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2008年7月22日

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魔法にかけられて

▼Cinema:結婚について考えさせられるファンタジー。

B0019BE320魔法にかけられて 2-Disc・スペシャル・エディション
エイミー・アダムス, パトリック・デンプシー, ジェームズ・マースデン, ティモシー・スポール, ケヴィン・リマ
ウォルトディズニースタジオホームエンターテイメント 2008-07-18

by G-Tools

絵本のなかの世界と現実世界が同期する・・・そんなテーマで思い出すのは、ミヒャエル・エンデの「果てしない物語」なのだけれど、考えようによっては、世界というのは各自のアタマのなかに存在するので、仮想や架空の世界であっても、きちんとした現実の一部なのかもしれません。

当然のことながら、手に触れられるものだけが現実ではない。誰かの気持ちは触れられなくても、そこに存在しています。一方で、そこにはない他者の気持ちも、自分が思った瞬間に実体化するのかもしれません。疑うのも信じるのも自分次第。その結果として生まれる世界が自分の世界です。だから自分の心のなかにこそ、この世界を変える魔法がある。

と、なんだか哲学的な瞑想というか妄想に迷走しそうなので話をもとに戻すと、「魔法にかけられて」は、絵本のお姫さまが悪い継母の魔法で現実のニューヨークに追いやられて、その経験を通じて真のパートナーとは何かということを考え、成長していく物語です。ひとことでいえば、結婚とは何か(苦笑)について深く考えさせてくれるディズニー映画です。

ええと、ディズニーというところが結構重要かもしれません。トレイラーにはディズニーを超えるという宣伝文句もありましたが、なんだかんだいって、やはりディズニー的な世界観ではないでしょうか。よい意味でも、悪い意味でも、この映画はディズニーです。おとぎ話的な世界を否定するようでいて、結局のところ肯定しています。というよりも、逆に夢を持つことの大切さを説いている。

■魔法にかけられて


あらすじとしては、絵本のなかのお姫さまジゼル(エイミー・アダムス)が、継母であるナリッサ女王に井戸のなかに突き落とされてしまうのだけれど、その井戸の先には現実のニューヨークがあり、そこでバツイチで女の子もちの弁護士ロバート・フィリップ(パトリック・デンプシー)に出会います。彼には結婚を考えている女性がいる。ジゼルにもフィアンセの王子様がいて、お互いにパートナーがいるのだけれど、惹かれあう。惹かれあうのですが、ジゼルは助けにきた王子と絵本の世界に戻らなければならない・・・。

一度の離婚で懲りているロバートは、現実的な醒めた考え方を持っているのに対して、絵本の住人であるばかりか、さらにお姫さまでもあるジゼルは、夢見がちで世間知らずです。離婚したロバートが、離婚のために訪れた夫婦の裁判のために打ち合わせをしているのは皮肉ですが、話がまとまりそうなシリアスな場で、ジゼルは、なぜ別れてしまうのっ?このひとの目はこんなに輝いているのにっ(きらきら)というような無垢な涙を流して、その場をかき回してしまいます。

現実=ニューヨーク/理想=絵本の世界という対比があり、しかしながら実はどちらに対しても痛烈な批判を加えていきます。

フィアンセの王子様がいることを聞いて、「どれだけ付き合っているの?」と聞くロバートに対して「1日」とジゼルは応えるのだけれど、「1日で結婚を考えるか?ふつうは何度もデートをしてお互いを分かり合ってから結婚するものだ」という醒めたロバートの言葉が小気味よかった。絵本のお姫様にはデートという概念がないらしく、ロバートとデートしたあとで姫を追いかけてきた王子ともデートするのだけれど、そのシーンのぎこちなさも思わず苦笑、という感じです。

ジゼルが歌を歌うと、絵本のなかでは森の動物たちが集まります。ところが、ニューヨークでは鳩とかネズミとかゴキブリなどが集まってしまう(苦笑)。なかなかエグい場面で、なんとなくディズニーらしくない。ただ、これもエンターテイメントだけでなく都会の批判として観ると、かなり辛口な表現のような気がします。

子供たちといっしょに観ましたが、どうでしょう(苦笑)。長男は悪い女王がドラゴンに変身したときは喜んでいましたが、ロバートとジゼルのロマンスのときは映画も観ずにDSやってましたね。10歳ぐらいの女の子であれば、いろいろと思うところもあるかもしれない。いや、もし自分に娘がいたら、いっしょに観るのはどうかと思うなあ。

