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2009年2月 7日

ハカイオーの創造。

創造のためには破壊が必要だといわれます。つまり既存のものを一度壊して、その上にまっさらな気持ちで新たなものを組み立てるべきである、と。しかしながらぼくは、そうかな?と疑問を抱きました。いくら破壊しても、こころのうちにいままで組み立てたものを引き摺ったままでは、新たな何かを創造できない。

過去の幻影が新たな創造の力を奪います。新しいものを!と意気込んでも、結局のところ過去に囚われていたなら、そのときの設計図を参照しながら似たような何かをつくってしまう。また、こころのなかに構築したものは、そう簡単に破壊できません。なぜなら、そいつを破壊することによって、自分のこころまで壊してしまうこともあるわけなので。

ただ、破壊できないことはいけないことなのか。破壊もいいけれど、いちど構築したものは大事にすべきじゃないかな、ということをぼくは考えています。

長い時間をかけて培ってきた何かを、ぞんざいにしない。組み立ててきたものをきっちりと大切にする。大切にした上で、あらたな気持ちに向かう。未練がましく拘るのではなくて。

たとえば、歴史はなかったことにできません。戦争が起こってしまった事実を消去できないし、そこで命を落としたひとびとを忘れ去ることはできないでしょう。

歴史のなかで繰り返されてきたよいことも反省すべきことも、帳消しにはできない。ぼくらの先輩たちの行いの反省を背負いつつ、よいところを継承して生きていく。ぼく自身の犯してきた過ちや罪にしっかりと目を向けて、その重みをしっかりと感じながら、それでも踏み出すことを諦めない。そんな姿勢が大事ではないかと考えています。

ところで、家族の話です。

おとなしめの長男くんに対して、DSだとかおもちゃだとか、あらゆるものを破壊しまくるのが次男くんです。以前には壊したものを写真に撮って、「ハカイオー。」というエントリも書きました。しかし、壊すだけではない。最近は自分で何かを作りはじめました。

たいてい机の上で何かを書いています。書いているかと思うと、ハサミやセロハンテープを使って何かを作りはじめます。あ、あれ作る、と思いつくと、たいていのものは作ってしまう。以前、型紙を切り抜いて工作する図鑑を買ってきて、さんざん作らされたせいかもしれません(そのときのエントリは、こちら「サカナのなかさ。」とかこちら「どうぶつを作る。」、あるいはこれも)。

最近作ったものから、ぼくのハンドルにちなんで、鳥を紹介しておきましょう。

090207_tori.JPG

オナガだったか何だったか。なかなかよくできています。親の贔屓目ですけど。

今日は彼の幼稚園の発表会(展覧会)でした。快晴でものすごく天気はよかったのだけれど、風が少し寒い。ハカイオーが何を作ったのか、久し振りに彼の幼稚園に行ってきました。

いろんなものが展示されていて、かなり見所があったのですが、まずはアイスクリーム。粘土で作ったもののようです。

090207_ice.JPG

アイスクリームの歌が模造紙で貼ってあって、王子様と王女様の大きな人形もありました。そのほかにも迷路があった。迷路の絵を描いたものを展示された場所が迷路になっている。そういえば、小学校の頃に、ダンボールで基地のようなものを作ったことがあり、それがとても楽しかったことを思い出しました。結局、雨に降られてぺちゃんこに潰れてしまったのだけれど。

おとうさん、というテーマで、それぞれの父親の絵を描いたものも展示されていました。どれどれ、息子からみたぼくはどんな顔で描かれているのだろう。

090207_papa.JPG

うむー(困惑)。

毛がない・・・。ぼくは長髪(そして茶髪)なんですけどね、いちおう。なんかこんなキャラクター、マンガにあったなあ。4コママンガに出てきそう。まあ、目が大きいというのは黒目のぐりぐりでよく表現されていると思います。

自分の息子の作品はどうしても贔屓目でみてしまうのですが、他の子も上手でした。かつての某アイドルさんの子供も通っている幼稚園ですが、某アイドルさんも来ていました。

いろんなことを考えすぎたせいか朦朧として、日差しが眩しい一日でしたが、ハカイオーのクリエイティブなものに触れてなんとなく和みました。なぜかいつもより沈みがちな彼だったのだけれど、緊張していたのかもしれません。そんな1日も悪くないものでした。

凡庸であるぼくは、さまざまなカルチャーに対する憧れはあるけれど、いまひとつのめり込むことができません。生活や日常の周辺にあるさまざまな事柄から、文芸やテツガクにも近いテーマを抽出できればと考えています。

いろいろな葛藤があり、いまはまだ自分をきちんと究めることができていない状態です。ときどき、自分がほんとうに空っぽな人間のように思えて、何も考えられなくなる。深く落ち込みます。辛い時間を過ごしています。

それでも、ぼくは関わってきた過去とそのときに考えたことを編集こそするけれど消去したりしないし、苦悶した日々がどんなに薄汚れたものであっても、その過程を大事にしたい。そして、ネットや創作の閉ざされた暗い場所に逃げ込むのではなく、現実という明るい場所から、さまざまな困難を通じて自分の知見を見出していきたいと考えています。

投稿者 birdwing : 2009年2月 7日 23:59

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