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2007年1月17日

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日常の断片、家族のあれこれ。

Wiiで遊ぶとしたらどんなゲームがいい?いまある製品じゃなくてまったく新しいゲームで、と家族に聴いてみたのですが、そうねえ・・・と言いながら奥さんが固まってしまいました。しょうがないので夕飯をもくもくと食べていたのですが、その後、さあブログでもやろうかと思って自室にこもろうとしたところ、ドアを開けて、こういうのはどうかしら?と呼び止められた。まだ考えていたんですか。

長男くんにも話を振ってみたのですが、えー?なにがいいだろう、とちょっとわくわく顔。もうそろそろ眠る頃かなと思って、おやすみを言いに行ってみると、電気を消した布団のなかから、にいちゃん考えたんだけどさー、のこぎりで木を切るゲーム、ぎこぎこ(手を動かしている)とのこと。なんだ、きみもか。あなたたちは紛れもなく親子だ。考えはじめると遠い目になるのも、そっくりだ(笑)。

そしてまた、ぼくも同じだったりします。考えはじめると遠い目になる。けれども考えつづけていると、とっても疲れるものです。考えなければならないことであれば仕方がないのだけれど、どういうわけか考えなくてもいいようなことがマイ・コンピュータのちっぽけなメモリーを占拠してしまい、考えなければならない仕事のあれこれを脳から追い出してしまったりする。ぱかっと筐体を開けてメモリー増設するわけにもいかないし。

そんな家族のなかで、ひとり何も考えずに部屋のなかを走り回っている生き物が一匹。次男3歳なのですが、今週、兄の参観日に母と同行したところ、クラス全員から「かわいい〜☆」と注目を集めてしまったらしい。ひとだかりができるほどの人気者になってしまい、年上の女の子(といっても9歳だけど)に囲まれて、ほっぺたをぷにぷにされまくったり、一挙一動にきゃあきゃあ言われたとのこと。女の子だけでなく男の子からも「なあ、弟かわいいよな、かわいいよな」と言われたそうです。そのアイドル弟のせいで、目立たない地味な兄の株も一時的な急騰となったらしい。

よく聞いてみると、幼児を連れてきているのはうちだけだったらしく、ナンバーワンよりオンリーワン、いわゆる珍獣的な人気だったような気がする。とはいえ、自慢の息子がモテモテなのは父としても嬉しいことである。嬉しいのだが、ちょっと妬けるぞ。ちぇっ。どんなひとにも人生には必ずモテモテ期が一度だけある、という伝説を聞いたことがあるのですが、その時期をいま使ってしまわないように祈るばかりです。3歳で運を使い果たしちゃったら、ちょっとさびしいですよね。願わくば、元気旺盛な20代ぐらいにピークをもってきたい。それまでは、できれば運を貯蓄しておきたい。いや、ぼくの話ではなくて息子の話なんだが。

実は今日はくたびれ果てていて、消耗気味であり、ぜったいにブログは書けないと思っていたのですが、気付くと書いていることだなあ。ただ、ほんとうはもう少しきっちりとした仕事の論文的なことを書きたいのだけれど(イノベーションとか、コミュニケーションとか)、いろいろと学んだところで書くつもりです。

そんなわけで日常の断片でした。ではでは。

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2007年1月14日

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束縛から解かれる。

ふたりの息子を連れて公園で遊んだのですが、最近、どういうわけか高所恐怖症になってしまった次男(3歳)は、滑り台の階段を登れなくなってしまいました。そんなわけで20キロ近くはあると思われる息子を、よいしょと滑り台の上に乗せてあげなければならず、それを数十回も繰り返してさすがに疲労しました。くたびれたー。子供を運動させるつもりが、ぼくが運動するとは(泣)。しかもかなり局所的な運動だし。

その後、ぐるりと近所を散歩して、三人で喫茶店に入って和み(メロンソーダ、イチゴソーダ、そしてコーヒー)、駅前で焼き芋を買って帰ったら、遅いので奥さんに怒られました。ぼくの携帯電話の電池が切れていたので連絡もつかなかったようです。ついでに買って帰った焼き芋が少ないので、また怒られた。すみません。とはいえ、たまには息子たちとデートもいいものです。いろんな話もしました。願わくば、娘がひとりぐらいいてほしいのだけど。

