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2007年9月 6日

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直感的であることの優位性。

台風が来日してトウキョウをはじめとして関東は凄いことになっています。えーと、来日ってのはアーティストみたいで変ですね(笑)。上陸でしょうか。雨と強風に吹き飛ばされて、傘がおちょこになっているひとを何人もみました。ビニール傘は面白いようにへなちょこになります。と、面白がっているうちに自分の傘がへなちょこになりそうになって困惑。

軟弱なぼくは(風邪をひいていることも言い訳にして)、早めに会社をあがろうとしたのですが、会社から10メートルぐらい歩いたところで「お客様から電話が入っています」という携帯電話に呼び出されて、急遽、会社に引き返しました。それにしてもお客様も、この台風の日に大変です。会社に残っている同僚たちも大変です。みんな帰ることができたのでしょうか。強風と豪雨が吹き荒れるあらしの夜に、あまり無理しないように、と思いました。長男くんは明日は3時間目から授業、次男くんの幼稚園はお休みのようです。じゃあ、ぼくも・・・休めません(涙)。

というわけで、本題。

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たとえば、ざわめくフロアで誰かと待ち合わせるときのこと。

行き交う雑踏をさっと見渡しただけで、待ち合わせの相手の場所を感知し、その姿がすっと目に飛び込んでくることがありませんか。視線というよりも心のセンサーがキャッチして、直感的に待ち合わせるひとを探し出すわけです。勘が働く、というか。

その検索能力は、コンピュータよりも優れているかもしれません。コンピュータの場合には、たぶんひとりひとりの情報を端から合致しているかどうか処理していくことでしょう。けれども人間は、直感的に会いたいひとを探し出す。

まったく会ったことがないひとを直感的にいっぱつで発見した経験が、ぼくにはかつて一度だけありました。フロアを見渡して、このひとかな?というセンサーが働いた。それはもう偶然としかいいようがなかったのですが、そんな奇跡的なこともたまには起きる。だから人間って楽しいですね。一方、何かを探しているうちに、求めていたものではなかった別の素晴らしいものを発見することもあります。セレンティビティというようですが、そんな偶然も楽しい。

人間の顔を認識する技術も、セキュリティの分野を中心に急速に発展しているようです。その技術の応用として、最近のデジタルカメラは賢くなりました。人間の顔を認識してピントを自動的に合わせる。さらに昨日、ソニーのサイバーショットに「スマイルシャッター」機能が搭載されたというニュースがありました。笑顔を感知するようです。日経産業新聞の記事から以下を抜粋します。

スマイルシャッターはカメラが笑顔を検出して自動的にシャッターが切れる機能。子供の自然な笑顔などを逃さず撮影できるという。事前に笑顔を撮りたい被写体の顔を選択すると、一度に最大6枚まで笑顔のたびに撮影できるという。

ソニー製品情報|Cyber-shot<サイバーショット>|DSC-T200
DSC-T200.jpg

上記の製品情報サイトでは、タッチパネルの体験コンテンツもあるようです。

この機能があれば、一度だけ笑顔を登録すれば、笑顔の瞬間に自動的にシャッターを切ってくれるようです。うちのアマノジャクな次男くん(4歳)はひねくれた芸能人のように写真嫌いで、わらってーというと変な顔をする。じっとしてーというと動き回る。だからこのカメラをひそかに向けておいて笑わせることができれば、自然な笑顔の写真が撮影できるかもしれません。とはいえ、自動的に笑顔に合わせて撮影できるのは便利ですが、あーっいまの最高の笑顔撮り逃したっ(泣)という瞬間がいいと思うんですけどね。個人的には。

昨日、天文画像をきれいに撮影する「Lucky Imaging」という記事を紹介しましたが、消えてしまう「いま」をきれいに残そうとする人間のこだわりにはすごいものがあると思いました。写真や動画というのは、これからもなくならないのだろうな、という気がします。

直感的という観点から操作性について考えてみると、デジタルカメラをはじめ携帯電話、携帯音楽プレイヤーなど、デジタルなガジェット(小物)でも、直感的に操作ができるインターフェースが求められていると思います。

