褪せないように、忘れないように。
日付変更線を越えるか越えないかという時間に帰宅するハードな毎日ですが、今日は久し振りに息子たちにおやすみを言うことができる時間に帰ることができました。
となりの部屋で息子たちは寝ているのだけれど、ごにょごにょ話したり、笑ったりふざけたり、ときどき歌い始めたりする声が聞こえる。早く寝なさいっ(笑)!という感じなのだけれど、甲高い声の歌を聞くのはいいものです。いずれ眠りに落ちてしまうのだから、もう少し聞いていたい気がする。そして、そんな声を聞けるのも、あと数年ではないか、と。
何の歌だろうと思って聞いていたら、ウルトラマン(それも初代。むねーに、つけーてる、マークは流星・・・という)でした。放送終了してしまった最新のメビウスではないのが面白い。ウルトラマンメビウスの番組のなかでも古いウルトラマンが出てきたのですが、時系列でアーカイブされたウルトラマンを息子たちはすべて並列にみています。家には最新の怪獣に混じって、キングジョーのソフトビニールの人形があったりする。不思議な子供たちです。
子供たちのことを久し振りに書いてみます。といっても、たいしたことじゃないのですが。
先週のことですが、金曜日。幼稚園の友達と芝生で転がりまくった次男くんは喘息をぶり返し、風邪をひいていたせいもあって、日曜日には喘息の発作を起こしました。発作を起こすと息がうまくできないせいか、お腹が硬くなる。硬くなったお腹をさすりながら、救急病院に連れて行きました。
久し振りに抱っこする次男くんが重くて、こんなに成長したかーと思った。相変わらず、診察のあいだには不安そうに「もう終わり?」を繰り返して泣きそうになるのですが、それでも最初の頃に比べると、彼も慣れてきた気がします。季節の変わり目のせいか、たくさんの子供たち(と、その親たち)が病院に訪れていました。1年未満の赤ちゃんを連れてきた夫婦が、診察で泣き喚く子供に耐えられずに涙をぼろぼろこぼしていて、思わずもらい泣きしそうになった(涙)。そういう時代もあったなあ、という感じです。
その次の日、いつものように会社に行く前に「行ってきます!」といったところ、いてらっしゃい、と次男くん。あれ?とちょっと新鮮に思いました。いつもは知らんふりをして怪獣遊びに夢中になっているのに、はっきりとぼくに、行ってらっしゃい、を言った。びっくりだ。ささいなことだけれど新鮮だったので覚えていて、次の日も声をかけてみると、やっぱり挨拶に答えてくれる。それもきちんとぼくの方を向いて。
たぶんですね、これはぎゅーっと抱っこしたためではないか、と。
喘息で辛くて苦しいときに、ぼくに抱っこされて、深夜に喘息の発作が起こって月を見上げながら病院に駆けつけた日のことを思い出したのかもしれません(彼はミカヅキが好きだ、とそのときに言っていた。以後、嫌いになってしまったらしいが)。そしてやっぱり辛くて苦しかったあのときと同じように抱っこされて、いままで「断絶」していた心の配線が、たぶん彼のなかで「つながった」のだと思う。
辛いときには声をかけてあげることも大事だけれど、やはり親がぎゅーっと抱きしめてあげることがどんな言葉よりも通じるものですね。
知らず知らずのうちに離れかけていた気持ちが、喘息という彼にとっては危機的な状況を契機として変わったのだと思います。それはほんとうにちいさな変化で、もしかするとただの偶然かもしれません。けれどもその「通じた」一瞬というものを大切にしたい。ついでにいうと、そんな危機的状況にならなくても、きちんと気持ちをつなげる父でいたい。
日常のあれこれはすべて色褪せていってしまいます。大きな事件や出来事は覚えているかもしれないけれど、瑣末な日常の断片はすべて記憶のなかに埋もれていってしまう。
ひょっとすると、ぼくがこの世界にさよならを告げるようなとき、思い出すのは4歳の次男くんの、いてらっしゃい、のような場面かもしれない。
なので、そんな瑣末な日常の断片も大切に記述しておこうと思います。
投稿者: birdwing 日時: 23:13 | パーマリンク | コメント (2) | トラックバック (0)