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2005年12月30日

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年を忘れて、よいお年を。

大切な風景や時間を残しておきたい、という気持ちがあります。カメラにしても録音にしても、そんな人類の残したい気持ち(といったらおおげさですが)を、技術によって具現化したものではないかと思います。小説や詩などの文芸作品でも、ある特別な雰囲気や気持ちを文章のなかに閉じ込めて、自分はもちろん読者のこころのなかに再現できるようにしたいから書いていることもあります。そもそも日記はそういうものかもしれない。きょうのできごとはぜったに忘れたくない、だから書き留めておく、ということもある。いいことにしても悪いことにしても、です。

しかしながら、忘れないでおくことが幸せなのかどうか、いろんなものを残しておくと部屋も心の引き出しもいっぱいになるのではないか、もっとシンプルに抱え込まずに生きていけないか、ということをちょっと考えました。

年を取ると物忘れが多くなるものです。ぼくの母方のおばあさんは、とても負けず嫌いなひとだったので、年をとってから何かを忘れてしまうのがくやしかったようで、何度も孫のぼくたちの言葉を確認したり、メモに書き留めたりしていました。もちろんその気位の高さが若さを保つ秘訣なのかもしれませんが、あまり老化に逆らって覚えておこうと頑張るよりも、すうっと忘れてしまったほうがいいんじゃないか。そんな風にも思います。

そこで思い出したのが、小川洋子さんの「博士の愛した数式」です。本屋大賞という賞も受賞したようですが、ぼくも非常に感激してて読んだ本でした。とてもあったかい気持ちになる本です。高名な数学の博士がいて、彼は80分しか記憶が持たない。その彼の家で世話をする家政婦さんと、ルートと呼ばれる彼女の息子による物語です。80分しか記憶が持たないから、家政婦さんがいるということさえ忘れてしまう。だから身体のいたるところにメモを貼り付けている。

文庫本にもなったようですが、実は書籍は田舎の母に貸してしまって、いまぼくの手元にありません。しかしなぜこれを思い出したかというと、先日、息子とムシキングの映画に出かけたときに、映画化されたというパンフレットを手に入れたからです。2006年1月に公開らしい。博士は寺尾聰さんで、家政婦さんは深津絵里さんとのこと。うーん、原作はもうちょっと渋めな感じがしました。ちょっと若いキャスティングですね。ネットで調べてみると10月に試写会をやっているようで、実は僕が知らないだけでした。

もうずいぶん前のことになりますが、この小説を読んだときにぼくが連想した映画というと、「メメント」と「ビューティフル・マインド」でした。「メメント」の方は心理サスペンスっぽいのですが、主人公は10分しか記憶が持たないので、身体そのものにボールペンで文字を刻んでいた気がします。逆行するようなストーリーが、なかなか面白かった。「ビューティフル・マインド」の方は、ラッセル・クロウがやはり天才科学者を演じている。しかし天才である反面、彼の頭脳はまったく現実とは別の仮想世界に入り込んでいく。この系統の映画、ものすごく好きなテーマだったりします。ぜんぜん内容は違いますが、ぼくとしては「ショーシャンクの空に」などと同じ系統の認識です。心のありかを描くヒューマンな映画という意味において、こういう映画に弱いです。

と、ちょっと脱線してしまったのですが、ぼくが小川洋子さんの「博士の愛した数式」を読んだときに、あっそうか、こういうのいいなと思ったのは、80分しか記憶が持たないから、もう既に会っている家政婦さんやルートにはじめて会ったように挨拶をするんです。つまりいろんなことがあってもそれをすべてリセットして、はじめまして、のように出会う。要するに、

古い記憶を忘れてしまうと、毎日が生まれ変わるようなものだ...