まさに本日、米国のAppleから「iPod Touch」が発売されました。さっそくGizmodeのサイトに操作の動画が掲載されています。

■iPod Touchを触ってみたよ Gizmodo Japan

iPod Touch

Appleの製品情報サイトはこちら。

■iPod Touch
http://www.apple.com/jp/ipodtouch/

すげーっ!!これほしいっ!!日本の出荷は28日以降のようですね。うーむ、最初は手に入らないんだろうな。クリスマスには買い替えようかな、iPod。

要するに、iPhone-電話機能=iPod Touchなのですが、なんとなくかつてのSONYのPDAに似ているとはいえ(苦笑。どこやっちゃったっけかな、あれ)、ビジュアルで直感的に操作していく画面が素敵です。余計なボタンもなくて、すっきりしたスタイルもいい。

願わくば、パソコンがこうなるといいなあ。難しいことは何も考えずに、直感的に使えるようになってほしい。21世紀、まだまだ面白くなりそうな感じで、わくわくしました。物欲のほうも盛り上がってまいりましたが、なにしろ先立つものが少ないゆえ・・・(泣)。

投稿者: birdwing 日時: 23:06 | | トラックバック (0)

2007年9月 5日

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いいトコドリな技術。

天気雨だったり、土砂降りだったり。結局のところ雨降りな一日でした。

台風の影響でしょうか。なんとなく不安定な気候です。そういえば、トップページにクーラーみたいなJukeBoxが設置されていますが、これはぼくが趣味のDTMで作った曲を聴けるようにしています。この1番目と2番目の「AME-FURU」という曲は、今日のような雨降りにはぴったりの曲ですが(自画自賛か。苦笑)、ボーカルはLotusloungeのSheepさんにご協力いただきました。

ちなみにクーラーのようなJukeBoxの使い方ですが、曲番号を選んで、再生ボタンを押してください。ただ、02ではなく2で再生です。0を入れてしまうと再生できなくなるので、そのときは「CLEAR」のボタンを押してください。さらに、連続して曲を聴く場合には、次の曲を再生するボタン(再生するボタンの右側)を押して再生した方がスムースかもしれません。

と、のっけからJukeBoxの再生マニュアルを書いていますが、なにをやっているのでしょうか(苦笑)。

さて。本題。

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仕事でも趣味でも同様ですが、ゼロから何かを作ろうとすると途方もない労力が必要になります。マッシュアップ(MashUp)という言葉もありましたが、既にできあがったパーツを組み合わせて何かを作ると効率的であり、楽ちんです。

そもそもマッシュアップは音楽用語で、既存の曲をリミックスして新しい曲にするという意味だったようでした。それが、開発系の用語として使われるようになった経緯があります。Webサービスの機能が無償でAPIとして公開されることによって、サービスとサービスを組み合わせて、簡単に面白い仕組みを作ることができるようになりました。いわばWebの電子ブロック(古っ!)ですね。知らないか、誰も。

創造性は組み合わせだ、

ということを広告マンのバイブルを書いたジェームズ・W・ヤングやジャック・フォスターや、あるいは創造性の開発において一人者である野口悠紀雄さんなども言っていて、なるほどなあと思った記憶があります。かつてのブログではもう何度も取り上げたのですが、また掲載しておきます。この本です。

4484881047アイデアのつくり方
ジェームス W.ヤング
ティビーエス・ブリタニカ 1988-03

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4484031019アイデアのヒント
Jack Foster 青島 淑子
阪急コミュニケーションズ 2003-01

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4062754312「超」発想法 (講談社文庫)
野口 悠紀雄
講談社 2006-06-15

by G-Tools

また、池谷裕二さんの本にも、年齢を重ねれば重ねるほど組み合わせの能力というものは発達するものだ、などという元気付けられる見解があったり、茂木健一郎さんの本にも、眠っている間に記憶と記憶が新しいつながりを生成する、などということが書かれていて、非常に興味深いものがありました。脳科学的にも組み合わせは創造力の原点のようです。

という、この文章自体が、いままでぼくが読んだ本の断片を組み合わせて書いているわけですが(苦笑)、じゃあひとの文章ばかりで自分ってものはないのか?と言われると、

組み合わせ方、あるいはパーツをチョイスするセンスが自分

ではないか、と思いました。要するにファッションセンスのようなものですかね。どのジャケットを選んで、どのパンツを選ぶか、という選択が組み合わせのセンスである、と。

いいトコドリで構成していくわけです。けれども、そこには関係性の力学が働いて、このジャケットを選ぶならこのパンツはないでしょう、とか、このパンツを選ぶひとはこのジャケットは買わないんじゃないの、という組み合わせがある。

