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2007年1月14日

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「ヒューマン2.0―web新時代の働き方(かもしれない)」渡辺千賀

▼シリコンバレーに行かない選択、日本で構想する未来。

4022731222ヒューマン2.0―web新時代の働き方(かもしれない) (朝日新書)
渡辺 千賀
朝日新聞社 2006-12-08

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まず文体の研ぎ澄まされ方、鋭い視点がいいと思いました。読んでいて気持ちいい。女性の作家でいうと、ぼくは川上弘美さんのようなふんわりと漂う文章も好きだけれど、論理的にずばりと斬っていく辛口な文章も好みです。

この本で紹介されるのは、シリコンバレーの過酷だけれど実力主義+個人主義に徹した新しい働き方の事例で、今までの日本における労働についての意識を根本から覆すような考え方です。とにかくすさまじい。甘えは許されません。チャンスを掴んでがっぽり稼いでリタイアする、という極端な生き方も、シリコンバレーでは当たり前のようです。

ひとつひとつのエピソードが面白いのですが、最終章の部分から「ヒューマン2.0のルール」として見出し部分を抜粋してみます。これだけでも随分、参考になると思います(P.162以降)。シリコンバレー流の成功法則です。

仕事のルール
自分と異なる人を受け入れる
大事な情報はソースに当たる
オープンソースな人になる
多くを期待される場に自分を置く
英語を身につける
転職のルール
理論上の「本当の自分」を探さない
時にはあきらめる
どれほどムカついても鉛筆をバキッと折らない
なるべく楽にやっていくためのルール
体力を身につける(または無駄なパワーを極力惜しむ)
文句を言わない

なるほど、というツボを押さえた教訓が多いと思いました。

そんな風に全体的には賛同できるのですが、共感や賛同ばかりでは前向きな議論にはなりません。そこで、梅田望夫さん、渡辺千賀さんを筆頭として、最近のシリコンバレーからの書籍ブームにちょっと批判的な見解を意図的に付け加えてみたいと思います(あえてと書いたのは、ぼくは全面的におふたりの本を支持するからです)。

あえて偏見に満ちた見方をしてみるのですが、シリコンバレーのスタイルを絶賛する本の背後には、「日本ってダメでしょ」という発想がある気がする。もちろんお書きになった本人には、そんな気持ちはないかもしれません。なかったとしても読者として、そう捉えてしまう解釈もある。

実際に梅田望夫さんは「日本ではダメだ」ということでシリコンバレーに渡った、という経緯を書いていたと記憶しています。大きく捉えるとイチローなど海外で成功したスポーツ選手にも言えることかもしれないのですが、個人の成功のために、芽が出ない日本とは別の環境を探して、その環境で成果を出すことは重要です。芽の出ない場所を一生懸命に耕していても無駄なことも多い。種も腐ってしまうかもしれない。けれども、では痩せた大地しかない日本に残って何か変えようと思っているひとが無駄かと言うと、決してそうではない。それもまたシリコンバレーで成功するのと同等に価値がある。そう信じていたいと思います。

率直な感想を言わせてもらうと、「ヒューマン2.0」を読んで何かに印象が似ているなと考えつつ思いついたのは、芸能ゴシップ週刊誌でした。週刊誌には芸能人の生活のあれこれが詳細に掲載されています。けれどもぼくら一般人が感じるのは、凄いなあ、でもこれってぼくらとは別世界のことだよね、ということではないでしょうか。週刊誌を読んで、よーしこんなにおいしいのであれば芸能人になろう、と奮起するひともいるかもしれませんが、一般人としては、それはそれとして今日のご飯をどうしよう?と直面している課題がある。

梅田望夫さんの本にしても、渡辺千賀さんの本にしても、もうちょっと教えてほしいと思ったのは、では日本にいるぼくらがどうすればいいのか?という視点です。シリコンバレーに行かなければ成功しないのであれば、行けるひと/行けないひとの格差を煽るだけでしかない。日本という環境にどっぷりと浸かっているぼくらが、ではどうすればいいのか。自分で考えなさい、ということかもしれませんが。

