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2010年1月10日

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ノウイング

▽cinema10-03:人類滅亡の視点からみれば。

B002AQTCVKノウイング プレミアム・エディション [DVD]
ポニーキャニオン 2010-01-06

by G-Tools

自分の人生はあらかじめ決められているものなのか。それとも偶然の重なりで変わっていくものなのか。

10代の頃に、友達と議論したような気がします。その頃のぼくは運命は決定されていると考えていたように記憶しています。諦観ではなく、歴史を俯瞰すれば過去が年表として記述されるように、未来も決められているはず。現在から先の歴史のロールは、「いまここ」の時点に生きるぼくらにはみえない知りえないだけだ、と考えていました。いまはどちらかというと、ランダムな理論(偶然の重なりで変わっていく説)を支持するかもしれません。

「ノウイング」では、宇宙物理学者のジョン(ニコラス・ケイジ)が、マサチューセッツ工科大学の講義でそんな問いを学生たちに投げかけるシーンがあります。

彼は、運命は偶然の重なりだと考えている。というのも、ホテルの火災で愛する妻を失ったのですが、事前にわかっていたのであれば、彼女を救えたはずだと考えたからです。自分の妻が煙に巻かれて死んでいくとき、ジョンは庭の手入れをしていた。第六感などというものもなかった。だから彼は、運命決定論に否定的な態度をとります。

しかし、小学生の息子ケイレブ(チャンドラー・カンタベリー)が持ち帰った一枚の紙が彼とそして息子の運命を変えていきます。

その紙は、50年後に開封することを目的に小学校に埋めた金属製の入れ物"タイムマシン"に入っていたものでした。他の子供たちが未来の風景、ロケットなどの絵を描いて残していたのに、その手紙だけは、びっしりと数字で埋め尽くされていました。異様な手紙です。

最初は子供のラクガキにしか思わなかったジョンですが、その数字が過去50年間の大惨事の日付けと犠牲者を羅列したものだと気付きます。そして、数字が予告した日に飛行機が墜落し、彼はその場に立ち会ってしまう。死者も紙に記された通りです。数字はでたらめではない、預言だ、とジョンは確信します。そして、手紙を書いた女の子の消息を探り、数字の意味を解明していくのですが、最後には人類にとって恐るべき事態の預言が・・・。

飛行機の墜落シーン、VFXだとわかりながら実写のように凄かった。操縦不能になったジャンボジェット機が高圧電線をぶちきりながら、渋滞の道路に向けて、翼を地面に擦りながら墜落。爆発して、あとかたもなくばらばらになる。事故の現場には、パニックになったひとや火だるまになって転がり悶えるひとがいる。実際の飛行機事故の凄惨さを再現するような、迫力のある映像でした。

わずかに「シックス・センス」や「サイン」のM・ナイト・シャマラン監督風の雰囲気を感じたのですが、監督は「アイ,ロボット」のアレックス・プロヤス監督です。人類滅亡の危機がテーマの映画というと、キアヌ・リーヴスが主演の「地球が静止する日」を思い出したのだけれど、率直なところ、あの映画よりはよかった(苦笑)。しかし、似ている設定もなきにしもあらずです。暗号解読による謎とき、ニコラス・ケイジ扮するジョンと家族との確執、ありがちとはいえ難聴のケイレブと手話で「二人はいつも一緒だよ」と対話するシーンなど、人物描写に(「地球が静止する日」と比較すると、まだ)深みがありました。

とはいえ、ニコラス・ケイジは、なんだか悩みすぎ。人類滅亡の危機を一身に背負って救おうとするのはわかるのですが、もうすこし複雑で繊細な心理描写がほしいところ。息子に、宿題終わったか、というようなことばかり言う、ぴりぴりした父親を演じていて居心地が悪い(が、それがリアリティなのかもしれません)。出演者でいうと、華奢なローズ・バーンが、子供たちを救おうとして涙でぼろぼろになりながら必死でクルマを走らせるシーンにはじーんときました。