さらに、あまりにも同一系のセンスばかりを組み合わせると、いまひとつぱっとしないものがあり、かっこいいなかにわずかにダサいものを忍び込ませると、それがちょっと効いたりもする。スパイスの効かせ方もまたセンスともいえます。

という(大きな意味で)組み合わせに関連した話題ですが、天体画像の撮影で「Lucky Imaging」という技術が開発されたようです。

デジカメで写真を撮るときに失敗しないように同じシーンを何枚も撮るのですが、先日、息子の自由研究で折り紙飛行機を撮影したときに、ぶれてしまうなどピントが合わないことがありました。

天体画像では空気の状態によって画像が大きく変化するようですが、この「Lucky Imaging」という技術は、複数の画像を撮影してきれいに撮れた部分を合成して一枚の写真に仕上げるのだとか。以下、CNET Japanの記事から引用です。

新技術「Lucky Imaging」--地上望遠鏡で鮮明な天体画像を

ケンブリッジ大学とカリフォルニア工科大学の科学者らが、「Lucky Imaging」と呼ばれる技術を開発した。この手法は、多数の写真を撮影することにより、地球の大気によって天体の画質が損なわれる問題を回避するというもの。この手法を可能にするのが、高速度カメラとコンピュータだ。毎秒20コマの撮影が可能な高速度カメラで撮影した画像の中からコンピュータが最も鮮明な画像を選別し、それらを組み合わせて1枚の画像に仕上げる仕組みだ。

CNET Japanの写真の記事を見ると、一目瞭然ですね。

かなり以前から考えられていた技術のようですが、いいトコドリの発想は他にも使えそうな気がしました。

顔色悪いけど発想抜群とか、仕事はいまいちだけど趣味では充実とか、あるいはその逆のときもあったりして、山あり谷ありな自分ではあります。そこで、自分のパーフェクトな部分を合成すると、とんでもないすばらしいひとになるのではないか、と思ったりして。けれども、よーく考えてみると、あらゆるものに対して平均的な自分ができあがりそうな気がして、ちょっと凹んだりして(苦笑)。

人間、でこぼこだからよいのかもしれません。

投稿者: birdwing 日時: 23:29 | | トラックバック (0)

2007年9月 3日

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折り紙のテツガク。

息子の自由研究が終わってほっとしているのですが、今度はとーさんの自由研究が始まってしまいました。今回、長男くんの夏休みの研究テーマは折り紙飛行機だったのだけれど、理屈っぽいぼくは、折り紙についていろいろと考えはじめています(苦笑)。そんなこと考えてどーなるの?という感じですが、自由研究なんだから終わりにするのも続けるのも自由でいいではないか、と。そんなわけで考えたことを書きとめておきます。

何の雑誌だったか思い出せないのですが、駅のスタンドで、折り紙が子供たちの脳力を育てる、というようなタイトルを読んだ気がしました。ありがちな見出しです。さすがにその短絡的な効果はどうかな、と思うのですが、あらためて折り紙文化とは何だろう、ということを考えてみたところ、次の5つの視点が浮かんできました。試しに考察してみます。

① 2次元から3次元を生み出す創作であること

たとえば絵画も遠近法によって、2次元のキャンバスに3次元的な立体の空間を生み出します。けれども、折り紙は一枚の紙が、折っていく過程のなかで立体に変化する。このダイナミックに変わる過程が面白くて、一枚の紙が飛行機にもなれば動物にもなる。素材から立体的な世界を生み出して、しかもそこには何もゴミが出ない、という効率さもあります。

② 丁寧な仕事をするためのエクササイズであること

きっちりと頂点に合わせて折る、半分に折る、という几帳面さが求められます。この几帳面さは、古来からある日本人のモノづくりの基本だったのではないでしょうか。と、そこで、まてよと疑問が浮かんだのですが、世界に折紙がないのだろうか、と。ネットで調べてみるとありました。なあんだ。これはさらに面白そうなので、またいつか詳しく調べてブログに書いてみたいと思っています。

というわけで残念ながら日本独自の文化ではないようなのですが、息子と折り紙飛行機を作って思っていたのは、折って開く、しるしをつける、という準備的な仕事が多かったことです。この準備的な作業は、その過程ではそれが一体何になるのかわからない。けれども後になってから、しるしの意味が生きてくる。

