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2007年8月18日

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リゾートはここに?

トウキョウの夏はまだまだ暑いのですが、そろそろ熱帯夜の峠も越した印象です。ブログのメインページトップに貼り付けたジュークボックスが、エアコンの箱にしかみえません(苦笑)。そんな夏の後半戦、いかがお過ごしでしょうか。

お盆は田舎に帰省していました。ぼくの田舎は山と海の近くにあります。しかしながら、今年の夏には海に行きませんでした。行き帰りの電車のなかから眺めた程度でしょうか。ああ、海が遠い(涙)。

まだ若かりし頃には、夏といえば海でしょう、花火でしょう、という感じで、夏が終わる頃には影なのか本体なのかわからないぐらいに真っ黒になったものでしたが(といっても、ただ浜辺で寝てただけなんだけど。苦笑)、結婚してからは奥さんの「暑いのやだ」というアンニュイな一言からろくに海にも行けません。子供たちも奥さんの味方なので(男の子はみんなそう?)、みんなインドア派です。それでいいのか諸君!ええ?・・・まあいいか。でも、パパは海へ行きたかったぞ。ビキニのおねーさんも眺めたいし。

ということで、今年のお盆は、お墓参り、母の話の聞き役、そして庭プールという非常に地味なまま終了いたしました。とはいえ、いつもはすれ違いばかりで一緒になったことがない妹家族4人も帰省していて、久し振りに賑やかな夏を過ごすことができたのが何よりです。

ちなみにぼくには妹がいます。音大の教育学科を卒業していて、結婚して5歳の娘もち。ダンナさんとは遠距離恋愛の末に結婚したのですが、妹の相方はA型らしい気配りの効いたすばらしい男です。いつも穏やかに低い口調で話しをする。彼といっしょにいると、ああ、自分はなんて子供なんだ、と思います。

その彼が、庭プールをやっている横でパンツ一丁になってレジャーシートに寝転んでいました。ええと、長年そこに住み慣れた実家の人間からすると、そんなところで寝転ぶのは変では?・・・という感覚なのですが、どういうわけかこの家のものではない外部からやってきた彼がそうやって(レジャーシートのわきにコーラのペットボトルなんか置いちゃって)夏を満喫していると、彼の周囲がぱぁっとリゾートっぽくなる。

おおっ、そうだったのか。そういう夏の楽しみ方があったんだ、という新鮮な感じでした。彼の人徳なのかもしれないのですが、山奥のど田舎のひなびた家だと思っていたけれど、そうやって雰囲気を作るとリゾートっぽくなるものだ。生活の工夫かもしれません。というか、彼にはそこで育った文脈がないので、可能なことかもしれないですね。あるいは、ぼくや妹が田舎のしがらみから離れられないのか。

妹の娘(5歳)とうちの次男くん(4歳)は非常に近い年齢だったので、「ここはわたしたちの秘密基地よっ(うふふ)」のような感じで楽しんでいて、ほほえましいものがありました。が、次男くんは超・わがまま男なので、彼女が遊んでいる玩具を奪い取ろうとして嫌われてた(苦笑)。まったく、誰に似たんだか・・・。ん?ぼくですか?さすがに長男くん(10歳)は、4~5歳児の会話には困惑していましたが、とてもよいおにいちゃんぶりを発揮していました。

帰りには、妹のダンナのクルマで駅まで送ってもらったのですが、「また遊ぼうねっ?(泣)」と追いかける妹の娘の姿が。きっとひとりで残されて、寂しくて泣いちゃったんじゃないかな。

そんな夏が、静かな思い出になりますように。

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とりあえずはあまりにも短すぎた夏のイメージ写真を。

田舎の青空。飛行機が白い矢印になって飛んでいくのがみえました。

田舎の青空

庭プールの子供たち。海に行きたかったなあ(しつこい)。

庭プール

花火をする妹と娘。ひとんちの家族撮ってます。

花火

電車でトウキョウに戻って、時間があったのでポケモンセンターに寄りました。浜松町に移転したんですね。思ったほど大きくなかったのでなーんだという感じでしたが、さすがに売り切れのソフビ人形をゲットすることができて、子供たちは満足のようでした。それにしても、限定販売のミックスジュースがめちゃめちゃ甘い気がしたのですが。