ということです。つまり、過去のあれこれを引きずらないから、毎日が新しい。これって不便なことも多いかもしれませんが、新鮮な気がします。あーあやっちゃったなあ、と落ち込むようなことも忘れてしまうし、大喧嘩してどろどろに傷つけたことも忘れてしまう。

忘れることって素晴らしいかも。健忘症になろうと思いました。

あんなこと言われたよなあ、とか、信頼していたのに裏切られちゃたなあ、とか、夜に眠っていても、もやもやしたりむかーっとしたりうまく寝付けない夜もあります。忘れたくても忘れられないことがたくさんある。つまんでゴミ箱にぽい、とパソコンのように簡単に不安や苛立ちを消すことができないのが人間というもの。

でも、いろんなことをけろっと忘れてしまうほうがぜったいに幸せだし、健康的な気がする。嫌なひとは、そのひとの存在から忘れてしまえばいい。存在を消去です。ありゃ、あなたどなたでしたっけ?みたいな。そうすると先入観がなくなるので、もしかするとまた仲良くなれる日もくるかもしれない(あるいは、一生、二度と出会わないかもしれないのですが)。

年忘れ、ということで忘年会もありましたが、今年一年の嫌なことはすべて忘れてしまいましょう。そして新しい年を迎えましょう。

充電のため、このブログは数日ばかりお休みをいただきます。いままでありがとうございました。そしてまた来年もよろしくお願いいたします。

みなさま、よいお年を。

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2005年12月29日

a000827

新しいものがもたらすもの。

新しいものに出会うと、なんだかわくわくします。新しいひと、新しい技術、新しい小説や音楽や映画、入学など家族が直面する新しいステージ。現状を塗り替えてしまうような新しいものは一方で不安も感じさせる。リスクもあります。でも、そんな不安よりも、新しいものに対する期待感の方が大きいものです。そして、新しいものというのは、意識的に作り出すこともできるような気がします。年齢のせいか(ちょっとかなしいけど)、いままでの古い世界で安穏としがちであり、新しいものを全面的に受け入れるということはできなくなってきました。拒否しがちです。保守的になってきました。けれども、自分のまわりに張りめぐらされたバリアを解いてみること、あるいは自分の方から一歩あゆみ寄ってみることで、新しいものをゲットできるような気もしています。

SONARという音楽制作ソフトのアップグレードを申し込んでいたのですが、昨日やっと家に届きました。FAXで注文して近所のコンビニで代金を支払えば家に届くので、便利な世界になったものです。オンラインでポップアップメニューを表示して「新しいバージョンが出ましたよ」と教えてくれるソフトウェアもあって、こちらも便利です。あまりにも頻繁に表示されるのは逆にうざったいものもありますが。

ダンボールの箱の梱包を開いて、ぷちぷち(エアークッションですね)に包まれたソフトウェアの箱を取り出す。マニュアルとCD-ROMだけが届くのかと思っていたのですが、きちんとパッケージが入っていて、ダウンロード販売よりもパッケージ派のぼくとしては嬉しかった(その処分に困ったりもする)。

SONAR5のパッケージおよびマニュアルは、従来は深い緑と黒を基調としたデザインだったのですが、ブルーグリーン、白、グレイのカラーになっていて、なんとなくさわやかなイメージです。うーん、なんだか新しいぞ、という気持ちがしました。職業柄、こういうデザインに注目してしまう。

ついでにぼくは社会人としての第一歩をテクニカルライターとしてスタートした経緯があります。テクニカルライターというのは何かというと、マニュアルの文章を書く仕事です。コピーライターが感性のライターとすると、テクニカルライターは理性のライターである、なんてことが言われていました。当時は、業務用ワープロの分厚いマニュアルを作っていました。メーカーから開発途中の基板むき出しのマシンと開発者の技術仕様書が届いて、それをもとにランチェック(仕様書通りに動くかどうか、などのチェック)をしながらマニュアルを作っていく。しかしながら、どちらかというと感性の文章の方がいいなあ、と思っていたぼくはテクニカルライターから方向転換するわけですが、企画を組み立てる上のロジックの通し方などで、当時の地味だけど徹底した訓練が役に立っています。

そんなわけで、実はマニュアル大好きなのですが、SONAR5のパッケージにもやっぱり分厚いマニュアルが付属していて、真新しい印刷の匂いといい、なんだか満足でした。ぱらぱらとめくって、章立てがモジュール化されているかどうか、検索は十分か、などなどついついチェックしてしまう。たぶんそんなひとはあまりいないと思うので、マニアックですけど。

機能強化とともに、次第にPCのスペックも高いものが要求されつつあるので、若干不安もあったのですが、現在のノートパソコンにインストール。最近はネットでユーザー登録、アクティベーションというスタイルのものも多くなっていて、こちらも登録完了。

