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2009年5月17日

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遠くの空に消えた

▼cinema09-19:信じること、行動することで実現する奇跡。

B000ZLPT3C遠くの空に消えた [DVD]
神木隆之介, 大後寿々花, ささの友間, 大竹しのぶ, 行定勲
ギャガ・コミュニケーションズ 2008-03-07

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"ハチは航空力学的にいえば、飛ぶことはできない。けれども飛べた。なぜか。飛ぼうと思ったからだ"。冒頭で語られた、そんな台詞が印象的でした。

いい映画でした!すばらしかった!

大いに笑ったり泣いたりしたわけではないけれど(1箇所だけ号泣)、じんとこころに染みる映像と物語です。ノスタルジックであり、またジュブナイル(児童文学)の雰囲気もあり。行定勲監督ご自身が脚本も書かれたようですが、彼の映画のなかではいちばんじゃないかな。すくなくとも、今年ぼくが観た映画のなかではいちばんよかった。観てよかった。

物語の舞台は馬酔(まよい)村という日本のどこかにある田舎。この村の風景がそもそも日本であって日本らしくない。遠い日のふるさとのようでもあり、中南米のどこかのような印象もあったりして、懐かしくも美しい。

この村に、空港が建設されようとしています。村民は反対している。空港を建設するために村民を説得させる任務で、ひとりの役人とその息子がやってきます。地元の空港建設反対のひとびとは抵抗する。大人たちの問題にとどまらず、学校においても土地を売ることで寝返った子供をいじめるなど、暗い影を落とすようになる。けれども、そんな状況のなかでファンタジーのような、すばらしい出来事がいくつも起こります。生涯忘れられないような。

物語は重層的です。行定勲さんの脚本はうまい。ひとびとの関係が織り成す物語が複数、交差されて展開していきます。けれども、「信じていれば奇跡は起きる。飛べる」というテーマで貫かれている。

まずは、かつては同じ村に住んでいた大人たち、空港建設の役人である楠木雄一郎(三浦友和さん)、生物学者の土田信平(小日向文世さん)、バーのママ(大竹しのぶさん)の物語。

幼馴染なのだけれど、遠い昔の子供の頃、ふとした諍いがあって雄一郎はこころを閉ざしてしまう。そのまま大人になります。一方で、信平は子供のころの夢を追いつづけていて、こころは子供のままです。三浦友和さんは結構好きな俳優さんなのですが、ここでは小日向文世さんがいい味出していました。空港建設を推進する立場=雄一郎、地元の自然をまもる立場=信平という立場で対立しながらも、ふたりは親しく語り合える親友です。この親友の関係のなかで、頑なな雄一郎のこころはすこしやわらぐ。

そして、UFOを信じることでつながった3人の子供たち。父が役人でありハンティング帽にサスペンダーの服装がかっこいい楠木亮介(少年の頃は神木隆之介さん、成人して以後は柏原崇さん)、お父さんを異星人に連れ去られたというエキセントリックな少女柏手ヒハル(大後寿々花さん)、ちょっと抜けているけれどあったかい土田公平(ささの友間さん)の物語。

公平の父親は、ボーボー鳥を復活させるためにずーっと家にいなかったのに、ふらりと帰国します。父親と家族のそんな場面もこころがあったかくなる。さらに、鳩だけを愛して狂人とおもわれて生きている孤独な青年、赤星(長塚圭史) 。彼は村人から、からかわれたりいじめられたりするのですが、狂ってしまった理由として、いとしいがゆえに抱きしめすぎて弟トーマを殺してしまった、その日からおかしくなった、という話を聞いて、ぼくは不覚にも号泣でした。これ、ぜんぜん物語の本筋とは関係のない部分なんですけどね。この赤星も彼等三人の仲間に加わります。

さらに、好きでもない男性と結婚させられる運命にありながら、とつぜん出会った空から落ちてきたひとに憧れる先生(伊藤歩さん)の物語。このセンセイも美しいひとですが、彼女が恋慕う謎の男性(チャン・チェン)は渋い。レオナルド・ダ・ヴィンチの設計した飛行機のような翼をつけてふたりで飛ぶ練習をしたり、寄り添って月を眺めているシーンは美しかった。ジャックと豆の木のような蔓をたどって雲の上から月を眺めるシーンは、すこしだけ「未来世紀ブラジル」のような趣きを感じました。

