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2006年9月 6日

親も大変、けれども子も大変。

東京は雨模様の一日だったのですが、さわやかなニュースがありました。紀子さま、男の子をご出産とのこと。おめでとうございます。健やかに成長されることをお祈りいたします。皇位継承の問題だとか、過剰な報道についてだとか、社会的な文脈に絡み取られがちなのですが、ぼくはシンプルに、ひとりの生命が誕生したことをお祝いしたい気持ちです。

女性ではないのでわかっていないことも多いと思うのですが、やはり子供を持つ親としては子供が生まれるときの大変さというのは痛いほどに感じるものです。というわけで今日は、親について考えてみたいと思います。

ちょうど、週刊ダイヤモンドの9.9号で「父親力」という特集がありました。

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オープンオフィスで父親の働く姿を子供にみせる、という取材からはじまって、多角的に父親の子育てについて考えられる興味深い特集でした。最近、重松清さんの「小さき者へ」という小説を読んで、親の在り方などについて考えていたのですが、この特集にも重松清さんのインタビューが掲載されていました。これがまた泣けた。電車のなかで不覚にも涙が出そうになって困りました。以下、引用します(P.33)。

僕は家族、非行、イジメなどをテーマに小説を書いているが、一冊の父親論を書いて、これが正解というものがあるなら、小説を書くことはない。いろんなお父さんがいて、いろんな悩みがあるから、小説のネタは尽きない。
子供のことで悩むことも大事だ。もうやめたといって逃げるよりも、一○○倍いい。正解に辿り着くのは大変なことで、何が正解かも実際わからない。

共感します。しかし、小説だからこそパラレルにさまざまな正解を描くことができますが、現実に生きる以上、ひとつの正解を選ばなければならない場面もあります。ここで悩む。ものすごく悩むわけです。たいしたことではなかったとしても、子供ときちんと向き合おうとすると、悩むことばかりです。そして悩んだにも関わらず、嫌われる。父親の悩みなんて子供には理解できないもので、結構、残酷に嫌われます。ただ、それが父親の宿命かもしれない。重松さんも以下のように述べています。

「お父さんなんて大嫌い」と言われたら、ある意味、一人前になったな、と思えばいい。いつも仲のいい家族であるわけではない。思い通りにならないときに踏ん張ることができる力、くじけない力、めげない力というのも、父親として大事な能力だと思う。

それを明示するかどうかはともかく、親であることは精神力はもちろん体力も要求されます。そしてみえないところで努力しなければならない。冒頭にオープンオフィスで働く姿をみせるという話もありましたが、頑張っている背中をみせることが、子供に対するいちばんの教育かもしれません。

ぼくの親父は高校教師だったのですが、夜が更けてからスタンドの明かりのもとで、がりがりとガリ版で試験問題を作っている姿が印象に残っています。コピーなどのなかった時代で、鉄筆でロウのような薄い紙に問題を書き込む。それを輪転機にかけて印刷するわけです。

そういえば、試験問題のマルつけをやらされたこともあって、親父が書くマルの形を真似させられた。これ、ぼくがマルつけちゃっていいの?と小学生のぼくは、ささやかな罪悪感を感じたのですが、一方でえへんという気持ちもあった。ぼくに期末試験のマルをつけられた高校生の気持ちを考えると、申し訳なかったなあ、という感じがするのですが、いま考えるとそれが親父なりの「オープンオフィス」であり、まだ小学生のぼくに教師の仕事について教えようとしていたのかもしれません。どうなんだろう、親父?

最終的に親父は校長を勤めた優秀な教師だったのですが、教頭時代には上下からのプレッシャーに悩み、朝起きると身体の形がわかるほど寝汗をかいていた、ということを最近になって母が教えてくれました。また、悪性の腫瘍で右手を手術したこともあったのですが、傷を隠しながら職場に行っていたようです。リハビリのために書いた日記が残っているのですが、文字はほとんど読めません。読めないのにどうやって仕事をしていたのだろう。つらい時期だったのだと思うのですが、親不孝な子供であったぼくは、そんなことには気付かずにのほほんと生きていました。

ダイヤモンドの特集には、奥谷禮子さんが父を亡くしたときのエピソードも掲載されています。かつて格差社会について、負け組みの努力が足りないような発言をされていた奥谷さんについて批判的なことを書いたことがあるのですが、その厳しさはきっと父親から受け継いだものかもしれません。次のように書かれています。

私の「許せないことは許せない」と相手に立ち向かっていく性格は、まさしく父親譲りだと思う。

少し奥谷さんを理解できたような気がします。やはり、人間というものはさまざまな角度からみなければいけないもので、ひとつの発言だけを取り上げて批判するのは浅いかもしれない、と反省しました。

ところで、ぼくの個人的な気持ちをカミングアウトしようと思うのですが、10代の真ん中あたりのぼくは、結婚して子供をつくるのはまっぴらだと思っていました(前にも書いた気がしますけど)。ぼくは一生結婚なんかするもんか、子供も作らない、と思っていた。というのは、自分と同じ遺伝子を持った、しょうもない自分の劣悪なコピーがこの世の中に生まれ出ることは、ぜったいに許せないと思っていたからです。

