趣味のDTMでは念願のボーカル入り曲「AME−FURU」を七夕の日に公開しました。
完成までのエピソードを覚えているうちに書いておこうと思ったのですが、かなりのハイテンションになってしまった。もう少し落ち着いて書こう、整理をしようと思って、翌日(10日)の早朝に修正をかけていたのですが、家族の具合が悪くなり慌しさのなかで間違えてエントリーを消去(泣)。
さいわいなことに下書きが残っていたので、気持ちをクールダウンさせてリライトしながら復活させることにします。
脳は疲れない?
AME−FURUは、ストレージサービス経由でボーカルトラックをSheepさんからいただいたのが日曜日(1日)の夜で、そこからわずか1週間で完成させたことになります。いただいたボーカルに合わせてアレンジも修正したので、仕事を終えた深夜の帰宅後、PCに向かうテンションには凄いものがありました。自分で言うのも何ですが、なんというか、めらめら炎が出てる感じ?
「アップするのは土曜日でなくても日曜日でもいいではないですか(笑) とにかくあまり無理をしてほしくないなぁというのが本心です。体を壊したら何にもならないんですよ?」とSheepさんからあたたかい(半分あきれていた?)メッセージもいただいていたのですが、止まんなかったですね、もはや。
しかしながら「ボーカルに若干フラット気味なところがあるので音声ファイルを微調整しています・・・」というようなメッセージをSheepさんにお送りしたところ、完璧なものを作りたいから取りなおします、妥協したくないんです、という返信を即効でいただき、急患の対応(Sheepさんは看護婦さん)で超多忙だった日に録音し直して送っていただきました。妥協を許さないこだわりに、プロのプライドを感じました。
先週1週間のハイテンションな入魂作業によって、ちょっとぼくも壊れ気味ですが(苦笑)、「海馬」という本で池谷裕二さんが書かれていたことによると「脳は疲れない」そうです。
ほんとうはしばらくブログをお休みにしようと思っていたのですが、感覚が研ぎ澄まされている雰囲気もあり、若干セーブも必要なのだけれど、歌詞を作りながら考えたことを書き留めておこうと思います。自分の作った曲に対して、いろいろと分析したり過剰に理屈っぽく解説するのが悪い癖なのですけどね。
ヒットを生み出す構造
ところで、日本でヒットするアイドルの曲は男性の作詞家やプロデューサーが絡んでいることが多いですよね。秋元康さんにしても、つんく♂さんにしても男性が女性の歌詞を作る。もちろん吉元由美さんのような作詞家もいらっしゃいますが、男性が多い。これがなぜか、ということがよくわかりました。つまり、
女性に言ってほしい言葉を、男性がクリエイトし、女性に歌わせているから
ということでしょう。だから、ヒットする。当たり前といえば当たり前ですが、ここで重要なのは男性思考×女性思考という、タスキがけのようなパースペクティブ(視点、見方)が生まれていることです。男性の気持ちを女性のなかに投影して歌わせる、というか。
この複雑さがあるから、歌詞の世界も広がります。女性が女性の気持ちを、あるいは男性が男性の気持ちをそのままストレートに歌った曲は同性には共感を得られるかもしれませんが、そこまでのような気がします。逆に女性が男性の気持ちを汲んで歌ったり、男性が女性の気持ちを汲んで歌うと、そこに複雑さと広がりが生まれる。
仮想的な他者を、歌詞の世界のなかに存在させることかもしれませんが、その入れ子構造というか、他者内自己のような設定が心を打つシーズ(種)になるのかもしれません。
そもそもAME−FURUという曲を作るにあたっても、ぼくはクリエイターとしてやりたい主張をSheepさんに押し付けることもできた。けれども、そうではなくて、もしSheepさんが歌うのであればこういう歌だろう、ということを想定して作りました。だからこの曲はSheepさんが歌わなければ歌うひとは他には有り得なかったし(ボツです)、最初にお送りしたとき(ブログでデモを発表する以前)に、その意図を汲んでいただいたことが嬉しかったです。
ポリフォニック/同時並列的な女性脳
話は変わりますが、このブログのなかでも何度か取り上げましたが、記憶に関するテーマは非常に興味深いものがあります。最近、アルツハイマーをテーマにした小説や映画も多くなりました。また、重松清さんの小説「その日のまえに」では、病気で亡くなった妻が残した遺書で、妻が自分で伝えたい気持ちではなく受け取る夫の気持ちを汲んで残した「忘れること」に関する一文が非常に感動的でした。
