子育てとビジネスの全体思考。
午前半休をいただき、息子(次男3歳)の幼稚園の参観日に行ってきました。
はじめのうちは特に問題なく微笑ましいシーンが展開されていたのですが、外で遊ぶというときになって、上履きが脱げないのと靴がうまく履けなかったために息子は号泣(ブランドものの紐靴を履かせていました)。後になって別の子供も泣き出したため、まだ救われるものがあったのですが、たくさんのママさんやパパさんがみているなか、号泣する息子にはいたたまれないものがありました。穴があったら入りたい気分です。
一度泣いてしまったら我慢ができなくなってしまったのか、先生の制止を振り切って、こちらに向ってやってくる。それからは参観日というのに息子の視線から逃げまくって、敵の視線をかわすために窓の隙間からこっそり様子をうかがうような一日でした。戦場ともいえます。視線の弾を避けつつ、奥さんとお互いに隠れながら(だから履きやすい靴にしろっていったじゃん!)(そんなこといま言ってもしょうがないでしょ!)のように、親たちも戦場というかプチ夫婦喧嘩が展開されていたのですが、なんとか参観日も終了し、泣くのをみられたせいかちょっと気まずそうな息子に、「頑張ったな」と言って頭を撫でてやると、ちいさく「頑張ったよー」という返事。奥さんからは、パパは甘いんだから、と言われたのですが甘くて結構。ちょっと恥ずかしかったけど、泣いて甘えん坊の息子もぼくの息子であり、そんな息子も許容したいものだと思いました。でも、もうちょっと強くなってほしいぞ。よく話を聞くと、毎日泣いているとのこと。そりゃ泣き過ぎです。
とはいえ、きちんとお祈りのときにちいさな手のひらを合わせていたり、一生懸命、いーっという口をしたりうーっという口を尖らせたりして歌を歌っていたり(そんなにいーっとしたりうーっとしたり力んで歌わなくてもいいのに)、なんだか前かがみのミッキー体操を狂気乱舞で踊っている息子をみていたら、不覚にもちょっとじーんとしてしまいました。
いつもは家にいる息子しか知らないのですが、こうして参観日に出席すると、クラス全体のなかにおける個というものを知ることができて、なかなか興味深いものがあります。比較するわけじゃないのですが、ああ、あの子はダンスがうまいな、ということもわかる。最終的には親ばかなので、うちの子がやっぱりかわいい、という結論に到達してしまうのですが、いろいろと考えることも多く、仕事ばかりしていないで時間を作ってこういうところに出るのもいいもんだ、と思いました。ある意味これも全体思考的な把握かもしれません。
ところで、ビジネスにおいて全体思考というと、ぼくは「管理」と「戦略」というふたつの方向を思い浮かべます。
前者の「管理」について言えば、個人的にぼくは管理したくもなければ管理されたくもない人間であり、そういう意味では組織人としては不適格かもしれない。だから管理に執拗にこだわるようなひとをみるたびに、権力主義的な何かを感じて、管理によってみんなを快適にするというより自分のポジションを維持したいだけじゃないのだろうか、と懐疑的な憶測を感じることもしばしばなのですが、会社というのはそういうものなのでしょう。組織が肥大すればするだけ、無駄なことが必要になるものです。
ぼくには管理は部屋の片付けのようなもの、という認識があります。若干暴論かもしれないのですが、片付けにめちゃめちゃ注力してしまうときがあります。よしっ!という感じで捨てまくったり、整理しまくる。とにかく片付けているときは肉体労働をしている充足感があり、何かよい方向に向っている気がする。ところが部屋がすっきり片付いたときにふと思うわけです。さて、どうしましょう、と。
もちろん本が雪崩を起こすようなぼくの部屋は片づけが必要ですが、その片付け自体を人生の目的としてしまうと方向を間違えている気がします。片付けたあとにどうする、ということが重要であり、片付けを目的としても、何も生産されない。ところが多くの管理では片づけを目的とする傾向があり、片付けの汗を流す心地よさにばかりこだわり、「どうする」の部分を置き去りにしてしまう。数値化ばかりに注力する管理や、フローの制定にばかりこだわる管理、というものは、片付けに満足することばかりを追求し、目的を見失った状態に思えてきます。というのは、管理者には向いていないぼくの負け犬の遠吠えのようなものでしょう。
もし管理に必要とされる部分があるとしたら、「動機付け」と「リーダーシップ」ではないかと思います。それは片付けたあとにどこへ向うか、という方向を示すことであり、片付けることとは次元の違う難しさがある。片付け、というのはある意味肉体労働であり、基準さえ決めたらあとは誰でも考えなくてもできるものです。ところが、「動機付け」と「リーダーシップ」は考えなければできない。しかも意思決定が必要になるので、いくつもある正しさのなかから向うべき正しさを選択する必要がある。選択する、ということは、他を排除する、ということであり、逃げも隠れもできません。覚悟が必要です。ところがオプションだけを提示して、覚悟ができないことも多い。
さらに高度な考えが必要になるのが「戦略立案」ではないかと思うのですが、安易に何か書こうとしたものの、ちょっと思うところがあり、きちんといつか考えてみたいと思います。
投稿者: birdwing 日時: 00:00 | パーマリンク | トラックバック (0)