先週は仕事が忙しく、さらにブログとDTMにも集中していたので、子供たちと過ごした休日はいい気分転換になりました。何か夢中になるのはいいのだけれど、依存症的になるのはよくないですね。集中するとその世界から出られなくなるようなところもある。適当に距離を置くことが重要ではないかと思っています。

昨日、「リバティーン」というジョニー・デップが出演している映画を観て思ったのですが、どうして創作活動などに夢中になると精神の均衡を崩すんでしょうね。酒に溺れたり、レンアイに溺れたり、過剰に自分を痛めつけたり、不摂生な生活に落とし込んだりする。健全に創作活動ができないのだろうか。

そんな不健全さは、自分で自分を縛っているところもあります。「リバティーン」では、王政という権力の束縛に抗おうとするのだけれど、いちばんの束縛は自分の思考にあるような気がします。この自分の思考という束縛から自由になることが結構難しい。

自由になるきっかけは、ほんとうに身近なところにあるような気がします。たとえば、息子たちと話をする休日の公園などで。ぼくはそんな子供たちとの会話や雑談を大切にしたい。その内容をブログに書くかどうかはブロガーとしての判断によりますが。

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2006年12月20日

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へなむちでんでん。

体調最悪で真剣にやばいと思いました。この具合の悪さはなんでしょう。というわけで本日はブログ休業にしようと思ったのですが、ゆっくり回復してきたようなので、気分転換として、うちの次男・3歳児ギャラリーでも掲載しておくことにします。これです。

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「へなむちでんでん」だそうです。彼の創作らしい。なんだかおしりにアンパンマンがくっついていますが?

絵と同時にひらがなで命名がされているのですが、「でんでん」というのは「電車」らしく、彼はいつもそう呼んでいます(あるいは「でんちゃ」)。で、「へなむち」が何かということなのですが、ぼくは「変な虫」だと思っていたのですが、どうやら「フナムシ」らしい。海に行くと岩場にいっぱいいる、あのムシです。ママが嫌いらしいので、あえて書いたようだ。まあ、フナムシと「へなむち」は似ているかもしれません。変な虫という意味から、フナムシを解釈しているのかもしれない。

「へなむちはやめて」というママの言葉に、「じゃあ、かえるは?かえるでんでんは?」と切りかえしていました。こいつはきっと好きな女の子をいじめるタイプだ。まあ、たいてい3歳児というのはそんなものですけどね。

投稿者: birdwing 日時: 00:00 | | トラックバック (0)

2006年11月29日

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左脳的な兄と、右脳的な弟と。

うちにはふたりの息子がいます。長男(にいちゃん)は9歳で、次男は3歳。どちらも水瓶座A型です。別に占星術に詳しいわけではないので、だからどうだということは言えないのですが、誕生日の誤差があまりにも少なくてちょっとつまらないような気もしています。といっても兄は兄らしく弟は弟らしくなるもので、変わらないところもあれば大きく変わっていくところもある。将来どんな大人になるのか予測もできませんが、成人後にも仲のいい兄弟でいてほしいものですね。

にいちゃんはどちらかというと奥さんに似ているようです。おとなしいけれども意地っ張りで、スマートに生きているようで不器用だったりする。次男はぼくに似ている。見た目はやさしそうなんだけれど、実は過激な性格で好き嫌いが激しくて、嫌いになると徹底的にひとや食べ物や玩具を嫌ったりする。でも、どちらも半分づつぼくらの遺伝子を受け継いでいるわけで、ときどきぼくに似たり奥さんに似たりする。その一方でやはり独立したひとりの人間でもあって、21世紀のいま、子供なりの世界に悩んだり楽しんだりしているようです。

怒られると決して認めないのがにいちゃんで、2歳ぐらいの頃には、ぎゅーっと目をつぶって現実逃避してしまうので困りました。一方で、弟の方はすぐに折れる(笑)。先日、田舎から帰ってきて疲れているところに、なんだかわがままを言ってうるさかったので叱ったのですが、「ごめんちゃい、ごめんちゃい」と泣きながら頭を下げていました。その格好がおかしかった。両手を水平に身体の横に伸ばして、頭だけひょこっと下げる。さながら、ひしゃげたペンギンみたいな姿で、叱りながら思わず笑ってしまった。笑ってしまったあとでなんだか悲しくなって、涙が出ました。子供を叱ることは大切だけれど、できれば叱らずに褒めていたいものです。

