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2009年3月29日

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水の中のつぼみ

▼cinema09-09:少女たちの残酷な青春、透明な痛み。

B001IKYRCI水の中のつぼみ [DVD]
セリーヌ・シアマ
ポニーキャニオン 2009-02-04

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男であるところのぼくにはよくわからないのだけれど、たとえば手をつなぐ仲のよい女の子ふたり。ティーンもしくはそれ以上の年齢であっても無邪気に手をつなぐ彼女たちの意識は、いったいぜんたいどういう構造になっているのだろう。

男の友達とはめったに手をつなぎませんが、オンナノコどうしが手をつないで楽しそうに語らう風景は、かなり頻繁にみられます。嫌いではないし、むしろ微笑ましい。しかし、友達であると同時に、わずかばかり擬似的に恋愛のエッセンスも入っているような印象があります。実際のところは男の邪推かもしれない。身体的な接触も含めてコミュニケーションであると考える女性には、たいしたことではないのかもしれないですね。

構造から理解しようとする男性的なアプローチ自体が間違っているような気がしますが、そこには何か女性特有の甘ったるい感情があるような気がします。感情ではないかな、匂い、のような何か。女の子どうしの友情は、まったく男の友情とは異質の感覚でとらえるべきではないか。ぼくの妄想だけなのかもしれないけれど、そんな風に考えています。

思春期の女の子たちの甘酸っぱい(ということば自体がこっぱずかしい)友情と裏切りと、性へのあこがれや生きることの悩みを描いた映画としては、ソフィア・コッポラ監督の「ヴァージン・スーサイズ」が記憶に残っています。パーティーがあけた朝の気だるさを感じさせるような、一種の女性特有のフェロモンのような"いい匂いがする"映画でした。けれども行き場のない袋小路のような暗さも感じました。ハレーションを起こすような明るい風景だからこそ、何もみえなくなる。明るさがゆえに盲目になる感じ。

邦画でいうと、男性の監督ですが、岩井俊二監督が似たような匂いを醸し出すアーティストだと思います。たとえば、「花とアリス」のような作品でしょうか。友情と恋愛のどちらをとるか、ということが切ない透明さで描かれています。好きな監督のひとりですが、「リリィ・シュシュのすべて」は、ひりひりするような青春のきらめきと残酷さを描いた映画でした。青空と草原の映像もきれいで、思わずDVD買ってしまった作品です。

青春には(という、ことばもまた穴があったら入りたいぐらい恥ずかしいけれど)、純粋さと同時に純粋であるがための残酷さがともなう。そうして、残酷であるがゆえに、出口のない苦悩のなかに閉じ込められていきます。

「水の中のつぼみ」も、思春期まっただなかの15歳の女の子たちの痛い友情と残酷さを描いた、とても切ない映画でした。

シンクロナイズドスイミングのクラブに入っている不細工な友達を応援にきたマリーは、そこで美しい上級生の少女フロリアーヌに恋をします。彼女を追いかけてプールに通ううちに親しくなっていくのですが、最初はフロリアーヌが彼氏と会うためのアリバイづくりに利用されたりもする。けれども悪い噂のある彼女のほんとうの姿がわかって、マリーはさらに親しく焦がれるようになります。

大好きな男の子とセックスをしたいのだけれど、やりたいと思っていながら処女であるがゆえに勇気が出ない美少女のフロリアーヌは、行きずりの知らない男とやって処女を喪失してしまおうとするのだけれど・・・。一方でフロリアーヌに拒まれた彼氏は・・・、さらに処女を捨てきれずに彼女がマリーに頼んだことは・・・のような、青春って間違えた方向に全力で突っ走ってしまうことがあるんだよね(ためいき)という甘ったるいやるせなさを感じました。

また、マリーの不細工な友達が悲痛で、太っているコンプレックスから、ちいさめのジーンズを履いて歩き方が変になっていたり、恋している男の子の家の庭にブラジャーを埋めてみたり。純粋であるのだけれど、これもまた痛すぎる。他にもあるのですが、痛くて書けません。

フランスのリセというのでしょうか、そんな少女たちを描いた映画ですが、マリーの華奢な身体がぼくには性的な何かをぜんぜん想起させなくて、エロティックな感じはありませんでした。ただただ、ひたすら痛かった。

