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2006年4月25日

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空間的な把握について。

アエラで記事にもなっていたようですが、東京大学で講義をPodcastingで配信するようになったとのこと。どんなものだろうとちょっと視聴してみました。とはいえ、iPodに入れるのでなくて、iTunesを使ってパソコンで観るような感じです。学術俯瞰講義というのがあって、この俯瞰という言葉にどこか惹かれるものがありました。

小柴昌俊教授の「宇宙と素粒子−物質はどのように創られたのか−」というのをぼんやりと視聴したのですが、なかなかよいです。スクリーンに映し出された資料はよく見えないのですが、壇上でお話する小柴教授のやわらかい言葉に癒される感じがします。内容はというと、頭の悪いぼくにはすーっと通り過ぎてしまったのですが。

「知の開放」という試みとして公開されているようですが、社会人になったぼくらにはこういう体験はありがたいものです。ただ、学生がこれをiPodで視聴して単位にかえられるのは、どうかな、と思いました。どんなに情報化が進んだとしても、やはり大学にいって受講すべきという気がします。サテライトな授業もあるのかもしれませんが、やはりその場の空気を感じで、冷たい机の感じとか、居眠りしている友達の姿とか、ノートに鉛筆を走らせる音だとか、そうしたものが大切なのではないでしょうか。不真面目な学生だったので、しっかり講義に出席しなかったのですが、きちんと出席するというのは大事な気もします。ぼくが言うと説得力ないけれども、面倒だけど行かなきゃという体験はしておくべきです。

ちなみに、東京大学のUTOpenCourseWareというサイトをみていて面白かったのが、MIMA Searchでした。これはどうやらカリキュラムの全体像を視覚的に見渡せるようです。検索結果を「点」と「線」でネットワーク表現するそうですが、マイニングツールっぽくて、なんとなく注目していしまいました。

このように関係を視覚化するツールが今後出てくるといいと思っています。その分野の専門家ではないので、感覚的なことしかいえないのですが、TouchGraphというサイトでは、URLを入れるとGoogleが収集したWebページを視覚化してみせてくれて楽しい。

いま検索エンジンによる結果はテキストで表示されるのですが、いずれは2次元や3次元的なグラフで表示されて、空間のなかをかきわけながら検索するスタイルになるのかもしれません。それはちょうどMS-DOSからMacやWindowsなどのグラフィカルなインターフェースに進化したようなものでしょうか。ぼくらの子供たちが大人になるころには、このWindows的なパソコンの画面やテキストによる検索も古くさいものになっているのかもしれません。

しかし空間的なインターフェースになると、あれはどこ置いたっけかな?みたいなことにもなりそうです。それは、部屋のなかの本やCDでさえ探しきれないような、ぼくみたいな人間だけなのかもしれませんが。

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2006年4月14日

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未来を感じさせるもの。

今年は平成18年だそうです(だそうです、じゃなくて平成18年です)。西暦であれば覚えているのですが、年号を書こうとすると、はて今年は何年だっけ?と忘れてしまうことがよくあります。今日も年号がわからなくなりました。そこでインターネットで年号の早見表を検索して、そうか平成18年だった、と確認したのですが、最近は自分の年齢さえ忘れそうになります。忘れた方がいいのかもしれないけど。

さらに忘れてしまいそうなのが、いまは21世紀だということです。子供の頃には、21世紀といえばロボットが生活のなかに入り込んで夏休みには宇宙旅行にも行けるものだ、と思っていたのですが、ロボットは登場しているものの、まだ20世紀の延長線上にあるような気がします。ぼくの子供たちが大人になる頃には、もう少し21世紀らしくなっているのかもしれない。ほんとうの大変化はこれから始まる、というキャッチコピーがありましたが、水面下で動き出した変化が表面化するのは、まだ先のようです。

感情と表現について調べていたところ、少し前の記事ですがNECとNECデザインと日本SGIで、気持ちを光で表現する「言花(KOTOHANA)」を共同開発という記事をみつけました。

