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2005年12月15日

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マクロとミクロのあいだで。

昨夜、小学三年生の息子に質問されました。

「億と無量大数の間の単位は何?」

どうやら学校で単位が流行っているらしい。彼の話といえばデュエルモンスターズとかムシキングの話題が多いのですが、最近はそうじゃないテーマというのも増えてきたようです。小学生っぽくていいなあ、と思います。以前にも「いちばん画数が多い漢字って何?」と聞かれてインターネットで調べたところ、「最も画数の多い漢字とは?」というページで84画の「おとど」などという漢字があってびっくりしました。これは、雲雲雲龍龍龍というすさまじい漢字なのですが、トリビア好きな息子もご満悦な様子。一方で、子供の好奇心から親としても、へえと学ぶことが多い。

今回の単位の質問も、インターネットで調べてみたところ、まず「情報の単位」というページをみつけました。ここにはコンピュータの情報の単位がまず書かれていて、次に小さな数を表す単位がある。ここで注目したのはiPodのネーミングにも使われた「ナノnano(n)]ですね。10の-9乗 つまり 0.000000001(10億分の1)とのこと。エレクトロニクスだけでなく、化粧品にもナノ技術が使われているので、技術者ではない普通の女性の消費者にも親しみが深いものになったかもしれません。

兆の上の単位としては、京(10の16乗)から極(10の48条)までは一語で、それ以降は3語になる。ここから先はプレミアム数字ですよ、という感じがします。「恒河沙(10の52乗)」「阿僧祇(10の56乗)」「那由他(10の60乗)」「不可思議(10の64乗)」「無量大数(10の68乗)」。10の68乗ってどんな数字だ?と思います。もう想像すらできない。ちょうどはてなのキーワードに無量大数があったので、引用すると「100,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000」とのこと。うーん、ゼロばかりです。それからあまり知らなかったのでが、1より小さい数にも名前があるんですね。「分(10の-1乗)」「厘(10の-2乗)」あたりはわかりやすいのですが、以下、「毛(10の-3乗)」「糸(10の-4乗)」を経て「塵(10の-9乗)」「埃(10の-10乗)」になる。毛や糸になって塵や埃なるのはわかりやすい。この辺りのこまかいものたちは、喘息の次男にとっては注意が必要です。ちなみに「ナノnano(n)]は「塵」に該当します。さらに細かくなると、「刹那(10の-18)」なんて言葉もある。ちょっと文学的です。

しっかり調べていないのだけど、仏教の思想らしい。なかなか趣き深いものがありました。

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■しかしながら、それよりも大きな数について、華厳経では述べられているようです。以下のページの最後の方にあるのですが、「可説不可説転(ふかせつふかせつてん)」は、10の37218383881977644441306597687849648128乗?とのこと。目がまわります。
http://www.sf.airnet.ne.jp/~ts/language/largenumber.html

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2005年12月 9日

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なんにもないのがいい。

2週間の入院といわれていた息子が、あっけなく1週間で退院となりました。ほっとしたというよりも、安心のあまり疲れが一気に押し寄せてきた感じです。ぼくの体調に関しては若干の不安があるものの、新しい生活の規律を作り出したい気持ちが強まっているとともに、自分にとってマイナス要因になるものたちからは撤退する決意を決めました。悪習慣はもちろん、日常の生活に関するさまざまなことに関しても。

ところで、病室から外に出た2歳の次男は食べるものすべてが美味しいらしく、ものすごく食べまくっている。うどん屋に行ったのですが、子供用の取り皿で4杯をたいらげながら、「なんにもないのがいい」としきりに繰り返していた。素うどんがいい、と言っているのだろうか。意味不明です。

