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2009年1月 1日

a001039

続ける・深める・拡げる年に。

あけましておめでとうございます。

東京の年のはじまりは、すばらしい青空でした。年末から晴れた日がつづいていたのですが、年があらたまったこともあって、見上げる空も少しだけ新しい。まずはデジタルカメラを頭上に向けて、正月の空を切り取っておきました。

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次男くんの自転車遊びに付き合ってあげながら近所を散歩したところ、空がめいっぱい見渡せるポイントをみつけたのが年始の大きな収穫です。電線や建物もあまりなく、頭上にぱあっと空が広がっている。この場所は、空マニアとしてぼくの定点観測のポイントになりそうです。

とはいえ東京で過ごす新年は、田舎の正月と比べて、いまひとつ正月的な何かが希薄です。近所を散歩していると初詣帰りのひとたちとすれ違うので、少々は正月らしさも感じられるのですが、どこかぴんと張り詰めた空気が感じられません。というよりも年々正月の新しさが消失していくような気がします。年を取ったせいでしょうか。薄味な正月にちょっと困惑。

正月であることを言い訳にして朝からビールでほろ酔い気分でしたが、ゆるみがちな気分を引き締めるべく、今年の抱負などをぼんやりと考えました。そして、次の方針でいこう、と決めました。

「続ける・深める・拡げる」

まず「続ける」。企業のCSRなどにおいてはサステナビリティ(sustainability:持続可能性)という言葉もあります。持続することは大変だけれど、だからこそ大事です。特に2009年、ビジネスの分野では金融危機の影響による100年に1度の不況といわれています。持続することが困難な事態も増えていくのではないでしょうか。

さまざまな環境の変化に負けて、くじけてしまうことも多いものです。覚悟を決めたことであっても、障害の前に諦めてしまう。もちろん諦めること、断念することが大事な局面もあります。けれども、できる限り継続していきたい。

とにかく、ブログは書きつづけようと思います。ただし、もちろん無理のないようにします。毎日書くことが理想ではあるのですが、回数よりも内容の持続性にこだわりたいと思っています。たとえば、音楽理論に関心がある、と書いたのであれば、年間を通じて1度のエントリで終わってしまうのではなく、何回か連続してそのことについて書きたいですね。

次に「深める」。そのときどきで関心のあるテーマにぱっと飛びついて、さっと忘れてしまうのがぼくの欠点であると反省しました。「続ける」とも関連しますが、浅く広く関心の赴くままに網を広げていると知識が深まっていきません。したがって、もう一歩踏み込んで思考を掘り下げたいと考えました。

趣味ではDTMや音楽、文学、映画のジャンルにおいて、作品の解釈を深めていきたい。一本の作品の背景には、さまざまなひとびとの関わりや、完成するまでの過程があります。どちらかといえば読者/リスナー/鑑賞者の立場から、面白かった、泣けた、つまらなくてアタマにきた・・・など、個人的な感情主体で結果中心のレビューや感想を書いてきたのですが、もう少し作り手の立場や作品をめぐるコンテキストにも注目しようと思っています。

たとえば映画の作品鑑賞の本数を重ねたなら、ある監督の全作品を俯瞰して、この作品の位置づけはここにある、などのように論じられるだろうし、アーティストが完成された既存の枠組みを破壊して行う創造的な挑戦についても気付くようになるかもしれません。ネットで調べられる範囲で深めていくつもりですが、そんなことに留意したいですね。

アスペルガー症候群についても、ちらっとひとつのエントリで触れただけでしたが、簡単には言及できないテーマであると感じました。また、現代の社会現象を根拠のないままに聞こえのいいキーワードと直結させて解釈することは、危険であると反省しました。

あまり深みにはまると何も書けなくなる恐れもあります(ブログに広報マン的なチェックをかけていくと論旨が曖昧になり、先鋭さが失われます)。けれども浅はかな知識しかない話題については無知であることを正々堂々と表明し、とはいえ誤りに気付いたらあっけなく謝罪し、ゼロの段階から知識を積み重ねていこうと考えています。

誠実であることについて最近、考えをめぐらせることが多いのですが、ぼくの考える誠実さとは、まずは自分のこころの動きに嘘をつかない、ということが前提です。おかしいんじゃないか?と思ったら、その気持ちに蓋をしない。誠実な発言によって、かえって角を立ててしまうこともあるかもしれません。しかし、自分の気持ちに嘘をついてまで、きれいごとでまとめようとはしない。