さすがに重松清さんのような言葉を紡ぐことはできませんが、ぼくがAME-FRUの歌詞で記憶に関するテーマをワンフレーズに込めた部分があります。それは「あなたを忘れられなくて」です。
ここだけ抽出すると、何の変哲もないありふれた言葉です。作っていても、ちょっとベタかな、と思いました。しかしながら、実際にSheepさんに歌ってもらうと透明感に溢れる印象になった。文字にするとありがちであったとしても、声質や音程などが加わるとまったく別のものになりますね。だから詩の朗読なども、テキストとはまったく別の空間を創造する表現方法といえるかもしれません。
たいてい、あなたであろうが過去であろうが忘れちゃうものじゃないですか。屈折した見解かもしれませんが、人間の記憶力に対する諦観というか、そんな思い込みがありました。ただし、だからこそ「忘れない」という言葉が重みを持つのかもしれません。
黒川伊保子さんの本を読んで関心があったのは、女性脳はむしろ永遠に記憶を維持することができ、忘れるのではなく「複数の記憶を同時並列的に処理できる。つまり覚えているんだけどワン・オブ・ゼムになる」ことのような気がします。同時並列的に思考が成立するので、彼のことを考えつつ、元彼がどうしているだろうなんて考えられるのが女性脳であって、ポリフォニックな思考なわけです。思考の軸がひとつではないので、思考が安定する。
逆に男性脳はどうかというと、モノフォニックな思考なので、同時並列的に存在することが難しい。忘れられないということは、ほんとうに現在も想いつづけているということで、忘れない限り新しい恋愛もできないのではないか(ぼくだけか?そういう認識は)。複数の女性と付き合うことがあったとしても、Aさんと会っているときにBさんのことは考えられないことがふつうで、考えようとするとぼーっとしちゃうので、Aさんに「いま別のオンナのこと考えていたでしょ(怒)」と見破られてしまう。確かに、たいていそういうときには別のオンナのことを考えている。男は馬鹿だし、わかりやすいですね。
さて、少し前になりますが、コンビ二から持ち帰ったのが、東京電力のフリーペーパー「GraphTEPCO」no.641でした。特集が「男の脳 女の脳」で、黒川伊保子さんも登場されていました。黒川さんの言葉を引用します。
「例えば、仕事をしている最中に雨が降ってきたら、女性は子供に傘を持たせなかったことを心配し、今日履いてきたパンプスが高級品だったことを思い出して悔やむ、といった具合に一瞬のうちにいろいろなことを考えます。ところが同じ状況で、男性のなかで『けさ、シーツを干していたな。雨に降られちゃってかわいそうに』なんて妻を思いやる人はあまりいません。だから女性は仕事の合間のちょっとした時間に、夫や子供に電話をしたりメールを打つのも苦にならない。けれども、そうはいかないのが男性脳なんです」
女性脳は脳梁という、右脳と左脳をつなぐ部分が太いため情報の処理量が多いそうです。だから同時並列処理ができる。脳のなかみのことなので、いまから脳梁を太くするようなことはできないでしょう(できるのかな? 池谷裕二さんの本によると、海馬は大きくすることができるようでした)。ただし、脳の構造が違うのだからそんなの無理だと投げてしまうのではなく、お互いを理解しようとする姿勢は必要かもしれません。
パースペクティブを物語化する
「GraphTEPCO」の特集はわずか8ページなのですが、要点がうまくまとまっていて参考になりました。この小冊子を読みながら、まず女性らしい小場面とは何か、そのケーススタディ(事例)を考えて、AME-FURUの歌詞に落とし込んでいきました。考えているときには文章化していたわけではないのですが、ぼくが思いついたストーリーあるいはシナリオは次のような場面でした。
■CaseStudy-1:
雨降りの午後、待ち合わせた彼女がなぜか不機嫌な顔をしている。楽しませようとするのだけれど、のってきてくれない。どうしたの?と理由を聞くと彼女がひとこと。「傘が重いのよ」「あ、ごめん。僕の傘に入れば?それ、持ってあげる」「そうじゃなくて、傘が重いってことをわかってほしかったの」余計に怒らせた。
僕はどうすれば・・・。途方に暮れるばかり。
→作った歌詞
"あめ ふる そら きらい"
"かさ さす てが おもい"
■CaseStudy-2:
会社で仕事をしていると、突然に携帯電話が鳴った。彼女だ。「もしもし?あたし。いますぐちょっと来れない」「来れないって、いま会社なんだけど」「なんなの。わたしと仕事とどっちが大事なの」「そんなこと急に言われても」「いいわよ、来れなくても。でも来れない理由を聞かせて」「理由か。理由、理由、と」仕事なんだけど。