ぼくは女性ではないし、青春時代などは遥かな昔に通り過ぎてしまって、懐かしさを感じるばかりです。けれども、この映画は、春がすみの向こうに遠い時代の名残を感じさせるような、ノスタルジックな時間を再現してくれました。なんというか、お尻がもぞもぞするような居心地の悪さを感じつつ、こういうのもありかもしれないな、と思う作品でした。2月28日観賞。

■Naissance Des Pieuvres / Water Lilies (2007) - Movie Trailer

投稿者: birdwing 日時: 23:49 | | トラックバック (0)

2009年3月12日

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ベロニカは死ぬことにした

▼cinema09-08:狂気の群像に潜む、正常で青い透明な何か。

B000H5TZJUベロニカは死ぬことにした [DVD]
パウロ・コエーリョ
角川ヘラルド映画 2006-09-22

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ラテンアメリカの小説家パウロ・コエーリョ原作の邦画です。彼の作品は「11分間」を読んだことがありますが、この「ベロニカは死ぬことにした」は読んでいません。したがって原作のイメージが忠実に再現されているかどうかはわからないのだけれど、主人公の名前もベロニカではなく日本人の名前であるトワなので、まったく違う物語として考えてもよいかもしれないですね。いつか小説も読んでみましょう。

国立図書館で殺伐としたデータ入力の仕事に携わる28歳のトワ(真木よう子さん)は、「何でもあるけど何にもない」生活に嫌気がさして自殺をはかります。ホテルで睡眠薬の錠剤を机に並べて、一粒ずつ口に入れながら、大嫌いな自分へ、とだけ書いた手紙をボトルに詰めて窓から投げる。ここまでのシーンが、こころに痛い。せつない場面です。アンドレア・モリコーネの音楽も耳に残りました。「ニュー・シネマ・パラダイス」を思い出しました。

自殺したはずだったのに、目覚めてみると、トワは精神を病んだひとたちのサナトリウム(診療所)に入れられています。拘束されて暗いベッドの上で眠っている。死ぬことができなかった失意に彼女は苛立って暴れます。しかし、その環境から逃れられない。

それにしても、片桐はいりさんの看護婦は怖すぎ。暗い病室で高笑いするところなどは、背筋が凍りました。凄い女優さんですよね、ある意味。

精神病の病院というものに行ったことがないのだけれど、こんな感じなのでしょうか。たくさんの患者と、医師と看護婦がいるのだけれど、どちらが正常なのかわからない。狂気あるいは精神疾病は、どこまでが正常でどこからが狂気なのか、境界が曖昧なものなのかもしれません。だから映画のなかでは、医師も患者も関係なく、境界の周辺にいるひとたちがサナトリウムに集っているようにみえる。

医師も看護婦も、どちらかというと患者と仲良く共生している。患者に支えられているようなところさえあります。なかにはリストカットばかりしていた過去をもち、アルコールに溺れている看護婦もいる。暗い過去を生きているのに彼女はどこか楽しげであり、その楽しげな笑いが狂気にもみえる。サナトリウムの空気には常に緊張があって、何かのきっかけでぐらぐらと揺れて感情の端から端へと跳んでしまう。患者全体に雰囲気の跳躍が伝播していく。とても危うい。

そうした繊細な脆い群像のなかで、トワだけは、正常であるかのようにみえます。睡眠薬が心臓に負荷をかけたため、あと1週間しか生きられないと告げられ、はじめは抵抗をしますが、そのうちにサナトリウムのひとたちと静かに打ち解けていきます。

彼女と同室の病室である患者サチ(中嶋朋子さん)もせつなかった。15歳のときに大好きになった男性に捨てられて、以後たくさんの男性と関係を持ち、結婚して2人子供をもうけるのだけれど、やはり大好きな男性のことが忘れられずに言葉が出なくなってしまう。そんなサチは、催眠によって身体から抜け出して空を浮遊することに楽しみを見出しています。