また、個人的には昔から、上手い文章を書けるようになりたい、という目標がありました。レトリックや技巧の表層的なテクニックにとどまらず、よい文章とは、ということについても考えつづけていきたい。時間があれば小説も書いてみたいところですが、少し欲張りすぎかもしれないので、ほどほどにしましょう。

そして最後に「拡げる」。ぼくにはブログを書くにあたって苦手とする領域があります。たとえば社会や政治的な話題です。決して逃げているわけではないのだけれど、日本という国をただ愚痴ったところで何もよくならないと思うし、政党批判をしたところで虚しい。やるのであれば、きちんと状況を理解し知識を得たうえでやりたい。

とはいえ、波風をたてずに趣味の世界に閉じこもっていればいいやという、ぼくを含めた年齢の世代にありがちな個人主義というか無責任な傾向は、社会を何も変えないのではないか、このままでいいのか、という自省があります(ぼくが社会に対する関心が低すぎるだけかもしれませんが)。まずは社会に関心を持ち、目を背けずに、いま社会はどうなっているのか、ということを認識したい。そして、よりよい社会とは、ということについて考えていきたいと思っています。

よい企業とは何か、ということも考えたいテーマですが、財務面の情報の読み方から採用、環境の問題など多様な側面から考えていこうと思います。また、最先端のテクノロジーやマーケティングについても情報をキャッチしていきます。テクノロジーを生み出した企業の文化にも注目したい。拡げた分野が収束を失うのではなく、自分のなかで確かにつながっていくといいのですが。

と、書きながら思ったのは、ぼくはこのブログで

「よりよく生きるためにはどうすればいいか

ということを芸術や社会など多様な局面から追究していくのではないか、ということです。答えは出ないかもしれません。出ないのだけれど、悩み、考え、試行錯誤する時間がぼくの人生であり、そこに意味を見出すつもりです。

ぼくという存在に大きな意味はないかもしれないのだけれど、いずれは遺伝子に定められた生をまっとうして消滅する人生なのだから、ちっぽけな生命であったとしても、きちんと完全燃焼させたほうが有意義です。この世界から最期にはオサラバするのは避けられないことだから、一瞬も無駄にしたくない。立ち止まったり悩んだりして生きた過程でさえ重視したい。存分に生きたい。

生をまっとうする過程で何を考えるか、どう行動するか、ということが、生活様式の革新(ライフスタイル・イノベーション)というブログのタイトルにもつながることであり、生涯を通じて取り組むぼくのライフワークなのかもしれません。80歳になっても社会に目を向けて著作をつづけた、ドラッカーのようになれればいいな、と身のほどを超えた希望を持っていたりもします。

などと書いている一方で、しょーもない些細な日常の顛末であるとか、夢日記だとか、レンアイ論であるとか、そんな話も書きたい。もちろん空の啓蒙者として、あるいは自称・風景写真家として空の写真を撮りつづけて、ちょっとした雑文をエントリしていくことも継続するつもりです。欲張りですね。あらためて思うのだけれど、ぼくはとんでもない欲張りであることだなあ。

というわけで、ブログを休止していたうえに、新年第1本目ということで、思いっきり肩に力が入ってしまいました。あまりに理想を高く掲げすぎると重さでつぶれてしまいそうなので、ひとまず力を抜きます。のっけから今年も長文になりましたが(苦笑)、こんな感じで綴っていくことにしましょう。

あらためて今年もよろしくお願いいたします。

投稿者: birdwing 日時: 23:59 | | トラックバック (0)

2008年12月 3日

a001037

ネットの質問箱。

難問にてきぱきと即答できるひとは賢いと思います。けれども、答えがわからない問いに見栄をはらないで「わからない」と答えられるひとは誠実です。そして、うーんと腕を組んで考え込んでしまうひとは人間らしい。

そんな風にぼくらの質問に対する姿勢はいろいろありますが、正解を答えることで人生が優位に展開できると約束されているわけではありません。だから不正解であってもまったく恥じる必要はない。不正解を選択したことで、逆に世界が開けることもあります。答えたくない質問から逃げるのもまた正解。

雑誌やラジオやテレビなどで人生相談というコーナーがよくありますが、谷川俊太郎さんの「谷川俊太郎 質問箱」を読んで、あらためて詩人の含蓄のある回答に感服しました。

どんな難問にも、すっとぼけたようで深い洞察のあるコメントをされています。なんとなくこころがほんわかする。そもそもBRUTUSに掲載されていた記事を読んで、あらためて糸井重里さんの「ほぼ日刊イトイ新聞」を訪問して知ったのですが、絵本風なので本として読むとビジュアルも楽しめます。