楽しさは黄色、興奮は赤など、音声を認識して感情に合わせて花の形をした端末が光るそうです。IPテレビ電話などで話をしながら、パソコンに接続された「言花」が光る感じでしょうか。感情認識エンジン「ST」(ST:Sensibility Technology)によって制御されているらしいのですが、こういう研究は楽しそうです。並行して本を何冊か読み進めているのですが、「心脳マーケティング」という本にも、人間のコミュニケーションの80%は非言語的なものによる、ということが書いてありました。もちろん、その非言語的な「空気」を読むのが大事なのですが、最近、空気を読めないひとが増えている、ということも何かで読んだ記憶があります。「言花」のような感情インターフェースが小型化されて、みんなが頭の上にのせて、あっあのひとは赤だから注意だ、なんて感情を読む時代がくるのでしょうか。NECのアドバンスデザインのページは未来的なツールが掲載されていて、興味深いものがあります。

音声認識といえば、CNET Japanに「グーグル、音声検索技術を開発か--特許出願が明らかに」というニュースもありました。グーグルならあり得る、という感じがしますが、マップと組み合わせるとほんとうにナビゲーションが充実する気がします。さらにできれば「言花」的な感情認識エンジンも組み込んでほしい。コールセンターはすべてロボットになってしまうかもしれません。といっても、きめ細かな対応はやはり人間に限るのかもしれませんが。

バイオ的な視点からは、以前、健康管理として人間にチップが埋め込まれる、などということを書いたのですが、ペットの世界ではそれが始まっているようです。やはりCNET Japanですが「ワンニャン村 チップ埋め込み犬猫販売 全頭に迷子防止対策」という記事がありました。以下、抜粋です。

ペット用のマイクロチップは、直径約二ミリ、長さ約十一ミリの円筒形カプセルに包まれた電子標識。これを、ペットの背中に皮下注射で埋め込む。注入されたマイクロチップは、体の中を移動しないように工夫されており、臨床試験でもペットにほとんど負担をかけないことが立証されているという。

ちょっとかわいそうかも。

一方で、R25 No.89には、カプセル型内視鏡「Sayaka」「NORIKA」の記事がありました。これは、胃カメラを小型のカプセルにして飲み込めるようにしたもので、カプセルを飲み込むと発行ダイオード(LED)で胃腸のなかを照らしながら、内蔵されたCCDカメラで毎秒30枚の写真を撮るらしい。まさに「ミクロ決死圏」です(人間は小型化できませんが)。ネーミングは研究室に貼っていたポスターの女優、女性研究員から取ったらしいのですが、最終的にはトイレで流されちゃう「Sayaka」「NORIKA」はどうだろう。

米ライス大学が開発したナノカーのイメージも面白いと思いました。世界最小のクルマだそうです。人間のDNAよりも薄いらしい。目に見えないようなところではありますが、21世紀の人類の技術は進歩しているようです。

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2006年4月 6日

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その先の未来。

東京タワーを間近でみてきました。こんなに近くでみたのは久し振りです。昨日とはうって変わって快晴の春の青空に、すくっと屹立する東京タワーは凛々しいな、と思いました。赤と銀色の配色が美しい。「Always 三丁目の夕日」という映画ではCGで建設途中のタワーが再現されて象徴的に扱われていましたが、やはり日本人の気持ちを代表する何かがあるような気がします。中断したまま読んでいないリリー・フランキーさんの「東京タワー」を思い出したりもしました。

ところで、この東京タワーですが、まった別の場所に新東京タワーができるとのこと。伝統的な東京タワーは333mですが、新東京タワーの方は610mです。墨田区にできることが決定したというニュースがありました。デジタル放送関連の機能が集約されるらしい。機能的なものはもちろん、21世紀のぼくらの気持ちを象徴するような建築物であってほしいと思ったりもします。

ぼくが今日、東京タワーをみたのは別に東京見物をしていたわけではなく、東京プリンスホテルパークタワーで開催されているIDF(インテル・デベロッパー・フォーラム Japan 2006)に参加したからでした。半導体の最大手インテル社が主催するイベントです。