ドラッカーと比べるのは酷かもしれないけれど、ドラッカーは外国人とはいえ、日本について言及する言葉には、日本に対する愛情とメタレベルにおける提言があったように思います。ところが、グローバルを信奉するひとの言葉のなかにはときとして、日本人でありながら傍観者として冷ややかに日本を眺め、シリコンバレーこそすべて、という思考です。

と、まあそれは日本のちいさな場所でイノベーションを模索しながら悶々としていて、どう考えてもシリコンバレーは遠すぎる、ぼくという人間のちっぽけな僻みかもしれません。批判だけでは何も変わらないものです。そんな狭い思考を捨てて、世界レベルで考えられるようにもなりたいと思っています。この日本の、ぼくがいるこの場所で何ができるのか、そこから考えはじめたい。ということを気付かせてくれたということで「ヒューマン2.0」を読んでよかったと思いました。1月10日読了。

*年間本100冊プロジェクト(2/100冊)

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2007年1月12日

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「ライフサイクル・イノベーション」ジェフリー・ムーア, 栗原潔

▼book07-001:イノベーションの固定観念を変える一冊。

479811121Xライフサイクル イノベーション 成熟市場+コモディティ化に効く 14のイノベーション
栗原 潔
翔泳社 2006-05-16

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ジェフリー・ムーアは最終章である11章の最後を次のように結んでいます(P.343)。

社会は永続的な雇用先を必要としている。顧客は安定した製品の供給源を必要としている。政府は安定した税収を必要としている。投資家はリスクに見合うだけの投資機会を求めている。つまり、誰もが何らかの形で運命共同体なのである。企業として新しいレベルの競争力強化を常に行っていく必要があるということだ。これが進化というものだ。つまり、目標値を常に上げていくということだ。国家が生活水準のレベルを上げていくのも同様だ。新しい企業が毎年生まれているのもこれが理由だ。我々が自己のキャリアにおいて常に新しいスキルを学んでいかなければならないのもこれが理由だ。疲れることはあっても退屈することはないだろう。我々は結果を出し続けていかなければならない。ようこそ、生存競争の世界へ。

眩暈がしました(苦笑)。退屈してもいいから疲れない方がいいかも、と思ってしまったぼくは怠惰な人間なのでしょうか。 けれども、ビジネスの世界に生きるのであれば、その厳しい言葉を受け止めて当然という気がします。一発当てればいいのではなくて、結果を出しつづけなければならない。餌を摂取するために常に泳ぎつづけて、泳がなければ死んでしまうサメのようなものでしょうか。あるいは回転していないと倒れてしまう自転車のようなものかもしれません。この言葉は、ぼくのなかでは昨年末に読んだ「ドラッカーの遺言」の次の言葉につながりました(P.163)。

知識社会で中心をなす「知識」は、高度に専門化・細分化し、しかも流動性の高いものとなってきています。知識労働者として要求されるスキルは「情報の変化」に応じて絶えず形を変え、一度身につけたらそれでおしまいというものではなくなりました。つねにスキル・アップを心がけることで、自らの未来を切り拓いていく――私たち一人一人に、そのことが求められるようになったのです。

世界を変えるのは、ひと握りのリーダーでしょ?という考え方もあります。リーダーに任せればいいじゃない、という責任転嫁もできる。けれども、社会を変えていくのは個々にも責任があると思います。最先端の新しい何かを開発しているひとたちだけにイノベーション(革新)が求められているのではない。未来を切り拓くのは、他でもないぼくらであるわけです。

ではどうするのか、という可能性を示す上で「ライフサイクル・イノベーション」に書かれた"製品のライフサイクルすべてにイノベーションの可能性がある"というような主張は興味深いものでした。イノベーションは最先端ではないところにも生まれるということです。この視点は他にも応用できそうです。

