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2006年8月30日
枠組から自由になる。
気がつくと自分で自分を言及していることがあります。O型だからとか、負け組みだからというステレオタイプな要因もあるだろうし、長男だから、のような育ちの環境に拠る原因もあるかもしれません。
言及することで安心もするのですが、逆にみえない枠組を作ることで、狭い領域に自分を閉じ込めているような気もします。もやもやした気分も言葉化するとはっきりするので、言葉にしてはじめて、ああそういうことだったのか、と気づくときもある。ただ、そうした言葉の枠組にとらわれていると、大きく変わることができなかったり、跳躍の機会を逃すこともあります。
北海道旅行で、層雲峡のホテル大雪というところに泊まりました。
次の日に、上の地図にもある大雪山層雲峡ロープウェイとリフトに乗って黒岳の七合目まで行ったのだけど、うちの息子(長男9歳)がリフトに乗るのを最初は嫌がっていて、でも乗ってみよう、と説得して乗せたところ、逆にものすごく気に入って楽しそうでした。
乗っているうちはとなりのぼくにひっきりなしに話しかけてきて、嫌がっていたけど乗せてよかったなあ、と思った。こういうとき、実の父親であるぼくは、息子に抵抗されると、そうかーじゃあやめとこうか、と妙に優しくなってしまうのですが、おじさん(というかぼくの弟)が「のるぞー。さあ、のるぞー」と強引に引っ張っていって、それが逆によかったりする。東京で暮らしていると子育てにも人との関わりにも過敏になってしまうのだけど、時には「強引に枠の外に引っ張り出す」ことも大切だなと思いました。
旅行中に読んでいた大前研一さんの「即戦力」という本に刺激を受けて、東京に帰って、早速、大前さんの本を2冊購入してしまいました。1冊は、「ザ・プロフェッショナル」です(現在、P.116を読書中)。
ザ・プロフェッショナル ダイヤモンド社 2005-09-30 by G-Tools |
「即戦力」もそうなのですが、大前研一さんの本を読むと元気になります。際限なく高みをめざそう、という気持ちになる。「ザ・プロフェッショナル」は若干古い本(2005年)なのですが、この本のなかに「「知的怠慢」を拝す」ということが書かれていました(P.29)。引用します。
たいていの人が「自分の限界を、自分で決めて」います。そのほとんどが、かなり手前に設定されています。なぜなら、いままでの経験と相談するからです。これは楽チンです。おそらく失敗しないで済むでしょうから、周囲から怒られることもなければ、バカにされることもありません。ですから、現実的で、賢い判断と言えなくもありません。しかし、私に言わせれば、小賢しい考えでしかなく、そのような人は「できるわけがない」と思ったとたん、すぐ諦めてしまう。これこそ「知的怠慢」なのです。
まあいいか、と思う気持ち。ほどほどで手を抜く気持ちが知的怠慢かもしれません。ひとつの業績を残すようなひとたちは、限界を自分でつくらない。とことん執着し、やり抜くわけです。この、こだわりが成果となる。
執着に対する重要性は大前さんも繰り返し述べられているのですが、ただ、ぼくはパラノイア的に執着することだけがよいのではなく、ときには執着していたことをすべて手放せるフレキシビリティが重要であるような気がします。ブログを書いてぼくが前進できたと思うのは、最初のうちは病的にこだわっていたのですが、最近はON/OFFが自在になってきたことです。書かなくても十分に平気だし、書けばものすごい量だってこなせる(ほんとうは量ではなくて質なんですけど)。自律できるようになった、ということでしょうか。
以下のようにも書かれていて、耳の痛い話でした。
知的好奇心が中途半端な人、すなわち知的に怠惰な人は、ほぼ例外なく自己防衛的で、変化に後ろ向きです。なぜなら、チャレンジ精神とまではいいませんが、新しいことへの興味に乏しいからです。常日頃から、目新しいこと、自分の知らないことを貪欲に吸収しようという姿勢が身についていませんから、いざという時、心理学でいう「ファイト・オア・フライト」(抵抗するか、逃げるか)になってしまう。
いまぼくはいままできちんと関わったことがなかった領域、たとえば英語であるとか、行ったことのない場所だとか、そういうことに対して積極的になろうと思っているのですが、異なった考え方や生き方を吸収できるぐらいにしなやかでありたいと思います。ただ、くだらないことに流されるのはあまりにも人生の無駄なので、それだけは気をつけたい。それから知的怠慢なひとをなんとかしようとしても、無理なことが多いので、そこに注力するのもやめておこうと思っています。
自分から変化しようと思わなければ、変われないものです。変わらないものを変えようとするから、無理が生じる。リフトに乗る前の息子のように気持ちが揺らいでいるのであれば、強引に引っ張っていくこともできるのだけど、硬直反応を示している場合には、触れないでおいたほうがいい。
旅行疲れが蓄積されていてまだ抜けなくて昨日は、人生は旅の途中、というステレオタイプなことを書いて、ブログを終えてしまったのですが、購入した大前研一さんの二冊目の本は、「旅の極意、人生の極意」です。最新刊のようです。何かの符号かもしれないと思って購入したのですが、挿入されている写真も美しい。
旅の極意、人生の極意 講談社 2006-07-07 by G-Tools |
かつて大前研一さんは添乗員をされていたことがあったらしく、働くきっかけはクラリネットが欲しかったことであり、学生時代の北海道の旅行についても書かれていました。
旅にしても、ブンガクにしても、もちろんネットであっても、一歩踏み出すことで世界や風景は変わるものです。ぼくはいままで怠慢だったのかなあ、ということも反省しているのですが、常に一歩前をみていたい。愚痴を言っている場合ではなく、その先の未来へ、という感じです。
さて、今日は早めに帰宅して、子供の夏休みの自由研究を手伝いました。なかなか大変でしたが、明日で子供の夏休みもおしまいです。なんとか間に合いそうです。ほっとしています。
ほんとうに早いもので、もう虫の声が騒がしくなりました。
投稿者 birdwing : 2006年8月30日 00:00
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