何かの本で読んだのだけれど、女性は、思春期のある段階で自分を途方もなく嫌悪する時期があるとのこと。それが原因でこころを病んでいくケースが多く、自分を赦せないあまりに闇のなかへ入り込む。そのきっかけは、とても些細な躓きです。トワもまた同様でした。母親から期待されてピアノの練習をさせられていたのだけれど、発表会の日に途中で弾けなくなり、その日から壊れてしまった、と語ります。それ以降、彼女は自己を全否定しながら28年間を生きてきました。

28歳という年齢についてトワは、もっと若いころには何かを選択するのは早すぎると思っていた、けれどもその年齢になって変わるには遅すぎたと思った、ということを医師に淡々と語ります。この言葉がみょうに記憶に残りました。ぼくにもわかる気がしました。

この映画のなかでは、多くの男性の狂気が外部に向かうのに対して、女性の狂気は深く内面に向かっている印象があります。どちらかというと女性の狂気について緻密に描かれていて、男性としてはトワに想いを寄せる統合失語症のクロード(イ・ワン)ぐらいのものです。絵画の世界に閉じこもって理想の女性を描きつづけるクロードは、彼が描く絵のように静かなブルーという印象の青年です。話はできないけれど、トワと同様に正常な人間のように思える。

自分を嫌うのではなくて、自分を好きになろう、ほんとうに満たされた人生、満たされたセックスをしよう、ということで、トワはある夜、ピアノのある部屋で裸になり、クロードに自分を慰めているところをみせます。

真木よう子さんの肢体(見事なおっぱいだ)に圧倒されましたが、あまりいやらしさはない。というより、静かに微笑んで遠くからトワの自慰を眺めているクロードに、やっぱり正常じゃないのかも、と思いました。ただ、愛するひとが自分の感じる場所を指で弄んで悦びを究めている姿は、自分にとっても悦びをもって見守ることができるのかもしれないな、と思ってしまったぼくもまた、どこか狂っているのかもしれません。

全体的に月光のようなブルーの色調で覆われた印象のある映像で、特にぼくは音楽がよかったと思いました。耳に残る調べでした。ただ、とても混乱する映画であると思うし、うーむ?という解せない感じは残ります。終わり方も納得できない。こういう風に解消してしまってよいのか、という疑問があります。なので、あまりおすすめの映画とはいえません。3月10日観賞。

投稿者: birdwing 日時: 01:19 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年3月10日

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ノイズ

▼cinema09-07:ノイズを撲滅する正義、でも作品は・・・。

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ぼくらは音に囲まれて生活しています。生活のなかにある音には、心地よい音がある一方で不快な音もたくさんあります。犯罪の発生を知らせるサイレン、ばかでかい音をがなりたてる選挙活動のアナウンス、ドリルがアスファルトを砕く工事中の音など。

ノイズの多くは、人工的に作り出された音です。技術や文化が新たな音を生み出すことがあり、そうした音のなかには、身体に馴染まない音もすくなくない。自然にもカミナリの音や地響きのような不快や不安を生じさせるノイズもありますが、自然のノイズはなぜか耳にやさしい(と、ぼくは感じる)。

シンセサイザーのような電子楽器が作り出した音にも、身体に馴染まない種類の音があります。耳にしっくり馴染まない音はノイズに近い。たとえば音声合成のVocaloidはすっかりブームになりましたが、MEIKOを使っていたとき、技術の可能性を感じつつ、なんか違うなという違和感を確かに感じていました。合成された音のなかにはノイズ的な不快感があります。だからといって、生楽器の至上主義は掲げませんけどね。生楽器だって、弾き方によってはとんでもないノイズになる。

アスペルガー症候群関連の本を読んでいたとき、自閉的な傾向のあるひとは掃除機の音を異様に嫌がる、ということが書かれていて、そうなのか、と思いました。ふつうのひとにとっては、騒々しくても掃除機の音が耐えられないことはない。しかし、しゅいーんというモーターの音や、がーがーとごみを吸い込む音がほんとうに駄目なのだそうです。掃除機から逃げてまわるとか。

騒音に苛立ったり気分を害したりすることがあります。独身最後の時期、ひとり暮らしをしていたぼくは線路に近い場所にアパートを借りていました。始発から最終までの時間、つまるところ深夜以外は、いつも電車の音が振動とともに聞こえているわけです。慣れると思ったけれど駄目でしたね。キンモクセイのたくさん咲く庭があったので癒されたのだけれど、休日もなんだか電車の音で落ちつかなかった。静けさというのは大事だと思いました。