「ライフサイクル・イノベーション」のポイントは3つあるのではないか、ということを以前エントリーに書いたのですが、簡単に解説してみると次のようになります。

1)イノベーションは、製品のライフサイクルのすべての段階で可能である。
製品にもライフサイクルがあります。赤ちゃんの時期、若者になって元気旺盛な時期、落ち着いて家族をもつ時期、老後というように、隆盛から衰退という流れがある。いままでぼくは革新的なものは若い時期にあるべきだ、という固定観念があったのですが、衰退していく時期にもイノベーションがある、という視点が新鮮でした。ジェフリー・ムーアは、ビジネスのライフサイクルに合わせて14のイノベーションタイプを紹介しています(14にとらわれることはない、とも言っていますが)。

2)ボリューム・オペレーション型企業とコンプレックス・システム型の企業では、イノベーションは異なる。
ちょっとわかりにくいのですが、乱暴に解釈してしまうと、ボリューム・オペレーション型というのはコンシューマ(消費者向け)製品であり、コンプレックス・システム型というのはエンタープライズ(法人向け)製品またはソリューションという印象を受けました。マーケティングにおいても、このふたつを混同しがちです。特に法人向けのマーケティングは、一般大衆向けのものとは違った特性があるので難しい。まだこれだけでは浅くてさらに解釈してまとめる必要あり、なのですが、その特性の違いを述べている部分は興味深いと思いました。

3)イノベーションを考える上では、コア/コンテキストという概念が重要である。
コンテキストというと、記号論などにかぶれていたぼくは文脈という意味でとらえてしまうのですが、ここではもう少し別の意味のようです。組織論におけるライン/スタッフで喩えたとき、後者のスタッフに近い気がします。ハーズバーグの衛生理論になぞらえると、不満足を取り除く方向性でしょうか(ちょっと違う気もする)。

コスト削減や時間短縮などの効率化がコンテキストにあたるようです。現場で重要な考え方や施策です。一方で、コアとは企業全体が競合と差別化を図っていくための先鋭的な何かで、事業性といえるかもしれません。いわゆるコアコンピタンスのコアですね。ジェフリー・ムーアは、イノベーションのタイプによってコアとコンテキストに注力するバランスも異なることなどを説いています

コアにおけるイノベーションは新製品開発のような派手な新しさです。しかしながら、コンテキストに関するイノベーションは、例えば時間短縮とかカイゼンにあたる地道な施策です。コア向けのイノベーションをコンテキストに応用しても効果が出ないし、逆も同様。たとえば画期的な新製品が求められているときに改良版を投入しても市場に合いません。戦略立案においては、企業のコアとは何か、コンテキストとは何かのように腑分けをする作業が重要ではないかと思いました。

当たり前のことのようにも思えるのですが、よく考えてみると、たとえば「作業効率化がわれわれのコアコンピタンス」だという発言があったとき、その発言は間違っているように思いました。コンテキストのイノベーションであって、事業のコアではない。事業のコアとなるものは、競合と差別化するサービスであったりソリューションです。「われわれの企業は革新的にコスト削減を推進している」というイノベーションもあると思いますが、事業全体を眺めたとき、その戦略が有効になる場合とあまり効果を成さない場合も考えられます。

と、こんな風にイノベーションに対する意識を革新するような本なのですが、理論はシンプルであるものの若干読みにくさを感じました。たぶん事例が多すぎるせいかもしれません。1月4日読了

*年間本100冊プロジェクト(1/100冊)

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2006年12月28日

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「ドラッカーの遺言」P.F.ドラッカー

▼book06-092:人間の大きさを感じさせる、あたたかい言葉に感謝。

4062820005ドラッカーの遺言 (講談社BIZ)
窪田 恭子
講談社 2006-01-20

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なんてあたたかい言葉なんだろう。この本を読んで、ぼくが感じたのはまずドラッカーの人間的な大きさでした。20世紀最高の知性といわれていて、どこか近寄りがたい雰囲気や、難しい理屈を想像していたのですが(もちろん他の本ではそんな専門的な深い知が展開されていると思うのですが)、この本のなかに書かれている彼の言葉は、ひとつひとつがまず心に染みる。頭脳ではなくて、です。

