多様性と正解のない世界。
春だというのに寒いなあと思っていたところ、東京ではちょっとだけ雪が降りました。ビル風に巻き上げられてふわふわ落ちてくる春の雪は、なかなか趣き深いものがありました。
ところで最近、雑誌などで、ダイバーシティ(多様性)という言葉をよく見かけます。ぼくがいままで知らなかっただけかもしれませんが、実はモバイル関連IT用語と人事労務用語と2種類があるようです。
モバイル関連IT用語の場合、ダイバーシティ(ダイバシティ)とは複数のアンテナで受信したときに電波状況のよいアンテナの信号を優先的に受信する技術のようです。一方で、人事労務用語として使う場合には、人種、性別、年齢などの制約を超えて幅広い人材活用を促進しようとする動き、とのこと。日本では特に、女性の雇用に関して注目されていて、東京電力をはじめとしてダイバーシティを推進する部署も生まれているようです。
この人事労務用語の方のダイバーシティ(多様性)について考えてみます。
女性の考え方というのは男性とは違って直感的な感覚に優れていると思うので、尊重すべきであるとぼくは思います。けれども、どちらが優位という問題ではなくて、最終的には性別や人種などの分類を超えて、マイノリティな考え方を尊重するということが重要であると考えました。という意味で、以下の「30代女性会社員の気になるニュース」の「「東横イン、従業員の95%が女性」と知って思ったこと」というエントリーに共感を得ました。年配女性には「女性がもっと増えれば日本企業はよくなる」「女性が政治リーダーになれば戦争はなくなり平和になる」という主張をするひともいるようですが、女性の観点から以下のような見解を述べています。
間違ってはいないが「女」のみを活用するという発想はやっぱり古い。おそらく大事なのは、組織にとって少数派である人の意見を取り入れることだ。そうすることで独善に陥って間違った方向に進むことを避けられる。これまで日本企業では女性が圧倒的に少数だったから、現段階では女を増やすことが最優先課題になっている組織が多い。けれど、業種や企業によっては女性職場に男性を増やしていくべきだ。
女性的な発想、男性的な発想ということがよく言われます。非常に乱暴な括り方をすると、右脳的(感覚的)=女性的、左脳的(論理的)=男性的というイメージも浮かぶのですが、実際にはそんなことはない。男性であってもしなやかな発想をするひともいれば、女性であっても逞しい論理的な発想をするひともいるものです。女性だから、男性だからと、思考の枠を作ること自体が、既にダイバーシティに反しているような気もします。けれども圧倒的な少数派であるがゆえに、日陰に追いやられてしまう考え方もある。それが間違っているかというと、そんなことはない。少数派であっても正しい。
ということを考えるようになった発端は、はてなの近藤社長の「「正しい」って何だろう」という日記を読んだからです。まず短い以下の部分を引用します。
基本的に僕は、「正しさ」には個人的なレベルと全体的なレベルの2種類があって、個人レベルでは「人々の意見は全て正しい」のだと思っています。
これはほんとうにそう思いますね。個人的には、みんな正しい。たとえば子育てひとつをとっても、何が正解というのはありません。正解だとおもって子供をやさしく育てたとしても、競争に弱い子供になってしまうこともある。一方で、じゃあ厳しくすればいいかというと、厳しさが逆にトラウマになってしまったりもする。
正解が必ずひとつある、という教育のせいかもしれません。マークシート式の問題を解くことの弊害かもしれない。といってしまうと話が大きくなりすぎるのですが、息子の勉強をみてあげているときにも、正解が複数ある問題は戸惑うようでした。正解は1つしかないと考えたほうが、きっと割り切りやすいのだと思います。
しかしながら教育も少しずつ変わってきているようで、授業参観に行ったとき、通常は2+3=?という計算問題だったと思うのですが、?+?=5という形で複数の正解がある問題を解かせていて興味深いものがありました(というより、ぼくがそういう教育を受けていなかっただけでしょうか)。
正解が複数あるような問題を解く場合、どの正解を選ぶかというと、権威的なものにも影響されやすいものです。やはり近藤社長のブログから引用です。
自分が一番知識が多いから正しいはずだ、とか、自分が一番長い時間考えたから正しいはずだ、みたいな人の話は眉に唾を塗って聞くのが良い対処法でしょう。あと、「この人の意見は必ず正しい」みたいに特定個人を神みたいに崇めるのも自分の思考が停止していて危険だと思います。「天才」とか「専門家」とか「権威ある」みたいな言葉は自分の思考にフィルターをかけるので注意が必要です。
自分の意見をきちんと述べるのはかなり難しい。近藤社長の少し前のブログにも書かれていましたが、誰かの言葉を借りて(引用して)述べた方が言いやすい。誰かの言った事だけどね、というクッションを置いてみると、なんとなく責任も回避できるし、やわらかく聞こえる。けれども、とても回りくどい気がする。
ダイバーシティ(多様性)を尊重する社会になると、いやそうじゃなくてぼくは違うことを考えたんだけど、ということがストレートに言えるようになるのでしょうか。社会のせいではなくて、単純に個人的な性格の問題かもしれない、とも思うのだけれど。
+++++
■ダイバーシティに関する基礎知識
http://www.jinken-net.com/old/tisiki/kiso/jin/ti_0302.html
■東京電力のダイバーシティ推進室のリリース。
http://www.tepco.co.jp/cc/press/06012602-j.html
投稿者: birdwing 日時: 00:00 | パーマリンク | トラックバック (0)