« きまぐれロボット | メイン | ベロニカは死ぬことにした »

2009年3月10日

ノイズ

▼cinema09-07:ノイズを撲滅する正義、でも作品は・・・。

noise.jpg

ぼくらは音に囲まれて生活しています。生活のなかにある音には、心地よい音がある一方で不快な音もたくさんあります。犯罪の発生を知らせるサイレン、ばかでかい音をがなりたてる選挙活動のアナウンス、ドリルがアスファルトを砕く工事中の音など。

ノイズの多くは、人工的に作り出された音です。技術や文化が新たな音を生み出すことがあり、そうした音のなかには、身体に馴染まない音もすくなくない。自然にもカミナリの音や地響きのような不快や不安を生じさせるノイズもありますが、自然のノイズはなぜか耳にやさしい(と、ぼくは感じる)。

シンセサイザーのような電子楽器が作り出した音にも、身体に馴染まない種類の音があります。耳にしっくり馴染まない音はノイズに近い。たとえば音声合成のVocaloidはすっかりブームになりましたが、MEIKOを使っていたとき、技術の可能性を感じつつ、なんか違うなという違和感を確かに感じていました。合成された音のなかにはノイズ的な不快感があります。だからといって、生楽器の至上主義は掲げませんけどね。生楽器だって、弾き方によってはとんでもないノイズになる。

アスペルガー症候群関連の本を読んでいたとき、自閉的な傾向のあるひとは掃除機の音を異様に嫌がる、ということが書かれていて、そうなのか、と思いました。ふつうのひとにとっては、騒々しくても掃除機の音が耐えられないことはない。しかし、しゅいーんというモーターの音や、がーがーとごみを吸い込む音がほんとうに駄目なのだそうです。掃除機から逃げてまわるとか。

騒音に苛立ったり気分を害したりすることがあります。独身最後の時期、ひとり暮らしをしていたぼくは線路に近い場所にアパートを借りていました。始発から最終までの時間、つまるところ深夜以外は、いつも電車の音が振動とともに聞こえているわけです。慣れると思ったけれど駄目でしたね。キンモクセイのたくさん咲く庭があったので癒されたのだけれど、休日もなんだか電車の音で落ちつかなかった。静けさというのは大事だと思いました。

と、ノイズに関する断片をまとめきれずに、無駄に長い前書きをしましたが、そんな関心のもとにタイトルで借りてしまったDVDが、ティム・ロビンス主演の「ノイズ」です。

クルマの盗難防止の警告音に不快感を感じる主人公デビッド(ティム・ロビンス)が、キレて警告音の止まらないクルマを破壊しまくるあげくに、自ら救世主と名乗って街に存在するノイズを撲滅する活動にのめり込んでいきます。どこかバットマンなどのヒーローに重ね合わせられないこともない。けれども、どれだけうるさくて周囲を不快にさせる諸悪の根源とはいえ、正義の名のもとに勝手にひとさまの自動車を破壊したら犯罪者です。だから彼も牢屋に入れられてしまう。

ぼくらも電車のなかで隣りのひとのウォークマンがしゃかしゃかうるさかったとしても、舌打ちして我慢しますよね。よほどのことがなければ、ボリュームを下げてくれませんか、と進言できない。最近では、余計なことを言うと刺されてしまったりすることもあります。だから、うるさくない場所に自分が移動するとか、逆に自分のiPodを聴いて音に引き篭もるとか、受動的な解消をはかる。ものごとを荒立てずに回避しようとする。

しかし、この映画のなかで主人公は主張します。騒音は暴力だ、どうして黙って耐えなければならないんだ、行動を起こすべきではないか、と。一方でチェロが趣味の彼の妻は、窓を閉めればいいじゃない、あなたは犯罪者になってわたしたちの家族を壊すつもりなの、子供にも悪い影響が出ているのよ、と理性的に彼をなじります。そうして騒音に対する苛立ちから解放されずに拘りつづける彼を見捨てて、妻と子は別居してしまう。

ひとりになった彼は多少落ち込んだものの、バットマン的な騒音撲滅活動に目覚めていくわけですが、そんな過程でひとりの若くて美しい女性記者に出会う。彼女は、ひとりで正義のヒーローを気取ってクルマを破壊しまくっていた幼稚な彼の行為を政治的な活動に変えていきます。つまり、署名を募って自動車の警告音を廃止する条例を作る活動に変えていく。

騒音のなかでヘーゲルを読んでいる彼が本を破いてしまう場面もあったのですが、脚本家の趣味なのか、どこか哲学的な示唆がふんだんにありました。そもそも個人の正義を発端として、社会全体の制度に変えていく経験が描かれているところが、どこかヘーゲル的です。また、彼が何を求めているのか、という問いに対して正義や公正さというよりも「美しさ」であるなどという会話が出てくるところも非常に哲学的でした。そのあと署名運動に参加した女性と寝て、ベッドの上で裸の彼女が脚を開きながら、私は美しくありたいのだけれどあそこがグロいから幻滅する、などという会話には困惑したのだけれど。

クルマを破壊していた彼の活動が社会的になっていき、6万人もの署名が集まるにつれて、市長は彼の活動を苦々しく思うようになり、政治的な圧力をかけていきます。せっかくの署名が無になってしまいそうになったとき、彼は・・・。

テーマは面白いと思いました。また、妻とのぎりぎりのやり取りはもっと切なく描ける気がしたのですが、なんとなく陳腐です。そもそも最初のシーンで、カメラ目線で騒音についての見解を語らせたり、選択しなかったもうひとつの現実について画面を分割して表現するところが、観ていて興ざめな印象です。全体的には、いまひとつか、いまふたつ。惜しい映画(ドラマ)だと思いました。3月8日観賞。


■トレイラー


投稿者 birdwing : 2009年3月10日 23:58

« きまぐれロボット | メイン | ベロニカは死ぬことにした »


トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://birdwing.sakura.ne.jp/mt/mt-tb.cgi/1064