面白いもので、兄弟といってもそれぞれの個性がある。にいちゃんはどちらかというと左脳的で、論理にすぐれている。ポケモンやデュエルなどのデータベースを頭のなかに構築していて、そのデータはかなり正確です。ちいさい頃には電車が好きだったのですが、211系なんとか、とか正確に言うことができました。このちいさい頭にどうしてこんなにデータが入っているんだろうと感心したものです。一方で弟の方は、電車が好きだったとしてもかなりアバウトで、「あ、ほわいとすーぱーだっ」とか平気で適当な命名をする。

けれども次男にも才能を感じさせるところがあって、絵が上手い。ものすごく雰囲気のある絵を描きます。そういえば、彼が2歳ぐらいのころに電車の絵を描かされたことがあったのですが、「違うっ!」と、かなりの剣幕でぼくは2歳児にダメ出しされたことがあったっけ(泣)左脳的な兄に対して、右脳的な弟といえるかもしれません。

最近、この3歳の弟くんは、ひらがなやカタカナを通り越して漢字に目覚めたようで、いろんな難しい漢字を真似して画用紙に書いています。今週の作品には、こんなものがありました。

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左下にイヌの顔のようなものが書いてあります。これ、なぜだと思いますか?

ちょっと彼の思考回路を再現してみましょう。


+++++ 3歳児の思考回路・再現中 +++++


漢字だーいすき。画用紙に書いちゃおう。
えーと、よめないけど、こうしてこうしてこういう字か。ふーん、おや?
(「次」という漢字を真似して書きながら、つくりの部分で気がつきます)

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これって何かに似ている気がする。えーと、えーと。
あっ(きらきらり〜ん☆)、こっこれはっ!!
わんわんのおくちではないですかっ。
よーし、書いちゃおっと。

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ふふん、うまく書けたっと。


+++++ 3歳児の思考回路・再現終了 +++++


というような思考回路が展開されたのではないでしょうか(笑)ちなみに奥さんは何も誘導していなかったようです。放っておいたら、こんな絵を描いていた、とのこと。そして、耳がないけどこの動物はイヌらしいです。で、もう少し口がギザギザになるとライオンらしい。

あははは。この絵を見ながら、遅い夕飯を食べていたら、とてもしあわせな気分になれました。子供はぼくら大人たちをしあわせにしてくれます。楽しいことばかりではなくて途方もなく辛いことや悩みも多いのが大人の社会ではありますが、息子たちの何気ない言動にずいぶん救われている気がします。あらためて、ありがとう。きみたちがいて、よかったよ。きみたちはぼくの宝物だ。

だからその分だけ、子供たちをしあわせにしてあげたいものですね。

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2006年10月16日

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力を抜くと、進むこともある

力が入りすぎだこれは、と思いました。昨日書いたぼくのエントリーです。力が入った理由はいろいろとあるのですが、いちばんの理由は身体に力を入れたせいでしょう。日曜日、ぼくは四年生にもなって自転車に乗れない息子のために、自転車の練習につきあってあげたのでした。これがまた、大変なわけで(泣)。こいつが自転車に乗れる前に、ぼくがきっと壊れるかもしれない、と思った。

これからパパさん、ママさんになる方のために言っておきたいのですが、やっぱり若くて力のあるうちに子供を育ててほしいです。年を取ってしまうと、体力的につらい。頑張ろうとする気持ちはあるんですけどね。身体がついていきません。

ちなみに息子の自転車はこれです。ブリジストンのクロスファイアージュニアJ07。色はブルーです。なかなか、かっこいい。少年時代のぼくだったら大喜びなのですが、息子はあんまりうれしくないらしい。

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昨日は併走しながら、「自分で乗ろうと思う気持ちがないと、乗れないよっ!」と言いつづけたため、昨日の日記では「自律すること」なんて言葉が頻出したようです。われながら、とってもわかりやすいひとです。というか、やはり言葉の呪縛というものはあって、何度も口にしているとその言葉が身体に染み込んでしまうようです。ほんとうに足がかっくんかっくんするほど疲れてしまったのですが、身体が疲れていると文章にも疲れが出る。疲れでこわばっていると、文章にも執着があらわれるもので、適当に流して寝ちゃえばよかったなあ、とちょっとだけ後悔しました。そんなわけで昨日のエントリーは恥ずかしいです。