基調講演を拝聴したのですが、同時通訳の機械を外して聞いてみました。英語はあまり得意ではないのですが、同時通訳はありがたい一方でちょっと混乱もします。美しいプレゼンテーションの画面を集中してみていると詳細はともかく、なんとなくプレゼンテーターが強調していることは伝わってきました。今回は、途中でゲストのスピーカーを壇上に呼んで、お話をうかがうような形式でしたが、なかなか説得力がありました。マッシュアップ的などという言葉も安易に言ってしまいそうになりますが、ひとりのプレゼンテーターが話しつづけるよりも新鮮です。それぞれのゲストスピーカーの方に特長があり、いろいろと考えさせられました。

ふたつの基調講演のあいだに映像が流されたのですが、この映像がよかったです。各国の子供たちが、ITについて語るのですが、昔のことを覚えているよ、というキーワードでいろんなことをお話します。たとえば、「昔は人に道を聞いたんだよね」「パパはオフィスって場所で働いていたんでしょ」「ダイアルアップってものがあったよね。がーって音がして」のような過去を「覚えているよ」と延々と語りつづける。結局、モバイルPCによるナビゲーションで道がわかる、無線によりどこでも仕事ができる環境になる、アナログによるインターネットは消滅するなどのことから、あらゆる技術が過去のものになってしまうことで、その先の未来のことを喚起させるような映像です。ちょっと感動しました。いま当たり前のような現実も、きっと子供たちにとっては過去のものになるはずです。UMPCも発表になりましたが、大きくハードウェアの世界に変化がありそうな予感もあります。そして、それを支えるのがインテル社の技術という印象を持ちました。

講演の壇上に並べられたマシンのなかにはIntel Macのマシンもありました。ちょうどアップルからIntel MacでWindows XPが動くBoot Campというソフトウェアを提供するニュースが盛り上がっていました。詳細についてはあまり公開されていないためアナリストによっては懐疑的な見解もあるようですが、大半はこの動きを評価しているようです。ぼくもこれはいいな、と思っています。思わず、Intelが入っているMac miniが欲しくなった。

基調講演の最後には、デジタル・ヘルスとして医療分野に向けたインテル社の取り組みについてのプレゼンテーションもありましたが、これも興味深いものでした。壇上で、医療用のタブレットPCを操作して、電子カルテの実演のようなものをされていたのですが、実際に息子(次男)が喘息で入院したとき、入院した病院は最先端の施設が導入されていて、看護婦さんはベッドの脇に備えられているタッチパネル式の機械を操作して、診断結果などを入力していたことを思い出しました。その画面はテレビにもなっていて、キッズチャンネルのようなアニメをみることもできる。さらにぼくは使わなかったのですが、病室外と、テレビ電話のようなこともできたような気がします。

ゲストスピーカーである日本医療情報学会理事長(兼学会長 東京医科歯科大学 情報医科学センター センター長)の田中先生という方は、次のようなお話をされていました。電子カルテのような医療のIT化をすすめるにあたっては、まず標準化がある。次に個々にあわせたカスタマイズがある。そしてさらにユビキタスとして、いつでもどこでも健康状態がモニタリングされていて治療を受けられる社会がある、ということです。

個々に合わせたカスタマイズ、ということでちょっと思ったのは、個人の遺伝子情報もデータベース化されるんじゃないだろうか、ということです。というのも、Googleが地図情報や図書館情報だけでなく、遺伝子情報もデータベース化しようとしている、というニュースを読んだことがあったからです。真偽は不明なのですが、SF映画のような未来が身近に迫っている感じもあります。

いつも健康状態をモニターされているのもちょっと困りますね。ナノレベルの目にみえないRFIDのようなチップを身体に埋め込んで(というよりも薬を飲むようにチップを飲み込んだり注射で身体に入れて)、モニターされた情報は無線で身に着けている時計のような機器に送って管理する。そんな感じかもしれません。問題が生じると「ストレス・ガ・ジョウショウチュウ・キュウソク・ヲ・トッテクダサイ」などと、デジタル・ヘルス・エージェントに言われてしまうのでしょうか。いずれは立体映像のような形で、チップから読み取った情報を解析して異常が認められると、ぽんと妖精のようなバーチャル・エージェントが出てきて「ねえ、ちょっと頑張りすぎよ。休んだら?っていうか、休みなさい」と警告されるのかもしれません。