4902516144谷川俊太郎質問箱
江田ななえ
東京糸井重里事務所 2007-08-08

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学校の試験はユウウツでしたが、学生時代を遠く離れてあらためて振り返ってみると、人生は難問の連続といえそうです。

正解がない、あるいは正解が複数あって不正解のない世界のなかで、ぼくらは自分の正解を選んでいかなければなりません。さらに大人になると世間体を繕うこともあって、子供のように、なぜ?どうして?と素直に訊くことができなくなります。あとだしジャンケンではありませんが、答えず黙り込んでいて、正解がわかったところで「やっぱりそうだと思ったんだよねー」などと、したり顔で言うこともある。人生を重ねると少しばかり狡賢くもなります。

ネットの世界では、いまさら恥ずかしくて訊けないような質問を匿名で投稿すると、親切なひとがやはり匿名で答えてくれる、いわゆるQ&Aサイト(コミュニティ)が重宝されているようです。それほど新しい動きではないし、実はぼくはほとんど利用したことがないのだけれど、今年のはじめ頃にはアクセス数が増えているというニュースも聞きました。そこでQ&Aサイトをまとめてみます。


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■OKWave
http://okwave.jp/

まず、最大のサイトといえばOKWave(オウケイウェイヴ)でしょうか。11月19日に動画、音声、画像を使った「マルチメディアQ&Aサービス」を開始したばかりです。CNETの記事によると月間ユニークユーザー数4100万人、質問数類型1700万件だとか。


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■教えて!goo
http://oshiete.goo.ne.jp/

OKWaveはいくつものサイトにOEMとして提供されていて、「教えて!goo」もそのひとつ。質問と回答のデータベースが連携しているらしい。登場したばかりのときは、地下鉄の駅など屋外広告で大きく告知されていて、目を引いた記憶があります。


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■発言小町
http://komachi.yomiuri.co.jp/

読売新聞の「発言小町」はなかなか楽しい。小町という名称のせいか、どこか女性向けの印象もあるのですが、朝日新聞が広告費の減少により100億円の赤字に転落した現在、新聞が生き残っていくとすれば、速報性を重視したニュースよりも世論を発展させたコミュニティのようなものではないか、と考えました。インターネットのほうが速報性に優れるわけで、いまや速報性を新聞には求めません。「発言小町」はQ&Aというより読み物として楽しめます。


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■Yahoo!知恵袋
http://chiebukuro.yahoo.co.jp/

ポータル系としてはYahoo!を挙げておきます。知恵袋といえば昔は、おじいさん、おばあさんでしたが、いまはネットによる集合的な知ということになりそうです。さびしい感じもしますが、ある意味強力です。進路や結婚など人生の転機で悩むとき、親や先生に相談せずに、ネットで人生を相談するようなことにもなりそうな気がしました。バイアスがかかってしまう親しい間柄よりも、少し距離があったほうが冷静に客観的にコメントできることもあります。専門家による回答もチェックしておきたいところ。

そのほかには、以下のようなサイトがあります。と、いうことも実はQ&Aサイトが教えてくれました。

■livedoor ナレッジ http://knowledge.livedoor.com/

■答えてネット http://www.kotaete-net.net/

■知識plus http://plus.hangame.co.jp/

■ひとびと・net http://www.hitobito.net/

■楽天 みんなで解決!Q&A  http://qanda.rakuten.co.jp/

■調べ学習のポータルサイト ナビポ http://navipo.jp/index.php

ああ、忘れてはいけないですね、こちらもQ&Aサイトとしては老舗といえます。ブックマークにつけたコメントのお行儀の悪さから、ぼくはあまりはてな村のひとたちに質問したい気持ちにはなれないのだけれど、それでもコメントしたがるひとが多いから質問によっては親切に教えてくれることでしょう。

■人力検索はてな http://q.hatena.ne.jp/

あらためてQ&Aを読んでみると、知っているひとはいるものだな、と思いました。特にPCの使い方などについては、詳細に答えてくれるひとが多い。

Q&Aサイトではないのですが、ぼくもネットに救われた経験があります。サーバーのデータベースエラーでブログが表示されなくなってしまって、そのときにネットで検索したところ、同じようなトラブルを解決したブログを発見。わずか数時間で自力で復旧できました。ヘルプデスクにメールを投げていたのですが、土曜日だったこともあって返答は月曜日でした。