さて、もし今日人類が滅亡するとしたら、いったいどうするでしょう。

救われるものと切り捨てられるもの。そんな勝ち組と負け組みの選別があると嫌だなあ、とおもいます。加えて選別の基準が決められていなければ不条理です。しかし種を保存する意味では、すぐれた遺伝子を残す必要があるかもしれない。もし、救済されるものとして選ばれずに滅亡していく星に残されたとしたら、できることなら平常心でふだんと変わらぬ日をすごしたいものです。でも、きっとこころは穏やかではないでしょうね。パニックにならない強靭さを持っているかと自問すると、疑問を感じます。1月8日観賞。

■トレイラー

■公式サイト
http://www.eigafan.com/dvd/dvd.php?id_dvd=84
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投稿者: birdwing 日時: 10:30 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2010年1月 9日

a001231

G.I.ジョー

▽cinema10-02:テクノロジーの進化に驚愕。

B0024NJY3AG.I.ジョー [DVD]
パラマウント ホーム エンタテインメント ジャパン 2009-12-11

by G-Tools

冒頭、中世の時代に味方と敵に同時に兵器を売りさばいたとして、処刑される人物の映像からはじまります。彼は絞首刑になるのではなく、焼いた鉄の仮面を被らされる。その人物の子孫が"コブラ"として、表面上はMARSという戦略兵器の開発企業として世界征服を企みます。

彼等は、NATOの資源を使って開発した、ナノマイトという鉄を食い尽くす細菌兵器を主力製品としています。資金を出させて開発だけさせて、その兵器を奪おうとする。フランスでエッフェル塔を腐食させて倒して大混乱を起こし、CNNを通じてその力をプレゼンテーションするなど、大胆な策略を実行します。その悪に立ち向かうのが、国際機密部隊"G.I.ジョー"です。

いやーびっくりした。年末に「トランスフォーマー リベンジ」を観て、もはや実写とVFX・CGによるアニメは区別がつかないな、映画の世界おそるべし、とおもったのだけれど、フランスの凱旋門を前にしたカーチェイスとVFXによるアップテンポのストーリー展開で、息もつかせぬアクション(宣伝にありがち)には、ほんとうにまいりました。

エッフェル塔にナノマイトという金属を食い尽くす細菌兵器を打ち込もうとする敵に、G.I.ジョー側は加速スーツで追いかけるのだけれど、どっかんどっかん通行するクルマをぶっつぶし、敵はといえばぐるんぐるん眼前にあるクルマを宙に投げ上げ、ロボット姿のG.I.ジョーがTGV(フランスの特急)を突き抜けるシーンは圧巻。アーマードスーツで人間兵器となったふたりが悪の組織を追いかけるのですが、特急の窓をぶちやぶった相棒に、飛べるんだよ、きちんとマニュアルを読めよ、と言ったデューク(チャニング・テイタム)の台詞には笑いました。

「そう遠くない未来」と前書きで語られるだけあって、作品内で使用される最新兵器には、そう遠くない未来に実現しそうな機器が多い。たとえばウェアラブルコンピュータ、音声認識(タヘイン!と叫ぶとミサイルが発射される)、3Dによる立体映像など。脳内に差し込んで彼が観ていた映像を録画するガジェットや、画面が立体的に拡大して、人間の影と時刻からその人物の居た場所を探知するソフトウェアなど、007を思わせるような近未来グッズにわくわくしました。パソコンも進化して、小型化と高機能のガジェットになってほしい。

G.I.ジョーということばから想起するのは、遠い昔にあった人形です。男の子向け着せ替え人形といった感じで、コンバット用の洋服を替えたり、マシンガンなど兵器を取り替えたりできる。似たようなものに、ミクロマンという玩具がありました。ミクロマンじゃなかったような気がするのだけれど、ぼくも似たような玩具を持っていたっけ。現在では仮面ライダーの人形のようなものかもしれませんが、異なっているのは、パーツだけが別売りになっていて自分なりの戦士をカスタマイズできるところ。これがおおいに違う。どのような戦士にしようか、とアタマのなかでイメージする楽しさがありました。

映画そのものの物語はもちろん、G.I.ジョーの魅力はアーマードスーツのような身体にフィットした武器であり、近未来的な兵器です。戦争には反対だけれど、こうした武器が"男の子"のなかにある闘争本能をくすぐるのは仕方がない。しかも、使いこなすためには武器の能力だけでなく、格闘技のような人間的な運動能力を高める必要があるところがスポーツの原点ともいえる。