このときにしっかりと折り目をつけておかないと、きれいに出来上がらないんですよね。準備して、カタチにする。それは仕事はもちろん、料理にも言えることでしょう。趣味の絵画や音楽だってそうかもしれない。そんな丁寧な仕事をするためのエクササイズになる。その規律をぶっ壊したい気持ちもありますけどね(笑)

③ 工夫・改善・創造ができること

既成のラジコンであれば、必ず飛ばなきゃ欠陥商品です。飛ばないラジコンはクレームの対象になります。ただ、自分で作った折り紙、そして折り紙飛行機は、飛ばなければ、なぜ飛ばないのか、と考えさせられます。折り方が悪いのか、飛ばし方が悪いのか、それとも風向などコンディションが悪いのか。自分で作ったのであれば誰を責めるわけにもいかない。自分で考え、工夫や改善をして、こうしたらもっとよく飛ぶんじゃないかと新たな発想をする。これが大事です。

ブログやネットのマッシュアップ、自分でガジェットを作るなどの行為は、新しい時代の「折り紙」になるのかもしれないですね。そんな文化を内包している気がします。

④ コミュニケーションであり、伝承であること

そもそも折り紙の展開図なんてものは古来にはなかったような気がしていて、親から子供へといっしょに折って伝承していったのではないかと思います。うちの親父が教えてくれた紙飛行機は、へそヒコーキだということがわかったのですが(なんか、かっこ悪いぞ、へそヒコーキ)、そのほかにも折り方は忘れてしまったのだけれどイカヒコーキなども折ってくれた気がします。つまり、達人の技と同様に、折り紙もひとからひとへ、ともに折ってみせたり折ったりしながら伝わっていったのではないのか。

そうじゃないよ違うよ、とか、おおうまく折れたじゃん、とか、その作業工程を共有できる。そんなコミュニケーションツールである、という点も見逃せません。

⑤ 折る行為は、パターンの組み合わせであること

きちんと分類していませんが、Wikipediaの折り紙のページにも書かれているように、折り紙は、山折、谷折、ちょっと難しいところだと中割折りなどの折り方と、三角形に折るのか、四角形に折るのか、半分に折るのかなど、どのように折るかというパターンの組み合わせだと思います。これが理解できていないと、展開図をみただけでは折り方が想像できないのだけれど、一度分かってしまうと、ああ、鶴のあの部分の折り方ね、と結構わかったりもします。パターン認識を鍛える上で、かなり意義があるのではないか。

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ということをつらつらと考えてみたのですが、そんな難しいこと考えずに折りなさい、折れば楽しいからいいでしょう、という気がしてきました(苦笑)。折り紙の意味を再発見するのも創造的な活動のひとつではないか、と無理やりこじつけて終わることにします。

投稿者: birdwing 日時: 23:59 | | トラックバック (0)

2007年8月11日

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数字と美しさ、共感覚について。

午前中、夏風邪を引いてしまった長男くんを奥さんが病院に連れていったので、次男くんと留守番してNHKのテレビを観ていました。

最初は夏休みらしくカブトムシVSクワガタムシの特集をやっていました。ヘラクレスオオカブトなど世界の甲虫が紹介されていて、さすがにでっかいなーと思ったのですが、どうしてもムシキングを思い出してしまう。本物のカブトムシにリアリティを感じなくなっているのは、ゲームやアニメの悪影響でしょうか。

その番組が終わったところで、地球ドラマチックというシリーズの「ブレインマン」の再放送が放映されていたのだけれど、これがとても面白かった。NHKのサイトで制作のクレジットを探してみると、2004年のドキュメンタリーでそれほど最近ではないようです。まずは以下、クレジットを引用します。

原題:Brain Man 制作:Channel4(イギリス・2004年) ナレーター:渡辺徹

サイトに掲載されている番組紹介は以下です。

ダニエル・タメットは、どんな計算でも頭の中だけで答えを出すことができます。 ダニエルのもとを訪れた番組スタッフは、彼の数字に対する驚くべき能力を目にすることになりました。実際に計算しなくても、頭の中に答えが浮かんでくるというのです。数字を色や形や質感をともなったイメージとして認識しているダニエル。 番組では、彼が本当に計算の答えをイメージで読み取っているのかどうか、科学者に確かめてもらうことにしました。ダニエルの特殊な能力が明らかになるとともに、人間の脳が持つ新たな可能性を探ります。