と、ノイズに関する断片をまとめきれずに、無駄に長い前書きをしましたが、そんな関心のもとにタイトルで借りてしまったDVDが、ティム・ロビンス主演の「ノイズ」です。

クルマの盗難防止の警告音に不快感を感じる主人公デビッド(ティム・ロビンス)が、キレて警告音の止まらないクルマを破壊しまくるあげくに、自ら救世主と名乗って街に存在するノイズを撲滅する活動にのめり込んでいきます。どこかバットマンなどのヒーローに重ね合わせられないこともない。けれども、どれだけうるさくて周囲を不快にさせる諸悪の根源とはいえ、正義の名のもとに勝手にひとさまの自動車を破壊したら犯罪者です。だから彼も牢屋に入れられてしまう。

ぼくらも電車のなかで隣りのひとのウォークマンがしゃかしゃかうるさかったとしても、舌打ちして我慢しますよね。よほどのことがなければ、ボリュームを下げてくれませんか、と進言できない。最近では、余計なことを言うと刺されてしまったりすることもあります。だから、うるさくない場所に自分が移動するとか、逆に自分のiPodを聴いて音に引き篭もるとか、受動的な解消をはかる。ものごとを荒立てずに回避しようとする。

しかし、この映画のなかで主人公は主張します。騒音は暴力だ、どうして黙って耐えなければならないんだ、行動を起こすべきではないか、と。一方でチェロが趣味の彼の妻は、窓を閉めればいいじゃない、あなたは犯罪者になってわたしたちの家族を壊すつもりなの、子供にも悪い影響が出ているのよ、と理性的に彼をなじります。そうして騒音に対する苛立ちから解放されずに拘りつづける彼を見捨てて、妻と子は別居してしまう。

ひとりになった彼は多少落ち込んだものの、バットマン的な騒音撲滅活動に目覚めていくわけですが、そんな過程でひとりの若くて美しい女性記者に出会う。彼女は、ひとりで正義のヒーローを気取ってクルマを破壊しまくっていた幼稚な彼の行為を政治的な活動に変えていきます。つまり、署名を募って自動車の警告音を廃止する条例を作る活動に変えていく。

騒音のなかでヘーゲルを読んでいる彼が本を破いてしまう場面もあったのですが、脚本家の趣味なのか、どこか哲学的な示唆がふんだんにありました。そもそも個人の正義を発端として、社会全体の制度に変えていく経験が描かれているところが、どこかヘーゲル的です。また、彼が何を求めているのか、という問いに対して正義や公正さというよりも「美しさ」であるなどという会話が出てくるところも非常に哲学的でした。そのあと署名運動に参加した女性と寝て、ベッドの上で裸の彼女が脚を開きながら、私は美しくありたいのだけれどあそこがグロいから幻滅する、などという会話には困惑したのだけれど。

クルマを破壊していた彼の活動が社会的になっていき、6万人もの署名が集まるにつれて、市長は彼の活動を苦々しく思うようになり、政治的な圧力をかけていきます。せっかくの署名が無になってしまいそうになったとき、彼は・・・。

テーマは面白いと思いました。また、妻とのぎりぎりのやり取りはもっと切なく描ける気がしたのですが、なんとなく陳腐です。そもそも最初のシーンで、カメラ目線で騒音についての見解を語らせたり、選択しなかったもうひとつの現実について画面を分割して表現するところが、観ていて興ざめな印象です。全体的には、いまひとつか、いまふたつ。惜しい映画(ドラマ)だと思いました。3月8日観賞。


■トレイラー


投稿者: birdwing 日時: 23:58 | | トラックバック (0)

2009年3月 8日

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きまぐれロボット

▼cinema09-06:コミカルな未来、のようなリアル。

B001MTTCJIきまぐれロボットDVD+CD(SOUNDTRACK by コーネリアス)
きまぐれロボット DVD+(オリジナル・サウンドトラック byコーネリアス, 浅野忠信, 香里奈, 逢坂じゅん
ワーナーミュージック・ジャパン 2009-02-25

