波にのるまで。
波があるとします。概念的な波なんですが(なんでしょうそれは)、わかりにくいので海の波を想像してください。
波に対して、常に固定した位置にあると、波が高くなったときには低い位置になり、波が低くなったときには自分は高い位置になります。したがって浮き沈みの変動が大きい。ところが波の上に浮いていれば、波が高いときには自分も高く、低いときには自分も低くなります。波に対して浮き沈みの変動は小さい。
数学的に説明したいのだけど、お恥ずかしいのですが、数学の知識がないので無理です。そこで文学的な解説を加えると、夏目漱石の「草枕」の冒頭で、「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」とありますが、住みにくいよのなかを住みやすくするには、うまく「波にのる」ことではないかと考えました。変化に対してしなやかに身を任せることが大事である、と。ある論文で触れられていますが、草枕に登場する女性が「那美さん」であることも、ある符号かもしれません。
IT業界としても、個人的にも、大きな変化の時代にあります。この変化に適応していくのは結構しんどいものですが、波を受けながらも、どこか心の片隅で波に持っていかれることを拒んだり恐れているから疲れるのかもしれません。あるいはちいさな波を拡大解釈して、おおきなアクションを起こす。けれども大きな波ではないから苛立つ。まだ乗るべき波ではなければ見過ごすのもひとつの手です。かといって、もう二度と来ないような波であれば、失ったチャンスは大きい。
絶対的なものさしがあれば、その波の大きさを測ることができそうですが、実は個々によってものさしの目盛りが違う。したがってぼくにとって大きな波であっても、誰かほかのひとには静かな波かもしれない。逆にぼくが見過ごしそうなところで、大きな波がまさに崩れそうになっているかもしれない。だから波にのるのはとても難しい。かつてインターネットでさまざまなサイトを見て歩くことを、ネットサーフィンと呼んでいたことがありましたが(遠い昔のようです)、さらにうまく波にのる技術が求められている気がします。
ところで、波、サーフィンといえば、ビーチボーイズを思い出します。暦で大雪を過ぎた時期にサーフィンの話題というのも思いっきり季節はずれですが、ビーチボーイズのメロディメイカーでありベーシストであったブライアン・ウィルソンは、実はサーフィンなんて大嫌いで、ベットルームに砂を持ち込んで砂遊びをしていた、ちょっと心が病んでいた、というようなエピソードも聞いた覚えがあります。自叙伝を読んで衝撃を受けたのはかなり前のことであり、うろ覚えなので正確ではありませんが、しかしそんな彼だからこそ、繊細なポップスを書くことができる。痛みを知っているからこそ透明で明るい曲を書ける。ビーチボーイズといえば「ペット・サウンズ」とタイムカプセルのようなアルバム「スマイル」が有名ですが、ぼくとしては1988年に発表されたブライアン・ウィルソンのソロアルバムに入っている「Melt Away」が名曲だと思います。世界に取り残された感じ、波に乗れなかった気持ちを痛いほどに感じさせてくれるガラスのようなポップスです。
さて、ぼくはといえば、もう少し波をみているつもりです。突堤の先端に腰掛けながら。
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■「草枕」とブライアン・ウィルソンのソロアルバム。ものすごーく個人的な印象ですが、こりすぎていて全部を読む(聞く)のはしんどい、一部だけならすごくいい表現があるんだけど、という点で似ている気がします。
草枕 (新潮文庫) 新潮社 1968-03 by G-Tools |
Brian Wilson Brian Wilson Warner Bros. 2000-09-11 by G-Tools |
投稿者: birdwing 日時: 00:00 | パーマリンク | トラックバック (0)