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2006年2月21日

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すごさを再確認。

しばらく日記を書くことと100冊読書+100本映画鑑賞にせいいっぱいで余裕がなかったのですが、なんとなく時間もできたので、はてなの近藤社長の日記を拝見したところ、「注目キーワードがかなり面白いです」という日記を書かれていました。引用します。

はてなダイアリーの注目キーワードの計算方法が言及数の増加率に変更になったわけですが、注目キーワードページがかなり面白い情報になってきています。

直感的に惹かれるものがありました。特に次の言葉です。ぴんときました。

カテゴリーごとに細かく見ることもできますし、毎日のランキングが過去にさかのぼって見れますので、日付ごとのトレンドの推移も見ることができます。

はてなの日記では、自動的にキーワードがリンクされるのですが、言及されたキーワードが数値で表示されるということです。近藤社長は日記のなかで、長浜の事件とか、テレビで放映された「ニューヨークの恋人(メグ・ライアンが出演している映画ですね。メグ・ライアンは好きな女優さんのひとりです。明るいので)」が上位にあることなどを取り上げていました。

リンクを辿ってみて、あっ!と思いました。かつて書いたこともあったのですが、ブログウォッチングというかKIZASI的な言葉の推移を見ることができるということです。ちょっと感激しました。すごい。もちろん、はてな内のブログに限定されますが、リアルタイムでグラフも表示されます。

うーむ、なんか面白いことになっているなあと思い、もしかして他にも面白いサービスがあったりして、と、なんとなく気になったのですが、まず注目したのは、はてなブックマークです。

ソーシャルブックマークというのは以前から聞いていたのですが、はてなアンテナみたいなものでしょ?と勝手な思い込みがあり、使っていませんでした。せっかくの機会なので、まずは考えるよりも使ってみようと思い、ブックマークレットを登録。そして、試しにコレクションページに本100冊+映画100本プロジェクトでいままで読んだり観た作品を登録したところ、がーんと打ちのめされました。先日、Wikiでやろうとしていたことはこれでした。知らないということは怖い。ついでに、いまさらながらですが、それぞれの映画のページからその映画を言及している日記にリンクがあることに気づいた。他のひとのレビューを読んでしまうと影響を受けそうなので、書く前には読まないようにしようと思いますが、時間があったときに読んでみたい。他のひとがどのような印象を持ったのかは気になるし、同じ趣味のひとを探すこともできそうです。

はてなには他にどんなサービスがあるんだろう?とさらに関心が広がって、そういえば画面の上にあるHatenaというタイトル横の△▽でサービスが切り替えられるなあと思って切り替えたところ・・・。

びっくりした。すごいことになっていました。個人的にはフォトライフ、アンテナ、ダイアリー、リングしか使っていなかったのですが、いろんな機能がある。マップについては梅田望夫さんの本にも出てきていたし、実際に使ってみたこともあったのでわかっていたのですが、RSSリーダー、グラフはともかく、「仮想的な市場の仕組を使って、ユーザーの皆さんから要望や不具合報告を効率的に頂くことを目的とした試験的サービス」の「はてなアイディア」には驚きました。

そもそもキーワードを編集できるところもWiki的ではあります。実はライブドアのWikiを退会した後、@Wikiという無料のWikiサービスを利用して、こつこつとあるWikiサイトを組み立てているところなのですが、これって、はてなのキーワードを編集すればできることじゃないのか?という疑問に悩まされています。まあ、どうなるかわかりませんが、もう少し手を加えたら試しに公開してみるかもしれません。公開じゃなくて後悔しそうなのでフェードアウトするかもしれませんが。

そういえば、はてなグループで本を100冊読むというグループがあることも発見しました。参加を検討中です。灯台もと暗しというか、身近なところにダイヤモンドが転がっているものです。