個人的には子供向けではないと思いました。はっきりいって昼ドラ的なロマンスではないでしょうか。やんわり言ってしまうと、大人向けのファンタジーです。

既婚者のぼくがロバートの視線からみると、既にパートナー(と決めたひと)がいるのに、歌ったり失敗をやらかしたり奔放で無垢な絵本から現われたお姫さまに惹かれてしまう、という気持ちはわからないでもないです。わからないでもないのだけれど、なんだかそわそわする。落ち着きません。結末は語りませんが、まあそうだろうな、と思いつつ、この物語全体がそもそもファンタジーであり、現実にはあり得ないよなあ(ふっ)と思ってみたり、すっきりしなかったり。ううむ。

だいだいですね、パトリック・デンプシーって地味なんだけど、何か妙な存在感がある。ちょっと軽めの恋愛もののコメディには、うってつけの俳優ではないかと思いました。あんまり好きじゃないんですけどね。と、デンプシーにやつあたりして終わってみることにしますか。きっとデンプシー困惑(8月20日鑑賞)。

■公式サイト
http://www.disney.co.jp/movies/mahokake/

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投稿者: birdwing 日時: 23:27 | | トラックバック (0)

2008年3月 4日

a000908

野良犬

▼Cinema08-007:打ちのめされるほど熱い。

B000VJ2DOG野良犬<普及版>
三船敏郎;志村喬;清水元;河村黎吉 黒澤明
東宝 2007-12-07

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やられた。まいりました。黒い(モノクロ映画だから黒にみえるのだけれど)犬がぎょろりと目を剥きながら、はあはあ舌を出す冒頭の映像から衝撃を受けて、ぐいぐい引き込まれるようにして観てしまった。あらためて感動。これが世界のクロサワだったのか。震えました。

物語は、拳銃を盗まれた新米刑事の村上(三船敏郎さん)がベテラン刑事の佐藤(志村喬さん)と組んで犯人を追い詰めるという、筋だけ抜き出してしまうと、どちらかというとありがちなストーリーです。けれども場面の切り替わるテンポといい物語の人間模様の深みといい、圧倒されました。

そもそも映像に残されている日本の風景が全然違う。記録の意味としても強烈なインパクトがあります。戦後の荒れ果てた光景は、凄惨で退廃的で、アジア的なけばけばしい混沌と貧困をあらためてみせつけてくれる。奪われたり奪ったり時代を恨んだり、泥沼のような現実でその日一日を生き延びるひとたちがいる一方で、すがすがしいほどの自然や健全さも存在している。めちゃめちゃ暑いにもかかわらず麻のジャケットを着込むような男たちに、なんだか途方もなく格好良さを感じてしまった。

享楽的なものとストイックさが共存していて、どこか破綻している時代だったのかもしれません。けれどもぼくはそこに眩暈がしそうな魅力を感じてしまう。映画のなかでも使われていたのだけれど、アプレゲール(après-guerre)という風潮なのでしょうか。Wikipediaからその言葉の解説を引用します。

日本でも第一次世界大戦後、大正デモクラシーの風潮の中、享楽的な都市文化が発達し、エロ・グロ・ナンセンスと呼ばれる風俗も見られたが、治安維持法の施行から昭和恐慌、第二次世界大戦へと至る流れの中で、こうした動きは徐々に圧殺されていった。日本で(アプレゲールを略して)「アプレ」という言葉が流行したのは、第二次世界大戦の後である。戦前の価値観・権威が完全に崩壊した時期であり、既存の道徳観が欠落した無軌道な若者が大量に出現し犯罪事件も頻発した。また徒党を組んで愚連隊を作り、治安を悪化させた。このような暗黒面も含めて、「アプレ」と呼ばれるようになった。

映画のなかでは、ベテランの佐藤刑事は蛙の鳴き声を聞きながら「アプレゲールじゃなくて、あきれげーるだ」などとシャレにしてしまうのですが。ともかく、戦後の混乱のなかでリュックを盗まれた苛立ちから時代を恨んで金を盗み人を殺す遊佐と、同じようにリュックを盗まれながらその社会を変えようと思って刑事になる村上が対比されています。

格差社会といっても現代は裕福であり、戦後の格差と歪みに比べたら甘っちょろいのではないか、とも思いました。このひりひりするような飢餓感とまっすぐな何かはあまり感じられない。

これは日本なのだろうか。いや、日本なのだけれど。アジアでもなく西洋でもない、戦後の日本ならではのパワーを感じました。とにかく夏の暑い日を描いていて、何度もタオルで汗を拭うシーンがあるほど暑いのだけれど、物語自体も熱かった。新人刑事である村上のストレートぶりも、それをしなやかにたしなめる佐藤の人徳も熱い。

