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2006年8月23日

黙らないこと、前向きになれずに。

ブログを書いているといろいろなことがあります。いまだからこそ少し冷静に書けるのですが、挑戦的に仕事場の批判をして、やんわりと警告されたこともありました。

ただし、それが社会です。そんなことは当たり前かもしれない。いま重松清さんの「小さき者へ」という小説を読んでいるのですが、彼の小説のなかに出てくるお父さんは、リストラだったり子供が引きこもりだったり、かなしい状況下にある父親ばかりで読んでいると痛いです。

結局のところ、いまでも後遺症は消えていません。新しい領域を開拓するときにわだかまりがあり、気持ちが萎えつつあるし、アンダーグラウンドの影に脅かされて、やりにくい。

エントリーを削除させること。言葉を奪うこと。発言の機会を減らしたり、せっかくの前向きな発言を無視すること。耳を傾けないこと。そのような圧力的な行為は、いっときは負け組である弱者を黙らせることができます。けれども黙るという重苦しい空気のなかで、冷泉彰彦さんの著書「「関係の空気」「場の空気」」に書かれている「言葉の窒息」が生まれてしまうことになり、結局のところ、窒息の反動がテロのような行動につながったりもする。

だから聴くことが重要なんですね。大前研一さんの「即戦力の磨き方」の冒頭には下克上の時代が到来したことが書かれていますが、ぼくは、そうだそうだ、という肯定よりも、新しい秩序を回復することが重要であると感じました。それは勝ち組・負け組という格差社会的な秩序ではなく、年老いたものを敬い、若いひとたちの未来のために教育を重視し、弱者をいたわることができる当たり前の秩序です。そのために「対等」なコミュニケーションができるような言葉の在り方が重要になる。

話は変わり、ひとりの親として反省すべき点もあります。自由研究の作文を前にして、9歳の息子はフリーズしたように黙ってしまったのですが、彼が黙ってしまうのはなぜだっただろうと、そんなことをぼくはずーっと考えつづけていて、どうすればその窒息状態を回避して、思っている言葉を自由に話せる状態ができるのだろう、とあれこれ思いを巡らせています。性格なものかもしれないけど、性格だったとしても、彼のなかに眠っている言葉をひとつでも多く引き出してあげたい。コーチングを学んだのですが、まだまだ役にはたつレベルではなく、けれども、言葉を話す、綴る楽しみを教えてあげたい。

何度か、北風と太陽の話を引用したのですが、ぼくは冷たい風でコートを奪う北風ではなく、ぽかぽかとしたぬくもりのなかで自然かつ自発的にコートを脱がせる太陽でありたいと思っています。

その発想の延長線上に、格差社会とか、犯罪やしょうもないトラブルばかりの世のなかを変えていけるような何かがあるような気がする。とにかく、脅しでは何も変わらないのではないか。ネガティブな考えも含めつつ、前向きに考えてみようとしたのですが、なかなか今日は前向きになれません。

投稿者 birdwing : 2006年8月23日 00:00

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