はてなは日本のグーグルになってほしいと思います。

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2006年2月19日

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不完全でかまわない。

R25にも取り上げられていましたが、「ブログ・オン・ビジネス」という本を読みはじめました。その前書きで以下のようなことが書かれています。共感する言葉です。引用します。

ブログ・マーケティングはまだスタートラインにたったばかりの一番新しい「会社の仕事」です。おそらく本書でもまだ記されていない、斬新な手法がこれからどんどん企業の試行錯誤の中から生まれてくるでしょう。
ならば、成功事例が出てくるまで待っていればいい。
そう考えるあなたの考えが、いちばん、間違っています。
まず、はじめる。はじめながら、考え、改良する。これがブログというツールを活用するための「最低条件」です。ブログはコストをかけずにすぐに始められるきわめて便利な道具です。ゆえに、間違えることが問題ではないのです。動かないことが問題なのです。

ブログの利点は、「見切り発車」できるところにあると思います。完全ではなくても、とにかく走り出してみる。その後でどっちの方向に走ったらいいか決めることが可能です。この見切り発車できるところが、情報化社会のスピードに合っているのではないでしょうか。構想が完成するまでじっと待っていて、さあ動こう、と思ったときには、ウラシマタロウになっているかもしれない。思い切って行動しなければ、時代からどんどん取り残されていくばかりです。

あらためて主張するようなことではないのですが、ブログには前段階の準備や知識の習得が不要です。たとえば通常Webサイトを作るときには、デザインフォーマットなどを考えなければならない。凝ったものを作ろうとすると、デザインにはHTMLやCSSなどの知識も密接に関わってきます。さらにFlashやJavaスクリプトなんかも使いたくなり、プログラム的な考え方を学ぶ必要があります。そこで本を買って勉強するのだけど、うーん難しくてわかんないや、やめた、ということになる(どこかパソコン初心者の導入段階にも似ています)。けれども、ブログではテンプレートを使って2時間もあればとりあえずの形はできてしまう。一度書いたとしても、また追記できるし書き直すことだってできる。気に入らなければ止めてしまえばいいし、気分転換にデザインテンプレートを簡単に変更できます。

技術が可能にしてきた分野では同様のことが言えそうですが、いままで複数のひとが分業でやっていたことを、個人で全部できるようになったことが多くなってきました。DTPも印刷屋さんの仕事を家庭で可能にしたともいえるし、写真のレタッチ(修正)などもプロにしかできなかったことが素人でも簡単にできるようになりました。音楽のDTMだって、メンバーを集めなければできなかったことが、パソコンのなかでドラムを簡単に打ち込んでバーチャルなバンドを作ることができる。個人の可能性が、プロに近づいてきたわけです。でも、ぼくはやっぱりプロはプロだと思うし、アマチュアはアマチュアの割り切り方があっていいと思います。

もう少し考えを進めると、伝統的な本や音楽などを考えたとき、「完成された作品」主義というものがあるかもしれません。作品とは「完成されたものだ」「完璧であることが最大のクオリティだ」「一度、発行されたら変更するのは恥ずかしいことだ」というレガシーな固定観念がある。というのは、いままで本であれば原稿を書いて印刷まで莫大な時間とコストがかかった。CDだって一度メディアに焼いてしまえば、あとで曲順や別のアレンジをしたものに変更はできない。お金もコストもかかることだから、一部の優れた能力を持つプロだけがその特権を得ていたわけです。

でも、最近のパソコンやインターネットの世界ではコストは限りなく低い。梅田望夫さんの言葉を借りると「チープ革命」が進行している世界です。ダウンロードミュージックの分野で、まとまったCDのアルバムではなく1曲のバラ売りをすることが革命的に業界自体を変えていこうとしていますが、それも「不完全さ」をよしとする動きであると感じています。