両手を広げてUFOを呼び寄せる呪文をとなえていたヒハルに「UFOって信じる?」と言われて、半信半疑のまま彼女に付き合い、星を眺めたりUFOを探すのを手伝う亮介と公平たちがいいなあ。隕石をゲットできる望遠鏡もよかった。そんなものはあり得ないのだけれど、三人は信じている。流れ星をみるたびに、機械の歯車を回して隕石を取ろうとしている。そうして、星を眺めてUFOを呼ぶための小高い丘に秘密基地のようなものをつくります。木を結びつけてアンテナのようなものをつくるわけです。ちょっとわくわくしました。子供のころに、そんなことを田舎の裏山でやった経験があるので。

東京では星はみえません。かろうじて金星がみえるぐらいでしょうか。月だけは明るくて、仕事で遅くなった夜、ぼくは月を眺めて帰ることが多い。しかし、ぼくの住んでいる田舎では、昔もいまも満点の星空を眺めることができます。最近、住宅が多くなってしまったのでいまひとつ鮮明にみえない気もするのですが、冬になると落ちてくるような星空です。プラネタリウムどころではなかった。東京で育った子供たちは星空を眺めても感動がありません。むしろ「どうぶつの森」というゲームの星空のほうがよかったりする。いいのかなあ、とは思うのだけれど。

ところで、ヒハルという女の子、つまり大後寿々花さん。12歳のぼくだったらぜったいに初恋に落ちた気がする(照)。彼女が登場するたびに、なんかぽーっとしてしまった。DVDのジャケットをちょっと拡大して掲載してみます。

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たぶん少年の頃のぼくは、こういうタイプに弱かった。おでこが出ていて、ヘアピンで髪をとめていて、髪の先端が外側に跳ねていて、ワンピースから細い二の腕とかふくらはぎとか・・・。入院の見舞いに来た亮介によろめいてもたれかかって泣くシーンがあるのですが、オトナのラブシーンよりどきどきしました。

ちなみにハンティング帽にサスペンダーの神木隆之介さんもかっこいい。いかにも・・・な感じはありますが、都会から出てきた洗練された少年という感じです。

そんな風にキャラクターのひとりひとりが立っている。バーのママはけばけばしいし、チンピラはチンピラらしい。田舎の子供の代表として公平はランニングシャツまるだしだし、マドンナである先生は美しく、そのフィアンセは気持ち悪い(笑)。こうした設定もまた、完璧です。

不甲斐ない大人たちを見捨てて、公平の指揮のもとに、子供たちで空港建設に反対するための奇跡を起こそうとする。途中で、ああなるほどね、と何をしたいかわかったのですが、実際にその結末をみて感動しました。いいなあ、こういうのって。馬鹿なんだけれど、行動することで奇跡も現実になる。であれば、ぼくは馬鹿でありたいですね。奇跡を実現するために。

ロケ地は帯広を中心とした北海道とのことですが、そこで思い出したのは、「神の子どもたちはみな踊る」「海辺のカフカ」など、村上春樹さんのUFOが登場する作品でした。けれども、おとぎ話でありながら現実的な「遠くの空に消えた」のほうが、ぼくは物語として好きかな。村上春樹さんの話は、すこばかりオカルト風味が強すぎるので。

映画に挿入された音楽も好きでした。ちょっとジュゼッペ・トルナトーレ監督の作品を思い出させます。勝手にぼくの好きなものを結びつけた感じはしますが。

トレイラーの最後の行定勲監督のことばが印象的でした。

何かを信じられなくなったとき、
信じ続けるパワーをくれる映画を撮りたかった。

信じることで奇跡を起こしたい。現実を変えたいものです。5月10日観賞。

■トレイラー

■公式サイト
http://to-ku.gyao.jp/
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投稿者: birdwing 日時: 10:12 | | トラックバック (0)

2009年4月12日

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ハンコック

▼cinema09-13:あまりにカジュアルなヒーロー。でも運命に泣けた。

B001NK60OQハンコック エクステンデッド・コレクターズ・エディション [DVD]
ジェイソン・ベイトマン, ウィル・スミス, シャーリーズ・セロン, ピーター・バーグ
ソニー・ピクチャーズエンタテインメント 2009-01-28

