日曜日、次男くんは37度ちょっとの熱を出していたのだけれど、深夜の1時すぎに突然アタマが痛いと泣きはじめました。最初は何か悪い夢でも見たのかと思った。公開したばかりの趣味のDTM作品を聴きながら、ネットにつないでいろいろと調べようと思っていたぼくが驚いて隣室にいくと、次男くんはわんわん泣いていた。
うーむ、きみもアタマが痛くなることがあるのかと新鮮な感じがしました。というのは、お腹が痛い、ということがあっても、アタマが痛くておお泣きするのは、はじめてだったんですよね。遠くで雨がざんざん降っている音が聴こえた。喘息のときのように救急小児科に行こうかと思ったのだけれど、この雨では大変だな、タクシーつかまるかな、と思ったのを覚えています。
ところが、何か楽しい夢心地のところを早朝の4時半頃に叩き起こされました。次男くんが痙攣を起こしたらしい。うつろな目をして5分間ぐらい手を前後に動かしたとのこと。奥さんのそんな話を聞いて、なんだか胸がざわざわとした。39度を超える熱があり、ぐったりとしている。呼びかけても反応がにぶい。揺さぶっても、ぼんやりとしている。どうしようかと思ったのだけれど、とにかく救急小児科に連れて行くことにしました。
奥さんの母親を呼んで長男をみてもらうことにしたのですが、この母親がまたパニックになるひとなので困惑。ちょっと切れそうになりつつ、ぼくはタクシーをつかまえに行って、奥さんが次男くんを連れてくるのを待っていた。あまりに遅いので、黒塗りのタクシーに待っていてもらうように話して迎えにいくと、タオルケットにくるまれた次男くんがぐったりとしていた。で、戻ってみると待っててくれとつかまえていたタクシーがいない。逃げられた。しかし、別のタクシーに乗り込むことができて安堵しました。あの個人タクシー許せん、と思った。
そうやって救急小児科に行ったのだけれど、さすがに月曜日の早朝なので誰もいない。手続きをしてトリアージというところで最初に話を訊いてくれた看護婦さんはしっかりしていたのだけれど、その後に出てきためがねをかけたお医者さんが、いままで仮眠をとっていましたーと言う感じの若いひとで、同じことを何度も繰り返して訊く。症状をパソコンに打ち込むのだけれど遅くて、ああ、もう、ぼくが打ってあげましょうか、と思った。診察後、点滴を打ちましょう、ということになって病室から外に出されました。点滴を打って、少し様子をみましょう、とのこと。
喘息のときに飲ませるテオドールとかいうクスリは発熱時にはよくないらしく、それが悪さをしているのではないか、とのことでした。しかし行きつけの小児科では、クスリの分量を測っているので、問題はないはず、と言われていたようです。点滴のせいか、次男くんはおしっこを洩らしてしまった。点滴をやるとおしっこがたくさん出るようになるらしい。あとで考えるとこれも予兆のような気がするけれど、着替えを持っていないので、久し振りにおむつ状態に。その後、8時になってから売店でパンツとズボンを買ったのですが、結局これは使いませんでした。
喉が渇いた、水が飲みたい、としきりに次男くんは言うのだけれど、医師の指示で水は我慢。しかしながら、7時を過ぎた頃だと思うのですが、ぼくのほうが眠さと喉の渇きに我慢できずに、次男くんには悪いけれど、こそこそと売店に行ってコーヒー休憩をしちゃいました。バニララテを飲んだところ、なんとなくしあわせな気持ちになった。会社の会議に遅れてしまうことは家から出てくるときにメールで連絡していました。でも、今日も1日やることあるなーとぼんやりと考えながら眠い目を擦った。
しかし、コーヒー休憩から戻ってみると事態は急変していました。2度目の痙攣を起こしたらしい。水を飲ませようとしたら嘔吐したらしいのだけれど、それが痙攣だったようです。
ぼくはいなかったのだけれど、そのときにナースコールをしたところ、看護婦さんを含めて6人ぐらいの医師がすっとんできて、だだだっと次男くんの周囲を取り囲んだとのこと。大袈裟だなーと思ったのですが、さらにびっくりしたのが、入院してください、と告げられたこと。ただの熱でしょ?もう帰ってもいいんじゃないの?勘弁してよ、と思ったのが正直な感想です。