SONAR5、なかなかいいです。仕事があるため、あまり使っていないのですが、ぼくがまずいいなと思ったのは、シンセ・トラックの波形プレビューができること。プレビューをオンにすると、再生にしたがって波形が描かれていく。そして、音量がピークを超えている部分は赤く表示されて、その部分のフラッグのようなものが出てくる。これ、いいです。一方、メーターのデザインが味気なかったり、インラインのピアノロールは逆に見にくいのでは?とか、シンセラックのアイコンが紛らわしい、などちょっと気に入らない部分もあります。

とにかくちょっと新鮮な気持ちになりました。道具を変えてみると、何か新しいものを作ることができそうな錯覚まで生じるのが楽しい。そんなことをやっているうちに、もうすぐ新しい年です。

投稿者: birdwing 日時: 00:00 | | トラックバック (0)

2005年12月28日

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仕事納めが納まらない。

本来であれば昨日で仕事納め。忘年会をやってわーい冬休みだ、というシナリオだったのですが、どういうわけか最後の最後に仕事が集中して仕事納めが納まりません。しかしながら、実は子供の入院と自分の体調を崩してしまった1週間のしわ寄せがきているところもあります。まあ、仕方がないことです。

今日はといえば、会社の年賀状作りに終始してしまいました。会社の年賀状ですが、数年前からメールで謹賀新年というスタイルも多くなってきています。とはいえ、ぼくはどちらかというと葉書派です。もちろんもらう立場からはメールで十分にうれしいのですが、送る立場としては、やっぱり葉書で送りたい、という気持ちがある。そういう意味でレガシーなのかもしれません。ダウンロード販売よりもパッケージ、というタイプかも。そして、できれば印刷じゃなくて手書き、という理想があります。もちろんそんなことをやっていたら他の仕事の支障となるので、やりたくてもできないのですが。

名刺交換だけのひとを含めて、今年もたくさんの素晴らしいひとに会いました。そんなわけで年賀状の数は倍増させてしまったのですが、個人情報保護の観点からも持ち帰ってあて先を入力するわけにもいかず、結局、休日出勤という形になってしまいました。ただ、うんうん考えるような仕事ではないので、音楽を聴きながらかちゃかちゃ入力するのも楽しいものです。

会社間のコミュニケーションもメールが主流になりましたが、場合によっては葉書やFAXの方が届きやすいこともあります。これはほんとうに使い分けだと思うのですが、スパムとしてDMが多くなってくると、逆に机の上に届けられたFAXの方がきちんと読むこともある。手書きのあたたかさ、というものも捨てがたい。以前、社内的な調査でいくつかの企業に資料を請求したことがあったのですが、資料をいただいたお礼を手書きの葉書でお送りしたところ、非常に感激されました。コミュニケーションというのはやはり人間と人間が行うものなので、効率だけを追求すると、ばっさりと抜け落ちてしまうものもある。その辺りを感じとる心が大切です。

たぶん就職活動をする学生さんたちにもいえることかもしれませんね。残念ながら、ぼくは最近の学生さんたちがどのような就職活動をしているのか、あまり知らないのですが、たぶんメールなどのやりとりが増えてきているんじゃないか、もしくは必須ではないかと思います。ただ、そういうときに、さらりと手紙などを使ってみると、効果的な場合もあるんじゃないでしょうか。しかし、書いた手紙の敬語や文字がめちゃめちゃであると、かえって逆効果かもしれませんが。

ぼくは全面的にデジタルの信奉者というわけでないし、一方でアナログであることが優れているとも思いません。理想としては、両方のメリットとデメリットを把握した上で、使い分けられるのがよいと思っています。あるいはそれらを混在させるような形が理想的です。