プロであれば、誤植しちゃった、よく調べないで書いちゃった、ネタに困ったのでどこかから引用しちゃった、ちょっと手を抜いちゃったけどこれでいいか、ということは許されないと思います。文章を書いたり、音楽を創ったり、映画を作ったりすることで、現実社会でお金を稼いでいる。お金とともに責任を背負っている人間が、いい加減なことはできないでしょう。ただ消費者がメディアとして情報を発信するときには、正確さよりも感情の勢いにのった不完全なものでもいいのではないでしょうか。一般消費者がメディアにのせる内容に、プロと同様のパブリックな理論や規制を求めると、ブログでは何も書けなくなってしまいます。それこそ権力によって言語統制するような民主的なものが失われる。そこまで厳しく考えなくても、不完全なものであると他のひともつっこみがいがあります。それってどうなの、こうした方がいいんじゃないの、と言いたくもなる。そんなつっこみから記事や作品をバージョンアップしていく。だからブログは常に成長するものであり、誰か他のひとの力が加わって生成するので常に現在は途上かもしれません。

インターネットでは不完全であっても勢いがあることが重要であり、だからこそmixiにしてもいまだにβバージョンなのかもしれません。ユーザーとの対話のなかで、新しいサービスを生み出していく。もちろん、このバージョンアップって使いにくいだけじゃないの、という批判はできるのですが、ぼくはいまだにβであるmixiに好感を持てます。このまま永遠にβバージョンであってもいいのに、と思う。ある意味、オープンソース的でもあります。ぼくのブログも1ヶ月単位で見直して内容を書き換えたりしているのですが、これはうまく書けた、という満足感があるものが少ない。常に発展途上です。

個人にしても作品にしても「完璧だ」というものほど、胡散臭いものはない気もします。辛辣なことを言ってしまうと、完璧であればそれ以上生きている必要はありません。もう十分です。生きていることは限りなく不恰好で不完全だけれども完全を目指そうとする「途方もないあがき」であり、後悔の連続である。けれどもその不完全さが前進するためのエンジンでもあるし、そのあがいている様子をあからさまに露出できるのがブログのよさかもしれない。私見というか、ぼくだけの考え方にすぎないかもしれないのですが。

「ぼくを探しに」という絵本があります。視力検査のCみたいなかたちをしたぼくが、欠けているもの、足りないものを探して旅にでかける。ぼくらはひとりだけでは「足りない」不完全なものです。でも不完全でかまわない。不完全であるから、毎日をごろごろと転がしていくことができるのだと思います。

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■「ぼくを探しに」は、シンプルだからこそ読者にいろいろな解釈をさせてくれます。不完全であることは、しあわせなことかもしれません。

406112983Xぼくを探しに
Shel Silverstein
講談社 1979-04

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2006年2月16日

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有「書」実行。

思考は現実化する、というのはナポレオン・ヒルの有名な著書のタイトルですが、残念ながらまだその本を読んだことがありません。けれども強く念じていれば考えたことはきっと現実になるんだろうな、と、そんな希望を抱かせてくれるようなタイトルです。ちなみに、願いつづけると夢は必ずかなう、ということを信じたくなる映画といえば、「ショーシャンクの空に」という映画があります。大好きな作品です。刑務所からの脱獄がテーマで、どんなに身体が束縛されていても頭のなかは自由である、自分の頭に広がる自由を信じて穴を穿っていればいつかは外に出ることもできる、という気持ちになります。また観たくなってきました。

言霊(ことだま)という信仰もあるように、昔から言葉には不思議な力があると信じられてきました。もちろんしゃべって宣言するときにも効力はあると思うのですが、ブログを書いていて思うことは、曖昧な気持ちを文章化すると、しゃべり言葉よりもさらに強い力を持つということです。しゃべる言葉は空中に消えていきます。けれども、書いたものは残る。しかも、公開している以上、自分だけではなくて誰かに見られているわけです。ということは、書いてしまったら隠すことはできない。だから、やらなきゃ(というよりも、やるぞ)という気持ちになる。さらに何度も繰り返して書くことにより、その気持ちも強化されていくようです。

