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2006年3月12日

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真珠の耳飾りの少女

▽cinema06-023 :心まで描くということ。

B0001X9BLK真珠の耳飾りの少女 通常版 [DVD]
オリビア・ヘトリード
メディアファクトリー 2005-01-25

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画家フェルメールを描いた物語です。しかし、フェルメールの家に使用人として働くことになった貧しい少女を主人公として描かれています。最初のうちには、少女は彼の部屋の掃除をするだけだったのですが、アトリエの窓を掃除するときに「窓を拭くと光が変わってしまいますが」のようなことを言う。文字は読めなくても使用人の彼女には絵に対するセンスがあったようです。やがて、彼女は絵の具の調合などを任されるようになります。当時の絵の具は、薬品を調合して色を出していたと思うのですが、調合するシーンはアーティストというより科学者のように思えました。また、カメラ・オブスクラといって、たぶんピンホールカメラだと思うのですが、大きな箱にレンズが付けられたものを運び込んできて、少女にみせる。カメラで映し出された風景をみて「光の絵」という少女の台詞が印象的でした。雲の色は何色だ?ということをフェルメールから問われて、彼女が、白、黄色、灰色とさまざまな色を答えるシーンもよかった。やがて、使用人の少女をモデルにして、絵を描くようになります。けれどもそうすると彼の奥さんが嫉妬に狂う。さらに、子だくさんなフェルメールは生活のために絵で稼がなければならないのだけど、パトロンがスケベなおじさんで絵を描かせるからという理由で使用人の少女を狙っていたりもします。

コラボレーションというのは心のつながりがあってこそのものなので、画家とモデル/見る見られるという関係であっても、深い絆が生まれるものかもしれません。自分の絵を見せられて、「(画家は)心まで描くの?」と驚く使用人の少女の台詞もよかった。映画全体がまるで絵画のような色調でした。3月12日鑑賞。

公式サイト
http://www.gaga.ne.jp/pearl/

*年間本100冊/映画100本プロジェクト進行中(21/100冊+23/100本)

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インファナル・アフェア III 終極無間

▽cinema06-022:善とは何か。

B0009WWF3Oインファナル・アフェア III 終極無間 [DVD]
ポニーキャニオン 2005-09-21

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シリーズの3作目ですが、第1作と第2作を観たのがかなり前だったので、これはどういう設定だったっけかな、というのを理解するのにちょっと苦しみました。確か2作目ではトニー・レオンが出演していなかったので、さらに混乱した。香港マフィアと警察の戦いですが、マフィアのなかに潜入している警察官がいるとともに、警察のなかにも送り込まれているマフィアがいる。マフィアでありながら善の心を守ろうとする潜入警察官と、実はマフィアなんだけど警察のなかで葛藤に苦しむニセの警察官の対比がいいです。しかしながら、ほんとうにどっちがどっちだか、わからなくなってしまった。最後のシーンに辿りついて、ああそういえばそんなことあったよね、という感じでやっと思い出すことができました。ファンサービスというか、笑いのシーンなども盛り込まれているのですが、ぼくとしては1作目の無間道について毒々しいまでの解説からはじまる暗いイメージがよかったかなと思います。3月12日鑑賞。

公式サイト
http://www.infernal.jp/index_top.shtml

*年間本100冊/映画100本プロジェクト進行中(21/100冊+22/100本)

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2006年3月 5日

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笑の大学

▽cinema06-021:人間の深い描き方、しなやかな戦い方。

B0001M3XGU笑の大学 スペシャル・エディション [DVD]
三谷幸喜
東宝 2005-05-27

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戦時下の日本、喜劇作家の椿(稲垣吾郎さん)と検閲官向坂(役所広司さん)による対決の物語です。検閲官としては、戦争に向けて国民の意識を高揚させない脚本はボツにしようと考えるため、「お国のために」という言葉を入れてくれ、この部分は削れとか無理難題を言う。しかしながら、「笑の大学」という劇団のために脚本を書いている椿としては、早く脚本を完成させたい。最初のうちは、その構図が単純なかたちでみえているのでわかりやすいのだけれど、実はこう思っている、という心情の告白が出てくるあたりから、どんでん返し風に人間の心の深みに入っていくので面白い。感動しました。物語のなかで、「その場面で、警察官はそういう台詞を言うだろうか」のような感じで、検閲官である向坂は台詞の背後にある人間性まで考えようとするのですが、たとえ作られたものであっても、作品と誠実に向い合うということは、そうじゃなきゃと考えさせられました。

いままで笑ったことがない検閲官を最終的には80回以上も笑わせる脚本を書き上げるのだけれど、このふたりは検閲官と劇作家という関係を超えて、もはやコラボレーターのような関係になっている。つまり、共同して作品を創り上げているわけです。これは編集者と作家というような関係かもしれない。批判は何も生み出さないかもしれないけれど、批評としてほんとうに作品に向き合ったとき、ひとりの作者の力量を超えたものを生み出す可能性があります。

権力に真っ向から戦うような戦い方もあるかもしれないのですが、権力を受け入れつつ、ほんとうに面白い笑いを生み出そうとすることに集中する作家・椿の姿に共感しました。三谷幸喜さんのことは詳しく知らないのですが、もとは舞台で上演されていたものらしい。映画というよりは舞台的なのですが、人間の描き方という点では、三谷さんはやっぱりすごいな、と思いました。3月5日鑑賞。