だから、きっと日本は急成長できたのだな、とあらためて感じました。豊かないまという時代には、その泥臭さはありません。ピュアな気概もない。それが良い悪いという問題ではなくて、この映画に描かれている日本は現代とはまったく別の日本という気がしています。

映像としては、印象に残るうまいシーンがたくさんありました。たとえば、冒頭でぎょろ目で舌を垂らした犬と盗まれたピストルを探すために復員兵に変装して戦後の焼け跡の貧民のなかにもぐり込む村上の目つきの映像がオーヴァーラップしていくところ。ほかにも、病院でひとり取り残される踊り子ハルミの姿とか、やっと「狂犬」である犯人遊佐を逮捕したときに、カメラが遊佐の視線の映像に変わるところなど。

「その日はおそろしく暑かった」という冒頭の語り口にブンガク的なものも感じるのだけれど、台詞のぶっきらぼうな感じもいい。コルトがなければ別の拳銃でやったさ、というような佐藤刑事の語り口であるとか、「狂犬の目にまっすぐな道ばかり」という川柳を引用しながら、追い詰められた遊佐のチャンスを示唆するところなどなど。

そもそもこの映画を観ようと思ったきっかけは、先日読了した久石譲さんの「感動をつくれますか?」という本で、「映画と音楽の共存」としてこの作品のクライマックスシーンが絶賛されていたからでした。以下、引用します(P.81)。

このクライマックスのシーンに流れるのが、近くの家の奥さんが引いているピアノの音だ。ピアノ練習曲として名高いクーラウのソナチネだ。
片や刑事、片や殺人者となった二人は共に復員兵である。対立する立場でありながら、運命の差は紙一重のところにある。一方、戦後まもなくその時代に郊外に家を建て、ピアノがあるという状況は、ある種のブルジョワである。戦争によって運命の変転を余儀なくされた若ものたちと、平和で幸せな生活を安閑と享受している奥さんというもう一つの対比。その奥さんが弾いているというかたちでピアノ曲が流れることにより、若い刑事と犯人がともに戦争の犠牲者であることを観客に訴える。音楽を状況内のものとして自然に使いながら、重層的に現実を表現している。そこでアクション系の威勢のいい音楽を流して取っ組み合いを見せたら、あの深みは決して出せない。映画音楽のあるべき姿として、理想的だと思う。
映画音楽を状況の中で上手に使うと、このように映画そのものが深く、知的なものとなる。

引用していて唸ったのですが、音楽家でありながら久石譲さんの文章は切れ味がいい。的確です。ああ、なんだか自分の書いた感想が恥ずかしくなってきた。さらに恥ずかしいことに、クロサワ映画をはじめとして古典的な名作で観ていないものがたくさんあります。しかしものは考えようで、これからいくらでも観る楽しみがあるともいえて、なんだかしあわせな気もします。俄然、映画を観たくなってきました。

よい作品を観て、作品に負けないようなレビューをブログで書いてみたいものです。時代検証を含めて、この映画にはまだまだ語り尽くせない魅力があるように思います。たぶんたくさんのひとが、それについて語っていると思うのですが。3月2日鑑賞。

+++++

「野良犬」の最初の部分をYouTubeから。たぶんビデオテープからエンコードしたもので、最初のほうにあるトラッキングによるぶれが惜しい気がします。

■映画 野良犬001


以下のページには、あらすじとともに昔のパンフレットなども掲載されていて参考になりました。この「野良犬」の物語は実話に基づいたものであるとのこと。

http://homepage2.nifty.com/e-tedukuri/norainu.htm

投稿者: birdwing 日時: 23:58 | | トラックバック (0)

2008年2月17日

a000890

こわれゆく世界の中で

▼Cinema08-006:メロドラマなんだけど、泣けた。

B000RZEIECこわれゆく世界の中で [DVD]
ウォルトディズニースタジオホームエンターテイメント 2007-09-19

by G-Tools

いきなりエンディングロールの話なのですが、グロッケンというかビブラフォンのような音にファルセットの繊細なボイスがl聴こえてきて、思わず身を乗り出しました。これシガー・ロスではないですか。「Takk...」に収録されている「Sé lest」という楽曲とのこと。ぼんやりとフォーカスの合わないブルーの映像をバックに流れていて、じーんとしました。こんなところでシガー・ロスを聴けるとは思わなかった。映画のなかの映像ではないのですがYouTubeから。この曲です。

■Sigur Ros - Se Lest

物語のなかでも、ウィルと共に暮らしているリヴはスウェーデンの出身という設定で、アバ(懐かしい)の話などが出てきます。ちなみに映画全体としては、ガブリエル・ヤレドとアンダーワールドによるコラボレーションの音楽というのもいい。