基本的にはブログは日記で、Weblogという言葉自体は「面白いと感じたサイトをログ(記録)として残しておくもの」という意味があったようです。だから、こんな面白い記事をみつけたよ、ここで美味しいものを食べたんだ、という記事がブログの正統な使い方であり、ぼくのように写真もなければ改行もなくテキストで考えたことばかりをつらつらと書いているブログは異色かもしれません。とはいえ、この途方もない脳内のひとりごとが、現実のぼくをずいぶん変えてくれたような気がしました。もちろん見た目は整形やダイエットなどをしなければ大きく変わらないと思うのですが、考え方の部分が大きく変わってきた気がします。

同様のことが、梅田望夫さんの「ウェブ進化論」にも書かれていて、fladdict.netさんのブログから「知的生産性のツールとしてのブログ」という記事を引用されていました。章の最後にURLが記載されていたので、それをタイプして記事を読みました(こういうときに紙は不便です。リンクをクリックすれば一発で読めるインターネットは便利です)。以下、引用です。

実際ブログを書くという行為は、恐ろしい勢いで本人を成長させる。それはこの1年半の過程で身をもって実感した。

これは「ウェブ進化論」に引用されていた部分ですが、実際にブログを読んだところ、ぼくは本には書かれていない以下の部分にも注目しました。これもまた引用です。

何がどう変わるのかというと、まず一定層の読者がつくと、適当な内容が書けなくなる。ゆえに検証とリサーチの能力が磨かれる。リサーチを通じて多くのブロガーから多角的な視点を学ぶと同時に、己の引き出しが急速に増えていく。一方でこの時期からエントリの内容量の増加と、品質へのプレッシャーから筆が鈍るようになるが、文章とリサーチのバランス感覚や、コメントでの間違いの指摘などへの耐性が身につき、失敗を恐れない図太さが身についたりもする(と思う)。

つまり読者を意識するということですね。読み手を意識することで成長する。意識しないと成長というものはあり得ない気がしました。限りなく自己完結に向かいます。読み手を意識することによって、迷いや躊躇も生まれるけれども、何を伝えたいか、というメッセージが明確になります。

「引き出しが増える」ことも同感です。ぼくの場合、年間に本100冊+映画100本というのを宣言してしまった手前、強迫観念のように忙しくても時間を確保しているのですが、引き出しは確実に増えているような気がしました。さらに、以前はただぼーっと読んだり観たりしているだけでしたが、何かブログに書かなきゃならないと思うと、もう真剣です。特にぼくは、監督や俳優のうんちくよりも、その映画の物語的世界を通して何を感じたか、ということを大事にしたいので、常にセンサーを働かせている感じです。1冊もしくは1本が終わると、ぐったりする。うんちくであれば、後でどこかのサイトからコピー&ペーストすれば文字数を埋めることができる。でも、感じたことはそうはいきません。たまに、あまり感じない映画などもあって困るのですが。

正直なところ毎日ブログを書くことはもちろん、毎月本と映画を一定数必ず消化していくというのは、かなりつらいです。泣きごとは言うまいと思っていたけれど、今年はもはや半年ぐらい過ぎたような感覚があります。しかしながら、スポーツなどでもちょっときつめのトレーニングを連続した方が筋力がつくように、脳力も少しだけきつめの方が鍛錬になりそうです。書いたことは必ず実行する。有「書」実行でいこう、と思っています。

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■この映画のなかで、刑務所の生活が長い老人が出所を許されるのだけど、もはや外の世界には馴染めなくなっていた、というエピソードがあります。映画とは関係ないのですが、水槽のカマスに透明な仕切りをしてえさをあげると、仕切りにぶつかってえさが食べられないので、透明な仕切りを取ってしまってもえさを食べなくなる、という訓話も聞いたことがあります。居心地のよい現状に閉じこもるのではなく、意識は常に塀の外へ向けておきたいものです。いまの職場が刑務所的である、ということじゃありませんけどね。