もしかすると、そんな10代のぼくの気持ちに共感するひともいるかもしれないので、聞いてほしいのですが、その考え方は全面的に間違っている。何が間違っているかというと、子供は自分の創作物であり、そもそも「子作り」というように、親が創作者であるような優位という発想がおかしい。子供は親のコピーなどではない。そんな風に思うのは若い人間の思い上がりであり、親とは何か、子供とは何か、ということをまったくわかっていないと思います。その考えの延長線上に、子供を虐待したり、殺めてしまう発想もあるような気がします。わたしが生んだものだからどう扱ってもいいじゃないの、というような。生んだのはあなたかもしれないが、子供はあなたのものではない。

子供は親とはまったく別の「個」だと思います。子供は所有できない。血縁関係はあったとしても、他人です。多くの他人がそうであるように、自分の「思い通りにはならない」ということを親はもっと理解すべきだとぼくは思います。「思い通りにならない」からこそ楽しいし、親の想像を超えた成長もしてくれる。

逆に思い通りにならないから、切ないこともあります。

上の子(長男)が小学校低学年ぐらいのときのことですが、ちょっと内気な息子は運動会などのイベントを前にして、夜寝るときに「むねが、ぽこんぽこんして、ねむれない」といっていたことがありました。胸がどきどきする、というステレオタイプな表現を知らないので、感じたままに「ぽこんぽこん」と表現したのかもしれません。確かにどきどきも度を越すと、ぽこんぽこんになるかもしれない。その気持ちが痛いほどにわかるんだけど、じゃあどうすれば治るのか、親であるぼくにはわからない。お話をしてあげたりしたような気もするのですが、治らない。思い通りにはならない。

しかし、考えてみるとパパだって、過剰にプレッシャーのかかる仕事をするときには今でも「ぽこんぽこん」するのであって、ちょっとばかり長く生きていたとしても、息子と何も変わらない。なんとかしてあげたいけど、パパにもどうしようもないんだよ、という無力さが切なかった。そうして息子はこれから、何度も「ぽこんぽこん」する場面を切り抜けていかなければならないわけです。そのことを思うと、やりきれない気持ちになりました。

ところで、20代になってからの独身時代のぼくは、将来こんな父親になりたい、という理想像を、あるマンガに見出していました。それは、ジョージ秋山さんの「浮浪雲」です。

4091800513浮浪雲 (1) (ビッグコミックス)
小学館 1975-07

by G-Tools

品川の宿場町で人足のリーダーとしてのらりくらりと暮らす「雲」が主人公で、酒を呑んだり女性の尻を追いかけたり、どうしようもないやつなのですが、実は家族思いで、子供のことが大好きで、じーっとみつめることで何かを教えようとする。子供のほうは、ちゃらんぽらんな父親を反面教師としてみているのだけど、なんだか憎めない。ときには親子が友達のように笑いあったりしている。いまでも理想だなあ、こんな父子。しなやかだけど強く生きたいものです。

さてさて。肉親であるからこそ、共感する力も強いと思うのですが、血はつながっていたとしてもお互いに別々の「個」として生きていかなければなりません。アドバイスができたとしても、最終的に息子に届かなければ、その言葉も意味がない。もしかすると(ぼくのように)親父が亡くなったあとに親父の意図に気付く、ということもあるので、願わくばそうあってほしいものですが。

茂木健一郎さんの「脳の中の人生」という本のなかで、養老孟司さんのエピソードについて書かれていて、これもなんとなくあたたかいお話でした。「死の壁」という著作からの引用のようですが、さらに引用します(P.18)。

父の死については、よく思い出していました。しかし、それを本当に受け止められたのは、三十代の頃だったと思います。(中略)その頃、ふと、地下鉄に乗っているときに、急に自分が挨拶が苦手なことと、父親の死が結びついていることに気づいた。そのとき初めて「親父が死んだ」と実感したのです。そして急に涙があふれてきた。

この経緯として、父が臨終のときは夜中だったので、幼少の養老さんは「さようならを言いなさい」と言われたのに寝ぼけて言えなかった、という経験を語られています。父に最後の挨拶ができなかったという罪悪感が、挨拶が苦手だという形でずっと養老さんの人生に影を落としていたわけです。ぼくも似たところがあって、いまは亡き父親に告げたいことがあったのに言えなかった、という経験がありました。だから、過剰にネットで語りはじめたのかもしれません。

これから世界に生まれる新しい生命、いまはもうここにはない生命の記憶、さらに今を生きようとしているぼくらのように、さまざまな生を想像することが大事なのでしょう。

いまぼくは、親でありながらまだ子供である、そんな役割のなかで生きています。ときにそれは面倒なものであり、先日の北海道の旅行では(ばーちゃんと息子とぼく、という日程もあったので)面倒さにくたびれ果てたこともあったのですが、そもそも人生というのは基本的に面倒なものなのかもしれません。しかしながら、面倒であっても、笑っていられるぐらいの人物でありたいですね。

投稿者 birdwing : 2006年9月 6日 00:00

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