生きていると、病気はもちろん、いろんな厄介を背負い込みがちですが、一度不要なものを捨て去ってしまって「なんにもない」シンプルな状態からリセットをかけて進むのもいいかもしれません。特にぼくはどうでもいいようなものを背負い込みすぎる。自業自得ではあるのですが、もっといい加減でいい。知識やノウハウや資格やプライドや、いろんなものが重くのしかかってくるものですが、一度その重い荷物をおろしてしまってもいい。

次男のつぶやきは、ときどきぼくをはっとさせます。

投稿者: birdwing 日時: 00:00 | | トラックバック (0)

2005年12月 6日

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痛みは何のためにあるのか。

喘息で入院した息子(次男2歳)は、どうやら2週間ぐらいかかりそうです。やっと点滴の針が抜けたのですが、まだ酸素が足りない。もういい加減に家へ返してくれませんか、といいたくなるのですが、医師としてはこの状態で返すわけにはいかない、とのこと。家に残されている長男もすっかりしおしおになってしまいました。遊び相手がいないので、張り合いがないようです。また、父親の前では萎縮する子なので、母親には「もうお弁当は嫌だ」とこぼしているようです。田舎のおばあちゃんに支援に来てもらったので、食生活に関してはちょっとは改善されることでしょう。

はじめての入院なので動揺もしたり、悲しみも感じたのですが、客観的には病棟のなかでいちばん元気なのはうちの次男だと思います(そしていちばん泣き虫で甘えん坊なのも)。周囲を見渡すと、力もなくテレビをただ一日中見ている子供や、立ち上がってもいい時期なのに寝たままの赤ちゃんなどが入院しています。けれども、その子供たちのママさんは、実は20代の若いママさんが多いけれど、付き添いで看病しているのに、ほんとうに明るい。病院の近辺に部屋を借りて、もう3ヶ月も看病している方もいて頭がさがります。もちろんときには先日の日記に書いたように静かに泣くようなことや、きっと見えないところでは悲しみに暮れているのかもしれないけれど、前向きに看病している姿を見ていると、母は強い、ほんとうに偉い、すばらしい、と思う。うちなんかはまだ軽い入院であり、そんなことでじたばた騒ぐべきではない、と自粛しました。

ちょうど発達未遂の18歳の娘を軟禁した40歳の母親の事件が大きく報道されていますが、つらいかもしれないけれど、子供を信じて、前向きに育てていってほしいと願うばかりです。幼児虐待の事件も多いけれど、よのなかの親たちはそんな親ばかりではない。子育ては誉められることの少ない過酷な仕事だと思うのですが、明るく頑張っている親たちもいる。どうすればそういう悲しい事件を減らすことができるのか、考え込んでしまいました。

喘息に関して言うと、親戚など周囲に喘息の人間がいなかったため、喘息に対する理解がほとんどありませんでした。10月に次男が苦しがって救急車を呼んだときには、一度は腸重積といわれた。これも知らない言葉で、あわててインターネットで検索したのだけれど、腸のなかに腸が入り込むような症状で時間が経つと危険であるとのこと。そこで青くなって、再び病院に行ったのですが、そのときには喘息であると診断されました。しかし、いま喘息に対する知識があるかというとあまりない。お医者さんにお願いするのはもちろんですが、喘息とは何かということを、父親としてもう少し理解していこうと思っています。

ところで、喘息の映画として思い出したのは「モーターサイクル・ダイアリーズ」です。これは若き日のチェ・ゲバラの無鉄砲な行動を描く映画で、友人ふたりとおんぼろなバイクに乗って旅に出る。ところが彼は喘息もちで、ときどき発作が起こって、苦しさにのたうちまわりながら携帯用の吸入器で発作を止めようとする。自由とは何か、解放とは何か、ということを考え続けていて、アマゾン河に飛び込んで向い岸まで泳ぐなんてこともする。けれどもその熱い気持ちには打たれるものがありました。

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ホセ・リベラ
アミューズソフトエンタテインメント 2005-05-27

