11歳から学ぶこと。
親がなくても子は育つ、という方向性でしばらくほったらかしにしておいた息子たちですが、わずかばかり心配になりました。放任しておいて心配になるのも勝手ですが、久し振りに父親をやってみようと思いました。だいたい父親なんてそんなものです。ときどき思い付きで、いろんなことを都合よく言ってみたりやってみたりする。で、家族から鬱陶しく思われて敬遠される・・・(苦笑)。
長男くんには通信教育で進研ゼミのチャレンジをやらせているのですが、んーどれどれやってるかな?と見てみたところ、2月の冊子でやっているところは1ページのみ。しかも国語だけ。こらぁ。
というわけで、土曜日と日曜日に数時間いっしょに問題を解いたり付き合ってあげたのですが、久し振りにこういうことをすると非常に疲れる。一応ぼくには父(および母)の教師の血が流れているはずですが、教師にならなくてよかったのかもな、と考えました。教えるのは好きなんだけど、忍耐力に欠ける。総合的に考えると誰かに何かを教えるときには忍耐力が重要ではないか、と。
とはいえ、これがよい経験になりました。そもそも小学校5年生にもなると、なかなか問題も難しくなってきます。問題はもちろん、教えることを通じていろいろとぼくにも考えさせられることがあります。
今回、いろいろと考えてしまったのは、算数の以下のような問題でした。百分率や割合に関する問題です。
問題:12本で3000円の鉛筆を2割引で売ります。1本いくらですか。
この出し方としていちばん最短距離で答えがでるのは、次でしょうか。えーと、ぼく自身ばりばりの文系なので、算数はものすごーく苦手なのですが。
3000×0.8÷12=200
ただ、これは最初に12で割って単価を出す方法、割引の値段を出して全体から引いてから単価を出す方法など、いくつかの到達経路があるかと思います。ひょっとするとその経路の違いが算数の面白さなのかな、とオトナのぼくはあらためて考えてしまったのだけれども。
まず、長男くんがフリーズしてしまったのは、2割という考え方。小数点で表すときにわからない。まず次のように説明しました。
「全体を100としたときに、そのうちの1つが1%といいます。そして、全体を10としたときにそのうちのひとつが1割」
しかし、なんとなくぼよーんという顔をしている。そこで、ふと思い付いて次のように訊いてみました。
「といってもだ。なぜ全体を100とか1とかにしなければならないんだろう?」
すると長男くんは完全フリーズ(苦笑)。なので、その問題はちょっと置いといて、
「じゃあ、ちょっと別の問題で考えてみよう。いまクラス30人のうち20人が賛成しています(雨あがりの日には運動場がぬかるむので入ってはいけない、そのことについて学級会で議論している、という物語を作った)、一方で同じ質問を学校全体の600人に訊いてみたら200人が賛成でした、クラス全体と学校全体では、どちらのほうが賛成の割合が多いですか?」
というサブ設問を作って訊いてみました。そりゃクラスだよ、と即座に答えたのだけれど、なぜ?と訊いてみるとわからない。こいつ直感的にアバウトな回答してるな、という感じ。そこで、「もとの数」と「比べる数」を表組みにさせて、百分率で計算させて、パーセントにすると「もとの数」が違っても比較が可能になる、という話をしました(小数点以下第2位までという割り切れない問題設定をしてしまったのでちょっと困惑)。
いやー、それにしてもですね。ちょっと考えてしまったのは、確かに定量的には比較できるけれど、定性的にはどうなのか、と。クラスで賛成の手を挙げるのと学校全体で手を挙げるのは、場の温度差が違う。つまり、空気に左右されるわけで、「空気を読む」作用によって単純に比較ができないのではないか。などと考えるぼくが文学的で、科学的にはダメなのかもしれません。だいたい、マイノリティ(少数派)を尊重してしまうあまのじゃくな傾向があるので、大多数の意見がどうだ、という設問自体が気に入らない。ぼくが作ったんだけどさ。
そんなわけで、大安売りの割引鉛筆の問題を解くだけで1時間半を費やし、へとへとになりました。だいたい大安売りには値札で表示されているから、計算しなくてもわかるだろう。それを言っちゃおしまいですか。
ついでに疑問を感じたこと。いまの子供たちって計算機を使っていいんですね。おいおい、それで計算するのか?と思ったのだけれど「学校でも使っているよ」とのこと。そうなのか。いいのか?
その後、社会の問題に移ったところ、環境問題には非常に興味があるらしい。北九州市の公害の問題などに取り組んでいたのだけれど、いろんなことを話してくれる。赤潮のほかに青潮もあることを教えてもらいました。へええ。というか、誰でも知ってるのか、これ。
そういえば以前、姓名判断だったか何かの運勢占いのようなもので彼の未来を診断したところ、「愛情に恵まれたしあわせな家庭に育つが、成長にしたがって自分の境遇に疑問を感じ、ボランティア活動のために世界に出ていく」というような結果が出ていたことを思い出しました。なんとなくその兆しがみえるようなみえないような。
ただ、親としては頼もしい反面、ちょっと寂しいですね。馬鹿でもかまわないし、どんな職業に就いてもしあわせであればいいと思うのだけれど、できれば親の近くにいてほしい。というぼくが田舎から出て親の遠くにいるのだけれど。
天気がいいので、外で遊ぼうよ、と長男くんに言ったところ「えー寒いんだもん」とのこと。きみは老人か(苦笑)。というわけでブログを書いている始末です。父は遊びたいんですけど。ひとりで遊んじゃってもいいですか。
投稿者: birdwing 日時: 13:34 | パーマリンク | コメント (4) | トラックバック (0)