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遠まわしに書くのですが、どんなに想っていても一緒になれない関係というものがあります。一緒にいると、何かを壊してしまう。愛し合っているのだけれど、愛し合うがゆえに互いに傷付けてしまう。だからどんなに強い想いがあったとしても、ぜったいに一緒になれません。想いがあるからこそ、離れて暮らさなければいけない。何千年もの時間を経て、一緒になれないまま思いつづけているのだけれども、遠い距離を置くことが必須の運命にある。

切ないですね。切ないけれども愛情を守るためには、それがベストである。「ハンコック」はそんな映画です。何のことやらわからないでしょう。どういうことだ?と思ったひとは、映画を観賞してみてください。きっとわかるはず。

のっけからVFXのシーンに圧倒されるのですが、ウィスキーの瓶を片手に持った酔っ払いのとんでもない男がヒーロー、ハンコック(ウィル・スミス)です。どういうヒーローかというと、重力を無視して空を飛び回る。重い車も指先でひねってぶん投げる。銃弾でいっせいに射撃されてもびくともしません。なんなんだ、こいつは。びっくりしました。凄すぎる。

けれども、超能力を使いまくって、破壊するだけ破壊してとりあえず事件を収拾するやり方に、一般市民は納得できません。むしろ無謀なやり方に激怒している。確かにわかります。やりすぎです。事件そのものよりも、彼が破壊した代償のほうが大きい気がする。

このとき思い出したのは、ウルトラマンメビウスだったかと思うのですが、変身したばかりの若葉マークのウルトラマンが闘ったとき、周囲の建物を破壊しまくって、人間の隊員に、「なんだ、その闘い方は!」と怒られて、しょぼーんとするシーンでした。

ヒーローにも、スマートな闘い方があります。ヒーローのステレオタイプというか、きちんとマスクして顔を隠してぴったりとしたボディスーツに身をつつみ、市民といざこさを起こしてはいけない。でも、ヒーローであることは特殊な人間でもあり、だからこそ飲んだくれて拗ねてみたくもなる。プライベートなヒーロー像が描かれたハンコックには、親近感が沸きました。物語では、彼に助けてもらったPR会社のダメ社員である広報マンのレイ(ジェイソン・ベイツマン)が、彼を悪いイメージのヒーローから、ほんとうのヒーローに脱却させようと努力します。

そもそもハンコックは大人気ない。子供にマヌケと言われて、制裁を加えてしまう。そんな無軌道ぶりをおひとよしなレイは、あえて刑務所に入れることで、警察や社会が彼を必要とするように仕向けます。彼は刑務所のなかでも無軌道ぶりを発揮するのですが、そのうちに、ハンコックを刑務所に入れることで事件は多発するようになり、策略は見事に効を奏するのですが・・・。

この映画で描かれるヒーロー像は型破りです。嫌われもののヒーローといえば、バットマンなどもそうだったかもしれませんが、ハンコックは、マスクも特殊なクルマもなしにヒーローとして存在している。超能力があるというそれだけで、ハンコックはヒーローなのです。ふつうの服装をした、どこにでもいるような酔っ払いでありながら、ジェット機のようなスピードで空を飛び、玩具のようにクルマを投げ飛ばし、周囲をめちゃめちゃにしながら凶悪犯罪を解決する。そのギャップがとても楽しめました。なんだかわくわくしました。

後半で彼の特殊な能力の理由が明かされていくのですが、このどんでん返しが面白い。面白いと同時に、冒頭にも書いたように切ない。これもまた唐突な連想ですが、川上弘美さんの「溺レる」という短編集に収録された「無明」を思い出しました。

と、なんとなく吹っ切れない書き方をしているのは、ネタバレを避けるためです。どちらかというとエンターテイメントというよりヒューマンタッチな映画かもしれません。武装したヒーローではなく、素顔のヒーロー像を楽しみひとにはおススメかも。問題の多いしょうもない英雄なのですが、その人間味にちょっと惹かれます。現実社会で共感を生むことでしょう。

英雄気取りで浮いちゃうひとも仕事の場ではみかけますが、ハンコックの謙虚さを見習うといい。ヒーローは悪役と紙一重であり、そのことを自覚したときにヒーローと成り得るものです。天狗になっている自意識過剰な人物は、もしかすると他のひとたちからとても疎まれているかもしれない。

ヒーローにも人間性が求められる世界です。勧善懲悪が絶対的な力を持っていたのは遠い昔のことで、いまでは悩み多き英雄が求められるのかもしれません。正義ではなくても、うじうじと病んでいても、力を駆使することを躊躇ったとしても、それがヒーローである。なんだか難しい社会になってしまいました。4月12日観賞。