投稿者: birdwing 日時: 09:56 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年6月 3日

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紙飛行機を折る。

とりたてて記述することもない休日なのですが、ドラッカーとジャック・アタリの本を交互に読み進めたり(まだ読んでる。苦笑)、古本を売りに行ったりして過ごしました。外出したついでに子供たちに本を買って帰ったのですが、にいちゃん(長男くん)には鉱物・岩石の図鑑、次男くんには付録つきの学習雑誌です。最近の長男くんは石に興味があるらしい。つくづくコレクター志向の(若干、オタッキー的な素養が心配な)子供だと思います。

それから昨日、子供たちが紙飛行機を折って部屋のなかで飛ばしていたので、紙飛行機の本を購入。これです。

4576050540親子であそぶ折り紙ヒコーキ―かんたんに折れて、よく飛ぶ名作・新作13機
戸田 拓夫
二見書房 2005-03

by G-Tools

ほんとうはブログにも書きましたが、トミー製の室内向けラジコン飛行機だとか、トンボのかたちをしたラジコンだとか、そんなものがほしい気がするのですが、紙で折るのもまた楽しいものです。

といっても自称「設計図が読めない女」である奥さんは折り紙が苦手で、その遺伝子を引き継いだためか、長男くんも折り紙が苦手です。そんなわけで、ぼくが必死になって折っていたのですが、そのうち飽きてしまった子供たちをほっといて、勝手にぼくが熱くなってしまった(苦笑)。

ぼくが子供の頃、父親に折り方を教わったオーソドックスな三角形型の紙飛行機があって、これがぼくにとっては紙飛行機の基本なのですが、この本のなかでは「へそヒコーキ」として紹介されていました。なんとなくそのネーミングはかっこ悪いものがある。でも、機体の下あたりに三角形に折る部分があるので、そこがへそなんでしょう。一方で、滞空記録のある「スカイキング」という紙ヒコーキは有名らしく、長男くんは知っていました。

本をぺらぺらとめくっていたら、「紙ヒコーキの歴史」というウンチクがあって、これが面白かった。以下、引用します(P.6)。

日本の平安時代に、陰陽師の安倍晴明(あべのせいめい、925〜1005年)をめぐる物語に、紙ヒコーキと思えるものが登場する。「懐(ふところ)より紙を取り出し鳥の姿に引き結びて、呪を誦じかけて空へ投げ上げたれば、たちまち白鷺になりて、南を指して飛び行きけり」と『宇治拾遺物語』にあるが、平安朝の宮中では鳥の形の折り紙ヒコーキを飛ばしていたのだろう。

ちなみに作ってみた飛行機を写真に撮ってみました。ギャラリー風に紹介してみます。

まず「ほたる」。安定してふわふわ跳びます。

070603_1hotaru.jpg

次に「怪獣トロトロ」。ツノが出ているところが怪獣なんでしょうか。

070603_2torotoro.jpg

そして、「ニュー折鶴号」。宇治拾遺物語に出てくる鳥の形をした折り紙ヒコーキとは、こんなやつだったのでしょうか。これが意外に安定して飛ぶ。

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最後はステルスみたいな「ウェーブライダー」。これは形ばっかりで、ぜんぜん飛ばん(怒)。見かけ倒しでした。というより、ぼくの作り方がまずいのか。

070603_4wave.jpg

ところで、うちの近くに落ちてきた鳥の雛のことを日記に書いたのだけれど、あの鳥はどうやらシジュウカラのようでした。「ザ!鉄腕!DASH!!」をみていて気付いたのですが、ちょうどシジュウカラの雛が巣を作って雛を育てる話を放映していて、ああこの鳥じゃん、ということに気付きました。

さらに余談ですが、子供たちの本を購入したついでにビデオレンタルショップに立ち寄ったのだけれど、そこで秋山莉奈さん似のかわいい店員さんを発見。お腹のあたりで拳をぎゅっと握り、よっし、これからはビデオ借りに来るのはこの時間帯だ、お散歩行ってきまーすということにして・・・と思ったのですが(笑)。