どうしてよいのかわからずに立ち往生して、ネットの海を彷徨ったところ、どこの誰だかわからないひとから懇切丁寧に教えていただいた。そのひとは別に教えようと思ったわけではなく、トラブルを解決してほっとして、なんとなくブログに顛末を綴っただけだと思います。けれども、その何気ない記録がぼくを救ってくれた。ありがたいことです。

ネットはなんでも教えてくれます。でも、甘えてばかりではいけない。バトンを渡すように、学んだことをネットの海に返してあげることが大切ではないでしょうか。さらに、ほんとうに大事なことは、面倒でも試行錯誤や失敗を繰り返して、自分で学ぶことなのかもしれません。

投稿者: birdwing 日時: 23:55 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年11月29日

a001034

音楽と読書と、そして。

センサーが解放されていると、あらゆる文章が/音が/匂いが/ビジュアルがこころに飛び込んでくるものです。けれども、時折こころのセンサーが閉鎖された、あるいはフィルターがかかっているような状態になることがあります。だからといって日常生活に支障はありません。淡々と日々は過ぎていくのですが。

それでもしばらくすると急速に閉ざされていた感覚が開かれる。文章が/音が/匂いが/ビジュアルが、ぱあっとぼくのなかに入ってくる。

年齢にしたがって感受性が衰える、ということもいわれますがそうでしょうか。世間一般のそうした考え方にとらわれているひとは、衰えていくのではないかとぼくは思います。とらわれなければ、精神の若さは維持することができるはず。

もちろん若い頃のように、剥き出しのひりひりするような感覚はなくなるかもしれません。それでも年齢を重ねることによって、"感受性の成熟"を迎えることもできるのではないか。つまり積み重ねてきた、あるいはインプットしてきた感覚や智恵が有機的に結合しはじめることが、"感受性の成熟"であるとぼくは考えます。そのためには時間が必要であるし、焦って何かをカタチにせずにじっと耐えることも必要です。

もはや若くはない年齢ですが、ぼくは無駄な抵抗はしません。若いひとと張り合おうとは思わないし、無駄に若づくりをしようとも思わない。けれども美しいものに向き合っていると、自然に気持ちは若くなりますね。どうやらこれは確かなようです。年齢に関わらず、美しいものを排除していたり、斜に構えて批判ばかりしていると、身体はどんなに若くてもこころから老いてしまう。

身体の老化は避けられないものだとすれば、こころの老化だけはなんとかしたい。美しさを美しさのまま受け入れられること。その感覚さえあれば、雨を染み込ませる大地のように、こころはいつまでも世界からの美しさという恵みを享受できるような気がしています。

さて、音楽から遠ざかった場所にいたのですが、久し振りに週末にCDショップで試聴して音を漁ってきました。

ブログを書くときもそうですが、現場から離れていると、感覚を取り戻すのに時間がかかります。最近ほんとうに音楽を聴いていないので、ちょっと当惑しました。なんとなく1曲聴いてはどうもなあ、また1曲聴いてなんかなあ・・・と時間をもてあましていたのですが、そのうちにやっとぼくの感覚にひっかかってくる2枚をみつけて購入しました。

まず1枚目は、School of Seven Bells。インディーズとポストロックのコーナーでみつけました。双子の女性+男性というユニットのようです。マイブラ(マイ・ブラッディ・バレンタイン)のシューゲイザーを思わせる雰囲気とともに、どこか中近東(?)のような雰囲気を感じさせる。けれどもポップです。双子のコーラスが気持ちいい。

B001F6ZGB6Alpinisms
スクール・オブ・セヴン・ベルズ
アート・ユニオン 2008-10-29

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映像ではなくて静止画に音を入れただけですが(苦笑)、YouTubeから「Half Asleep」を取り上げてみます。逆回転風のノイズの処理など、もろに好みです。ヴォーカルの甘いハーモニーは、個人的にはAu Revoir Simoneを思い出しました(感想エントリはこちら)。楽曲の肌触りはまったく違いますが。

■School of Seven Bells - Half Asleep

そして2枚目は、まったく違うジャンルで、菊地成孔さん。今年の夏に行われたダブ・セクステットのライブです。これ、かっこいいなあ。iTunesで購入しようかと思っていたんですが。