戦士のなかには敵(悪)にも味方にも忍者的な人物がいて、味方のスネークアイズに対して敵のストームシャドーはイ・ビョンホンが演じています。少年の頃から敵対してきた因縁のふたりです。背中に日本刀を背負っていて、おもわずニンニンと言いたくなるのですが、このふたりの回想シーン、東京というテロップが入りながら、ぜんぜん東京じゃない(苦笑)。中国です。ああっ、外国からみた日本ってやっぱりこういう世界なのかー(泣)とかなしくなった。もうすこし外国人の映画監督の方には、日本を理解していただきたいものです。忍者と中国拳法が混じってしまっています。

敵のリーダー格の女性バロネス(シエナ・ミラー)は、かつてデュークの恋人だったこともあり、彼を抹殺することに苦悩したりもする。一方で、G.I.ジョー内における社内恋愛というか、リップコード(マーロン・ウェイアンズ)と才女スカーレット(レイチェル・ニコルズ)の好意のゆくえも気になるところ。アクション映画では、こういうサイドストーリーも観どころですね。

アニメにもなっているようで、どこかバットマン的な善悪の構図がわかりやすく、若干、陳腐さを感じたりもします。すこし詰め込みすぎなのでは、という印象もありました。それでもとにかく楽しめました。戦闘シーンの迫力と最先端のテクノロジーに、すかーっとする映画でした。1月6日観賞。

■トレイラー

■公式サイト
http://www.gi-j.jp/
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投稿者: birdwing 日時: 12:47 | | トラックバック (0)

2010年1月 3日

a001228

ONCE ダブリンの街角で

▽cinema10-01:路上からはじまる音楽と恋。

B0016XF4OWONCE ダブリンの街角で デラックス版 [DVD]
ジェネオン エンタテインメント 2008-05-23

by G-Tools


パートナーを探すのは難しいものです。相方といってしまうとなんだか芸人みたいですが、異性にしても同性にしても、生涯を通じて協働できるひと(相方)をみつけるのは難しい。お互いを理解し、ハーモニーを奏でられる関係の相手にめぐり会えるのは稀有といっていい。

協働の結果、生み出すものは、創造的なアートではなくても構いません。ともに生活できる相手でもよいでしょう。しかし、世界にたったひとりとおもえるようなパートナーと偶然に出会えても、一緒に暮らしたいけれど暮らせない状況だってあります。運命はときに非情あるいは理不尽です。

「ONCE ダブリンの街角で」を観て、そんなことを考えました。
いい映画でした。ちょっと泣けた。

ストリートミュージシャンとしてダブリンの街角でギターを弾きながら歌う男(グレン・ハンサード)は、掃除機の修理屋である父親を手伝いながら、自作の曲を作りつづけています。路上でかき鳴らす彼のギターは、ピックで削られて穴が空いている。

画面でギターのヘッドをよくみると、ぼくが持っている中古で買ったエレアコと同じメーカー(Takamine)だったので、ささやかですが、うれしくなりました。また、5000円ぐらいのぼろぼろのギターを演奏して天使のような歌声を聞かせてくれた、タマス・ウェルズのライブを思い出しました(そのときのエントリはこちら)。

彼のもとに、チェコから移民して雑誌や花を売って生計を立てている女(マルケタ・イルグロヴァ)が現れます。最初は掃除機を修理してもらおうと付きまとう彼女に、男はそっけない態度を示すのですが、いろいろと話をするうちに、彼女がピアノを弾いて歌うことができるのを知る。

いつも昼休みに彼女が1時間だけピアノを弾かせてもらえることができる楽器店で、彼が自作の曲をすこしずつ教えながら、ふたりで演奏するシーンは、こころがあたたまりました。いいなあ。ひとりで作った曲が誰かとの演奏で精彩を放つ。ぞくぞくする瞬間です。バンドをやった経験のあるひとであれば、こんな理想の出会いに一度は憧れることがあるのではないでしょうか。

そのときの楽曲がいい。「Falling Slowly」という曲ですが、覚えやすいメロディと歌詞、メインボーカルに寄り添うようなマルケタ・イルグロヴァのハーモニーが心地よい。北欧的な透明な印象と、あたたかさを感じました。YouTubeから引用します。