パパもときには巣から出て、ふらふらと飛びたいものです。しかしながら、飛びたい気持ちは紙ヒコーキに込めることにしますか。より真っ直ぐに、姿勢を正して凛として飛ぶようなヒコーキ作りをめざして。

投稿者: birdwing 日時: 00:00 | | トラックバック (0)

2007年5月19日

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飛びたい気持ち。

鳥の翼(BirdWing)というハンドルを使いはじめて数ヶ月、最初のうちは何気なく使っていたのですが、そのうちに鳥に関するものがいろいろと気になるようになりました。それほど鳥好きというわけじゃありません。焼き鳥は好きですけれども(ビールといっしょに)。おっと、食べちゃいけないな。

tori070516.jpg そんな縁なのかどうなのか、先日、家の前に巣からちいさな雛が落っこちてきたようです。すずめではなく別の野鳥らしいのですが、何の鳥かわからなかったとのこと。奥さんと息子たちで、まずはカブトムシの虫かごに保護したようで、携帯電話のカメラで撮った写真をみせてもらいました。丸っこい雛がグリーンのプラスチック製の虫かごに入っている(笑)。頭撫でたんだよー、ふわふわだったー、と長男くんは言っていました。緑と灰色と白(そして一部ミズイロ)の鳥のようでした。

虫かごに入れておいたら、雛がぴーぴー鳴いていて、そのうちに上空から親鳥も旋回して呼応するように鳴き始めたとのこと。そこで虫かごから出して自転車のサドルにのせておいたところ、知らないうちに巣に戻っていたようです。どうやって連れて帰ったんだろう?くわえてじゃないよな。ともかく巣に戻ることができてよかった。

たぶん成長すれば、その雛も空高く飛べるようになることでしょう。まだ雛のうちだから、飛ぼうとして失敗したんだろうね。ただリスクを冒しても飛ぼうとしたきみ(雛)の気持ちを褒めておきましょう。失敗したとしても、親鳥も、そして人間のぼくらも見守っているから大丈夫。ともかく、のら猫にやられなかっただけでも幸いです。

飛べない鳥もいます。エミューなど地上を走るだけの鳥もいるし、ペンギンなどは海中を飛ぶように泳ぐことはできるけれど、ちいさな羽では空を飛ぶことはできない。そんな鳥たちは、空に憧れたりしないのだろうか。

映画で「I Can fly」という台詞が印象的なのは「ピンポン」でした。ほんとうに飛んじゃった俳優さんにびっくりもしましたが。YouTubeからトレイラーを。

■ピンポン

風呂上りにぴょんぴょん跳ねていて、飛びたいなあ、と言っていた10歳の長男くんに、にいちゃん、もっと勉強すれば飛べるよ、ともっともらしいことを4歳の次男くんは言ったことがあり、そんな話をかつて日記に書きました。もっと勉強しなさい、という親の口癖を真似たのでしょう。

けれども、そうだよ、勉強すれば飛べるぞ、とわかったような口をきいた父であるぼくの本心には、勉強だけでは高く飛べないのも現実である、という疲れた大人の諦観もあります。オヤジであるぼくが高く飛んでいるかと言うと、はなはだ疑問です。仕事でくたびれて、飛ぶというより地面を這うようにしてやっとのことで帰宅している感じ。

それでもいまの自分よりも高く飛べるように、いろいろなものを吸収していたいものです。本も読みたいし、映画や音楽にも接していたい。

さて、そんな今日、家に帰ってみると長男くんが何かの包装紙で作った全長40センチぐらいの紙飛行機を飛ばしていました。でかすぎだろ、なんだそりゃーな感じですが、これ、すごいんだよ!と長男くんが飛ばしてみせると、どがががが、という感じでテーブルの上にあったお菓子をすべて薙ぎ倒していきました。確かにすごい。すごいのだが、飛行機じゃないだろう、それは(苦笑)。