イン・トーキョー
イン・トーキョー菊地成孔ダブ・セクステット

ewe records 2008-11-21
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エッジが際立っていて、思考の明晰さのようなものを音に感じました。都会的ですね。などと書いてしまうところがジャズに対しては田舎ものなのかもしれませんが。ディレイや電子音のようなものが、こんなにジャズに溶け込むとは思いませんでした。でも、たぶん嫌がるひとはいるかもしれない。

以下、YouTubeから。ピアノの音をぶつ切りにして連続再生したようなノイズも、演奏に違和感なく溶け合っています。

■菊地成孔DUB SEXTET - Monkey Mush Down

それにしても、どちらのCDも紙ジャケットなのですが・・・貧弱になったなあ。その分コストも下がっているのかもしれませんが、ダウンロード販売が主力になっていく影響を感じました。一方でYouTubeのほうは、高音質・高画質になっている気がしました。

ところで、読書のほうも盛り上がりつつあります。といっても乱読状態です。

つまみ読みのようなことになっていますが、いま集中して読み始めたのは水村美苗さんの「日本が亡びるとき」です。梅田望夫さんのブログのエントリ絡みで知った本ですが、とても面白い。こんなことを書くのは失礼だけれど、文章がうまいですね。そして何よりもきちんとブンガクに向き合っている姿勢が伝わってきて、ぼくの思考というか志を刺激します。

4480814965日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で
水村 美苗
筑摩書房 2008-11-05

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忘れてしまわないようにメモしておくのですが、水村さんの文章のうまさは、その明晰さと少しユーモラスなところにあると思います。これはなぜかと考えたのですが、水村さんが少女時代にアメリカで過ごし、しかし、部屋に閉じこもって日本の文学全集ばかり読んでいた、という稀有な体験に根ざしているのではないでしょうか。この体験は、ロンドンに留学しつつ精神を病んでいた漱石に重ね合わせることができそうです。また、外国文学に傾倒して自ら翻訳もする村上春樹さんに通じる姿勢でもあります。

水村美苗さんの文章のうまさは、英語の論理的な明晰さを骨として、日本語の芳醇な意味の広がりを表現として獲得している、「二重言語」にあるのではないかと考えました。ふたつの文化が交じり合っているところで書かれている。日本の読者のトレンドにウケる表現に媚びているところもないし、かといって文壇に引きこもって偉ぶるようなところもない。このひときっとブンガクを愛しているんだな、ということが伝わります。

文化を語るとき、ある領域内における文化を語るのではなく、複数の領域を横断した視点で語ると、その言葉に思考に幅や新たな視点が生まれます。アメリカと日本を横断する比較文学のような視点もそうかもしれないし、文系と理系の思考を横断することもそうでしょう。また、男性と女性の視点を合わせもつことも同様であるし、もっと突き詰めると自己と他者における限りない往復も然り。それがぼくらの思考や言葉を豊かにしてくれます。

ということから、ぼくも自分を突き詰めるにあたって、垂直的に自分の関心を掘り下げるとともに、水平的にジャンルを横断して、たとえばジャズとポストロック、純文学とビジネス書など分野にとらわれないやわらかさと奔放さで、いろんなことを吸収していこうと考えています。

音楽と読書が面白くなってきました。あとは、映画ですかね。備忘録的に書き連ねてみました。

投稿者: birdwing 日時: 23:48 | | トラックバック (1)

2008年11月28日

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揺れる、まなざし。

目を見て話しなさい・・・と子供の頃によく言われたものでした。そんなことを親や先生から言われた経験のあるひとも多いと思います。でも、見れなかったなーぼくは。なんだか恥ずかしくて。

コミュニケーションの観点から、あらためて誰かの目を見て話すことの意義について考察すると、次の3つを挙げることができそうです。

  1. あなたの話を聴いていますよ、という「意思表示」
  2. 話している相手の表情をしっかり読み取り、たとえば怒りの色がみえたら、適宜話題を変えるなど軌道修正するための「相手の情報収集」
  3. 心の窓である目を開くことで、嘘偽りがない「誠実さの証明」

さて、大人になったいま、子供たちを叱るとき、パパの目を見なさいっ!と自分のことは棚に上げて言っている自分がいます。でも、遺伝子のせいか、やはりきちんと見ることができないですね、うちの子たちも。

特に長男くんは幼稚園の頃、目を見なさいっと言われると、逆に、ぎゅううっと瞑ってしまった。頑なにこちらを見ませんでした。反抗的な態度に思えてむかっとしたのですが、いつもと違う父親が怖かったのかもしれません。でも、どこか自分の殻にこもってしまう感じがして、このまま大きくなったら自閉的な子供になってしまわないか、叱る親のほうが心配だったことを覚えています。いまでもその不安はなくなったわけではないですけどね。