90歳を超えているのに(というのは失礼な言葉ですが)、インターネットの可能性について説き、これからの経済は情報の経済であるということが述べられています。新しい世のなかの動きを、先見的にとらえている。そして常に自らを革新していくことが重要であると諭されています。つまり個人のイノベーションが重要である、ということです。生まれついての才能やカリスマ性ではなく、リーダーとしての習慣がひとをリーダーに磨き上げていくという指摘もありました。

成果を挙げるためには、弱みをカイゼンする「問題重視型」ではなく、強みを徹底的に伸ばして機会をつかむ思考が重要である、という視点も大いに共感します。日本が直面しているのは危機ではなく変化である、という言葉も泣ける。そこには日本をあたたかくみつめる視線があります。この本に書かれている言葉のひとつひとつが心に響き、何度も読み直しつつ、自分はイノベーティブに生きているのだろうか、自分を磨くことを怠っていないだろうかと見つめ直したいような気持ちになりました。

ドラッカーの言葉もさることながら、巻末でジャック・ビーティがドラッカーを追悼し、回想を語る文章にも感銘を受けました。なんというか、クレアモント大学の春のキャンパスの風景が思わず再現されるような文章です。もちろんぼくはクレアモント大学なんて行ったことがないのですが、芝生の美しさとか木々の緑とか、そんな風景のなかを歩いていくふたりの姿が目に浮かんでしまった。

ジャック・ビーティの文章から引用ですが、ぼくは次の表現に考えるところが多くありました(P.184)。

ドラッカーは従来のやり方やプログラム、製品をあえて"捨てる"ことを提唱しましたが、当時その行為は大きな物議を醸しました。いまや彼が破棄を主張したものはことごとく存在意義を失い、ドラッカーの先見の明を表す証左となっています。
ドラッカーは確信していたのです――技術を革新していく環境のなかで育った若者は、変化が直線的でも予測できる形でもなく、連鎖反応的に起きる時代に力を発揮することができる、と。

まさにブログが登場したネットの社会は、連鎖反応的に進展していく社会であり、その社会を生き抜くためには執着や直線的な思考ではなく、多様かつフレキシブルにチャンスを掴む思考が求められると思います。

ドラッカーのように考え、そしてドラッカーのように生きたいと思いました。12月27日読了。

*年間本100冊/映画100本プロジェクト進行中(92/100冊+81/100本)

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「ウェブ人間論」 梅田望夫

▼book06-091:技術と人間の進化、けれども言葉に踊らされないこと。

4106101939ウェブ人間論 (新潮新書)
新潮社 2006-12-14

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日常の生活のなかで忘れてしまっているのですが、2006年は21世紀です。空を飛ぶクルマもなければ、ウェットスーツに身を包むようなファッションもないけれど、現在は紛れもなく21世紀であり、日々の繰り返しで生きているぼくらにはゆるやかに変化しつつある現実に馴染んでしまっているけれど、もし過去の人間がタイムスリップして現在に訪れたら、結構、驚くことが満載ではないでしょうか。当たり前のように使っている携帯電話も、インターネットも、ここ数年間で一気に普及した新しい技術といえます。

その技術の変化は、ぼくらの生活や思考形式を変えていくだろうということは間違いなく、ではどのように変わるのか、あるいはどのように変わっていけばよいのか、と考えることは非常に意義のあることだと思います。意義があるし、だいいち楽しい。たいていそうした新しい変化には抵抗を示すひとがいるもので、また批判的な意見も多くなる。テレビが登場したときにも、ゲームが登場したときにも、そうだったと思います。ただ、「ダメなものは、タメになる テレビやゲームは頭を良くしている」という本にも書かれていたように、悪しきものが人間の知的な思考を高めるものになっていることもある(かもしれない)。