■トレイラー

■公式サイト
http://www.so-net.ne.jp/movie/sonypictures/homevideo/hancock/

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投稿者: birdwing 日時: 23:59 | | トラックバック (0)

2009年4月10日

a001093

アイアンマン

▼cinema09-12:鋼の科学者という最終兵器。

B001MIMBJWアイアンマン デラックス・コレクターズ・エディション (2枚組) [DVD]
グウィネス・パルトロー, テレンス・ハワード, ロバート・ダウニーJR., ジェフ・ブリッジス, ジョン・ファヴロー
ソニー・ピクチャーズエンタテインメント 2009-03-18

by G-Tools

このところ映画は「きまぐれロボット」「僕の彼女はサイボーグ」と、SFものを中心に鑑賞してきました。「アイアンマン」もロボットつづきと言えなくもない。正確にいうと戦闘スーツという感じでしょうか。要するに人間が入った"かぶりもの"のロボットです。バットマンなどと同様、アメコミを実写化した作品です。

軍需産業というと、平和を乱して殺戮によって儲ける汚い産業であると批判されがちですが、巨大な利益を生み出すイノベーションのインキュベーターである、という印象もあります。ホリエモンが夢見ている宇宙産業も軍需産業のミサイル作りが基盤になっていると思うし、インターネットでさえ、もとは情報戦を制するためのネットワークであったように記憶しています。自分もしくは自国を守るためには、開発競争も必死になる。だからこそ、さまざまな技術革新が生まれたのかもしれません。

暴論かもしれないし、実際に戦争で命を落としてきた人々には申し訳ないことですが、人類の進化のためには戦争は必要になることもあります。そこで何を学ぶか。ほんとうは痛い目をみずに学ぶことが大切だけれど、人間社会の悪が活気的な技術の進歩、人間の進化に貢献する場合もあるでしょう。

兵器製造会社のカリスマ社長トニー(ロバート・ダウニー・Jr)は、自社製品のプレゼン直後に銃撃されて心臓に傷を負い、ゲリラたちに拉致されます。通訳の男と洞窟のなかに閉じ込められて、この材料でミサイルを作れ、ということを指示される。しかし、ゲリラたちの言いなりになっても解放されたらどうせ殺されるだろうと考え、ミサイルを作っているようにみせかけて、ひそかに自分の心臓を守るアーク・リアクターと呼ばれる動力源を開発し、彼等に立ち向かうための戦闘スーツを組み立てます。

がらくたから作った戦闘スーツで命からがら逃げ出して、兵器作りはやめだ!と宣言するのだけれど、彼の会社の重役たちは兵器づくりの甘い蜜を諦められずに・・・。

冷蔵庫の残りもので作っちゃいました、という美味い料理には感動しますが、がらくたから戦闘スーツできちゃいました、という彼の才能が凄い。SFだからということもあるかもしれないけれど、技術者魂というか発明家魂というか、そんなロマンに惚れました。ガレージでコンピュータを組み立てたスティーブ・ジョブズのようなイメージも重なりましたが、最悪の環境のなかで最高のものを作り上げる天才に憧れます。

設計図は見張りのゲリラたちに気づかれないように巧みに分断されていて、重ね合わせるとロボットの形になる。しかも、足からジェットを噴射して空まで飛ぶことができる(結局、ばらばらになって落っこちてしまいますが)。とんかん自分でハンマーを打ちおろして鋼の戦闘スーツのプロトタイプを作っていくのですが、こういう科学者っていいなあ、と思いました。

さらにいいなあと思ったのは、彼の自宅の地下室。研究室のような場所が気に入りました。最先端の3DによるCADのようなパソコン画面に向かいながら、自分で改造したクルマのエンジンを設計し、テストしていたりする。ゲリラたちの捕獲から逃げて生きながらえた彼は、ここで洞窟のなかで作った戦闘スーツを、さらに改良して完成させていきます。

このとき、彼の天才的な発想を手伝い、助手を務めているのはマジックハンドのようなロボットです。J.A.R.V.I.S.(ジャーヴィス) という人口知能で、彼の地下室全体も制御しているらしい。ちょっとさびしい気もしますが、アームだけのロボットが結構やさしかったり、愛嬌のあることを言ったりもするので和みました。完全に機械による存在でありながら、どこか人間のように親近感がわきます。