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幼い頃に喘息もちだったけれど、その苦しさを乗り越えて偉大な人物になったひとも多いようです。ある方から教えていただいたのですが、スケートの清水宏保選手も喘息だったようで、グラクソ・スミスクラインのサイトで喘息の体験談を語っています。

点滴の針を打つときの母親を呼ぶ悲痛な声と、泣き喚いて変わってしまった息子の顔が忘られません。けれども、その苦しさや痛みを乗り越えて、偉大な人物になってほしいとぼくは思います。きっといまの苦しさや痛みはそのときのためにあるのだと信じていたい。

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■喘息に関する啓蒙サイト。情報ありがとうございました。
http://zensoku.jp/index.html

投稿者: birdwing 日時: 00:00 | | トラックバック (0)

2005年12月 4日

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プロの意識。

入院している次男の病院を行ったり来たりで一日が終わりました。子供ばかりの病院で、4人の相部屋なのですが、ほかの子供をみているとほんとうに大変そうです。まだ、うちの息子のほうが元気がある。泣き喚いたり、暴れたり、という意味でも元気。ぐったりと横たわっていて、テレビだけをみている子供の姿は、みているだけでも辛い。頑張ってほしいな、と思います。そして、みんなが健やかに過ごせるといいのに、と願うばかりです。

今日、ぼくが付き添いで次男とムシキングごっこをしていると、斜め前のベッドで赤ちゃんに付き添っているママさんが、静かに泣いていました。ハンカチでぽろぽろ落ちてくる涙を押さえている。その少し前、年配の看護婦さんから何か言われていたようなのですが、それで傷ついたらしい。その後、またその看護婦さんがやってきて「あら、強く言い過ぎたかしら、ごめんね。何か言いたいことがあったら言って頂戴」ということを言ったのですが、そのママさんは「忙しいのはわかるのですが、そんなにぞんざいに子供を扱わなくてもいいじゃないですか。私だってできれば自分でみてやりたいと思っているのを、こうして預けているわけですし」とのこと。赤ちゃんはまだ首が座らない時期で、ほんとうに弱々しい。その気持ちはすごくわかりました。

ぼくも10月に喘息で次男を救急車にのせてやってきたときには、年配の(かなりキャリアと思われる)看護婦さんの対応に疑問と不満を感じたものです。規則は規則としてわかる。そして、忙しいのもわかるし、効率的に仕事を片付けなければならないのもわかる。たくさんの子供たちの泣き声を一日中聞いて、時には深夜まで付き添わなければならないのは、ハードなお仕事です。それも十分に理解しています。

とはいえ、やはりひとを対象とした仕事である、ということは認識していただけると、非常に信頼もできるし有難いものです。病気の子供たちは、故障した機械じゃない。それぞれが痛みを抱えているし、感情もある。そして病を患っている子供のことを、心配していない親なんていません。もしかすると看護婦としてのキャリアを積むと、患者さんは人間であるという意識も薄れてくるのかもしれませんが、だからこそプロの意識を持って、子供の、そして親たちの気持ちを汲んでほしい。その意識がない看護婦さんはキャリアを積んでいてもプロではない。

たとえば、言い方にしても、患者さんとその家族の気持ちを察して声をかけるのと、仕事と割り切って声をかけるのでは全然違うものになります。特に、もしぼくらが健康であれば、どれだけ強い言葉を言われてもはねかえすことができるかもしれませんが、弱っているときには、ほんのささいなひとことで傷ついてしまうものです。

逆に若い看護婦さんの方が(母親たちが自分の年齢にも近いせいか)ものすごく親身に対応してくれるようです。ほんとうにそんな対応をしていただける看護婦さんは、それこそ天使にみえる。

ひとりでも、むかっとする看護婦さんがいると、その病院全体に対する不満を感じてしまうのも実感としてあります。とはいえ、実はかなり個人の意識の問題であり、個の対応を全体でとらえてしまうのも問題かもしれない。