*年間本100冊/映画100本プロジェクト進行中(20/100冊+21/100本)

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2006年2月19日

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ロング・エンゲージメント

▽cinema06-017:断片をつないでいく、パズル。

B002D4DHAQロング・エンゲージメント [DVD]
ワーナー・ホーム・ビデオ 2009-08-05

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じわりじわりと観た後に、懐かしいような、かなしいような、そんな気持ちが浮かんでくる映画でした。

第一次大戦のフランス、最前線で戦っている兵士のなかには戦いに耐えられなくて、みずから手を鉄砲で打ち抜いて帰国しようとするものがあった。しかし恩赦が出て助けられるものばかりでなく、軍法会議で処刑されてしまうものもいる。自分の手をふっとばして戦争から離脱しようとした5人がいるのですが、どうやって処刑されるかというと、敵であるドイツ軍と自国フランス軍のまんなかに放り出されるわけです。ひどいなあ、と思いました。その無防備な5人が敵機から攻撃されたり、爆弾で身体ごと吹き飛んだり、戦争シーンはものすごくリアルです。迫力がある。そして戦争後、5人のうち最も若い青年マネクの婚約者マチルド(オドレイ・トトゥ)が、戦死したマネクのことをまだ生きていると信じて、5人とそれに関わる人々の証言による断片をパズルのように組み合わせてマネクを探していく、という物語です。

この映画はジャン=ピエール・ジュネ監督ですが、有名な「アメリ」もパズルのように(ちぎれた写真を組み合わせるように)して、ひとを探していく、という探偵小説的な展開でした。この映画も5人を取り巻く人間関係や過去の出来事を推測していくハードボイルド的な楽しみがあります。いくつかのジンクスのようなものも出てくるのですが(もし7数える間に車掌が来るか電車がトンネルに入ればマネクは生きている、のような)、"MMM""あほうどり"のような謎のキーワードと合わせて、どうなるんだろう?という期待を持たせています。うまいと思いました。ぼくらは目の前にパズル的な何かを置かれると、どうしても推測して完成形を作りたくなる習性があるのかもしれません。

映画的な技術については詳しくないのですが、全体を貫いているセピアの色調と、上空から俯瞰する映像が印象的でした。アメリのジャン=ピエール・ジュネ監督らしいというか、おとぎ話的な雰囲気があります。それにしても戦争は嫌だ。2月19日鑑賞。

*年間本100冊/映画100本プロジェクト進行中(15/100冊+17/100本)

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お早よう

▽cinema06-018:コミュニティの在り方、無駄の必要性。

B000064OJPお早よう [VHS]
松竹 1983-08-16

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確か茂木健一郎さんの本のなかに「東京物語」と「お早よう」が引用されていた記憶があるのですが、いまその箇所をみつけられていません。とにかく、茂木さんの本を読んで、この映画を観ようと思いました。やはり人間の奥深い気持ちに迫るような、一首のざわざわ感があります。小津安二郎監督の映画は、やはりすごい。

文化住宅のご近所(お隣さん)としておつきあいしている主として3つの家族を中心に物語が進むのですが、笠智衆さんが演じるサラリーマンの家には小学生の息子が2人います。息子たちはテレビを欲しがって、母親と喧嘩をする。そこへ父親である笠智衆さんが帰ってきて、おまえは余計なことを言い過ぎる、というようなことを言って叱る。すると、その長男は、大人だって余計なことを言うじゃないか、おはようございます、いい天気ですね、あれは無駄じゃないか、ということを言って反抗するわけです。さらに父親が怒ると、じゃあもう何も喋らない、という風に子供もすねてしまう。けれども、学校でも近所のおばさんにも何もしゃべらないので、近所に住むおばさんたちが勝手に想像を膨らませて、その子の母親をスポイルしはじめる。

がらがらと戸を開けて、ねえ向かいの子おかしくありません?インテリな顔してるけど、あそこの奥さんひどいのよ、などと井戸端会議的に話がはじまるのですが、これはそのままインターネットの世界のコミュニティ論にも通用できるところがあるのではないでしょうか。誤解が誤解をよんだり、ウワサがあっという間に広がったり、人間のやることは基本的に変わらないんだな、という気がします。そういえばテレビが家に届いて話題になる、ということから「ALWAYS 三丁目の夕日」を思い出しました。

「一億総白痴化」という悪影響を及ぼす「無駄なこと」の象徴としてテレビがあるのですが、「おはよう」という「無駄なことも必要だ」として、間接的にテレビも擁護しているように思えます。確かに「いいお天気ですね」「髪型変えましたか?」などは無駄な言葉のようにみえることもありますが、その言葉が潤滑油になって日々が豊かにもなる。雑談が多すぎるのも困りますが、さりげない「無駄」は場の空気をやわらげることにもなります。

それにしても、昭和30年代初期のひとたちの生活は、かっこいい。服装などもおしゃれです。2月19日鑑賞。

*年間本100冊/映画100本プロジェクト進行中(15/100冊+18/100本)

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