どんな未来になっても自分の健康は自分で管理したいものですが、そんなSFっぽい未来もちょっと期待しています。

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2006年3月27日

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感情のモノサシ。

感動した、というときにひとはどのくらいの感動をしているんだろう。たとえば感動のメーターがあったときに、メーターの針を振り切ってしまうような感動もあれば、わずかに針がぴくんと触れる感動もあるわけです。けれども、いずれにしろ言葉にすると、感動した、ということになる。針の触れ方は削ぎ落とされて、ある意味、デジタル処理されてしまう。言葉にすることはアナログのようで、実はものすごくデジタルなのかもしれません。

しかも、感動メーターがあるとすると、そのメーターは個々のものなので、感度が違っています。たとえば映画を観ているときに、まったく本筋と関係のない青空に泣けるようなひともいれば、映画館の全員が号泣しているのに、まったく平静なひともいるものです。はたして絶対的な尺度のモノサシはないのではないか、ということも考えてしまいます。もちろん統計学的には一定数のサンプルを集めたなら、ある程度の傾向がみえるのかもしれませんが。

満足に関しても同様のことがいえます。文章を書いていたり、音楽や絵画などの作品を創っているときに、ああこれで満足だ、作品が完成だ、と思えばそれで終了です。しかしながら、ちょっと待てよ、と思いはじめると、細部の詰めが気になってくる。もう一度やり直しをかけているうちに、別の部分も気になってくる。結局のところ永遠に直しつづけることになり、いつまでたっても完成しない。たまにぼくは、そんな無限ループにはまることがあります。

以前、はてなの開発者には「50%ルール」がある、ということをどこかで拝見しました。つまりサービスは、50%完成したところで公開してしまう。β版の段階で一般のひとに使っていただき、結果をフィードバックしてサービスの完成度を挙げていく、ということのようでした。50%というのは完成度が低いような印象もありますが、完璧なものが完成したときには時代に取り残されてしまうようなスピード勝負の時代には、不完全であってもまず世のなかに出してしまうスタイルが受け入れられるのでしょう。

一方でそれはインターネットの世界だから通用するスピードであり、なんでもかんでもそのルールを適用すると中途半端にもなってしまいます。スピードの速さで疲弊してしまう。リアルな世界では、スローライフな毎日もいいものです。

といいつつ、音を理解するスピードから脳の速さを測定するサイトがあるということをCNETJapanの記事で知りました。「脳の回転の速さを測れるウェブサイト、米国で登場」という記事から引用します。

同社のウェブサイトでは10分間のオンラインテストが受けられる。このテストでは、被験者に音の違いを矢印をクリックして回答させ、回答の速さと正確さを測定する。テストが終了すると、回答者はミリ秒までの精度で自分の脳の処理速度を知ることができる。

速度の判定には、以下のような基準があるそうです。

平均的な聴覚処理速度は、20歳代が68ミリ秒で、40歳代になると87ミリ秒、そして60歳代になると106ミリ秒になる。

最近、脳ブームともいえますが、ニンテンドーDSの人気ゲームのような仕組みでしょうか。結果を知るのが怖いのでやっていません。あえて、自分のモノサシは自分で作ります、とか言ってみたりして。

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2006年3月25日

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PSEの行方。

学生時代や、お茶の水に近い職場で働いていたときには、よく楽器店に行って中古の楽器を物色したものです。ギターやベースはみているだけで何か幸せな気分になったのですが、特にデジタル系の機器は、安価なエフェクターを含めて、じっくりと時間をかけて吟味した思い出があります。買うかどうかはともかく、ですが。

