そんな括り方。
桜が咲いて街のあちらこちらがぼんやりと霞む4月。はなやいでみえるのは桜のせいだけではなくて、新しいひとたちが東京に溢れているせいでもあります。
入社であるとか入学であるとか、新しい生活をスタートした新社会人や新大学生がどっと増えるのもこの月。満員電車に乗ることに慣れていなくて、どことなく混雑が余計に窮屈な状態になったりもするのですが、ゴールデンウィークが過ぎる頃には、その混雑も緩和するような気がします。都会の生活に慣れてきたのか、あるいは社会に疲れて引き篭もっちゃったひとが増えたのか(苦笑)。
サイモン&ガーファンクルに、「4月になれば彼女は」という名曲がありました。YouTubeからライブの映像です。
■Paul Simon & Art Garfunkel 1 - April Come She Will
出会いと別れを短い曲のなかに結晶化した、すばらしい曲ですね。ちょっと切ないのですが、まず歌詞がいい。メジャーコードとマイナーコードがくるくると変わるような曲にぼくは惹かれるのだけれど、コード進行もいいと思います。それから、3フィンガーのギターもいい。
出会いと別れを時間の流れにしたがって追っていくと物語ができあがる。名曲の歌詞を、非常に個人的な解釈から掌編小説化すると、次のような感じになるでしょうか。曲を物語に“翻訳”するという試みといえるかもしれません。勝手に物語化してすみません。クリエイティブ・コモンズのライセンスだったら許されるのかもしれませんが(苦笑)。
やさしい雨で小川の水が溢れる4月、きみはやってきたね。5月にはいっしょに過ごして、きみを抱いた。僕の腕のなかで眠った。でも、6月になると気が変わって眠れない夜を彷徨い歩いたっけ。そして7月。きみは飛び立ってしまったんだ。ひとことも行ってしまうなんてことを告げずに。
8月、僕のなかできみの記憶が消滅した。あんなに好きだった想いが消えてなくなった。凍えるように冷たい秋の風が、僕の心を吹き抜けていく。そして9月になれば、僕はまたきみのことを思い出す。かつて新しかった恋も、いまはもうずいぶん色褪せてしまったのだけれど。
「August, die she must」をどう解釈するか悩んだのですが、「8月に彼女は死んでしまうだろう」と直接的に解釈するのはいかがなものか、と。なんとなく村上春樹さんの「ノルウェイの森」のような世界観になります。なので、主人公のなかで彼女の存在が消滅する、としてみました。
また、きみ=彼女というように、実際のカップルを想定すると恋愛の物語になるのですが、夢とか希望のメタファ(暗喩)として捉えると、もう少し別の物語になる。追いかけていた夢を見失った青年の話として読み解くこともできます。入社のときに抱いていた仕事に対する夢を、8月には喪失してしまった、という。
さて、そんなブンガク的な方向から話をまったく別の方向へ転換するのですが、解釈という面から気になった記事をピックアップすると、新社会人の傾向のネーミングです。社会経済生産性本部の提言によると、今年の新入社員のタイプは「カーリング型」とか。以下、引用します。
■平成20年度・新入社員のタイプは「カーリング型」
http://activity.jpc-sed.or.jp/detail/lrw/activity000857.html
「カーリング型」
冬期オリンピックでおなじみになったカーリング、新入社員は磨けば光るとばかりに、育成の方向を定め、そっと背中を押し、ブラシでこすりつつ、周りは働きやすい環境作りに腐心する。しかし、少しでもブラシでこするのをやめると、減速したり、止まってしまったりしかねない。
また、売り手市場入社組だけに会社への帰属意識は低めで、磨きすぎると目標地点を越えてしまったり、はみだしてしまったりということもあるだろう。就職は楽勝だったかもしれないが、サブプライムローンの問題等の影響により経済の先行きは一気に不透明になった。これからも波乱万丈の試合展開が予想され、安心してはいられない。自分の将来は自分の努力で切り開いていくという、本人の意志(石)が大事になろう。
うーむ。うまい・・・といえるのかもしれないけれど、どうだろう。余計なお世話だ、という気もします(苦笑)。山野美容短期大学の名誉教授である森清さんを座長(座長って・・・)として、斉藤幸江さんのような就職・採用アナリストをメンバーに加えた4名の「職業のあり方研究会」で命名されているそうです。
だいたいこういうネーミングはわかりやすいので、すぐ流用して多用しはじめるおじさんなどが多いのですが、ぼくは全員を同じ傾向で括ってしまう姿勢が気に入らない。というよりも括ることによって、逆に現実自体をその方向へ変えてしまうこともあるのではないか。心理的に大衆を操作、とまでは言わないけれど。
というのは占いに近いものもあって、たぶんそういわれたら誰でも外れることはないと思うんですよね。新入社員ではないぼくだって、カーリング型っていわれたら、そうかな?と信じてしまう。ボーナスというゴールであるとか、評価という「ブラシ」がないと失速するわけで。
社会的にネーミングを面白がっているだけではなく、ではどうするのか、ということまで考えないと提言にならないような気もしました。もちろんこの提言のなかには、「自分の将来は自分の努力で切り開いていくという、本人の意志」が重要であるという言葉があるのだけれど。
しかしながら、時代の傾向を一語で切り取る視点の鋭さは見事です。そこには、メタファとして、前進するモチベーションの維持=カーリングというなぞらえ方も効いている。ひょっとしたらその背後には、膨大な意識調査であるとかヒアリングのデータがあって、最終的にこの一語にまとめられたのかもしれません。思考のあざやかさ、最終的にシンプルにわかりやすくまとめる仕事は見習いたい。
というわけで、ぼくはといえば、セルフカーリングでいきますかね。
自分に自分でご褒美を与えて、ゆるゆると自分を前進させていく。目的地がどこなのかわからないけれど(苦笑)、人生と言うのは全般的にカーリングのようなものかもしれない、などと乱暴に括ってみて収拾がつかなくなりました。やれやれ(と、村上春樹風に終わってみる)。
投稿者: birdwing 日時: 23:33 | パーマリンク | トラックバック (0)