趣味のパソコンによる音楽作り(DTM)においても、Vocaloidに加えてReal Guitarというソフトウェアを購入したことで、なかなか面白いバーチャルな環境が整いつつあります。弾いていないギターなんて嘘じゃん、という方もいるかもしれませんが、ぼくはDTMの世界では上手に弾けることよりも、自分の作品を完成させることを重視しているので、この環境は理想的です。でも、一方で、ベースの弦をはりかえなきゃ、と思っている(ずーっと思っていながら、まだはりかえていないのですが)。近所に、ぶんぶんベースを練習しているひとがいて、おおっいいなあ、といつもその近くを通りがかりながら思うのですが、小型のベースアンプもほしくなりました。休日の午後、スケールレッスン(運指でしょうか)を1時間ぐらいやる、というのも、なんだか幸せな時間が過ごせそうです。もちろんバンドもいい。みんなで音を出すのは、もっと楽しいと思います。

そもそもぼくは俯瞰志向なので、片側よりも両側、単一よりも複数、点よりも面のようなものを求めていたい。だから、デジタルでありながらアナログ、なんてものが理想です。それから考えてみると、会社を何社か変わりつつ、自分の求める仕事を実現しようとしてきました。だから、仕事でありながら趣味、のようなところもある。仕事は仕事、と割り切ってしまわないで、面白い仕事を求めてきたし実現してきた。もちろん現状に不満がないといったら嘘になりますが、いまの仕事はかなり自分の求めていた仕事に近い形になってきた、という充実感もあります。もしかすると、ぼくはかなり幸せなのかも。いや、幸せであると信じましょう。

年始に大きめのプレゼン(プレゼンテーション。企画の発表)も待っています。プレッシャーも大きいのですが、社内でブレスト(ブレインストーミング。あーだこーだアイディアを出し合うこと。こういう会議で大事な前提条件は、批判しないことです。批判すると自由に発想が広がらない)をやったら、盛り上がった。まずは成果よりも楽しもうと思います。

あ。そういえば家の年賀状もまだでした。ううう。今年中に終わるのでしょうか。

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2005年12月27日

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振り返ること、展望すること。

周年事業に関する方向性についての企画書をまとめていました。やはり過去を振り返りつつ、未来へ思いを馳せることは重要だなあと考えました。企業も個人も、過去の蓄積の上に成り立っていることは紛れもなく、どんなにリセットをかけたとしても、その経験というのは残る。もちろんよい経験もあれば悪い経験もあるのですが、よい経験はいっそうよく、悪い経験は反省すれば、みんな成長のための栄養となる。情報化という世のなかも、いま節目にあるような気がしています。だからこそ振り返ること、未来を展望することが重要な時期です。

来年2006年はついにWindowsVista(開発コード名ではLonghorn)が登場します。一方で店頭では20周年記念パッケージというのも発売していました。マイクロソフトのホームーページでは、Windowsの20年を振り返る特別コンテンツが掲載されていて、なかなか興味深いものがあります。ビルゲイツとポールアレンがマイクロソフトという会社を作ったのは1975年。その当時にこんなに大きくなるなんて、思っていたのでしょうか。

ちなみに、ぼくが最初に使ったパソコンのOSはMS-DOSでしたが、ちかちか点滅するプロンプトにDIRと入力しなければ、パソコンのなかのファイルを見ることができませんでした。バッチファイルでメニューを作ったり、という楽しみはありましたが、とにかく面倒でした。マウスでクリックすればハードディスクの中身を見ることができるなんて、当時から思えば魔法のようです。「MS-DOSって何ドスか?」みたいな漫画による解説書のようなものがあって、それで理解したり、コマンドを覚えたりしたのですが、そんなものはいまではまったく必要なくなっています。やれやれ。あの苦労は何だったんでしょう。

最初の会社のばりばり理系の先輩にゆずってもらったDynabookで、パソコン通信をやったり表計算をしていたのですが、その後、転職した別の会社の文学系先輩にデスクトップのPC(NECのやつだったと思います)を譲ってもらって、こちらはWindowsでした。先輩たちにはお世話になりっぱなしです。何もご恩をお返しすることができなくて、お恥ずかしい。その当時は仕事でもWindows版のPageMakerを使っていて、いま思うと無謀のようなことですが、WindowsDTPからの版下出力をやったりもしたものです。その後、Macに乗り換えた時期を経過して、現在は再びWindowsです。