次男くんはそれほどでもないのですが、目に関していうと、ウルトラマンシリーズに出てくるガンQというひとつ目の怪獣が好きです。趣味わりーというか、気持ち悪いのであまりぼくは好きじゃなかったのだけれど、ソフトビニールの人形はお気に入りでした。ポケモンも、やはりひとつ目でアルファベットの形になっているアンノーンが好きらしい。彼はひとつ目好きです。

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どうでもよいことですが、ぼくは目がでかいほうです。目が大きくて得したことはあまりありませんが、損したことはありました。以前にもどこかに書いたような気がするのですが、白目の周りに髪の毛がぐるりと一周して入り込んでしまったことがあり、取れなくて困った。ハードコンタクトレンズを入れているのですが、ときどき取れなくなって困ります。目に異物が入ると気が狂いそうになりますね。きっと見えないからでしょうね、目のなかの異物は。

余談ばかり書き連ねてしまいましたが、昨日、アスペルガー症候群についてブログで取り上げながらWikipediaで調べたところ、次のような部分が気になりました。

表情や他人の意図を読み取ることに不自由がないアスペルガーの人もいる。彼らはしばしばアイコンタクトが困難である。ほとんどアイコンタクトをせず、それをドギマギするものだと感じる場合が多い。一方、他人にとって不快に感じるくらいに、じっとその人の目を見つめてしまうようなタイプもいる。相手からのメッセージ(アイコンタクトなど)が何を示すのか、彼等なりに必死に理解しようと努力するのだが、この障害のために相手の心の解読が困難で、挫折してしまうパターンが多い。

ひとと目を合わせない、じっと見つめてしまう・・・と極端なのですが、アスペルガー症候群ではないぼくらにも十分あり得ることではないでしょうか。

ちょうどうまい具合に、WIRED VISIONに面白い記事がありました。「女性と視線を合わせる練習用の日本製DVD『ミテルだけ』:サンプル動画」です。視線恐怖症というか恥ずかしがり屋のひとのために、他人と視線を合わせられるよう練習するDVDらしい(笑)うーむ、なんかさびしい気もするけど、観てみたい。以下、引用します。

このDVDには、真っ白な背景を背に立っている50名の人が収録されている。全員女性だが、それはたまたまだと伊藤氏は断言する。彼らはカメラをじっと見つめ、「帰りたい」「もうたくさん」といった言葉を口にすることもある。

WIRED VISIONに掲載されているサンプル動画はYouTubeの動画なので、ぼくも取り上げてみます。

え、えーと。あのう・・・すみません。女性の方にはヒンシュクかもしれないのですが・・・そのう、どうしてもですね、目をみるというより・・・胸の谷間をみてしまうんですけどー!!(涙)はうー。煩悩から解放されないわたくし。男性にはわかってもらえると思うのですがだめですかー。

そういえば、Webサイトのユーザビリティを解析するツールとして、一時期、アイトラッキングというツールが注目を集めました。少しSFっぽいのですが特別な機械を頭に固定して眼球の動きを測定し、Webサイトのどこを見て次にどこへ目を動かしたのか可視化して分析できるようなツールです。JMR生活総合研究所のコンテンツに非常に詳しい解説がありました。

■見えないニーズを捉える方法
http://www.jmrlsi.co.jp/concept/report/consumption/nv2005-05.html

トラッキング(追跡)された部分は円形のポイントと軌跡が表示されるのですが、目が止まったところはヒートマップと呼ばれるとのこと。じーっと注視したところは赤くなる。「注視点と注視点の間の動きはサッケード (saccade) と呼ばれる」と解説されていますが、その部分では人間の意識は情報をさーっと早送りしているといえそうです。

もし、上記のようなツールを使って先程のぼくが女性の映像をみるときをトラッキングしたら・・・。ちょっと恥ずかしいですね。あからさまにじろじろみるおじさんもいますが、視線のセクハラかもしれない。紳士は煩悩を超越しなければ。しかし・・・はあ、ちょーえつできない。

自閉症のような場合、視線の動きが固定されるのではないでしょうか。だから他者の感情に気付かない。挙動不審のように、きょろきょろ落ち着きなく視線を動かすのもどうかと思うけれど、一点だけ見つめすぎるのもどうでしょう。それに見ているのに見えていないこともあるかもしれません。死角というものもあります。