ダニエルは幼い頃にてんかんの激しい発作を起こして、それ以降、数字がイメージとして見えるようになったとのこと。また、自閉症の傾向もあったようですが、現在では社会的に問題なく生活しているようです。

彼はどんなに難しい計算でも瞬時に答えを出します。こうした特定の能力に通常のひとにはない能力を発揮することを、サヴァン症候群というらしい。Wikipediaの解説です。

サヴァン症候群(-しょうこうぐん、savant(仏語で「賢人」の意) syndrome)とは、知的障害を伴う自閉症のうち、ごく特定の分野に限って、常人には及びもつかない能力を発揮する者を指す。サヴァン症候群の共通点として、知的障害と共に異常といえるほどの驚異的な記憶力・表現力を持つことが挙げられる。彼らには「忘れる能力」が無いとされ、かなり昔から知られてはいたがその原因は未だ論議されており、正確には掴めていない。現在では脳の器質因にその原因を求める論が有力だが、自閉症者が持つ特異な認知をその原因に求める説もまた有力である。

ぼくがすごいな、と思ったのは、たとえば計算式を与えられると答えが数字ではなく、映像として彼の頭に浮かぶということです。

たとえば「1」は光がフラッシュするような閃きのようで、「9」は巨大な何か、「6」はとてもちいさい何かだとか。そして893であれば、893のカタチがあるようです(ヤクザじゃなくてね)。番組のなかでは研究者が粘土で893のカタチを作らせるのですが、数日後に同じ数字を作らせても同じカタチになる。

それから数字に快・不快もあるようで、円周率は彼にとっては「心地よい」数字の連続らしいのですが、その一部を変更して彼に見させて悩波を測定すると、わざと変えた部分になると脳波が乱れて動揺する。なぜだか理由は分からないけれども、穴に落ち込んだような気持ちになったらしい。

そもそも数字と映像は脳のなかでは 別々の部位で処理されているらしいのですが、何かのきっかけでこれらが連携するようになることを「共感覚」と呼ぶようです。これも思わずのめりこんでみてしまうほど、ぼくには興味のある話題でした。

というのはやはりぼくも趣味でDTMをやっていて、音になんらかの色や匂いがあるような気がしていたからです。Wikipediaの解説から引用します。

共感覚(きょうかんかく、synesthesia, synæsthesia) とは、ある刺激に対して通常の感覚だけでなく異なる種類の感覚をも生じさせる一部の人にみられる特殊な知覚現象をいう。 例えば、共感覚を持つ人には7という文字に青い色を感じたり、音階のミの音に緑色を感じたり、ハンバーグの形が苦い味に感じたりする。 英語名 synesthesia は、ギリシア語で共同を意味する接頭辞 syn- と感覚を意味する aesthesis から名づけられた。

茂木健一郎さんがよく使うクオリアにも関係があるようですね。

表現する人間として究極の理想というのは、創作した作品が受け手の心のなかにどれだけリアルな感覚を再現できるか、ということではないでしょうか。たとえば楽曲を聴いていて、夏の海の照りつける日差し(触覚)を感じたり、潮の匂いを嗅ぐことができたり(嗅覚)、思わず目の前に青空が広がったり(視覚)。

AME-FURUという曲を作ったときには、雨の効果音に頼ってしまったところがありますが、効果音がなくてもメロディから雨音が聴こえてくること。湿っていて、それでいて冷たい空気が感じられるような、そんな楽曲ができたらしあわせだなあ、と思います。

とはいえ、こうした能力はやはり一部の天才だけにもたらされた神様の贈り物なのでしょうか。ぼくが数字をみて快感になるのは、ちょっとボーナスが増えていたときぐらいだもんなあ(苦笑)。数字に美しさを感じることはあまりありません。むしろ数字や語学はぼくにとっては苦痛です。そういえば、番組のなかでダニエルは超難しいローカルな言語を1週間で覚える、ということをやってのけていました。数学的なセンスと語学のセンス、あるいは脳の機能は、どこか通じるものがあるのかもしれません。

ひょっとすると、数学もテツガクもブンガクも、最終的には同じ根っこから派生している学問であって、ぼくらが求めているのはひとつなのかもしれない、などと考えたりもしました。