短距離走のアスリートは、とんでもない瞬発力を発揮するものですが、その身体は力とは反してしなやかでやわらかい。かちこちに固まっていると、力は発揮できないものです。リラックスしなきゃね。

ということは昨日の自転車の練習にもいえて、ぼくはまず息子の乗った自転車のハンドルのところを支えて、併走しながら安定すると手を離してみたのでした。ところが、手を離すと、彼は漕ぐのをやめてしまって、漕ぐのをやめると必然的に自転車は傾く。傾いて止まってしまう。手を離されたときの怖さもあったのでしょう。しかしながら「だっから、漕ぐのをやめちゃだめって言ってるでしょうがー!!」のように短気なぼくは切れてしまって、そうすると内気な息子はますます萎縮する。で、乗れなくなる。さすがにぼくも、はぁはぁぜぃぜぃ状態になってしまった。そこで思い出したのは、美容院のにいちゃんが言っていた言葉でした。

美容院のにいちゃんは、あるお客さんから聞いたそうなのですが、「ペダルとっちゃうと、すぐ乗れちゃうそうっすよ。つんつんって足で蹴って練習するじゃないですか。そうするとすぐ乗れちゃうんですって」とのこと。いまからペダルは取れないので、「乗ったまま、足で蹴って進む練習をしよう」とやらせてみました。ペダルがあるのでなかなか難しいようです。それに、そのぎこちない状態では、10メートル進むのにも時間がかかる。でも、さすがに併走する体力がなくなっていたので、つんつん進む彼の後ろからぼくはとぼとぼ歩いていく。そうすると、何度かやっているうちに、すーっと足が離れて進むようになる。

「あっ、いいじゃん、それそれ。じゃあそれで片方のペダルだけ踏み込んでごらん」といってやらせてみると、またこれがぎこちないんだけど、ゆっくりと前に進む。そこでぼくは思いついて、次のように言ってみました。彼がスイミングスクールに通っていることを思い出して、言ってみたわけです。

「水泳と同じだよ。ぱっと蹴ると、水に浮くでしょ?あの感じ」

すると、息子は「あっ」と言って、その後姿からいままでの硬直した感じが消えました。で、すーっと見事に進んだ。ぼくもびっくりしたのですが、息子もびっくりしたようです。

隠喩(メタファ)の力ってすごいな、と思いました。呪文ということが言われますが、メタファこそが呪文なのかもしれない。水泳と自転車乗りはまったく違いますが、前に進もうとする身体感覚としては似ている。そのイメージを喚起することで、硬直していた「乗れない」気持ちが解放されて、できるようになる。

この経験をビジネス(経営)に変奏してみようと思うのですが、コーチングなどのマネージャーの役割もそういうものだと思います。ずっと付きっ切りで併走しなければならない状態では、自転車に乗っている人間(部下)にも甘えが出て、頼ろうとする気持ちから自走できない。手を離せばすぐに倒れてしまう。なんで手を離したのさ!という、文句すら言いかねない。一方で、併走するマネージャーも息切れします。いちいち彼のハンドルを支えて付き合ってなんかいられない。

ところが、併走することをやめて、言葉の力で自転車に乗ることができるようにする(仕事ができるようにする)ことも可能です。このとき、併走しなくていいからマネージャーも楽だし、乗っている本人には自走しているんだという自律精神が生まれる。

経営者にはメタファの力が必要なのではないでしょうか。といっても、あまりにも雲をつかむようなわかりにくい言葉であれば部下を迷走させることになりますが、適切なメタファを用いれば、イメージトレーニング的な効果を発揮できる。ああ、あの感じか、と、その感覚さえ掴めばあとは自走できる。もちろん、自走する意志がなければムダですけどね。パパが支えてくれないから失敗しちゃったじゃん!という部下は、一生自走できない。あなたは上から言われた歯車のような仕事を一生やってなさい、ということになる。

力を抜きつつ、前に力強く進むこと。決して力むのではなく、すーっと当たり前のように前進すること。そんな風に生きてみたいものですが、実際にはかなり汗を振り乱してみっともなかったりするものです。

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