隠れ家は男のロマンですね。地下室が、男ごころをくすぐりました。書斎というか、研究室というか、自宅スタジオというか、趣味や自分の世界に没頭できる部屋は、ぼくら男性にとっては夢の城ではないでしょうか。

考えてみると、いまぼくの住んでいる家にも、地下室と屋根裏部屋があり、いまのところ無駄に空いています。地下室は、明かりとりの窓があって外光を取り入れるようになっているのだけれど、隣りがバスルームなので、暗いし湿度が厳しそうなので、そこを自分の部屋にすることは諦めました。しかし、なんとなく地下室に篭りたい気分がする。

トニーと対立する悪い重役も彼の設計図を入手して、模造したロボットを作ります。2体の対決はなかなか見どころです。なんというか究極の兵器は科学者そのひとなのだな、と。

戦闘スーツを着用するシーンはレースのコックピットのような感じで、四方八方からマジックハンドのようなものが彼の身体にスーツを装着していく。人工知能を完全に信頼していなければできないことで、装着したのはいいけれど簡単に脱ぎ捨てられないのは面倒だな、トイレはどうするのだろう、閉所恐怖症のひとにはこいつはおススメできません、と、どうでもいい瑣末な日常的な心配ごとを考えてしまいました。

どんなに技術を模倣できたとしても、技術者のこころと頭脳がなければ、兵器もただの鉄屑になります。少年のこころを奮い立たせるような、そんな映画でした。4月5日観賞。

■トレイラー

■公式サイト
自分のアーマースーツを作って、シューティングゲームができます。
http://www.so-net.ne.jp/movie/sonypictures/homevideo/ironman/

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投稿者: birdwing 日時: 23:46 | | トラックバック (0)

2009年4月 9日

a001092

僕の彼女はサイボーグ

▼cinema09-11:交錯する過去と未来と映画の文脈、彼女は最強。

B001D7RMQE僕の彼女はサイボーグ 通常版 [DVD]
綾瀬はるか, 小出恵介, 桐谷健太, 田口浩正, クァク・ジェヨン
アミューズソフトエンタテインメント 2008-10-17

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21世紀ということで、ロボット関連の動向が気になります。といっても、ぼくは理系でもなければ、カルト的に詳しいわけでもありません。よーし、いっちょ作ってみるか、と奮起して購入しようと考えたDeAGOSTINIのパーツを集めてロボットを作る隔週雑誌は、5回ぐらい購入しただけで挫折しました。結局、残ったのは足一本さえ完成しなかった部品ばかりです。もったいないことをしました。それなのに玩具売り場に行くと、タカラトミーのi-SOBOTなどに見惚れてしまいます。懲りないひとです。

先日、星新一さん原作のショートショートを映画化した「きまぐれロボット」を鑑賞してテンションがあがったので、ロボット関連の映画を観たくなりました。かつて観た作品から代表的なものを思い浮かべると、洋画では「A.I.」、「アンドリューNDR114」、「ターミネーター」、邦画では「鉄人28号」、「キャシャーン」でしょうか。ロビン・ウィリアムズが主演の「アンドリューNDR114」はかなり好きな映画でした。感情のないロボットが人間に近づいていく、そんなロボットの人間への憧れが描かれています。

たぶん厳密に用語を定義すると、ロボットとは、容姿が人間に近くない金属装置的なものを言うのであり、人間に近いものは、アンドロイド、ヒューマノイド、サイボーグなどと呼ばれるのではないでしょうか。完全に人間に近いロボットの登場によって、機械に恋をする、というテーマも生まれます。

どこまでがロボットなのか、人間とは何なのか、という哲学的な命題がその根底には流れています。このとき、ふと思ったのは、人間の男性がアンドロイドの女性に恋をする、というパターンが多いのではないか、ということでした。女性が男性のロボットに恋をする話はあまり聞いたことがない。人魚に恋をする、のような古い伝説のフレームワークが潜在的にありそうです。

プラトニックな話であればロマンティックですが、下世話なことを書いてしまうと、南極○号のようなダッチワイフの世界に近くなるような気もします。ちなみに知人から教えていただいたのだけれど、バジリコという出版社からダッチワイフに関する本が出ていて、これがとても面白いとのこと。200万~300万ぐらいする最高級の製品は、ほとんど肌触りが女性らしい。細部も(なんの細部なんだか)緻密に再現されているとのこと。そんなものが部屋にあったら怖いのですが、収集家は何体も持っているようです。人形をいとおしむフェティシズムのようなものもあるのでしょうか。ぼくはやはり生身の女性のほうがいいと思うのだけれど。