さらに別の話になるのですが、以前、トミーから出ている室内用のラジコン飛行機のことをブログに書いたのですが、知人のブログでトンボのように羽を動かして飛ぶラジコンがあることを知りました。旦那さんがほしがったようで、トンボはダメ!と一喝したとか。これでしょうか、そのトンボは。

B000PDZS8QR/C メカトンボ ブルー
シー・シー・ピー 2007-05-31

by G-Tools

うーむ、ぼくもこのトンボほしいんですけど(苦笑)。

たぶんですね、男性はいつまでも子供っぽくて、空を飛ぶような非現実的な夢に憧れて、自分が飛べないのなら飛べるような紙飛行機だとかラジコンなどを欲しがるのではないでしょうか。しかしながら現実的な妻からみると、そんな非現実的な夢に憧れてないで仕事しなさい、仕事がないなら家事手伝ってよ、子供の面倒みたらどーなの、ということになるのでしょう。

いまは亡きぼくの親父も、部屋にでっかい模型飛行機を飾っていたっけ。男はつらい(苦笑)。でも、そのつらさを背中で表現しつつ、やせ我慢して生きていくのが男です。頑張るのだ。

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・・・プレッシャー満載な仕事に追われて、読み直すと文章がおかしいのですが、とりあえずアップしておきます。後日修正を加えることもありそうです。

来週は仕事が佳境を迎えそうです。明日から火曜日まではブログの更新が滞るかもしれません。が、書かずにはいられないハイパーグラフィアなぼくは、書いてしまうかもしれません(どっちだ)。

投稿者: birdwing 日時: 00:00 | | トラックバック (0)

2007年5月16日

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言葉のフィールド・レコーディング。

いい風が吹いていました。会社からの夜の帰り道、夏のようで、ちょっとだけ草の匂いのような成分が含まれているのだけれど涼しい。それはまだ夏になりきれない季節の風であって、加熱気味な仕事でじんじん痺れるような脳内をクールダウンしてくれるようです。さわやか。

そんな道すがら、風に吹かれながら、ぼくのアタマのなかでは、なんとなく音が鳴っていて(DTMを趣味とするぼくにはときどきそういうことがあります)、言葉が電光掲示板のように明滅していました。その音や言葉は生まれる端から消えていくのだけれど、それでかまわない。きっとまたいつか再会できるような気がします。だから消えていく音にはこだわらずに、再びどこかで会えることを期待しつつ、消えていくままにしておく。

いつかやってみたい2つの創作スタイル

PCによる音楽制作、DTMを趣味としているのですが、ぼくはやってみたい音楽のスタイルが2つほどあります。

ひとつ目。まずぼくはヘッドフォンと生録の機材を抱えて、アウトドアへ。昔であればデンスケだと思うのですが、いまはデジタルですごい機材があります。たとえば、SONYのPCM-D1とか、EDIROLのR-09とか。サウンド&レコーディング・マガジンの5月号に電池駆動型のハンディ・レコーダーが特集されていたのですが、欲しいなあと思いました。

これはSONYのPCM-D1。丸いVUメーターがそそります(笑)。

こちらはEDIROLのR-09。実際に触ってみるとあまりに軽すぎて、ちょっとその軽さが残念だったりするのですが。

さて、そんな録音機材を使って、新宿の雑踏であれば雑踏の音を録音するわけです。これがいわば食材の調達になります。帰宅したら、その音をPCに取り込んで"料理"する。サンプリングされた音をスライスして、女の子の笑い声、クルマのクラクション、風の音などに刻んでいく。その音をループさせながら、アコギをぽろぽろやって音を重ねる。フェネス+サカモトっぽいアプローチかもしれません。

できあがったものは、リズムもメロディもないような音楽になりそうです。何度も引用しているのですが、この雰囲気に近い音楽づくりは、「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」という映画のなかの浅野忠信さんが演じているミュージシャンですね。