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星新一さんのショート・ショートをショートフィルム化。うまい組み合わせです。もともとは携帯電話に配信されていた映画とのこと。携帯電話で映画を観る経験のないぼくには想像できなかったのですが、モバイルのヘビーユーザーにとっては、いまやふつうのことなのだろうか。これなら観てみたいと思いました。通勤時間に1本楽しむ感覚かもしれません。おんぼろのP902iをいまだに使っているけれど、携帯電話を最新の機種に換えようかな。

テンポのいい40分のムービーです。面白かった!随所で、うわはは!のような感じでウケた。声を出して笑いました。中野裕之監督の「SF サムライ・フィクション(DVD買ってしまった)」や石井聰亙監督の「 エレクトリック・ドラゴン 80000V (浅野忠信さんが出ている)」を観賞したときにも思ったのですが、邦画では音楽のプロモーションビデオに似た映像表現で、あえてモノクロの映画が好みです。ローテクなのかハイテクなのかわからず、新しい技術と古い文化が混在している感覚がいい。

主人公エヌ氏(浅野忠信さん)は、新聞小説(!)の作家であり、日々原稿に追われています。母(夏木マリさん)がサポートしていたのですが、突然死してしまう。そこで、朝食を作ったり生活の瑣末なことを任せられるロボットを探して工場を訪れます。この工場が日本の下町に多い旋盤工場のようなたたずまいであり、けれども全部自動でロボットが生産されている。21世紀ってそんなものだろうな、と妙にリアルでした。

彼が雇ったロボット「ジロウ」は、身体がずんぐりしていてかわいい。何か言われると音声で対応するのではなく、口からでっかいレシートのようなもので返事を吐き出します。そこには、ドットのばかでかい文字で「ハイ。」とか書いてある。

しかし、「もっと早く走れないかなー」とエヌ氏に苛立っていわれると、ジェット機にトランスフォームするほど高度な機能をもっています。かと思うと、修理にきた助手(香里菜さん)が後ろから叩いて取っ手をあけると、操作パネルには、「きまぐれ」と「すなお」というつまみしかない。それも古いボリュームコントロールのようなつまみです。すっとぼけた細部の設定が楽しめました。

エヌ氏は、ロボットに家事をさせながら鉛筆を削って原稿用紙に書いています。PCをかたかた打つのではないんですね。そういえば自分も少年の頃には、専用のナイフを親から渡されて鉛筆を削っていたっけ。それが親の教育だったようですが、鉛筆を削るのは得意でした。小説のアイディアに詰まると、エヌ氏はお尻を叩いて発想のひらめきを得ようとします。そんなコミカルな作家を淡々と演じている浅野忠信さんの演技が楽しい。好きな俳優さんなのですが、これは適役だな、と思いました。

星新一さんのショート・ショートは、卒業した学校のような懐かしさがあります。確かはじめての彼のショート・ショートに触れたのは、小学校に入学したばかりのときに教科書に掲載されていた、モグラのロボットの話(タイトルを失念しました)だったかと思います。荒地に花を咲かせるロボットなのだけれど、研究所が封鎖されてしまっても、けなげに働きつづけていて、研究所のあった島を花でいっぱいにしていた・・・のような物語でした。星新一さんの監修のもとに、「SFショートショート・ランド」というような雑誌もあったかと思うのですが、恥ずかしながら10代の頃、その雑誌に常時開設されていたコンテストに応募して佳作になったこともあったっけ。

ロボットが暴走したときに、「きまぐれになるように設定しておいたんですよ」と博士は笑って告げるのですが、すねたり怒ったり、ときには仕事をボイコットすることもあるからロボットはとても人間らしい。さらっと言ってしまうけれど、技術的には、このきまぐれ(ファジー)の実現こそが、難しいテーマではないのでしょうか。

原稿を頑張って書いているエヌ氏に、そっと手書きの応援の手紙を差し入れるジロウにあたたかいものを感じましたが、彼を生真面目に動くように修正すると、「死にたいよ」とこぼした言葉を額面通り受け取って、「みなまで言うな」とエヌ氏をドリルで刺し殺そうとする。言葉をすなおに受け取るあまりにコミュニケーション不能に陥った壊れたロボットに恐怖を感じました。