医師の話によると、意識が低下して反応が鈍いのが気になる、とのこと。確かになんだかぼんやりとしている。次男くんは自分の身体に触られるのを異様に嫌って、手をつなぐことさえ嫌がる。手を払いのけます。将来、彼女ができたときにどうするのだろうと、どうでもいいことを心配してしまったこともあったのですが、そんな彼が医師に手をつねられてもびくともしない。ぼくも手を握ってみるのだけれど、高熱のために熱くなった指は握られたままになっている。
何の検査だろうか、と思っていたのだけれど、何度も首を曲げさせておへその方を見させようとする。首をくりくり動かして、痛くないか訊いていました。
その後、CTスキャンで脳の検査をしました。設備のしっかりした小児科で、CTスキャンのまあるい機材にドーナッツの絵が描かれているのがかわいらしかった。待っている間に奥さんに、次男くんにはひらがなを反対に書くような天才気質があるのだけれど、この発熱で天才になっちゃったりしてね、などと能天気なことを話していました。いつかNHKでやっていた番組のように、数学の答えを映像でみられるようになったら凄いよね、と。
ところが、その後、脊髄に針を入れて液を取る検査もやることに。局所麻酔を打つようだけれど痛いらしい。これも6人近くの医師がかかってやっていただいたのだけれど、ガラス窓の向こうで処置されるのをみながら、泣き声が聞こえてこないのが意外でした。喘息のときの点滴の針を刺すときにも、もうおしまい?、もうおしまい?と泣き喚いていた彼の声が少しも聞こえない。どうしちゃったのか。
結果を聞いてまたびっくりしました。3週間ぐらい入院してください、とのこと。
どうやら彼の脊髄の液からは、うようよとインフルエンザのウイルスが検出されたようです。インフルエンザといっても通常のものとは違う種類らしい。
細菌性髄膜炎、というのが彼の病名でした。そんな名前はじめて聞いたのですが、ようするに脳炎です。
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まず断っておきたいのは、もし同じように細菌性髄膜炎になった子供を持つご両親が読まれているとすれば、一般的な数値をあまり信じ込んではいけない、ということです。また、ネットなどで簡単に情報を入手できるけれど、その情報に翻弄されないことも大切です。担当の医師に、自分の子供はどういう状態なのかを訊くことが大事です。
ということを前提として書くのですが・・・。
髄膜炎は3歳までの乳児に多いらしく、10%が死に至り、25%ぐらいはその後、水頭症や難聴、発達障害のような後遺症が残る。半身不随や小児マヒになるようなこともある。軽く考えていたのだけれど、ものすごく重い病気のようでした。喘息も大変だけれど、それどころではないかもしれない。
まさかそんな・・・というのが本音です。ただの風邪でしょ?とまだしつこく思い込もうとしていた。
ただ現実は厳しい。5歳の彼にとっても25%ぐらいは障害が残るらしい。だから、しっかり治すためにも3週間の入院が必要である、というのが医師の判断です。今週、次男くんは幼稚園で清里へキャンプだったんですよね。ものすごく楽しみにしていた。それどころじゃない。そんなイベントはふっとんでしまいました。
で、目の前が暗くなった。
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歩きまわっていたような気がします。病院まで何回か往復した。ただ、何も記憶には残っていない。歩いたことさえ夢のなかの場面だったような気がする。
火曜日。疲れていて、それでも精神が焼け付いたような感じで遅くに出社。単純な仕事を何度も間違えて困った。あまり仕事にならずに(気を抜くと髄膜炎をネットで検索してしまうのがかなしい)困惑しつつ早く帰ったのですが、そのまま病院に立ち寄り、彼の病室に行ってみました。
