テキストに溺れて。
ここ1ヶ月ばかり大量のテキストの海に溺れておりました。
関係ないのですが、溺れるといえば川上弘美さんに「溺レる」という短編集があります。この短編集、非常に好みです。個人的な印象ですが、文学的な雰囲気に浸ることができる。息苦しい何かを感じる。官能的、といってもいいのでしょうか。耽美的といってもよいのかもしれませんが。
溺レる (文春文庫) 川上 弘美 文藝春秋 2002-09 by G-Tools |
狂ったように川上弘美さんの本を読みまくっていた時期があり、作品どころか作家まで溺愛したこともあったのですが、いまは少し熱が引いた感じです。かつては電車の中吊り広告で川上弘美さんの写真をみると、引きちぎって帰りたい衝動に駆られたものの、いまでは遠くから昔の恋人を眺めるような気分な淡い気持ちでしょうか。スイッチ入っちゃうと熱くなってしまうからなあ、ぼくは。困ったものだ(困惑)。
と、いきなり出会い頭にいきなりぷいと脇道にそれた感じのエントリーですが(苦笑)、話を元に戻しましょう。
最近、メールやら何やら目を通すテキスト、そして返信するテキストの量が半端ではない生活を送ってきました。仕事では、ML(メーリングリスト)で細かな確認や指示を飛ばすのですが、これが長文になりつつあり、しかも一日に何通もテキストの応酬状態で、もちろんフラグを付けて管理などしているのですが、えーと、あれどうなってたっけ?というときにはGoogle Desktopを活用しまくりです。デスクトップに放り込んでおいたものをとにかく検索できることと、タイムラインで履歴を把握できるのがうれしい。
しかし、黙々とお仕事しているばかりではなく、電話はもちろん、お会いしてお話するミーティングの時間もあります。斜め後ろの席のひとには(もう彼はいなくなっちゃいましたが)
「馬鹿笑いしているけど、何の仕事してんの?」
と訝しがられるぐらいに楽しい(笑)。状況としては結構スケジュール厳しかったり難易度が高かったりするのですが、とにかくいまは仕事が楽しいですね。自分のやりたかった仕事だということもあるし、あらゆる仕事を自分で企画、管理することができるからかもしれません。
結局ですね、人生楽しんだものが勝ちかもしれない。主体的に。
しかめっつらして嫌々仕事やったりやらされたり、ここまやればいいだろうと割り切っても、よい仕事はできないのではないか。楽しんで仕事をしていると楽観的な考えも生まれます。リラックスすると脳内アドレナリン放出状態なので、とんでもない素敵なアイディアも出てくるものです。ビジネスなので、冷静に設計する必要もありますけどね。
で、そんなフェイス・トゥ・フェイスのコミュニケーションも交えながら、移動中といえばTwitterだったりgmailだったりして、家に帰れば家族が寝静まったあとはテキストコミュニケーション全開だったりする。まあ、全壊だったりすることもありますが(苦笑)。
こうしてテキストの海に溺れながら、ふと気づいたのですが。
そういえば、最近、ブログあんまり書いてない・・・
基本的に、はてなでブログを書いていた時代からハイパーグラフィアなわたくし(親しくさせていただいている方に真似されちゃったのですが、さらにその真似ということで。笑)ですが、コミュニケーション系のテキストに溺れるとブログ書く力もなくなっちゃうのでしょうか。
といっても、やはりブログにはコミュニケーションとは別の醍醐味があり、なんでしょう、瞬間的に消えていく言葉をとらえて、思考をカタチにしていく楽しさといえるかもしれません。どこか彫刻的な作業でもある。つまり、カタチのない塊を削ってカタチにしていく、というか。
ただし、記録系の短文ブログであればともかく、熟考しなければならないブログの場合、時間が必要になります。1時間か、2時間ぐらいは確保しなければならない。細切れの時間にメモを書きとめたりしているのですが、そのメモを料理するためには、まとまった時間が必要です。その時間がどうしても深夜になっていくのですが・・・。
と、なかなかの長文で書いてしまいましたが、ほんとうにいま書きたいことはもう少し壮大な何かだったりします。
日々の生活のなかで消えてしまいそうになるのだけれど、どこかで書きとめておきたい。その一方で、書かずにおこうと決めた想いもあります。どういうことかというと、書いてしまうと逆に陳腐になる。言葉にすることで削ぎ落としてしまう、欠落することが多いような何かです。書かずに何度も脳内で反芻したほうが深まっていく何か、というか。
というわけで、ますますテキストに溺れていくのですが、こんな生活も悪くない、と思っている自分はどうなのか(苦笑)。まあいいか。
投稿者: birdwing 日時: 00:00 | パーマリンク | トラックバック (0)