エロ方面に話題が逸れました。というわけで、「僕の彼女はサイボーグ」です。

寂しく誕生日を祝う主人公北村ジロー(小出恵介)のもとに、ひとめぼれした女性とそっくりの顔つきや容姿をした美少女のサイボーグ(綾瀬はるか)がやってくる、という物語です。彼女は未来から時空を超えて彼のもとに訪れました。

さすがにサイボーグだけあって、彼女は徹底的に強い。強いのだけれど、所詮はプログラムで動いているため、感情が希薄です。学習するロボットなので、すこしずつ変わってはいくのだけれど、「僕」の戸惑いや恋愛感情をスキャンすることはできない。中途半端に読み取った感情表現が、かえって主人公をいらだたせたりもする。が、しかし、これはロボットではなくてもあり得ることで、人間であってもそサイボーグ的に恋愛の機微に疎い女の子はいる。そんなところが共感を生むのでしょう。

強い女性+弱い男性という構図で思い出すのはハリウッド版でもリメイクされた「猟奇的な彼女」であり、あとで気付いたのですが、その作品と同じ郭在容(クァク・ジェヨン)監督なのでした。草を食むような男性が増えてしまった結果、こうした構図の物語が好まれるのだろうなと感じました。女性に守ってほしい男性が多いのだろうか。女性側からみると、そんな弱々しい男性には母性本能を感じるのだろうか。だいじょうぶか、男たち。

ただジロー(小出恵介)は、とてもやさしい男です。時空を超えて返っていく彼女と別離のシーンは二度繰り返されるのだけれど、泣けた。若干、おたく的(というか、オタクってもう言わないのか)な要素を感じて借りるのを控えていた作品ですが、よかった。VFXも迫力があって楽しめました。

いろんな映画の文脈が絡み合っていると感じたのですが、時空を超えて現れた美少女サイボーグが主人公の未来を変えるテーマを過去のやり直しと未来の再構築と考えると、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」につながります。時空を超えてダメな現実をよい未来に変える映画は多数ありますが、それだけぼくらの現実は二度とやり直せない後悔にあふれている。未来からきたサイボーグが主人公を守ることに関していえば、まさに「ターミネーター」なのですが、一定の枠組みで進行する物語のフレームが、エンターテイメントとしては心地よい。ワンパターンだ、またかーという気にはならないですね。つまり、ぼくらは(あるいはぼくは)こういう物語を潜在的に求めているのかもしれない。

ほかに映画の文脈でいうと、大地震によって崩壊した世界のなかで主人公を救うシーンでは、「エイリアン」の有名なシーンを思わせるところもありました。真似というのではなく、オマージュなんだと思います。その部分を陳腐とみるか、にやりと含み笑いをするかで評価は分かれるかもしれませんが、後者であれば映画好きも満足できそう。

それにしても。綾瀬はるかさん、すごいプロポーションです。完璧だ。ボディスーツのような身体のラインにぴったりの服を着ると、セクシーというよりかっこいい。びしっと決まっているし、キュートな感じもあります。どちらかというと感情的な表現をするシーンより、サイボーグ的な無表情で、かくかくした動きにしびれます。

しかしですね、ぼくのストライクゾーンではなかったなあ。気が強い女の子は好きだけれど、綾瀬はるかさんはちょっと違う。美人すぎる気がしました。チョン・ジヒョンのような、いまひとつぱっとしない顔で平凡で、おっとりとしたかわいらしい女性が好きなのだ。自分の好みを語ってどうする、という気もするのですが。なので、綾瀬はるかさんに関しては淡々と観ることができました。彼女のファンであれば、もっと熱狂的に支持するのでは。

こんなサイボーグが世のなかに出てくるのはあと何年後だろう、そのときにサイエンスフィクションつまり空想小説は何を描けばいいのか衰退してしまうのか、という余計な心配をしたり、音声合成のVocaloidのように、やっぱり人間は生身であるからこそ人間だ、いや人間を模倣する先端技術に拍手を送るべきだ、のような議論が生まれるのだろうな、ということをぼんやりと考えたりもしました。未来は何処へ。4月5日観賞。