B000FQWH14エリ・エリ・レマ・サバクタニ 通常版
青山真治
バップ 2006-07-26

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ふたつ目。歩きながら音が生まれてしまうぼくは、携帯電話でその音を作曲できればいいのに、と思うことがあります。かつてはアタマのなかで何度も繰り返して家に帰るまで忘れないようにしたこともあったのですが、結局、今日の夕飯なんだろう?とか考えた拍子にメロディが消えてしまう。別に趣味だからいいじゃん、とも思うのですが、結構、アタマ掻きむしる瞬間だったりする(苦笑)。そんなわけで、その場で生まれた音を形にできるようなことができるといいですね。そして完成した音は、すぐにネットで公開できるといい。

実はぼくは趣味のDTMで日記を書くように音を創っています。文章であれば簡単に綴ることができますが、音にするのは時間がかかる。そんなわけで月に数曲しかできないのだけれど、ぼくは商業的な音楽を創っているわけではないので、とても個人的な意味で、そのときに感じた音を作品にしています。

ところが、暗号のようにリアルな気分を結晶化しているので、後になってみると辛くて聴けない曲もある。昨年「ミカヅキノヨル」という曲を作ったことがあり、それはぼくにとってはその後の曲作りを大きく左右するほどの重要な曲だったのですが、いま聴くと破綻しています(苦笑)。

破綻もさることながら、音に込めた暗号が記憶を再生するので、とても辛くて聴いちゃいられません。たかが趣味で何をミュージシャン気取りで書いてるんだ、と批判もされるかもしれませんが、ぼくの音楽は日記みたいなものなのです。そもそも文章で書いた日記でもありますよね。うわーこれは読みたくないぞ、というような過去の日記が。

そんな音楽的なアプローチに近いのは、これもまた何度か引用している気がするのですが、ジュゼッペ・トルナトーレ監督の「海の上のピアニスト」かもしれません。船上で孤児として育ってピアノ弾きに成長した1900(ナインティーン・ハンドレット:ティム・ロス)は、酒場のひとびとを観察しながら、それぞれのひとにあった音楽を即興で表現します。あの感じ。

B00170LCJK海の上のピアニスト
ティム・ロス, ブルート・テイラー・ロビンス, ジュゼッペ・トルナトーレ
パラマウント ホーム エンタテインメント ジャパン 2008-06-20

by G-Tools

集積される言葉、言葉がつくる空気

ところで、言葉もそんな風に、そのときどきに思い浮かんだままに記録できればいいのにと思っています。いわば言葉のフィールド・レコーディングでしょうか。短文を入力できるTwitterは、そんなツールじゃないかと思っています。

常々思うことですが、ブログはどうしても過去のパブリッシング、いわゆる出版になぞらえて考えられることが多い。けれども別に印刷物の本となぞらえる必要はなくて、まったく違うメディアもしくはツールではないのか、とぼくは考えます。つまりですね、これは個人的な見解ですが、読者を想定して完成された文章をアップする必要もないし、究極のことを言ってしまえば、文章になっている必要さえないのではないか。単語でもかまわない、と。

もちろんパブリッシング系のブロガーがいて、パブリックを意識した崇高な文章があってもいいとは思うのですが、短文で「気持ちよかった」だけでもかまわない気がするわけです。

当然、その「気持ちよかった」は単体では意味をなさないし、ゴミのような言葉かもしれません。けれども、ブロゴスフィアのなかで、50万人の「気持ちよかった」が集積されたとき、その言葉はもはやリアルの世界に蔓延する空気を代弁しているのではないか。同様に「腹が立つ」も50万人集まれば時代の苛立ちとなる。

ブロゴスフィアの言葉はフラットだとぼくは考えていたのですが、それはそういう意味で、いま考えるとフラットという概念も違うな、と思いました。なぜならば、フラットという概念の背後には、誰かと誰かを比較する思考がある。ぼくがブログスフィアの言葉に優劣はないと感じたのは、多様性を容認するとともに、どんなに瑣末な言葉であっても集積されれば空気を形成するというような考え方があったからでした。

つまりひとりのカリスマが発した完璧な文章よりも、50万人が発した「気持ちよかった」という短文が圧倒的な影響力をもつことがある。だからこそぼくはアルファブロガーという存在に疑問を感じているわけで、集合知というとどこかコミュニティやらSNSで議論しなきゃだめだという印象もあるけれど、議論などなかったとしても、集合的な知というか時代の雰囲気=空気が形成されることに意義があると思うんですよね。