4月から中古家電に販売規制がかかり、PSE(Product Safety,Electrical Appliance & Materials)マークの取得が必要になります。なんとなく面倒なことになってきたな、という気がするのですが、販売店も重い責任を負うことになるため、中古販売店ではいろいろと悩むところが大きいようです。レンタルという手段もあるようですが、やっぱり個人としては手に入りにくい名機をこつこつお金を貯めて購入するという楽しみもあり、自分で所有したいという欲もあるのではないでしょうか。

ビンテージという言葉があり、シンセサイザーに関わらず、ファッションやクルマ、ワインなどさまざまなモノに渡って使われていると思うのですが、それを国が法律で定義しようとしている。なんとなく無理がある気がします。asahi.comの「ビンテージってなんや PSE法で電気街・日本橋も混乱」という記事にも書かれていますが、さまざまな反発の声から「例外」の措置を考えて苦しい対策をしているうちに、余計に混乱を招いている。それにしてもPSEを認定するための試験機器も不十分である、というニュースを聞いたような気もするのですが、準備期間は長かったようですが、いざ実施にあたってさまざまな問題が浮かび上がってきたようです。

坂本龍一さんも、批判しているようですね。15日の古い記事になりますが、CNETにも「はっきり言うと、これは文化破壊--坂本龍一氏らがPSE法に対する要望を発表」ということが書かれていました。

ところで、ぼくはその昔には、ローランドのJUNO-106という入門用のシンセサイザーを持っていました。それほど高価な機器ではなかったと思うのですが、まだ若くて貧乏な時代だっただけに、ローンを組んで大事に使っていたものです。結婚後、使わなくなってしまって、部屋の隅に立てかけておいたところ、何も弾かなくてもぶーんと音が出るように壊れてしまったので、まあいいやという感じで手放して処分してしまいました。けれどもローランドの楽器は、ピアノはともかく、オルガンやストリングスはなかなかよい音だったと思います。そして何よりも部屋に鍵盤がある、というだけで何か雰囲気が違う。

いま、ビンテージのシンセサイザーは、わざわざハードウェアを購入しなくてもソフトウェアで実現できるものも多い。ミニムーグや、DX7、コルグの製品など、往年の名機をソフトウェアで再現したものが数多く出ています。フリーウェアとして提供されているものもあり、これが無料か?とびっくりする。

もちろん音楽を創るという結果論からいえば、別にハードウェアじゃなくてもソフトウェアのシミュレータで十分な部分もあります。マシンのスペックにも依存するけれど、配線コードをつないだりする面倒もなく、パソコン上で制作環境を完結することもできます。けれども、上に書いたように、やはり機械ではあってもハードウェアがもつオーラというか、存在感というものがある。ソフトウェアではなんだか物足りない感じもします。最近ではそれほど感じなくなったのですが、当初はクリエイティブなことをやろうとするとウィンドウズじゃなくてマッキントッシュのマシンだ、というこだわりもありました。なんというか、モノづくりに対するこだわりだやテツガクが感じられると、創作意欲も刺激されるものです。

それはブログに関してもそうかもしれません。はてなで日記を書くとやはり何か刺激されるものがあります。デジタルだから、アナログだから、という区別はなく、ビジョンの掲げられたサービスや製品を使うと、そのビジョンに影響を受ける。幻想かもしれませんが、そういう感覚を信じていたい気もします。

なんとなく悪者になってしまったような感じもあるPSE法ですが、もともとは消費者の安全を守るために生まれた法律だったという認識もあります。電気ストーブに関する事故も一時期多発しましたが、これらの事故の場合、ひとつ間違えると死に至るような危険性もある。電気ストーブと電子楽器というのは、同じ電化製品とくくってしまうこともできますが、どうも違うカテゴリーという気がします。というのは、生活において何をもたらすのか、と考えた場合にまったく別物です。

PSE法についてはちょっとかじっただけなので、きちんと理解していないのですが、危険度の高いものから考えていく、ということはできなかったのかな、と思いました。消費者のシーンを考えずに機能的に実施してしまうところが、お役所的といえばお役所的なのですが。

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