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2009年6月24日

垂直に読む。

読書に没頭したくなるときが周期的に訪れるようで、いま小遣いのありったけを投入して本を購入して読んでいます。といっても、読みやすい本ばかりで、読む気が失せた本は途中でうっちゃっている。熱しやすく醒めやすいのかもしれません。あるいは飽きっぽいのか。

本は読者にとって"読みごろ"の時期がある、というのが自論です。

啐啄同機ということばもあるように(卵が孵化するとき、雛と親鳥の両方が殻を突くこと)、ぼくの求めている本があると同時に、本がぼくを求めていることがある。もちろん絶対的に評価されている名著はありますが、ある時期の自分にとって、とんでもない駄作がめちゃめちゃこころを打つこともあります。そのことを恥じることはないとおもう。逆に数十万部の売上げのあるベストセラーがすこしもぴんとこないこともある。読者あっての書物です。本の価値は本のなかにあるのではなく、読んだひとのなかに生まれる。

池田信夫さんがブログで姜尚中さんの「悩む力」を批判されていました。ウェーバーに関する事実から「陳腐なお伽話」と表現されていて、まさにその通りかもしれないな、と感じたのだけれど、その「お伽話」的な部分も含めて、「悩む力」を読んでいたとき、ある種のうっとりとした印象がぼくにはありました。個人的にはしなやかな文体によるところが大きかったと感じているのですが。

いま振り返ると「悩む力」はタレント本であり、内容は浅いのかもしれません。しかし、ごりごりとした歯ごたえのある本がすべてではない。映画に難解な文芸作品だけでなくエンターテイメント作品もあるように、さまざまな本があってよいと思うし、個々人が多様に(というか勝手に)感想や評価を抱いてよいのではないでしょうか。ただし、事実の誤りに惑わされない知力あるいは教養は必要ですね。本に書かれていたことだからと鵜呑みにすると、間違っていることもある。

松岡正剛さんの「多読術」にも同じような表現があった気がしますが、読書というのは、本と読者のあいだでつくられていくものです。世界を認識する人間の数だけ多様な現実の世界があるように、読者の数だけ多様に本は読まれる。あなたの読む「悩む力」と、ぼくが読む「悩む力」は違っていて当然かもしれません。けれども共感できる部分がひとつでもみつけられたら、しあわせなことです。

自分の整理のために現状の読書状況をメモしておきます。手付かずのまま積まれた状態になってしまったのはこの本たちでした。

4309463150大洪水 (河出文庫)
望月 芳郎
河出書房新社 2009-02-04

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P.237まで読んだのに。

4167753537東京大学のアルバート・アイラー―東大ジャズ講義録・歴史編 (文春文庫)
菊地 成孔
文藝春秋 2009-03-10

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まったく手付かず。

4140911301思考する言語〈上〉―「ことばの意味」から人間性に迫る (NHKブックス)
Steven Pinker 幾島 幸子 桜内 篤子
日本放送出版協会 2009-03

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すっごく面白いんだけれど3冊あるんですよね。一方で、ゆっくりと読み進めているのはこの本です。

41035342221Q84 BOOK 1
村上春樹
新潮社 2009-05-29

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41035342301Q84 BOOK 2
村上春樹
新潮社 2009-05-29

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いまだにBOOK1のP.334まで。とほほ

4167337037男たちへ―フツウの男をフツウでない男にするための54章 (文春文庫)
塩野 七生
文藝春秋 1993-02

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P.90まで。なかなかためになります。

そして、ここ一ヶ月ばかりひとりの作者にターゲットを定めて、突き進むように読み進めてきました。並行して異なるジャンルの本を読むのではなく、ある意味、垂直に読む感じでしょうか。実際にオブジェクト指向の開発用語には垂直読み(vertical reading)という用語があるようですが、これは異なる開発フェーズにおけるドキュメントを串刺しにして読むことのようです。ぼくの場合には、ある作家をコンプリートして読もうと考えていました。それが中島義道さんでした。