B0001CSB76ショーシャンクの空に [DVD]
スティーヴン・キング
松竹 2004-03-25

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2006年2月15日

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総表現社会の通貨。

ふだんは地下鉄を利用しているのですが、体調も回復したので昨日は新宿までぶらぶらと歩いて帰ってみました。ほんのかすかですが、新宿御苑のあたりで春の匂いを感じた。懐かしいけれども、少しだけかなしい。そんな空気です。行き交う雑踏のなかで通り過ぎてしまって、その匂いもすっとなくなってしまったのだけれど、やわらかな感触だけがぼくに残りました。春も、もうすぐそこまで、です。

さて、梅田望夫さんの「ウェブ進化論」という本ですが、第4章の「ブログと総表現社会」を読み終えました。いろんなことを考えさせられます。期待感が膨らんでわくわくしたり、アイディアが次々に浮かんでくる。ぼくはこの気持ちを肯定したいと思うし、進化するウェブにコミットしていきたいと考えています。

表現したいひとたちがいる。そして表現できるツールがある。ブログは表現のために有効なツールであり、さらにインターネットを通じて小説や音楽や絵画や映画などを発表できる。このことによって、すべてのひとが何かの方法で自分を表現する社会が訪れる。すごい社会です。21世紀に生きていてよかった、と思いました。

とはいえ、まだまだ未完成な社会といえます。だから、ちいさな息子たちをはじめとした次世代の方には、もっとこの環境を使いこなしていってほしい。そのための基礎となる考え方や、いろんな試行錯誤や、トラブルを回避する方法や、表現するためのノウハウなどを、ぼくはみずからの身体をはって体験しつつ残していきたい。梅田さんの使っている「総表現社会」は、クリエイティブな仕事に携わりつつ、さらに趣味のDTMで音楽を創って楽しんでいるぼくには、はてしなく魅力的でした。

ところで、ぼくの考えですが、総表現社会の通貨は、「コメント」や「投票数」であったり、あるいは創った音楽などでは「ダウンロード数」になるんじゃないか、と思いました。

このバーチャルな「通貨(コメント・投票数・ダウンロード数)」だけでも、ぼくらはかなり豊かになれる。何が豊かになるかというと、モノではなくココロが、です。

実際に、ぼくはmuzieというサイトで趣味でこつこつと作ったDTMの作品を公開しているのですが、わずかですがダウンロード数が増えてきました。アフィリエイトプログラムのように、クリックするとちゃりんと小遣いが増えるわけではないけれど、この数が増えるとやっぱり嬉しい。聴いていただいた方、ありがとうございます。ものすごく感謝しています。

もちろんぼくはサラリーマンとして働いているのだけれど、このバーチャルな「通貨」によって確実に豊かになっている気がしました。さらにこの通貨を流通させるために、他のアマチュアの方の曲を聴いてダウンロードしたり、投票しているわけです。自分が豊かになった分だけ、ひとも豊かにしてあげたい。もちろん競争が発生することもあります。個人的にはそこそこ稼げば十分と思っているのだけど、がっちり稼ぐためには(音楽的な機材や能力開発のための)投資も必要だし、一種の政治的なノウハウも必要になります。

とはいえ、ジャーリストにしてもミュージシャンにしてもアーティストにしても、プロと呼ばれるひとたちはアマチュアと競合するものではなく、これからも残っていくんじゃないでしょうか。ぼくはそう思います。つまり、現実的な通貨で儲けたり食っていきたいひとはプロになる。一方で、現実的な通貨によって最低限の生活はキープしつつ、さらに豊かな生活をしたいひとはバーチャルな通貨を流通させて、ココロを豊かにする。その選択は自由です。個人のスタイルのチョイスにすぎない。それが成熟したネット社会という気がします。社会自体の構造が変わる予感もある。