■ONCE: Falling Slowly

男には別の誰かのもとに去っていった恋人がロンドンにいて、女は結婚していて旦那をチェコに残したまま母親とちいさな娘と暮らしています。

ほんとうは音楽だけでなく互いに求めているのだけれど、だからこそふたりは音楽に徹して距離を隔てる。近付きたいのだけれど節度を保って、友情をあたため、音楽に向かい合うふたり。やがてデモテープを作るために、路上で演奏する仲間を集めてスタジオで録音します。

最新式のデジタル録音のミキシングコンソールを使って音を録るのですが、明け方の4時過ぎまで録音して、そのあとエンジニアのクルマに乗って海までドライブして、カーステで自分たちの曲の仕上がりを確かめるシーンにじーんときました。そういえば社会人バンドをやっていた頃、バンドのリーダーだった大学の先輩のクルマのなかで、こうやって自分たちのオリジナル曲を何度も聴いたっけ。

同様に些細だけれど胸に迫ったのは、マルケタ・イルグロヴァが借りたCDプレイヤーでデモを聴きながら、娘が眠るベビーベッドの隣りで歌詞を考えていて、電池が切れてしまう場面。娘の貯金箱からお金を借りて深夜のドラッグストアで電池を買い、夜の街を口ずさみながら家に帰ります。

立派な機材に恵まれていなければ音楽ができないのではなく、貧しいなりに、楽器店で1時間空いているピアノを貸してもらうとか、借りもののCDプレイヤーで何度も繰り返しデモを聞くとか、そんなひたむきさが大切なんだよなあ、とあらためておもいました。バンドのメンバーを集めてからも、彼らはスタジオではなく、グレン・ハンサードの演じる男のベットルームにドラムスまで持ち込んで練習します。お父さんがお茶菓子を差し入れたりする。こういうことってあるよね、と微笑んでしまいました。

サウンドトラックも人気だったとのこと(全米チャートで2位)。ぼくも久し振りに映画のサウンドトラックがほしくなりました。

映画そのものは、はじめは全米で2館の公開だったそうですが、その後口コミで話題になり、140館まで劇場数を増やしたそうです。わかる気がする。ぼくにとっては、根底にインディーズの匂いがあり、音楽への愛情が貫かれているところがよかった。たぶんそれはアフレコなどではなく、グレン・ハンサードにしてもマルケタ・イルグロヴァにしても、きちんと演奏できるアーティストを起用したためでしょう。監督のジョン・カーニーは、グレン・ハンサードとバンドを組んでいたこともあるようです。

音楽好きにはたまらない映画だとおもいます。バンド、やりたくなりました。1月2日観賞。

■トレイラー

■公式サイト
http://www.oncethemovie.jp
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投稿者: birdwing 日時: 18:39 | | トラックバック (0)

2009年6月 9日

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地球が静止する日

▼cinema09-21:危機感も緊張感もなくて困惑。

B001FSKF4M地球が静止する日 <2枚組特別編>〔初回生産限定〕 [DVD]
キアヌ・リーブス, ジェニファー・コネリー, ジェイデン・スミス, キャシー・ベイツ, スコット・デリクソン
20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン 2009-05-02

by G-Tools

宇宙からとつぜん侵略者が地球にやってきて・・・というパニック系の映画です。しかし、いまひとつ。設定が薄っぺらでわかりやすい。細部が詰めていないので、ご都合主義すぎる。なんとなく古めかしいな、とおもったらリメイク作品なんですね。もとの作品が気になります。

ああ、これって○○のことだよね、と途中でわかってしまった。人類滅亡の危機だけれど最後は救われるんでしょ?と見透かしてしまっていたので、どんなに侵略者が建物や兵器を破壊しても、凝った映像を展開してもダメでした。そんなもので、だまされるかーという感じ。

物語は過去にインドの山中で登山者が光輝く球体に出会うところからはじまります。しかし、もはやその段階で、ああこのひとが後になって現われるのだね、ということがバレバレなのです。だって、キアヌ・リーブス(主役)なんだもん。これはないでしょ。しかし、キアヌ・リーブスって影薄くなっちゃったなあ(髭の剃りあとは濃いけれど)。いい男だけれど「マトリックス」のときのような存在感がない。