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共感覚の人々が登場する映画は多いようです。代表的なものは、「レインマン」だと思うのですが、「グッド・ウィル・ハンティング」とか、ビューティフル・マインドも好きな映画ですね。

B001G9EBXGレインマン [DVD]
20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン 2008-11-19

by G-Tools
B0001CSB5Iグッド・ウィル・ハンティング [DVD]
松竹 2004-11-25

by G-Tools
B001RN8W7Cビューティフル・マインド [DVD]
パラマウント ホーム エンタテインメント ジャパン 2009-04-10

by G-Tools


YouTubeからBrain Manの映像。残念ながらイギリスの番組で、英語です(泣)。ただ、使われている映像のエフェクトが結構好みで、内容はわからなくても映像だけみていても楽しめると思いました。ダニエルの脳内の数字によって喚起される映像を視覚化した部分が非常に面白かったのですが、もう少しYouTubeを探してみるとあるのかな。

■Daniel Tammet - The Boy With The Incredible Brain [1/5]


投稿者: birdwing 日時: 21:55 | | トラックバック (0)

2007年5月18日

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瞬きをしている間に。

瞬き(まばたき)をしている一瞬に、世界が消えていたらどうしようと思ったことはありませんか。あるいは目を開けてみるとまったく違う世界になっているとか。

けれども事実として、1秒間に誕生する人もいれば亡くなる人もいる。つまり顕著な変化は感じられなくても世界は確実に変わっているわけで、目蓋を閉じたときの世界と見開いたときの世界は違う。同じように見えるけれども微妙に別の世界です。新しい世界ともいえる。

ぼくらの住むブロゴスフィアも1秒間に大きく変化しています。数えしれないブログのエントリーがあり、消滅するブログもあり、また新しく生まれるブログもある。諍いがあり、誹謗中傷があり、美しい言葉がある。画期的な考察があり、時代を鋭く切り刻む言葉があり、愚痴がある。大量のアップロードが繰り返され、膨張していくのがこの仮想世界です。いったいどこまで広がるんでしょうか。

RSSリーダーができてから、それこそリアルタイムにブログの更新をチェックするようになってしまったのですが、RSSは安堵のためのツールかもしれません。エントリーやコメントがあがったということを確認して、見ず知らずの誰かの消息を知る。ああ、元気に書いてるなあ、と。遠く離れてわからないけれども、画面を隔てた向こう側に誰かが存在していて、まるでくしゃみをするように言葉を綴っているという確認。

テキストの情報は冷たいけれど、RSSリーダーに点滅するNEWという新着のアイコンに、わずかなぬくもりを感じたりします。というのはネットにはまりすぎなぼくだけかもしれませんが(苦笑)。

そんなことを考えてネットを彷徨ってしまったら、「1秒の世界―Global Change in One Second」という山本良一さんの本をみつけました。

44788709931秒の世界 GLOBAL CHANGE in ONE SECOND
山本 良一
ダイヤモンド社 2003-06-13

by G-Tools

書店でちらっとみたような気がするのですが購入していません。Webサイトで60項目の「1秒の変化」が紹介されています。これが面白い。興味のある方は、以下のページをご覧ください。本も読んでみたいですね。

http://www.thinktheearth.net/jp/onesecond/contents.html

ぼくが好きなのは、いちばん最後のこれです。


1秒間に
ハチドリが55回はばたき...
太陽系が銀河を220km進み...
人口が2.4人増えています。

人口の増加ってそんなものなのですね。少子化社会だからなあ。
この1秒間を輪切りにするデータをみていたら、そういえばジャン=ピエール・ジュネ監督の「アメリ」に、ある瞬間を共時的に言及した似たようなシーンがあったことを思い出しました。

B000063UPLアメリ
オドレイ・トトゥ, マチュー・カソヴィッツ, ドミニク・ピノン, ジャン=ピエール・ジュネ
ビデオメーカー 2002-08-02

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アメリ誕生の瞬間を、さまざまな側面から言及しています。そのほかにも、この瞬間に何組のカップルが絶頂に達したかのようなことをアメリが想像する場面もありました。絶頂に達して絶叫する15組の映像がコラージュされて、困惑してしまったのですが。同一の時間軸で空間を輪切りにするような感じでしょうかね。