視覚についていろいろ考えつつ思うのは、最近なんだかちいさな文字が読みにくくなってしまったのですが、できるだけきれいなものを見ていたいものだなあ、ということでした。できれば、ですけどね。

++++++++

ミテルだけ
http://avex.jp/miterudake/

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サイトでは5ページに渡って、登場する50人の女性が紹介されているページもあります。きれいな女性が多いのですが、ときどき強面のひとがいるのが気になります。あと白髪のおばあさんがいたり、外人もいますね。うーむ、おばあさんに見られるのは辛いかもしれない。あんた何してんの!と叱られそうだ。ある意味、にらめっこですな。視線をそらしたほうが負け、という。

投稿者: birdwing 日時: 23:48 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年11月27日

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ひとと社会を理解するために。

「ひと」を理解しようと思いました。人間について、いろんな本を読みながら、このブログで考察していきたい、学んでいきたい。そんな意識が高まっています。

といっても、働くおとーさんとしては、家計を支えるために仕事のスキルの研鑽もしなければなりません。直接的にお金を生み出さない「ひと」の研究よりも、資格のひとつでも取得したほうが後々のためには大事なことなのかな、と思うこともあります(といっても、ぼくはこの資格取得が全然ダメなんですが)。

あるいは、ひとについて理解を深めたいのであれば、実際にたくさんのひとに会って話をしたほうがよいかもしれません。安全な部屋に閉じこもって観察や考察するよりも、実際に話したり接しなければ、ほんとうに人間とは何かということはわからないのかもしれないですね。

それはそれで仕事などを通じて別に進めることにしましょう。このブログでは一日の数時間、パソコンに向かいながら本から学んだこと、ネットで情報収集したことから「ひと」について考察し、つれづれに綴っていきたいと思います。

ところで、社会はいま、全体的に何かが病んでいる気がしています。そう感じるのは、ぼくだけでしょうか。どこか人々は疲れているし、何かに追われているような気がしてなりません。そして、おかしな犯罪や事件が多すぎる。社会のどこかが緩んだりズレてしまって、その結果とんでもないことになっている印象があります。警官や教師といわれるひとたちの奇行が毎日のように報道されているし、個人的な動機から人を殺めるような犯罪が多い。なんだかおかしい。

実際にインドではテロが起きてかなしい事態になっていますが、当初はテロリズムと思われていた元厚生次官宅襲撃事件は、「1974年4月に保健所にチロが殺された。その敵を討った」などと容疑者が言及していることから、保健所に殺された犬の仇討ちが襲撃の動機だったというセンセーショナルな報道がありました。得体のしれない脱力を感じました。もちろん原因はそれだけではなく、仕事や同僚とうまくいかなかった苛立ちなどもあるようです。それにしても何十年も前の鬱屈や個人的な苛立ちが人を殺める衝動につながっています。もちろんそんなこともあるかもしれないけれど、やっぱりおかしい。

格差や精神病の問題で片付けてしまうマスコミの報道にも疑問を感じます。報道の在り方については、池田信夫さんがブログで「「意味づけ」の病」というエントリで批判していました。容疑者が統合失語症ではないかという見解を示して、大衆が飛びつきやすい意味づけや過剰な文脈のなかで問題を大きくするメディアの愚かさを指摘しています。部分的ですが引用してみます。

精神異常者はどんな社会にも存在し、彼らは一定の確率で殺人をおかす。その対象が家族であればベタ記事にしかならないが、「秋葉原」や「厚生省」という意味がつくと、メディアが大きく取り上げる。この種の報道は憶測ばかりで、犯罪の連鎖を呼ぶ有害無益なものだ。

確かにメディアの過剰な「わかりやすい」意味づけは、犯罪の連鎖を生む点では問題だと思いました。マインドコントロールや洗脳的な危険性があります。

しかし、池田さんの指摘に疑問を感じるのは、精神異常者のことだから仕方ない・・・で片付けてしまっているようにも読めることです。であれば、マスメディアの安易な意味づけとなんら変わりはない。この論旨もまた本質に迫っていない印象を受けました。

ぼくが問題だと感じるのは、健常者と異常者の垣根がなくなってきているように思えることであり、異常な動機を正当化する犯罪が確実に増えている気がすることです。数値できちんと把握しているわけではなく、ニュースを読んだ感覚でしかないのだけれど、どうも多すぎる。

