電車のなかではほとんど密接するように人がいて、さまざまなファッションがあり、露出度も高かったりする。とにかく人と人のあいだに距離がない。蝶などの昆虫をみていた息子たちの目が、みるみるうちにぼうっと疲れていくように呆けていって、旅の疲れなのか、あらためて刺激的な東京に適応しようとしているのか、よくわかりませんが、こいつらも大変だなあと感じました。

けれども、こうした東京の生活もぼくは嫌いではなく、むしろどちらかといえば好きで、インターネットの雑然とした世界にも戻ってきたのですが、不健康な部分もいろいろと感じつつ、1週間ばかりネット断ちしたあとでは新鮮ですらあります。ブログスフィアも、もうひとつのふるさとのようなもので、ただいま、という感じでしょうか。

投稿者 birdwing : 2006年8月19日 00:00

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