ちょっと余談になりましたが、「1秒の変化 60項目」からひとに関わる項目を。


1秒間に
人は93mlの空気を呼吸し...
心臓が1回脈を打ち、60mlの血液を体に送り出し...
世界に420万トンの雨が降っています。

次は数値で表現されているのに、ちょっとかなしい。数値によって、かなしい感情を誘うことができるというのも、なんとなく不思議なのですが。

1秒間に
0.3人、4秒にひとりが飢えによって命を落とし...
5歳以下の子ども48人が汚染された水や食糧で下痢になり...
ペットボトル3,500本分のミネラルウォーターが生産されています。

インターネットに関する数値もありましたが、ネットユーザーが飽和しつつあると、だいぶ数値は変わってくるのではないでしょうか。

1秒間に
3人が新たにインターネットユーザーになり...
530万円が教育費として使われ...
4トンの文書用紙が世界で使われています。

環境に関する数値は、なかなか考えさせられるものがあります。気付かないのだけれど、環境破壊も進みつつある。わずかな変化も、長期的な時間のなかでは取り返しのつかない変化となります。

1秒間に
地表の平均気温が0.00000000167℃上昇し...
グリーンランドの氷河が1,620m3溶け...
自然災害に対して、65万円の保険金が支払われています。


1秒間に
深さ4,000mの海底を流れる深層海流が10cm動き...
チーターが28m草原を駆け抜け...
ハワイが2.9ナノメートル、日本に近づいています。

ところで、瞬きをしている瞬間に去っていってしまうひともいます。変わってしまう心もある。それは仕方がないことでしょう。自分の心であれば制御することもできるけれど、他人の心を制御することはできない。変わってしまうひとの心を強制的に押し留めることはできません。

しかし、自分の心は制御できても、記憶の方は制御できなかったりするものです。

少年の頃、とても楽しいことがあった日の夜、目をつぶってしまうとその楽しかった出来事が失われてしまうような気がして、ずーっと目を開けていようと思ったことがありました。アイドルと握手をして、もったいないから手を洗わずにおく、ということと似ているかもしれません(笑)。同じようなことを何かのエッセイで読んだ気もしています。思い出せないのだけれど。

けれども、眠りには勝てなくて、いつのまにか深く睡眠のなかへ落ちてしまう。すると次の朝には、あれほど楽しかった光景がことごとく失われてしまっています。どうして記憶を鮮やかに残しておくことができないんだろう、と悔しく思ったのですが、そんな人類の悔しさが映画やビデオカメラの発明に結びついたのでしょう。

誰かが目の前から去っていったとき、去っていったひとが亡くなったひとではなければ、世界のどこかにそのひとは存在しています。だから、0.1%だったとしても再会できる可能性はある。しかし、残念ながら亡くなったひとにはもう会うことはできない。夢のなかで会うしかない。惜しむべきなのは、目蓋を開いた世界ではなく、目蓋を閉じた世界のなかで、過ぎてしまった日々の残像が失われてしまうことではないでしょうか。

ただ、脳の本などを読むと、忘れてしまった記憶であったとしても脳内のどこかには残っている、という解説もあったような気がします。つまり、気付かない無意識のなかでぼくらの記憶はきちんとアーカイブされている。死の直前に生前のイメージを高速度フィルムのように思い出すなどということが言われますが、失われたと思っていた記憶であっても、そんなときにまた再生されるかもしれません。それは生命というメカニズムの最期のご褒美なのかもしれないですね。ちょっと期待。

仕事で追いまくられつつあるのですが、一瞬を大事にしたいと思いました。子供たちもあっという間に成長していきます。それこそ瞬きをしている間に、新しい言葉を覚えたり、新しい遊びを発明したりしている。ふたりの息子たち自体は去っていくことはないけれども、どんどん変化していきます。昨日の息子たちではない。いつまでも、ちっこいままの子供でいてほしい気がするのですが、そうもいかないものです。

一瞬の笑顔を脳内に刻んでおこうと思いました。いつかまた、その笑顔に会えるように。

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「アメリ」のトレイラーです。なんとなくあの映画のよさを伝えきれていないような気もします。まるで絵本のような映像が素敵だと思いました。メランコリックな音楽も耳に残ります。実はDVD持っています。この映像は何度も観たい、と思ったので。ちょっと甘ったるいストーリーでもありますけどね。

■Amelie Trailer

投稿者: birdwing 日時: 00:00 | | トラックバック (0)