ひき逃げの多発なども同様ではないでしょうか。殺意の問題ではなく事故なのかもしれませんが(殺意があってひき殺した事件もありましたが)、本来、責任を取るべきものを取らずに逃げてしまうのは、はたして健常といえるのかどうか。責任の欠如というより正常であることの基準や認識が揺らいでいるように思えます。学生の大麻所持もそうかもしれないし、北海道の高校生が修学旅行先のロスで集団で万引きするような行為も同様です。それやっちゃいけないよ、だめだよ、という明確な境界線が消えかかっている。

そんな社会状況を見渡しながら、ぼくがいま不安とともに捉えようとしているのは、心の闇を抱えながら悩むひとたち、あるいはこの過酷な現実生活のなかで、社会という器から零れ落ちてしまいそうなひとたちのことです。

ぼくもまたそんなひとりではあるのだけれど、健常なひとであっても、闇に落ち込むことがないとはいえない。生きにくい世のなかで喘いでいるし、尖ったエッジの上でゆらゆらしながらバランスを取っているような気もします。なぜこんなに生きにくいのでしょう?どうすればもっとラクに生きることができるのか?そのことにきちんと向き合いたい。答えを探したい。

ということを考えつつ本を探したり、情報を彷徨ったりしていたのですが、ひとつの関心事のキーワードとして浮かんできたのは、アスペルガー症候群(高機能自閉症)でした。Wikiぺディアではこちら

いま読んでいる「僕の妻はエイリアン」は、そんな高機能自閉症の妻を持つ泉さんの日常を描いたもので、なんとなく「妻」の行動はひとごととは思えないところもあります。ほんわかとした文章で紹介いただいているのですが、その理解し合えない日常は想像よりもずっと大変なことでしょう。

4101350515僕の妻はエイリアン―「高機能自閉症」との不思議な結婚生活 (新潮文庫)
泉 流星
新潮社 2008-06-30

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アスペルガー症候群のひとたちは高い知能指数があるのだけれど、コミュニケーション能力に障害があるようです。だから、他者の感情を読み取れない。そのことを比喩的に泉さんは異星人であると表現しています。また、「言葉を額面どおりに受け取る」や「些細なことにこだわる」特徴もあり、言葉を言われたまま受け取るので、まさに先程の比喩表現が伝わりにくいらしい。単純な仕事が覚えられないため、何度も仕事で失敗を繰り返し、その結果、仕事を辞めてしまうひとも多いとのこと。

同類項で括るのは危険だと思うのですが、秋葉原の大量殺人も、元厚生次官宅襲撃事件も、犯人が抱えていたものは孤独という闇ではなかったでしょうか。仕事がうまくできない、同僚とコミュニケーションできない、そんな苦しみが蓄積された結果、ひとを殺める方向に向かってしまった印象があります。

しかし、じゃあ心を開きなさい、外向的になって楽しく生活しましょう、というのもきっと無理な話で、たぶんそういうひとは頑張りたくても頑張れないのではないか。諦観で言うわけではないのですが、障害とまではいかなかったとしても、そういう風にしか生きられないひとたちである、という気がしています。

サカナに地上で堂々と歩きなさい、といっても無理ですよね。もちろん進化の過程で歩き出したサカナもいるかもしれないのですが、水を得たサカナのごとく、水中で暮らせることがサカナがサカナであるゆえんだと思います。心を開こう、明るくなろう、というのは、健常者を気取った傍観者の暴力的なまでに余計なお世話であり、多様性を尊重し、そういうひとが生きられる環境や場所を作ることが社会全体として重要な気がします。もちろん甘えさせる、という意味ではありません。

アスペルガー症候群に関する「僕の妻はエイリアン」を読んでいて共感を得たのは、理解できない異星人のような妻を、毎日の生活のなかで異星人としてそのまま受け入れていく著者の姿勢でした。異星人である妻を正すのではなく、また理解できないことは理解できないときちんと正直に告げながら、そのまま日常の生活のなかで受け入れる。なかなかできないことです。

しかし、アスペルガー症候群は発達障害でもあるようで、成長するどこかの段階で心に圧力がかかって歪むようになってしまったと考えられます。心理学者でもないし、精神病理に詳しいわけでもないけれど、その圧力が何かを知りたいし、圧力に屈しない生き方があれば、それを知りたい。

というわけでなんだか重い話題になってしまったのですが、ブログのテーマのひとつとして設定しながら、いままで考えていなかった領域のことも書いていきたいと考えています。

投稿者: birdwing 日時: 23:12 | | トラックバック (0)