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2006年12月 2日

五感のクリエイティブ。

髪を切りに行きました。ついでに染めてもらったのですが「がつんと明るくしてください」と言ったら、がつんと明るくされてしまいました。そりゃそうだ。明るくしてね、とオーダーすれば明るくされてしまうのは当然です。ちょっと明るすぎたか?と不安だったのですが、帰宅して家族にヒアリングしてみると、それほどではない印象だったのでほっとしました。けれども、3歳児である次男は「えーと、えーと」としばし悩んだあとで「バナナみたい」とのこと。うーむ、そこまで黄色くないと思うぞ。

明るさ、という言葉は分解すれば、あ+かるさ(軽さ)でもあり、逆に暗さは重さと結びつくような気がします。髪の色が明るくなると、見栄えも軽くなりますが(そもそも重い考え方の人間なので、ちょっとぐらい軽くみえたほうがいい)、気分的にも少しだけ軽くなります。明るさと重さは単位が違うものなのに、感覚のなかでは対応している。ということを考えていくと、人間の感覚というのは派生・分化しているけれども根っこの部分は同じなのかもしれません。

すかっと晴れた土曜日の午前中、もしくは日曜日の朝という時間帯がぼくは好きなのですが、その何が好きかと言うと、散歩などをしたときに住宅街の家の壁や塀などに太陽の光が反射している明るさがいい。青空の透明なブルー、公園で光に透ける樹木の葉のみどり、そんな明るさのエッセンスから何か創作できないかとも考えています。たとえば、音楽では明るい和音(メジャーコード)が光を表現すると思うのですが、暗い和音(マイナーコード)という影の部分と組み合わせることによって、明るさが引き立つような気もしています。つまり明るさと暗さは対で意味を成すものかもしれません。

今日、髪を染めてもらいながら店内に流れているBGMを聴いていたのですが、カーズ、ブルース・スプリングスティーン、スタイル・カウンシル、シカゴなど80年代の洋楽がかかっていて、そんな曲を聴いていたら一瞬だけ、「すかっと晴れた土曜日の午前中、もしくは日曜日の朝」のイメージがぼくのなかに広がりました。つまり、明るい気持ちになった。それはどこか学生時代の記憶にも似ていたかもしれません。こうしたアーティストの曲は積極的に聴きたいとはあまり思わないのですが、喫茶店や飲み屋、美容院、街頭などで聴くと妙によかったりする。場や空間によって効果的な音楽もあるのかもしれません。そして自分のなかの失われた感覚を呼び覚ましてくれる音楽は、なかなかいいものです。

視覚的な明るさと聴覚的な音楽を対応させて考えたのですが、「ブランドらしさのつくり方―五感ブランディングの実践」という本の最後では、最先端の五感に対する研究を「五感を分解する流れ」と「五感を統合する流れ」の二つの方向にあると書かれています。

まず分解する流れについては、次のように説明されています(P.223)。

嗅覚でいえば、ある香りをいくつかの基本的な香りの要素に分解して、その組み合わせで香りを再現しようとしていることがまさしくこの方向だ。分解することで複雑なデータをデジタル化し、それによって記録したり、伝達したり再現したりすることが可能になる。触感をいくつかの刺激に分解して、再現している触覚ディスプレイや、三つの原色に分けて、その組み合わせで色を再現するテレビなどと考え方は同じだ。

この分解してデジタルデータにする流れが「五感研究を飛躍的に向上させてきている」としながら、五感を複合的に扱う必要性についても述べられています。

五感と一口にいっても、五つの完全に独立した感覚ではなくて、互いに相互作用を起こし、一つの固有の感覚を生み出しているからだ。同じ温度の同じ部屋であっても暖色系の部屋のほうが暖かく感じ、寒色系だと冷たく感じる。同じ映像であってもバックに流れる音楽によって感じ方がまったく異なる。そんな経験は多いだろう。事実、多くの専門家が、五感は互いにつながっており、一つひとつ別々に切り離せないものだ、と指摘している。

分解する流れ+統合する流れのふたつがぼくは重要だと思っていて、それは部分思考+全体思考という形に言い換えることができるかもしれません。たとえば、Webサイトにおいてもカラーだけを追求しても、書かれているコピーやテキストの内容が色の表現する世界感とかけ離れていたらブランディングとして機能しないのではないでしょうか。

もう少しやわらかい喩えにしてみると、恋人を想起する場合には、彼女の香り(嗅覚)+声(聴覚)+姿(視覚)+肌触り(触覚)+味(味覚?えーと、何の味だ?)のような、五感の総体として存在が立ち昇ってくるようなものではないでしょうか。テキスト情報の場合には、そのほとんどが欠如しているため、相手をほんとうに理解するためには欠如している五感の情報を想像力で補う必要があります。

「ブランドらしさのつくり方」では、最後に五感ではなくて「互感」というコンセプトが提示されていました。これが興味深い考え方でした。

五という数以上に重要なのは、それらが互いに関連し合う感覚で、人間の判断に強い影響を与えているということだ。つまり、五感ではなく「互感」。互いに複雑に絡み合う感覚をとらえることこそが、これからの五感ビジネスの醍醐味だ。"互"感を考えることが、この領域をより深めてくれる。

互いに影響を与え合う、という感じがいいですね。ぼくはずっと音楽(聴覚)に映像(視覚)をつけたくて、けれどもなかなかできないのですが、未来のクリエイターはさらに嗅覚や触覚的な表現も可能になって、五感に訴えるアートが登場するのかもしれません。

投稿者 birdwing : 2006年12月 2日 00:00

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