何度かブログのほうで「ウェブ人間論」について考察を重ねたので多くは書きませんが、この「ウェブ人間論」は技術者ではなく、コンサルタントである梅田望夫さん×作家である平野啓一郎さんという異色の取り合わせでネット社会の在り方を語る本として、非常に興味深く読みました。そして、本に書かれたことを超えて、ブログでさまざまな議論であったり解釈が展開していくことが、21世紀的な(まあWeb2.0的といってもいいのかもしれませんが)知の在り方のように思います。

ただ、あまりにも全面的に共感するのはどうかと思いました。ブログで成長できる、という言葉は魅力的ですが、一方でブログでダークサイドに陥ることもある。成長という気持ちのいい言葉を妄信して、成長しなければ、成長しなければ、成長しなければ・・・と脅迫されたかのように自己啓発に励むのもどうかと思う。ドラッカー風にいうと、持続的な成長、絶えざる革新は重要であり、これからさらに変化していく情報化社会ではその資質がないと厳しいとは思うのですが、梅田さんや平野さんはこう言っているけれど、ぼくはこう考える、という自分で思考することが第一に重要なのではないか。それが大量の情報の海を泳ぎきるためには必要不可欠な体力(知力)、あるいは条件かもしれません。12月19日読了。

*年間本100冊/映画100本プロジェクト進行中(91/100冊+81/100本)

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2006年12月 2日

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「ブランドらしさのつくり方―五感ブランディングの実践」博報堂ブランドデザイン

▼Books086:感性の時代に向けて、五感の情報化に期待。

4478502722ブランドらしさのつくり方―五感ブランディングの実践
博報堂ブランドデザイン
ダイヤモンド社 2006-09-29

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情報化社会が進展すると、専門的な知識やデータ処理はPCやITなどのテクノロジーがこなすことになってしまい、さらにプログラミングなどの仕事はコストが安くてクオリティの高いインドなどのエンジニアがこなしてしまう。ではどんなことに価値が生まれるかというと、感性や発想を重視した右脳思考型の新しいナレッジワーカーである、というようなことが書かれていたのが「ハイコンセプト」という本でした。そうした感性重視の流れをマーケティングに実践したのが、五感マーケティングだと思います。この動きは日本でも重視されつつあるようで、経済産業省は「人間生活技術戦略―五感で納得できる暮らしを目指して―」を、2006年4月18日に策定した、ということも「ブランドらしさのつくり方」のなかで触れられていました。

五感を定量的に把握する試みも進展しているようで、嗅覚の研究がいちばんホットらしい。嗅覚ディスプレイという装置も開発がはじまっているようで、ぼくも何気なくアロマジュール(香り発生装置)についてブログで取り上げたことがあったのですが、そのことも記載されていました。「チャーリーとチョコレート工場」では、上映中に香りを発散させた映画館があったとのこと。これは行っておけばよかったと思いました。さらに「味覚センサー」というものも出てきているらしく、触感、立体映像なども含めるとバーチャルリアリティー(仮想現実)の世界は知らないところで着々と研究が進んでいるようです。

これがインターネット上で展開されると、セカンドライフのような仮想コミュニティは、より五感に訴えるそれこそ「もうひとつの現実」に近づいていくのではないでしょうか。そうするとサンプリングやトライアルのキャンペーンは、よりリアルになっていく。仮想現実のなかにおける流通も活発になりそうです。そうして、ミュージシャンや映像クリエイターと同じレベルで、アロマクリエイターとか触感アーティストなどというものが登場しそうな気もするし、それらを組み合わせたマルチ五感アートなどというものが登場するかもしれない。

なんとなく21世紀的だなあと思ったら、いまは21世紀なのでした。未来は、いまここにあるようです。11月30日読了。

*年間本100冊/映画100本プロジェクト進行中(86/100冊+74/100本)

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