一方で、Ad Innovatorでは、PC World誌による過去50年のトップ50ガジェット(電子機器)の特集が紹介されていました。1位がソニーのウォークマン(カセット)で、2位がiPod(ハードディスク)という対比が面白いです。iPodの解説の最初には、ウォークマンが王様ならiPodは王子様なんてことも書いてある。もちろん「音楽を持ち歩く」というスタイルとしては、血縁関係はあるような気がしますが、カセットというメディアがあったかないかということ、録音できるかできないかという意味でも(厳密に言うとiPodは録音ではなくてデータを格納できるということだけど)王様と王子様の間には大きな隔たりがある。

そもそもぼくは録音にこだわりがあったので、ウォークマンは持っていませんでした。音楽は家でじっくり聴けばいいし、録音できないラジカセなんて、みたいな印象があった。開発途中には、そういう意見が圧倒的に多かったようですね。しかし、市場のニーズとしては音楽を持ち運びたい人々の方が多かった。しかしながら、世のなかとは反して、ぼくはやはり録音できなきゃダメ派であり、ウォークマンよりむしろ「デンスケ」がほしかった(うわー古すぎる)。少年の頃、デンスケのカタログを電気屋さんでもらってきては眺めていたものです。生録なんて言葉も、もう死後なのかもしれません。数十万もするポータブルカセットデッキは、少年のぼくにはぜったいに手に入らないものでしたが、その後、持ち運びはできないものの、TASCAMのマルチトラックレコーダーを購入したときにはものすごく嬉しかったものです。

OSにしてもハードウェアにしても、過去のノスタルジーに浸るのは結構楽しい。でも、未来をみなくては。

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■ということを書いていて、検索してみたら以下のような記事をみつけました。24bit/96kHz対応のPCMによるメモリーレコーダーとのこと。うーむ、このコンデンサマイク、アナログの丸いメーター、いいです。しかし20万円はいまでも高い。音楽用には、RolandからWAVE/MP3レコーダーが出ていていいなあと思いました。

デジタル時代に"デンスケ"が蘇る!? ナマロク世代に贈る24bit/96kHz対応メモリーレコーダー ソニー「PCM-D1」
http://arena.nikkeibp.co.jp/rev/20051207/114630/

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2005年12月24日

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信じること、を信じること。

まずはとりあえず、メリー・クリスマス!!

都心とは離れた方向へ子供たちへのプレゼントを買いに出掛けたのですが、都心とは反対方向にもかかわらず、クリスマスを街で過ごそうとするひとでいっぱいでした。カップルも多い。しあわせそうです。女の子がみんなきれいに見えるのはぼくだけでしょうか。

子供たちには、2段階のプレゼントを用意しました。まずは、パパ・サンタからのプレゼント。どこかに出掛けたぼくを待ち受けていた息子たちに、これはパパからのプレゼント!と渡して目くらましをしたあとで、こっそり本物のプレゼントは部屋に隠す。そして、本物のプレゼントは今日の深夜に枕元に置く予定です。

というのは、8歳の息子が「ねえ、サンタってほんとうにいるのかな。ほんとうのことを言って、ママ」ということを言い出しました。彼はずーっとサンタのことを信じていて、いまでも信じているようですが、若干の迷いが出てきたようです。ちなみに、彼はサンタを確認しようとして、眠いのを我慢して起きていたことがあったらしい。睡魔と闘いながら、プレゼントを置くサンタを確認したとのこと。その話を聞いて、若干ぼくは焦ったのですが、で、サンタはどうだった?と訊いてみると「意外に若かった」とのこと。ぼくであることがばれていなくてほっとしました。どうやら彼はまだサンタを信じているようです*1。

大人の社会では、そんな風に純粋に何かを信じることができなくなってきています。一般論ですが、ふつうはマネージャーというのは高い志を抱いていて、自分よりもスタッフのことを気遣い、人格者である、とそう信じている。そんな人格者であれば、自分を捨てて力になりたいと思うものです。しかしながら、そんなマネージャーは企業にはいません。優秀な人間が辞めてしまって、そのあとを継ぐひとがいなくなったとしても、「辞めちゃったんだからしょうがない」なんてことを平気で言うし、自発的に何かを考えてやろうとしたり向上心のある人間に対しては、成功すれば上司である自分の手柄にしてしまうし、失敗すれば「おまえが勝手にやったことだから」ということを平気で言うものです。頑張ってくれ、という言葉を信じて部下が深夜まで働いたとしても、うまくいかなくなれば「いやーおまえが勝手にやったんでしょ?」なんてことを言う。凹むよりもまず人間不信になります。やがてストレスで身体がおかしくなる。で、健康を害した人間に対しては、「健康管理を怠ったきみが悪いんでしょ?」なんてことをまた平気で言うものです。頑張った人間が損をする。給料は据え置きのまま責任ばかりが増えていく。それがほとんどの会社では?