僕はどうすれば・・・。途方に暮れるばかり。
→作った歌詞
"あめ ふる ごご ひとり"
"いま すぐ きて ほしい"
主人公は途方に暮れるばかりですね。困ったものです。
CaseStudy-1のポイントは、女性は「共感」を重視する、ということでしょうか。もちろん解決策も大事なのだけれど、どちらかというと解決策よりも話を聞いてくれた、ということが重要である場合が多い。CaseStudy-2は、「言語能力」といったところ。こちらも結果を出すのではなく、理由についてあれこれ考えあうコミュニケーションの過程が大事なのかもしれません。男性脳としては、早急に結果と解決策を提示したがるのですが、女性脳はそうではないようです。
たぶん、このCaseStudyは女性にはわからないかもしれません(笑)。というのは、無意識のうちにやっていることだと思うんですよね。ただ、似たようなケースで女性に困った経験を持つ男性であれば、あーわかる・・・(苦笑)ではないでしょうか。
その物語のフレームを組み立てた上で、一度ばらして、歌詞化する。そしてSheepさんに歌っていただく。結果として「男性の共感を女性の歌にマイクロカプセルのように埋め込む。歌を聴いた男性の脳内に共感を生む」ことができるのではないか、という試みです。
もちろんAME-FURUでこの試みがうまくいったとは思いません。しかし、たとえば広告の企画におけるコンセプトとメッセージの展開のようなものを趣味の創作の世界に応用すると、こんなアプローチになるのではないかと思いました。趣味のDTMと言ってしまえばおしまいですが、いわば表現のプロトタイプとして、あらゆる表現に使えるフレームワークを内在しているようにも思えます。
ちなみに、上記の事例は正確な自分の経験ではありませんが、CaseStudy-2に関していえば、学生時代、卒論提出の前夜に彼女(現在の奥さん)から「わたしと卒論とどっちが大事なの?」という電話をいただき、3時間ほど日付変更線をまたいで電話で説得したすばらしい思い出があります。電話を切った後、空白の3時間を取り戻すために徹夜かつフルスピードで卒論を書いたことは言うまでもありません。
本来であれば自分の経験に勝るリアリティはないわけで、仕事において女性マーケットにおける市場を考える、というようなときに、このような物語=シナリオ思考が重要になるとも考えます。
とはいえ、恋愛について語るのは、ものすごく苦手です。何度も書き直しつつ言葉を選んでいます。ロボットとか技術について書いていたほうが楽ですね。その苦手な部分に挑戦するときに自分の守備範囲も広がるわけですが。
他者を理解するための方法
英語を学ぶことにしても、企業で顧客満足度を高めることにしても、そして恋愛にしても(と併記すると、非常に違和感があるのだけれど)、結局のところ「他者を理解する」試みではないかと思います。他者には、自分とまったく違った文化のなかで生きていて、考え方や文脈がある。他者を完全に支配することはできないし、伝えたいことがうまく伝わらないギャップが存在する。うまくいかないこと自体が普通です。理解されることのほうが特別かもしれない。
究極のことを言ってしまえば、超能力者でテレパシーを使えるのではなければ、他者の考えていることなんてわかりません。わからないけれども、どこまで歩み寄ることができるのか。他国語を理解しようとするとき、企業が消費者の求めているものを探ろうとするとき、そして恋人と喧嘩してお互いの考えていることをぶちまけているとき、それらはすべて他者を理解するためのささやかな一歩なのかもしれません。
他者を理解するための方法として、自分の視点(Point of View)は大事だけれども、そのPointをいくつも組み合わせて、場合によってはあちら側(=他者)から想像力を働かせて見ることによって生まれるパースペクティブも大切です。そして、そのパースペクティブをよりリアルに感じ取るためには、静的な風景ではなくて動きのある物語に変えることが重要であるとも考えます。
仕事ばっかりやっていても仕事はできるようにはならなくて、ときにはとんでもない失敗をしたり失恋したりとか、馬鹿なことに没頭してみるとか、外国に旅に出るとか、そんな経験をすることで新たな「パースペクティブ+物語」を獲得できそうな気もしています。ネットにしがみついているだけではダメですかね。そうだろうなあ、たぶん。
投稿者: birdwing 日時: 00:00 | パーマリンク
| トラックバック (0)