プロの意識というのは、どんなに些細なものであっても、会社全体にも影響を及ぼすものである、ということはぼく自身も認識しなければ。それはスキルよりも、心の問題でもあります。

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2005年11月13日

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伝わらなくても、かまわない。

日曜日の朝、ぼんやりとまどろんでいると、2歳の次男と奥さんのやりとりが聞こえてきました。「えーちょ、でんでん、むしむし、あったっちょ?」「はぁ?ガチャポンの電車のこと?それともムシキング?」「ちやうよ、えーちょ...」

魔邪まがいの、はぁ?はどうかと思うのですが、最近、2歳の息子は、いろいろなことを伝えたがるようになりました。ときどきはっきりとした言葉を使うようにもなった。けれども、まだうまく言えないのでもどかしいらしい。伝わらないから、ぴょんぴょん飛んで、ちやうよ(訳:ちがいますよ)を繰り返すのだけど、親がまったく見当外れのことばかりを言うので面白くて笑ったりしているうちに、どうでもよくなってしまうようです。

彼がいちばん好きなのは、電車とムシキングです。そしてTV番組ではIQサプリの合体漢字、ドラマ「野ブタ。をプロデュース」の主題歌などなど*1。あとはアンパンマンも好きです。長男はリアリストだったらしく、汽車に顔がついている機関車トーマスやアンパンマンが嫌いだったのですが。

ところで、なぜアンパンマンが好かれるのだろう、ということを一時期、深く考えていました。これはあるブログなどで書いたことではあるのですが、もう一度、整理してみたいと思います。

まず、見た目が「丸い」ということがあります。子供たちは丸いものが好きです。伊豆急行に黒船のかたちをしたリゾート21という電車があるのですが、窓が丸くなっていて、次男はお気に入りでした。携帯電話で写真を撮ったら、何度も見せろとせがんでくる。関西でいうと、ラピートという鉄人28号の顔のような電車も窓が丸いですね。息子が鉛筆で書けるようになった最初の図形も○(まる)。そういえば、動物の子供がなぜ丸い顔をしているのかというと、母性本能を誘発するためであるという理由を聞いたことがあります。確かに角が立っている図形よりは、攻撃性が少ないと印象としてもやわらかいし、親しみやすい。アンパンマンの顔を構成している図形も、丸ばかりです。だから親しみやすい。

次に、アンパンマンというネーミングそのものの理由。このブログにコメントもいただいている大学時代の知人、かおるんさんから聞いた話から考えを広げました。アンパンマンというネーミングそのものがよくできているのではないかという理論です。

かおるんさんの息子さんがちいさいときに、アンパンマンをじーっと見ていて「あんあんあん」と、ぼそっと言ったそうです。あんあんあん、と聞くと、とっても大好きドラエもん、と続けたくなりますが、このときにふとぼくはこんなことに気づきました。アンパンマンから母音だけを抽出すると

 AN-AN-AN

になる。したがって、この母音さえ合致していれば

 「ぱんぱんぱん」 PAN-PAN-PAN

でも

  「たんたんたん」 TAN-TAN-TAN

でも、アンパンマンに聞こえなくはない。

デジタル的な判断をするならば、「ぱんぱんぱん」は「アンパンマン」ではない。きちんと伝わらないのですが、情報を受け取る側(母親もしくは父親)が、「そうだねー、これはアンパンマンだね」と補足してあげると、コミュニケーションが立派に成立する。

親子のコミュニケーションを促進するネーミングとしてすぐれているかもしれない、と思ったわけです。

「あっ、たんたんたんっ」
「そうねー。アンパンマンだねー」
「(にこっ)だよねー。たんたんたん、だーいすき」

もし母親がロボットであれば「ビー、タンタンタン、ハ、アンパンマン、デハナイ。ニンショウフカ。テキゴウシマセン」ということになるかもしれませんが、デジタル思考ではないアナログな人間は、言葉の背景にある意味を補う、という心を持っている。