だからこそ、空気清浄という観点から「その言葉は汚れているから使うな」と統制することに問題があるのではないか。

どんなに汚れた言葉であっても、リアルの空気を代弁しているからこそ意義がある。世界というのは、きれいごとだけでは済まされないものです。汚い言葉(ノイズ)を排除しろというのは、もしかすると言葉のアウシュビッツといえるかもしれない。

影になる部分があるからこそ光も輝くわけで、光と影の両側面を存在させることが世界をよりリアルに再現することになると思う。もし汚い言葉に触れたくないのであれば、わざわざ読みに行かなければいい。読みにいってわざわざ不快になっているのは、読んじゃった人間の責任ではないのでしょうか。そんなわけでぼくは最近、読みにいかないブログが増えてしまったのですが。

仕事で疲れて思い出せないし、いまは本を探す気力もないのだけれど、村上春樹さんの短編に、シャワーを浴びていると無意識におかしな言葉を呟いている主人公がいて、妻にそのことを指摘されるんだけど、自分ではさっぱり覚えていない、というような話があったような気がします。ブログに書かれる言葉は、そんなシュールな言葉であってもいいと思うんですよね。うーむ、これは言いすぎか?

まだ思い浮かんだことがいくつかあるのですが、一気に書いてしまうとつまらないので、また次の機会に。

投稿者: birdwing 日時: 00:00 | | トラックバック (0)

2007年5月 4日

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イルカな休日。

エプソン品川アクアスタジアムに行ってきました。なんとなくいつもGWになると水族館にイルカのジャンプを見に行っている気がします。青葉が繁り、陽射しが強くなりつつあると、プールのなかを泳ぐさわやかなイルカたちに会いたくなるのでしょうか。イルカがぼくを呼んでいるか(これはダジャレか)?そうでもないか。

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イルカはすごいな。彼等は鳥ではないのだが、高く跳べる。けれども高く跳べないラッキーくんというカマイルカもいて、なんだか溺れているようにみえた(苦笑)。半分溺れているのだけれども、一生懸命頑張っていて、けなげですね。実は彼は唯一のオスらしく、あとはすべてメスのイルカとのこと。跳べない不器用なオスのイルカくんに共感というか同情を感じてしまいました。頑張れ。

水族館のあとは、甘味処でひとやすみして、子供たちは季節を先取りしてカキ氷を満喫。ぼくはビールを飲んでいたのだけれど、彼等が残した2つのカキ氷のフィニッシュ役になってしまった。これがまた甘くてまいった。とはいえ、カキ氷のあとにビールじゃなくてよかったですね。夕飯はそのまま外で焼肉を食べたのですが、こちらではぼくが肉を焼いている端からみんな食べられてしまったため、お酒ばかりを飲んですっかり酔っ払いました。

家族サービスというほどではなくて、イルカをみたいといったのはぼくだったし(みんな、えーっと嫌がっていた。まったくうちのインドア家族ときたら)、次男などは「はやく帰ろうよ」ばかり言っていたのだけど、まあ、それなりに楽しかったようです。そんなわけで満足です。

時間は永遠にあるように感じるのだけれど、子供たちもどんどん育っていく。そのうちに、家族の時間より友達や彼女との時間を優先するようになるのでしょう。それはそれで頼もしいのだけれど、親としては寂しいものもあります。あとどれだけ、こうやって家族で楽しむ時間が残っているのか。家族に限らず、あらゆるコミュニケーションにおいて言えることなのかもしれませんね。ぼくらは永遠に生きつづけることはできない。いつまでも同じ時間を共有することは不可能です。

そのかけがえのない時間は、一瞬だけ高く跳び上がって水滴をきらめかせるけれども、すぐに水のなかに潜ってしまうイルカのジャンプのようなものかもしれません。

いまを大切にしたいものですね。

投稿者: birdwing 日時: 00:00 | | コメント (2) | トラックバック (0)