▽cinema06-008:夕日はいまも同じ。
「ALWAYS 三丁目の夕日」という映画です。数えてみたら現在、細かい仕事が7本ぐらい進行中なのですが、たぶん来週頭にかけて忙しくなりそうなので、えいやーという気分で今日は午後半休にして、劇場でみました。今週で上映はおしまいだったので、行ってみようかという気にもなった。それから仕事関連でCGやVFXを担当している白組さんのお話も聞いていたので、ぜひこれは観ておいた方がよい、と。
ちなみにCGに関していうと(ぼくのDTMのVocaloidじゃないのですが)、やはりCGで作成したところは、どうしてもおや?という違和感があります。ものすごくうまくできています。事前にきいていなかったらCGとは思わなかったぐらいにすごい。でも、実写をどれだけシミュレーションしても、やっぱり現状の技術では、完全にリアルを再現することは難しいんでしょうね。しかしながら、そんなことはどうでもいい気がしました。まずは、何を描くか、ということだと思いました。現実ではない仮想の昭和33年と考えると、すんなりと入ってくる。だからちょっとぐらいおかしくてもいいんです。そういう意味でCGの表現力は、現実ではない現実を創り出すということから、ものすごいことになってきていると感じました。
昭和33年、ひとびとにはインターネットもパソコンもなかったけれども、豊かに楽しく暮らしていた。そして、熱かったんだと思います。小説家をめざしながら駄菓子屋を開く一方で少年向けの冒険小説の原稿なんかで食っている茶川(吉岡秀隆さん)。このキャラクターが秀逸でした。あと、怒りっぽい鈴木オートの主人を演じる堤真一さんもいい。茶川は、ヒロミ(小雪さん)から頼まれて、まったくの他人を自分の家に預かる。貧乏だけれども、実の父親よりもあったかい気持ちでその子供に接する。その子は、実は茶川の書く冒険小説の熱烈なファンだったりするわけです。自分でも、ノートに小説を書き溜めている。いいですねえ。そして、やっぱり小説家といえば万年筆ですよね。ぼくもほしかったなあ。
ものに溢れている21世紀ですが、ほんとうに大切なものは何か、ということを考えました。けれども、この映画のなかで描かれているような、家と家の隔たりがなく他人がプライベートに介入してくる昭和33年の風景は、ある意味、いまのインターネットの世界にも似ているんじゃないだろうか。結局ですね、あったかい人間の心のあり方というのは、リアルだろうとインターネットだろうと、変わらないような気がしました。インターネットではあるけれど、ブログなどのコミュニケーションのあり方は、十分に昭和33年的なアットホーム感があるのではないでしょうか。夕暮れに寄り添うようなあったかい気持ちは、いまも変わらない。ひょっとしたらあと50年後には、ブログについて、三丁目の夕日のようにノスタルジックに語られるようになるかもしれない。
とはいえ、ぼくはやはり劇場に行って映画を観るべきではないなあ、と痛感しました。最初から最後まで、涙流しっぱなしのおかしなひとになってしまうので。泣けました。いや、泣きました。そして、大切なものを取り戻したような気がしました。まだまだたくさん書きたいことはあるのですが、書いているといろんな過去の記憶をずるずる引き出してしまいそうです。そんな映画です。1月26日鑑賞。
*年間本100冊/映画100本プロジェクト進行中(9/100冊+8/100本)
投稿者: birdwing 日時: 00:00 | パーマリンク
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