帰りたいようと明るくダダをこねる次男くんを想像していたのだけれど、彼のベッドに行くなり、はっとした。顔つきが違っている。それは・・・そう。言ってはいけないのかもしれませんが、知識に障害がある子供の目でした。
どうやら眠っていないし起きたばかりだからかもしれないのだけれど、ぼーっと中空をみつめている。呼びかけてもこちらを見ない。焦点が合わない。そのうちに、ねる・・・と横になってしまった。首が痛むらしい。というのも脊髄のウィルスが首の辺りで炎症を起こすからだそうです。昨日の首の検査はそういうことだったのか、とあらためてわかりました。
奥さんと看病をかわっている間に、看護婦さんがやってきて彼を着替えさせてくれたのだけれど、脱げないよう・・いたいよう・・・と洋服を脱ぐことができずに力なく泣く、というか泣く気力もなく声をもらすだけの彼を見ていたら、看護婦さんがいるにもかかわらず、ぼろぼろ涙が出て止まらなくなった。どうしてこうなっちゃったんだ、きみは。
ぼくに似て、というのはおこがましいけれど、彼の目はとても大きく、好奇心でくるくると動く。最近は、惑星に凝っていて、土星が好きでした。世界遺産も大好きで、先日テレビで放送していたナスカの地上絵なども、いっしょうけんめい見入っていた。
その目が濁ってしまって、細くなって焦点も合わず、言葉もたどたどしい。溌剌とした笑顔が凍りついたように表情がなく、ウィルスをやっつける抗生物質の点滴のせいかむくんでいる。そのままなのだろうか。いや、きっとよくなるよね。
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医師の話によると、それでも早い時期に彼を病院に連れていったのがよかったとのことでした。喘息になると即病院に連れていく行動ができあがっていたのですが、それが功を奏したようです。また、仮眠をとっていたばかりのようなめがねのお医者さんの判断もよかったのではないかと思います(ありがとうございます)。1日そのまま寝かせていたら、取り返しのつかないことになっていたらしい。
入院している間、奥さんは付き添いで病院に泊まっているので長男くんとふたり暮らしです。学校に迎えに行ったり、さびしくてしおしおになっている彼と話をしたり、将棋をやったりしている。将棋は2日間とも彼に負けました。弱くなったものだ、父は。
弱くなった父は次男くんのこれからを想像すると現実に負けそうになるのですが、25%に障害が残るということは、75%はそれでもよくなるということじゃないのか。辛いけれど前向きでありたい。
75%の未来を信じてみようと思います。
きっと世の中には、もっと重い病気の子供を看病しつつ、暗い未来に負けそうになりながら、それでも強く前向きに生きているご両親が多いのではないでしょうか。ぼくのこんな日記など、まだまだ甘っちょろいのかもしれない。というか、日頃あまり子供とも遊ばないくせに、こういうときだけネタにしているのはどうか、と恥ずかしくもなる。きちんと子育てをしているご両親に申し訳ない。
けれども髄膜炎をネットで検索しながら、やはり参考になったのは医師の解説はもちろん、同じ髄膜炎の子供を持つ親の体験談でした。事例がいちばん参考になる。とはいえ、こんな長文は実用的ではないと思うのだけれど(苦笑)、不安もあって書き殴ってしまったこともあり、もしかしたら症状以外のところで参考になるかもしれません。推敲してあとでざくざく削る場合もあるけれど、早期発見で髄膜炎を防ぐ何かのヒントになったり、同じ症状の子供を持つ親の参考になるように、エントリーというボトルに詰めてネットの海に投げておきます。
いまは手が付けられないのですが、髄膜炎について調べたことも追加していくつもりです。次男くんが、また公園を走り回るときがくることを祈りつつ。そして髄膜炎を未然に防いで、少しでも健康な子供たちが増えるように。
投稿者: birdwing 日時: 02:02 | パーマリンク
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