まず、中島義道さんは変人だとおもった(笑)。狂っているのかもしれないと感じました。彼の講演を受けたひとのうち数名は気分が悪くなった、というエピソードもありましたが、あながち嘘ではないでしょう。「どうせみんな死んでしまう」という考え方を軸に独自の哲学を展開されていて、意識を逆撫でする感覚があり、最初は居心地が悪かった。にもかかわらず、なぜか読み進めるうちに引き込まれて妙に安心してしまう。なんだろう、この感覚は?ということで次から次へと買い求めてしまいました。

読了した順に並べてみます。

■5月26日読了

4101467269私の嫌いな10の人びと (新潮文庫)
中島 義道
新潮社 2008-08-28

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■5月28日読了

4043496028ひとを"嫌う"ということ (角川文庫)
中島 義道
角川書店 2003-08

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■5月31日読了

4004309352悪について (岩波新書)
中島 義道
岩波書店 2005-02

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■6月3日読了

4101467226私の嫌いな10の言葉 (新潮文庫)
中島 義道
新潮社 2003-02

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■6月6日読了

4101467277狂人三歩手前 (新潮文庫)
中島 義道
新潮社 2009-01-28

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■6月11日読了

4480057595哲学の道場 (ちくま新書)
中島 義道
筑摩書房 1998-06

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■6月18日読了

4569624596不幸論 (PHP新書)
中島 義道
PHP研究所 2002-10

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■6月20日読了

4167753189孤独について―生きるのが困難な人々へ (文春文庫)
中島 義道
文藝春秋 2008-11-07

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■6月20日読了

4101467234働くことがイヤな人のための本 (新潮文庫)
中島 義道
新潮社 2004-04

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ひとつひとつの内容に触れたい気もするのだけれど、さておき。一見するとネガティブな不快な思考としかおもえない膨大な文章からわかったことは、

哲学する、とは、思考を停止しないこと

ではないかと感じました。なぜ?を問いつづけること。「しあわせだから、まあいっか」と片付けてしまうような瑣末なことであったとしても、すっと振りほどく手をぎゅっと捕まえて、さらに仔細に拡大鏡をあてて、「ほんとうにしあわせなのかっ?!」と自責もしくは自省すること。しかも問いを継続した結果もたらされるものは何もありません。世のなかをよくするとか、自分や他者を救うということが到達点ではない。問いつづける状態そのものが(彼のいうところの)「哲学する」ことのようなのです。

中島義道さんの限度を知らない自責(ネガティブループといえないこともない)については、ついつい笑っちゃうほど厳密なのですが、誤魔化したり騙したり嘘を吐いたり妥協したりして生きているぼくには、眩しいほど純粋で感受性が鋭くて誠実にみえました。ただ、彼のようになりたいとはおもわないですけどね。

あらためておもったのは、彼はノイズという映画に出てきたティム・ロビンスに似ている(映画の感想はこちら)。うるさくてもちょっと我慢すればいいじゃん、というところを嫌だ!という意識に忠実になるのでしょう。感情論や極論が嫌いではないぼくには、非常に面白かった。

現在は時間論の本を読んでいるのですが、さすがにこれだけ読めばかなりのものだろう、と考えてWikipediaで著作を調べて驚いた。ものすごい量の本を出していました。どひゃー。以下引用して、読了したものは■を付けてみます。