ものすごい制作費をかけたエンターテイメントの大作もいいけれど、インディーズな雰囲気が漂うショートフィルムも楽しいですね。ちなみに音楽はコーネリアス。小山田圭吾さんの曲とのマッチングもよかったと思います。シリーズ化してくれるとうれしいのですが、なかなか難しいのかもしれないなあ。短いとはいえ、完成された脚本や映像の演出のためには、かなりの手がかかっていると思うので。

オチはなるほどね、という感じです。映画ならではの含みがあって、観ているものを和ませる終わりかたです。小説の場合には、こういう終わり方はできないかもしれません。3月8日観賞。

■メイキング

投稿者: birdwing 日時: 11:49 | | トラックバック (0)

2009年2月11日

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アメリカン・ギャングスター

▼cinema09-05:ビジネス感覚のギャング、信念を貫くふたり。

B0019R0XICアメリカン・ギャングスター [DVD]
デンゼル・ワシントン, ラッセル・クロウ, キウェテル・イジョフォー, キューバ・グッディングJr, リドリー・スコット
ジェネオン エンタテインメント 2008-08-27

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ときどきギャングあるいはマフィアの映画を観たくなります。ゴッド・ファーザーがいちばん有名かもしれないのですが、セピア色の風景、イタリア製のスーツで身を包んで帽子を目深に被った様相、蒸気の噴出している冬の路上、倉庫のなかの薄暗い光景など、そんなシーンに憧憬がある。掟をやぶった人間や使えない部下を冷淡に処理する非情なギャングに触れたくなることがあります。

「アメリカン・ギャングスター」は、1970年代のアメリカ、パンピーという名のボスのもとで働いていたフランク・ルーカス(デンゼル・ワシントン)が、彼の死後、パンピー流のギャング哲学で麻薬をさばいて成り上がっていく過程と、その悪に立ち向かうリッチー・ロバーツ(ラッセル・クロウ)との対決を描いた物語です。フランク・ルーカスは実在した人物だとか。

まず思ったのは、麻薬という商材だから違法だけれど、フランク・ルーカスはビジネスとしての才能に優れているということでした。水で薄められて純度の低い麻薬を扱うのではなく、仲介者を通さずに直接ベトナムの農場と交渉して、純度100%の麻薬を密輸する契約を結びます。商社マンとしての才能がある。さらにそれを現地にいる兵士に管理させ、軍の飛行機でアメリカに運ぶ。そうして、ブルーマジックというブランドのもとに、純度の低い麻薬の半値で売りさばきます。

仕入れから流通まで、そしてブランディングから価格戦略まで、見事にマーケティングがされている。違法の商材ではなければ、ビジネスで成功していたはずです。しかしながら、ベトナム戦争下の混乱という社会の文脈があったからこそ、成立したビジネスかもしれません。

彼はきちんと日曜日には教会に通い、田舎からファミリーを召集していっしょに暮らします。ギャングとしての規律と、決して奢らない生活を、黒人でありながら実現していくわけです。そうして、警官さえも巻き込んだ大きな流れを作り出す。警官に賄賂を贈るのは当然だとして、張り込みをしている警察官に高価なシャンパンを贈ったりする。悪人とはいえども、かっこいい。

一方で、リッチー・ロバーツは操作中に麻薬に関する100万ドルを発見するのだけれど、それを着服せずに持ち帰る。汚職にまみれたポリスのなかでは、彼の行動は浮いてしまい、鼻つまみものとなります。けれども仕事がなくなった彼に、自分でチームを編成していいから麻薬撲滅に努めてくれという話を引き受ける。正義感に揺らぎがありません。こちらもかっこいい。

善悪という二項対立の図式でみることは容易いのですが、実は信念を守るという意味でフランク・ルーカスもリッチー・ロバーツも類似する。結末に向けての流れがよかった。

信念や信条のある人間はやはり強い。そうして守る場所や領域は違ったとしても、寡黙でありながら結果を出すひとたちの生き様に打たれました。監督はリドリー・スコット。派手さはありませんが、しっくりと落ち着いた映像がよかった(2月8日観賞)。

■YouTubeからトレイラー(日本版)

投稿者: birdwing 日時: 18:42 | | トラックバック (0)