宇宙微生物学の研究者ヘレン(ジェニファー・コネリー)は再婚した未亡人で、息子とふたり暮らし。息子は生意気で、母親のことを名前で呼び捨てにする。ある日帰宅すると、国家の機密組織からの使者に家の周りを包囲され、どこかへ連行される。連行される途中のヘリコプターには、さまざまな分野の研究者が押し込まれている。彼らが連れて行かれたのは、ニューヨークのセントラルパークに飛来した巨大な球体。余談だけれど、球体は雲のような光がぐるぐる回転しながら輝いていて、きれいだなーと思いました。こんなオブジェがほしい。

戦車や武装した兵隊たちがその球体を取り囲んでいて見守っていると、なかからクラトゥ(キアヌ・リーブス)が出てくる。しかし、ヘレンと握手を交わそうとした瞬間に、兵隊の発射した弾丸によって撃たれてしまう。と、でかいひとつ目のロボット・ゴートが出てきて反撃をする。このロボット、無敵です。ジェット機を自在に操って破壊してしまう。

クラトゥは地球の環境を破壊しようとしている人類に警告を発するために、地球にやってきたのでした。しかし、攻撃的な地球人たちを見限って最後の手段を行使しようとします。話し合いたいという意志を伝えるクラトゥに対して、捕獲して力技で自白させようとしたり、勝ち目がないのにゴートに攻撃したり。防衛庁の長官は大統領の指示がなければ動けない。

アメリカの問題を浮き彫りにしている気がしました。ストーリーはつまらないのだけれど、そうしたアイロニーとして観ると、楽しめる部分もある。人類は変われない、というクラトゥに対して、変われる!を連呼するヘレンには、どこかオバマ大統領の選挙のイメージが重なりました。しかし、その後、どうみてもくさい親子の感動(?)シーンにこころ動かされて、人類は変わることができるとあっさり方向転換してしまうクラトゥには、あれっ??という感じで拍子が抜けた。安易すぎるのではないでしょうか。

クラトゥをノーベル賞の科学者が説得する場面で、彼の家の書斎にバッハが流れている。バッハの流れている書斎で、宇宙人と地球を代表する科学者は黒板に無言で数式を書き合って、問題を解こうとしている。バッハと数式という組み合わせのそのシーンは印象的でした。あとは・・・あまり印象に残らなかったなあ。6月6日観賞。

■「地球が静止する日」本予告

■公式サイト
http://movies.foxjapan.com/chikyu/
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ところで公式サイトのところにリンクがあった「ナリキル?」というサイトでは、自分の写真を合成して自分仕様のジャケットをWeb上で作成できます。面白そうなので、むかし撮影した証明写真を使ってやってみました。これが最後の完成ページ。印刷もできるようです。

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投稿者: birdwing 日時: 23:59 | | トラックバック (0)

2009年5月22日

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ピアノチューナー・オブ・アースクエイク

▼cinema09-20:自動装置を調律する男、囚われの恋。

ピアノチューナー・オブ・アースクエイク [DVD]
ピアノチューナー・オブ・アースクエイク [DVD]アミラ・カサール, ゴットフリート・ジョン, アサンプタ・セルナ, セザール・サラシュ, ブラザーズ・クエイ

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フランツ・カフカの「流刑地にて」を連想したのですが、この映画でも機械/人間という構図がいつの間にか機械に侵食されて不条理に現実を歪めていきます。部品として全体のなかに嵌め込まれ、歯車のひとつとして使われるはずの人間が、感情という働きによって別の方向へ全体を動かしてしまう。ひとりの人間のほとばしる愛情が、狂気の計画を破壊する。そんなストーリーです。

謎のドロス博士(ゴットフリード・ジョン)によって不思議な孤島に迎え入れられたピアノ調律師フェリスベルト・フェルナンデス(セザール・サラシュ)が任された仕事は、ピアノの調律ではなく、博士が作った6つの自動装置のチューニングでした。その装置は水力で動いて、音を出すとともにさまざまなカラクリを動かします。非常に繊細な機械です。