親子で会話が成り立つこと。情報として正確かどうかよりも、子供が伝えたがっていることを親が理解してあげることができること。そのことによってコミュニケーションが成立することがいちばん大事じゃないか。そうした観点から、アンパンマンという名前はすごい、と考えたわけです。まだ言葉をうまく言えない幼児にとっては、親にわかってもらえることがいちばんうれしいですよね。子供にとっては、親との関係性が唯一の社会であり、世界の全体なわけなので。

コミュニケーション論の本で、コミュニケーションと言うのは、伝えたいメッセージがあってそれを100%受信者に伝えることではなくて、伝えたいメッセージなどはなくてもよくて(もちろんメッセージがあればあったでいいのだけど)情報の発信者と受信者の間で形成されるものである、ということを読んだことがあります。まさにこのことが重要で、親から子供へ一方的に伝えることがコミュニケーションではない。双方向のやりとりのなかで、お互いに情報を補足しながら、関係性を作っていくのが、コミュニケーションなのではないかと考えます。つまり、スタティックな構造ではなくて、他者との間で生成される過程がコミュニケーションである、ということです。この理論はブログやSNSにも応用できるかもしれません。

この生成していく関係性においては、あいまいであることがポイントになる。あいまいな情報を、発信者と受信者の双方が補足する作業になります。だから情報は完全であるよりも、ある不確実な部分、あいまいなところを残していた方がいい。解釈に余裕がある方がいい。人口知能(AI)などの分野でも、いえることなのかもしれません。その道のスペシャリストではないので、よくわかりませんが。

ちょっと難しくなってしまいました。話題を変えましょう。

アンパンマンにはかなりシュールな部分もあって、頭を取り替えることができる。「アンパンマン、新しい顔よっ!」とか、バタ子さんに投げてもらって交換する。やさしいアンパンマンは、お腹が減っているひとに、自分の顔を食べさせてあげることもあります。そうすると顔が欠けてしまって(ここが妙にリアルなんだけど)なかのあんこがみえる。

うちの次男(2歳児)にとって、このあんこが出ている状態は尋常ではないようで「あんこ、ででん!あんこ、でてん!(訳:あんこでてるじゃないですか。どーしちゃったんですか、このひとは。大丈夫でしょうか)」という。ぼくとしては、この「でてん」というのが面白くて、わざと彼の上着をめくって「はら、でてん。はら、でてん」とか、オムツの後ろをちょっと下げて「しり、でてん。しり、でてん」とかやるのですが、あんまりしつこいと泣いてしまう。2歳児をいじめちゃいけませんね。

さて、アンパンマン占いというサイトもみつけました。やってみたところぼくは次の結果です。


● ○○さんは【カビルンルン 】です!
● カビルンルンさんのあなたは、一言で言うと、のんびり屋さん。多少の問題が起こっても、気にすることのない楽天家タイプです。そんなあなたに周りの人たちも気を許し、のほほんとした存在感になごんだ空気を感じているはず。が、裏を返せばめんどくさがり屋。頼りがいがないと思わることも...。やればできるというアピールをもっとすれば、人の見る目もきっと変わってくるはず。がんばって!
● ○○さんのモテ度は、9点です!

カビルンルンってなんだ?わからなかったので「なかまたちのしょうかい」から「かびるんるん(こちらではひらがな)」を見ました。これかーカビルンルンって。とほほ。やればできる。頑張ります。

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■アンパンマンの公式サイト。四谷にアンパンマンショップもあります。
http://www.ntv.co.jp/anpanman/

■アンパンマンの謎についての掲示板。
http://okwave.jp/kotaeru.php3?q=1771610

*1:修二と彰の「青春アミーゴ」という曲で、ドラマの最後にブタがごろごろ転がるアニメーションが好きらしい。そもそもジャニーズファンの奥さんの影響を多大に受けていると思われる。

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