シンプルに言ってしまうと、不倫の物語でしょうか。えーと実は涙腺弱めの自分は久し振りに映画で泣けてしまったのですが、冷静に落ち着いて考えると、これってよくあるメロドラマだよね、という印象もありました。しかし通俗的なストーリーを超えて、家族とは何か、人種とは何か、仕事とは、というような問いが浮かんでくるような気がします。

建築家のウィル(ジュード・ロウ)は都市再開発のようなプロジェクトに関わっていて、共同経営者のサンディとロンドンのキングス・クロスというところにオフィスを構えます。これがまた酷いところで、引っ越してすぐにパソコンなどを盗まれてしまう。悪いやつらがまだ10代の少年たちを使って盗ませているのだけれど、その少年を追いかけているうちに、ウィルは彼の母親であるアミラと愛し合うようになってしまう。彼女はボスニアの戦火から逃れてイギリスで生きていて、ずっと孤独だった・・・。

一方で、ウィルのパートナーであるリヴは鬱病で"人口太陽"で治療していて、バツイチでひとりの娘がいます。この娘は不眠症で自閉的で夜中の3時にバレエをやっていたり、家中の電池を集めたりしている。お互いに傷付いているのだけれど、近くにいるのに寄り添えない。無意識のうちに拒んでしまう。強がって距離が埋まらない切なさが痛い。

窃盗、不倫、裏切り、精神の病など、それこそ荒れ果てた暗いトーンで物語は進行していくのだけれど、さまざまなものを失ったあとでちょっとしあわせになれる。本音で傷付けあったりするけれど、最後には重なり合う気持ちがあり、それがなんとなくあたたかい。全部壊してしまったあとで、最初から作り直すことができそうな希望を感じさせます。映像の技巧はわからないのですが、ピントを外してぼかした映像も温もりの感じられる心象風景にしっくり馴染む印象を受けました。

すべてを曝け出せること、壊してしまうことは、信頼がなければできないことかもしれません。2月17日鑑賞。

公式サイト
http://www.movies.co.jp/breakingandentering/

+++++

2月18日追記

シガー・ロスの「Sé lest」ですが、「こわれゆく世界の中で」と「シガー・ロス」で検索したどこかのサイトに「()」に収録されているということがあったのでそのまま記載していたのですが、実はぼくはまだ「()」を聴いたことがなかったのでした(恥)。しかしながら、本日、唯一持っている「Takk...」を電車のなかでiPodで聴いていたら、この曲が!あれ?という感じで調べてみると、確かにこちらのアルバムに収録されている。なんだかなー。どこかで聴いたことがある、と思ったのですが、どうりで聴いたことがあるわけだ。最近、誤字・脱字も以前よりもずいぶん多いのですが、確認しないで掲載するのもダメですね。反省。修正いたしました。

投稿者: birdwing 日時: 23:43 | | トラックバック (0)

2008年2月 9日

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街のあかり

▼Cinema08-006:静かに耐える、負け犬のかなしみ。

街のあかり街のあかり
ヤンネ・フーティアイネン.マリア・ヤンヴェンヘルミ.イルッカ・コイヴラ アキ・カウリスマキ


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たとえば、かなしいとき。大声で泣き喚くようなひとよりも、静かに黙って肩を震わせているようなひとに惹かれます。あるいはいつも静かに笑っているひとが号泣するような場面もいい。強がりが好きなんでしょうか。映画のなかに癒しを求めているのかもしれない。そんなわけで派手なアクション映画も好きだけれど、淡々と静かなシーンが続く単館ものの映画も好みだったりします。

「街のあかり」は、孤独で暗い警備員コイスティネンが主人公です。彼は友人からも飲みに誘ってもらえずに、けれどもひそかに実現することのない起業を考えて休日は学校に通っている。そんな彼が、ある日カフェで美しい女性から声をかけられるのだけれど、実は彼女は強盗の手先で・・・という物語。

台詞はほんとうに少なくて、静かに物語が流れていきます。さびしさがひりひりと伝わってくる。夜勤明けに彼が立ち寄るホットドック屋の女性アイラがひそかに彼に想いを寄せているのだけれど、それに気づかないコイスティネンがまたさびしい。

ふたりの間にも会話はひとことふたことしかなくて、さらに表情すら変わらないのだけれど、お互いの気持ちが伝わってきます。「今日は遅いのね」というアイラに対して、「デートしてきた」のような自慢をするコイスティネンに対して、「もう締めるから帰って」のような短く返すシーンに、さまざまな想いが錯綜していて、うまいなと思いました。