自動装置といって思い出したのは、オルゴールですね。オルゴールというと現在はちいさな箱を思い浮かべますが、かつては部屋全体が自動演奏のための機械といえるような、大掛かりのものもあったようです。円筒型ではなく円盤型のものもあったらしい。人形を同期させて演奏させているかのようにみせる仕組みもあり、客を呼んで披露するなど、高貴なひとたちの愉しみのひとつだったようです。この映画に出てくる自動装置は、そんな古めかしい時代のオルゴールに近い仕様かもしれません。

腑に落ちない役目に戸惑いながら、特殊な調律の道具を渡された調律師は、その機械の調律にのめり込んでいきます。そうした作業の合間に島を散策していると、美しいオペラ歌手マルヴィーナ(アミラ・カサール)に出会うのですが・・・。

なんとも形容しがたい映像でした。とても幻想的です。影絵というか、洋書のおとぎばなしの黴くさい絵本の挿絵というか、古い怪奇映画というか、前衛的な演劇というか。コントラストが効いていて、それでいて周辺は、ぼんやりとソフトフォーカスのように霞んでいる。主としてセピア色、もしくはブルーの色調で、油絵のようでもある。

ひたすら木を切り続けるのっぺらぼうのようなカラクリ人形。7つの自動機械。屋敷を取り巻く森と海に打ち寄せる波。どこか詩的な風景とモノローグ。登場するオペラを歌う囚われの身の女性や、もとは娼婦という家政婦アサンプタの台詞や仕草は官能的でもあります。特に「森の匂いはどちら?」といって、アサンプタが樹木のかけらと自分の腋を嗅がせて比べさせるシーンはフェティシズムを感じました。ちょっときついというか戸惑ったけれども。

物語は、オペラ歌手のマルヴィーナがステージを終えて、舞台の袖で婚約者と抱き合うシーンからはじまります。そこに怪しい花束が届く。彼等の結婚式を目前にした演奏会で、彼女はドロス博士(ゴットフリード・ジョン)に連れ去られてしまいます。つまり博士は、自分の自動装置を完成させるための部品として、彼女をさらった。一度死なせて生き返らせて、放心状態の彼女を演奏会、つまり自動装置のお披露目のために練習を繰り返させています。

自動装置の調律のために博士のもとを訪れた調律師は、マルヴィーナに恋をしてしまう。しかし、マルヴィーナはそこにはいない婚約者のことを想っている。そうして、調律師と歌姫の関係にドロス博士は嫉妬する。さらに嫉妬した博士を、もとは娼婦でいまは家政婦のアサンプタが煽る。そんな歪んだ愛情の交錯から、次第に何かが狂い始めていきます。

家政婦アサンプタは調律師に、「ここは診療所なの。博士の専門は、こころを治すこと」ということを告げます。使用人と思っていた男達は患者だという。マルヴィーナは特に重い患者であり、治療が必要であると言われて調律師は面会することを拒まれる。しかし、狂っているのは彼等なのか博士なのか、それとも家政婦なのか自分なのか。壁のフレスコ画には既に博士と調律師と家政婦が描かれていて、運命は既に仕組まれていたものかもしれない、というシーンも謎めいています。

テリー・ギリアム監督といえば「未来世紀ブラジル」が有名であり、個人的には想像上のグリム兄弟の冒険を描いた「ブラザーズ・グリム」を観たことがありました。この映画では彼が製作総指揮としてプロデュースして、ティモシー/スティーヴン・クエイ兄弟(Wikipediaではこちら)が監督・脚本・アニメーション監督・デザインを担当しています。ぼくは知らなかったのですが、この兄弟、双子でカルト的な人気があるそうですね。強烈な偉才を放っている。

とはいえ映像はインパクトがあるのだけれど、ストーリー的にはどこか破滅に向かう展開が直線的な印象を受けました。もちろんそのあいだには、アリに寄生するキノコの話であるとか、それぞれの抑圧された愛情であるとか、数々のエピソードが豊かに幅を拡げているのですが。

筋を追うことだけが映画の愉しみではないでしょう。幻想的な映像美を愉しむという意味では、美術館で絵画を鑑賞するような充実感のあった映画でした。5月17日観賞。

■PIANO TUNER OF EARTQUAKES trailer

■公式サイト
http://www.quay-piano.jp/
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投稿者: birdwing 日時: 23:59 | | トラックバック (0)