パーソナルアイデンティティ(P・I)という言葉もありましたが、ブログやインターネットによる総表現社会では、複数のペルソナ(仮面)を持つひとも多くなります。会社ではぱっとしないサラリーマンだけど、趣味の音楽ではプロ顔負けでたくさんのファンがいる。喫茶店を経営しながら、実は数百万のアクセスを誇る有名ブロガーである。女子大生なんだけど、株の世界ではプロも一目置くネットトレーダーとしてブログを通じて超セレブな存在になっている。これはインターネットが普及していた当時から言われていたことだけれど、それがさらに加速するのではないでしょうか。

ということを考えたのは、今朝、3歳の次男をだっこしながらNHKの「ピタゴラスイッチ」という番組をみていたところ、おとうさんの歌(タイトル忘れました)という曲があったからです。おとうさんは会社ではかちょうさん、お店ではおきゃくさん、電車のなかではじょうきゃく、けれども家に帰ってくると、ぼくのおとうさん、というような歌詞でした。

当たり前といえば当たり前なのですが、リアルな世界でも場所というコンテクスト(文脈)によって、おとうさんもさまざまに変わります。女性も同様だと思います。夫に対しては妻だし、子供に対しては母親、会社勤めをしていれば上司や部下、そして当然のことながらオンナでもある(というか、あってほしい)。ネットの登場によって顕在化していますが、考えてみれば特別なことではありません。

思えば学生時代にポスト構造主義を学んだとき、テキストは引用の織物であるということ、あるいは関係性というキーワードも出てきたような気がするのですが、人間をひとつのテクストとみなしたとき、関係性によって重層的に重なり生成しつつ解体を繰り返すようなものなのだな、ということをあたらめて考えました(考えすぎかもしれませんけど)。

人間には、いくつもの側面があります。陽だまりのようにあったかい部分もあれば、じめじめと湿ったダークサイドもある。いままで閉じていた、いわゆる脳内のひとりごと的な部分まで開放できるのが、総表現化社会としてのネット社会です。脳内のひとりごとは開かれることによって、ネットのなかで自生的秩序にしたがって、つながったり淘汰されたりしていく。そうしてインターネットの「あちら側」が人類の大きな脳になる。

リアルとバーチャルを統合するのは難しく、それぞれの側面を統合すべきか、それとも別々に分離すべきか、書くべきか書かない方がいいのか、まだ見えてこない部分も多いのですが、変化の途上であることも含めてネット社会はますます面白くなっていきそうです*1*2。

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*1:書きたいことがたくさんあったのですが、うまく書けませんでした。残念。最初にアップしたときには誤字ばっかりでした。失礼しました。あらためて見直して修正しています。まだ誤字があるかもしれないのですが、とりあえず勢い重視でアップしました。とはいえ、きちんとトラックバックしたり、これはと思う内容の日記は、校正や下調べもしっかりしないとダメですね。反省。2月16日追記。

*2:また誤字をみつけてしまった。修正しました。とほほ。言い訳になってしまいますが、この日、3時間しか寝ていなかった。朝イチで打ち合わせでした。睡眠は大事だと思いました。2月17日追記。

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2006年2月14日

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バレンタインとオリンピック。

KIZASIでブログウォッチングをしてみました。本日のKizasi語の第1位は「男子スピードスケート500m」、第2位に「バレンタインデー調査」とつづきます*1。トリノオリンピックも、バレンタインもいまいちぴんとこなかったぼくにとっては、なんだか世のなかから取り残されたような感じもありますが、客観的にデータウォッチングをしてみることにします。