この映画のアキ・カウリスマキ監督は、フィンランドの監督です。ぼくが彼の作品を最初に観たのは「レニングラード・カウボーイズ・ゴー・アメリカ」なのですが、変な間合いのある映画を撮るひとだな、のような印象があった気がしました。最近では「過去のない男」を観たことがあり、これもしんみりと心に染みるような作品でした。

この「街のあかり」に関していえば、鑑賞後にいまひとつすっきりとしないものも感じました(ストーリーが比較的想像しやすいというか、よくあるパターンだったので)。それでも、強くなれない男、運命からも能力からも見放されていて、強者の策略に翻弄されるコイスティネンの焼け付くような孤独とともに、そんな彼を慕うひとがいること、そして何よりもぼろぼろになりながらそれでも生きることをやめない彼の逞しさのようなものに打たれました。

物語よりも、うつろな登場人物の表情が強く印象に残る映画でもあります。全体を通してさびしい映画ではあるのですが、どこかあたたかさも感じられる作品です。2月9日鑑賞。

■公式サイト
http://www.machino-akari.com/

投稿者: birdwing 日時: 22:18 | | トラックバック (0)

2008年2月 4日

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ゴーストライダー

▼Cinema08-005:仮面ライダーの原型のような。

ゴーストライダーTM デラックス・コレクターズ・エディション エクステンデッド版(2枚組)ゴーストライダーTM デラックス・コレクターズ・エディション エクステンデッド版(2枚組)
ニコラス・ケイジ.エヴァ・メンデス.ピーター・フォンダ マーク・スティーヴン・ジョンソン


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うちの子供たちはウルトラマン好きなので、最近では仮面ライダーとか戦隊ものはいまひとつ観なくなってしまったけれど、長男くんがちいさな頃には555(ファイズ)や龍騎はよく観たものでした。

仮面ライダーシリーズで言うと、ドラマとして面白いのはアギトではないかと思うのだけれど、次第に仮面ライダーもエスカレートしてきて、乗り物がバイクじゃなくなってしまっている。ひとつ前の電王の場合、電車のなかにバイクがあって、電車をバイクで操るという強引なオペレーションになっていて思わず苦笑でした。子供たちには電車は人気アイテムのひとつであり、それを取り込むのは画期的ではあるのだけれど、ライダーじゃないよねこれは、という感じ。

とはいえ、やはり初代のライダーの人造人間としてカラダを改造されつつ悪と戦う、というような影のある人物設定がやはり魅力的だと思うんですよね。

そんなことを考えつつ観たのが、ゴーストライダーでした。ジョニー(ニコラス・ケイジ)は悪魔と契約することによって癌におかされた父親を救うのですが、そのために悪魔同士の戦いに巻き込まれる。この悪魔が「イージー・ライダー」のピーター・フォンダだったりするところが、なかなかのキャスティングだったりします。そして悪魔に魂を売ることで恋人(エヴァ・メンデス)と別れるのですが、30歳になったときに命知らずのスタントマンである彼は、彼を取材するアナウンサーとして彼女と出会う。そして彼女も悪魔の戦いに巻き込まれていく・・・というお話。

ニコラス・ケイジって、愛嬌があっていいですね。ゴーストライダーに変身する自分に戸惑いをかくせずに、鏡をみて困惑するシーンなどが面白かった。しかしながら、よくあることですが、若い時期のふたりと年をとってからのふたりは、ちょっと無理があるような気がしました。

ほんとうの自分を隠して変身する、というのはスパイダーマンにしてもバットマンにしてもアメリカンコミックの王道であり、この映画もそんなヒーロー像を踏襲しているものとえいます。正義にあふれた存在でありながら、恋人や現実の自分との狭間で揺れる気持ちを描いていて、気持ちいい。もちろんこれをステレオタイプだとか、ありきたりだと言ってしまうのは簡単なのですが、ときとして、そんな「ああ、やっぱりこのパターンだよね」という映画も観たくなるものです。安心して楽しめるエンターテイメントといえます。

時代に合わせて複雑化した仮面ライダーも、そんなシンプルなストーリーに戻ってもいいんじゃないかと思いました。いちばん新しい仮面ライダーキバはどうなんでしょう。あまり観ていないのですが。ライダーを観てバイクに乗ることに憧れた少年も多かったと思うので、そんな作品であってほしいです。映画の感想ではなくなってしまいましたが、ライダーつながり、ということで。
2月3日鑑賞。

投稿者: birdwing 日時: 23:37 | | トラックバック (0)