カントの時間構成の理論 理想社 1987年 (「カントの時間論」岩波現代文庫)
ウィーン愛憎 ヨーロッパ精神との格闘 中公新書 1990年 (のち角川文庫「戦う哲学者のウィーン愛憎」))
モラリストとしてのカント1 北樹出版 1992年(「カントの人間学」講談社現代新書)
時間と自由 カント解釈の冒険 晃洋書房 1994年(のち講談社学術文庫)
哲学の教科書 思索のダンディズムを磨く 講談社 1995年(のち講談社学術文庫)
「時間」を哲学する―過去はどこへ行ったのか 講談社現代新書 1996年
うるさい日本の私―「音漬け社会」との果てしなき戦い 洋泉社 1996年(のち新潮文庫)
人生を<半分>降りる―哲学的生き方のすすめ ナカニシヤ出版 1997年(のち新潮OH!文庫)
哲学者のいない国 洋泉社 1997年 (のちちくま文庫「哲学者とは何か」)
<対話>のない社会―思いやりと優しさが圧殺するもの PHP新書 1997年
■哲学の道場 ちくま新書 1998年
■孤独について―生きるのが困難な人々へ 文春新書 1998年 (のち文庫)
うるさい日本の私 それから 洋泉社 1998年 (のち「騒音文化論 なぜ日本の街はこんなにうるさいのか」講談社+α文庫、「日本人を〈半分〉降りる」ちくま文庫)
空間と身体 続カント解釈の冒険 晃洋書房 2000年
■ひとを<嫌う>ということ 角川書店 2000年 (のち角川文庫)
■私の嫌いな10の言葉 新潮社 2000年 (のち新潮文庫)
「哲学実技」のすすめ そして誰もいなくなった...... 角川oneテーマ21 2000年
■働くことがイヤな人のための本 仕事とは何だろうか 日本経済新聞社 2001年 (のち新潮文庫)
生きにくい...... 私は哲学病。 角川書店 2001年 (のち角川文庫)
ぼくは偏食人間 新潮社・ラッコブックス 2001年(「偏食的生き方のすすめ」新潮文庫)
時間論 筑摩書房・ちくま学芸文庫 2002年
たまたま地上にぼくは生まれた 講談社 2002年 (のちちくま文庫)
カイン 「自分」の弱さに悩むきみへ 講談社 2002年 (のち新潮文庫)
■不幸論 PHP新書 2002年
「私」の秘密 哲学的自我論への誘い 講談社選書メチエ 2002年
怒る技術 PHP研究所 2002年
ぐれる! 新潮新書 2003年
愛という試練 マイナスのナルシスの告白 紀伊國屋書店 2003年 (「ひとを愛することができない」角川文庫)
カントの自我論 日本評論社 2004年 (のち岩波現代文庫)
どうせ死んでしまう...... 私は哲学病。 角川書店 2004年
英語コンプレックス脱出 NTT出版 2004年
続・ウィーン愛憎 ヨーロッパ 家族 そして私 中公新書 2004年
■悪について 岩波新書 2005年
生きることも死ぬこともイヤな人のための本 日本経済新聞社 2005年
■私の嫌いな10の人びと 新潮社 2006年(のち新潮文庫)
後悔と自責の哲学 河出書房新社 2006年
■狂人三歩手前 新潮社 2006年
カントの法論 ちくま学芸文庫 2006年
醜い日本の私 新潮選書 2006年
哲学者というならず者がいる 新潮社 2007 年
「人間嫌い」のルール PHP新書 2007年
「死」を哲学する (双書哲学塾) 岩波書店 2007年
観念的生活 文藝春秋 2007年
孤独な少年の部屋 角川書店 2008年
カントの読み方 ちくま新書 2008年
人生に生きる価値はない 新潮社 2009年

全部は読まないかもしれないなあ。けれども、ひとりの作者を一貫して読むことで、自分とは違った思考を辿ることができ、思考力を鍛錬できました。ただ、万人にはおすすめしません。このひとの本は毒も多い。強靭な精神力をもって読まないと、揺さぶられることもあります。精神を病んでしまう。たぶん、精神を病んでいた自分だからこそ、すんなりと受けとめられたのでしょう(苦笑)。

いま、この本を読んでいます。もうすぐ読み終わりそう。

4061492934時間を哲学する―過去はどこへ行ったのか (講談社現代新書)
中島 義道
講談社 1996-03

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すげー!!面白い。カイシャの帰りに電車のなかで読みながら、ちょっとどきどきしました。自分なりの時間論を考えはじめて止まらなくなった。いずれ書くかもしれません(書かないかも)。

いやー。深彫りする読書もいいですね。

投稿者 birdwing : 2009年6月24日 22:38

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