■トレイラー

■公式サイト
http://cyborg.gyao.jp/
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投稿者: birdwing 日時: 23:53 | | トラックバック (0)

2009年4月 7日

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ウォンテッド

▼cinema09-10:暗殺者に転職した人生落伍者の過酷なレッスン。

B001O09470ウォンテッド リミテッド・バージョン [DVD]
ジェームズ・マカヴォイ, アンジェリーナ・ジョリー, モーガン・フリーマン, テレンス・スタンプ, ティムール・ベクマンベトフ
UPJ/ジェネオン エンタテインメント 2009-02-25

by G-Tools

野球選手には、バッターボックスで精神を集中する球が止まってみえる、というひとがいます。分解処理の能力をあげていくと、時間はゆっくりと、そして空間は細部まで見渡せるようになるのかもしれません。

というような表現で思い出す代表的な映画は「マトリックス」でしょうか。のけぞって弾丸を避ける表現は、VFXならではのものでした。「ウォンテッド」は暗殺者の物語ですが、暗殺者視点ではなく弾道視点で、銃から発射された弾がターゲットを射抜いたところから逆に時間を遡って、はるかな飛距離を越えて銃のなかにおさまる。まずは、そんな表現が印象的でした。

どん底の生活のなかで自分を見失っている主人公ウェスリー(ジェームズ・マカヴォイ)。会社では顧客管理担当という仕事に就いていますが、肥満の女性上司に、耳元でかちかちホチキスを鳴らされて小言をぶちまけられながら、ストレスにまみれた毎日を送っています。しかも、後ろの席の同僚に恋人を寝取られている。住んでいるアパートといえば電車の高架の近くで騒音が酷い。悲惨な人生を悲惨とも思わないほどに麻痺してしまっていて、毎日を惰性で生きています。

ところが、実は7歳のときに自分のもとから去っていったという父親は凄腕の暗殺者で、彼にもその暗殺者としての潜在的な凄い能力が眠っています。父親は、繊維工場で織物に託されたメッセージから次のターゲットを決めるという謎の組織フラタニティに所属していました。その父が殺されたということで、いきなりフラタニティ参加を求められた主人公は、過酷な特訓を重ねて暗殺者として成長していくのですが・・・。

アクションは凄い。女性暗殺者フォックス役のアンジェリーナ・ジョリーは、こういう映画では映えるなあ、と思いました。ふくよかな唇は健在という感じで、全裸で風呂からあがるシーンもあるのですが、あまりセクシーとは思わなかったかな。むしろ、アクションシーンの激しさのほうがインパクトがありました。

映像もテンポがよく、やはりかっこいい。スローモーションや早送りのような処理を多様した表現は非常にクールです。が、勢いに流されて観終わったあとに冷静に考えると、ストーリーの整合性としてどうなの?とか、ちょっと強引すぎませんか?という細部が気になります。詳細は語りませんが、父親をめぐる設定は、なんとなく納得できない。

そんな細部の整合性を考えさせる余地のない、ぐいぐいと押してくる映像に圧倒されました。生半可な気持ちで、ストレスまみれのサラリーマン生活から暗殺者という専門職(なのか?)に仕事替えをしたウェスリーは、リンチにも似た残虐な特訓を受けます。そうして、遺伝として父から引き継いだ殺人の超能力を呼び覚ましていく。

ハードな特訓で再起不可能に傷付けられると、回復風呂というものに入れられて、全身の傷を癒します。この回復風呂、いいなーと思いました。入りたい。できれば、こころの回復風呂があってほしい。しかし、身体の傷はある程度なおすことができたとしても、こころの傷は治しがたいものでしょう。

ストレスまみれの袋小路のサラリーマン人生と、過酷な特訓のうえに飛んでいるハエの羽を撃ち抜く(どこか中国的です)凄腕の暗殺者の人生。強引にフラタニティに引き戻されたとはいえ、これは天職への転職の物語かな、と考えたら、なんとなく深いものを感じてしまいました。

願わくば自分にもそんな超能力があればいいのだけれど。といっても小心もののぼくには殺人者などぜったい無理です。殺人以外で何か特殊な能力が眠っていないか、と探してみるのですが、なかなかない。人生って、そんなものです。4月4日観賞。

■トレイラー

投稿者: birdwing 日時: 23:59 | | トラックバック (0)