これも一般論ですが、そんなマネージャーはどこかから引用した自分の言葉ではないフレーズをさも自分の言葉のように使って、日のあたる場所にいる。現場とは遠い抽象的かつ安全な場所です。その日溜りから「いままでオレが何度も言ったのにやらない」とスタッフを無能と決め付けて批判するけれども、意欲のある人間を潰して転職などに追いやってしまえば、そりゃあ残された人間は誰もやらないでしょう。やらせなかった自分は棚に上げて、責任は全部他人のせいにする。そんな姿勢を見ていれば、残った人間は二度と何もやらなくなる。おいしいアイディアだけいただきで、スタッフのことは考えもしない。いつまでもスタッフは日の当たらない場所にいることになる。そんなマネージャーに見習って、他人には協力しない(でも協力は仰ぐ)、リードしないが批判はするリーダーなどというしょうもない輩も出てきます。

その一般論に対してぼくが考えることは、信じることも自由だけれど、信じないこともまた自由である、ということです。純粋に信じていたとしても、裏切られることが多いのが大人の社会というもの。みんなに幸せをもたらすサンタクロースばかりを信じていられない。であれば、信じて傷つくよりも信じなければいい。信じないというよりも「見切る」だけでいい。砂漠のような場所に花が咲くことを信じて種を撒き続けるよりも、花が咲くような環境をみつければいいし、花が咲かない場所からは立ち去ればいい。選択は個人の責任において自由です。

しかしながら、サンタなんてほんとうはいないんだよ、と言ってしまうことは簡単ですが、ぼくは夢をみていたいし、その夢を重視するところで生きていきたい。基本的には信じていたいんです、どんなに不条理な世界であっても。しかし信じることによるリスクの大きさも分かっている。だから夢を消耗させてしまうような環境であれば、いままでの安穏とした環境にリセットをかけるようなことも必要ではないか、という気がしています。じっと幸せを待って餓死してしまうよりも、幸せのありかを求めて動いていた方がいい。そういえば「チーズはどこへ消えた?」という本もありました。

クリスマス・イブとしてはシリアスな話題ですが、夢を見るということがどういうことなのか、あらためて考えました。もうすぐ2005年もおしまいです。クリスマスを家族たちと楽しく祝いながら、一方で自分の未来について静かにそしてシリアスに考えました。

ところで、昨日の夕方、耳がおかしくなり、家族の話す声に全部ぴーという音が入るので、会話が放送禁止状態だと冗談でSNSに書き込んだところ、4人の方からそれは突発性難聴なので早急に病院に行くべきだ、じゃないと手遅れになる、というアドバイスをいただきました。実は笑い事で済まされるような病気ではないらしい。ストレスから突発性難聴になりかけたようですが、睡眠を十分にとったところ、若干よくなったようです。くだらないことをストレスに感じて身体を壊すことほど、くだらないことはありません。家族のためにも、まずは自分を守らなければいけない。あらためてそんなことを考えたイブでした。

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■啓蒙本は、若干斜に構えて読んでしまうところがあります。もっと純粋に読むことができるといいんですけど。

459403019Xチーズはどこへ消えた?
Spencer Johnson
扶桑社 2000-11

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*1:現在、25日の深夜1:20。待機中のサンタでしたが、そろそろサンタ発動としましょう。さっき長男の枕元をみたら、「サンタさん、ありがとう」という手紙とともに、せんべいが置いてあった。おおいい子じゃ、せんべいをいただくとしよう。ばりばり。と、いうところでサンタみつけた!というシナリオでしょう。ふっふっふっ。そうはいかないのだよ。でもお腹すいたから食べちゃいそうだ。1:31サンタ任務完了。おせんべい、いただきます。うまい。

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