まず、夜中にスピードスケートの及川選手の競技を観ていたブロガーも多かったようで、ブログの書き込みを24時間の推移でみると、夜中の3時のあたりに集中している。「たった今、男子スピードスケート500mが終了」というかたちで書いているブロガーもいます。つまりこれはテレビからブログへ、のように観たらすぐに書くというリアルタイムなスタイルを取っているひとが多いようです。実数としては少ないとは思うのですが、ちょっとジャーナリスティックなものを感じました。

まだPCからの入力がメインとはいえ、携帯電話から入力すれば、いつでもどこでも書き込むような生活も実現します。書くことに慣れていないひとにとっては信じられない生活かもしれませんが、SNSなどにはまっていると、コメントに期待するあまりネタを探すようなこともある。特に共通の話題であるオリンピックは、ネタとしても有効性が高いのではないでしょうか。

なんとなく関連性のあるようでない「オリンピック」と「バレンタイン」ですが、ブログクチコミサーチで2つの語を検索してみると、開幕した11日の時点ではオリンピックを取り上げたブログが多かったのに対して、12日では同数程度に並び、13日以降では逆転、本日14日はバレンタインのネタが大きくオリンピックを引き離しています。ちいさくて見にくいのですが、右上のグラフでオレンジの部分がバレンタイン、青がオリンピックについて書かれた記事の推移です。

といっても、今日バレンタインを取り上げているブログはハッピーな話題ばかりではありませんでした。目立ったのは、OLの7割が「チョコレート受け渡しの習慣なんかなくなればいい」と思っているという、以下の調査結果の記事でした。引用してみます。

「チョコレート受け渡しの習慣なんかなくなればいい」というOLは70%。サラリーマンも50%がそう感じていることが、インターネットで情報提供を手掛けるアイブリッジ(大阪市)が実施したバレンタインデーに関するアンケートで分かった。

この記事を引用しているブログを読んでみたのですが、「本当だろうか?」「寂しい」という印象が多かったようです。店は混んでいるのになぜなんだろう、という意見もありました。「自分で食べる用に買っているんじゃないか」という指摘もある。調査に賛成という意見もみられます。ただ、全体的には、あってもいいけどなくてもよい、という曖昧な気分が多かったようです。共同通信からの情報ですが、調査結果そのものを探したところ、みつかりませんでした。大阪のアイブリッジという会社による調査らしいけれど、その会社のページにも掲載されていません。若干あやしい。あやしいけれども、時流にのったものであれば話題になってしまうものだなあ、という感じです。アイブリッジはインターネットリサーチをやっている会社なので、営業機会を獲得するための話題づくりかもしれません。

ところで、梅田望夫さんの本を半分あたりまで読み進めたのですが、そのなかにヤフーとグーグルの違いが書かれていました。グーグルはすべてをテクノロジーで自動化しようとしているのに対して、ヤフーはひとの手を介在することにこだわっている。ぼくはどちらだろう、と考えたときに、上記のような感情からインサイト(ってほどじゃないですが)を分析する場合には、一種のアカウントプランニングの入り口として、やはりひとの視点を重視したい。したがって、どちらかといえばヤフーよりなのかもしれない。けれども、すべてをテクノロジーで自動化するというグーグルの発想には、かなり惹かれます。なんとなく人間とテクノロジーのあいだで揺れる感じです。

今日は梅田さんの本を忘れてしまったので「EQマネージャー」という本を読んでいるのですが、そのなかに感情と気分の違い、ということが書かれていました。感情というのは突発的に大きく振幅があるものですが持続はしない、気分は大きな振幅がないけれども一定の気持ちが持続するものだ、というようなことが書かれていて、なるほどなあと思いました。

ブログに関しても、突発的に書き込みが増える「感情」的な記事と、あまりピークはないけれどじわりじわり漂う「気分」的な記事があるようです。また、感情が気分に変化していくこともある。街を歩いていてもそういう変化を感じるときがあります。センサーの問題かもしれないし、ぼくの気分が共鳴しているだけなのかもしれませんが。

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*1:というのは午前中までで、その後は順位が変わってしまいました。

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