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2006年8月31日

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Obligation to dissent.

世のなかの一般的な傾向なのか、あるいは相乗効果という形で影響を与え合っているのか、それともぼくの読む本の傾向が偏っているからなのか(たぶんこれだ)、本で読んだことなど、さまざまな示唆がつながって、ひとつの方向性のもとに収束されていくような印象を受けています。

たとえば、正解がひとつではない、ということ。多様化にしたがって、複数の正解が共存する世のなかになってきていて、いずれかを選択する「OR」の発想ではなく、いくつものオプションを想定することが重要になってきているようです。

つまり二律背反することのどちらも認める生き方であり、ある意味、ハイブリッドで生きるともいえる。したがって、この考え方を突き詰めていくと、勝ち組×負け組という思考も超えることができるのではないか、とぼくは思っています。いま世の中はどうしても、勝たねばならぬ的な思考であふれているけれども、勝ち負けの両方を包含し、さらにそうしたモノサシを超越するような生き方もあるような気がする。じゃあそれはどういう生き方なんだ?と言われると困るのですが。

村上龍さんと伊藤穰一さんの「「個」を見つめるダイアローグ」をはじめ、空気という観点から日本語の窒息感について述べられた冷泉彰彦さんの著作、あるいは大前研一さんの著作などを読んでいて思うのですが、日本のなかにいて日本について語るのではなく、海外という場に自らを置いて日本について語った視点は非常に鋭い。これも、日本人でありながら外国人の視点でみる、というハイブリッドの視点といえるかもしれません。

会社に忘れてきてしまったので記憶を辿りつつ語るのですが(細部は違っているかも。すみません)、今週のR25の絓秀実さんの巻末コラムで、靖国問題を外国人に聞いてみたところ「それの何が問題なんですか?」という質問が返ってきた、という話に興味深いものがありました。小泉さんはご自身の批判に対して批判的な行動を起こしていて、それがまた批判を生むという批判のループを生んでいることが指摘されていました。確かに、えーと何を論じていたんだっけ?と感じたことは確かです。大事だということはわかるのですが、テレビで長時間議論されていても、結局のところ何か今後の構想がみえてくるわけでもない。たくさん議論しちゃいましたっという充実感で終わってしまっている(多くの会社の会議もそうかもしれないですけどね)。

これも文化の違いだと思うのですが、本質的な問題から遠く離れたところで、揚げ足取り的に盛り上がってしまうのも日本的な現象のような気がします。このことは大前研一さんの本でも触れられていて、郵政民営化が大きく論争になっているけれども、ほんとうはその前提として何を変えようとしているかを徹底的に論じるべきである、ということが書かれていました。なるほどと思いました。

田舎に帰省してみて、あるいは北海道に旅行して、はじめて東京で暮らすことのよい部分や悪い部分に気付くということもある。場所を移動することで、思考が変わるということもあります。移動する場所はリアルであっても仮想的であってもよいのですが、自己を客観的にみつめる他者の視点を獲得できるか、ということが大事なことなのかもしれません。そして、ほんとうの他者であっても自分のなかに仮想的に存在させた他者であっても、持論というステレオタイプもしくはパターン化されたカチコチの思考に「反論」して「破壊」することが重要です。創造は破壊によって生まれるものであって、こんなものでまあいいか、みんな仲良く楽しくしましょう、という馴れ合いから生まれるものではない。創造的であるためには厳しさが必要です。

大前研一さんの著書から引用すると、マッキンゼーでは「Obligation to dissent(反論する義務)」が重視されているようです。反論ができない人間は評価が低くなり、「意見しない」人間に批判が集中する。ところがたいていの日本の社会では、意見する人間が疎まれて、調和を重んじる人間が尊重されるものです。

反論を認めるということは、許容力が必要になります。二律背反することの「どちらか」が正しくて一方は間違い、という発想があると、反論は認められません。権力的に却下するか、無視するか、反論を握り潰すことになるわけです。けれども反論を許容することはロジックを検証する上でも重要になるし、さまざまな視点から石橋を叩くことにもなる。反論を推奨する社会、議論できる社会が成熟した大人の社会であり、より高みに向ってこだわりつづけることも可能になるのではないでしょうか。

自分のことを反省してみると、DTMなどの趣味においても、こんなもんでいいか的な妥協があるような気がします。創造的であるためには常に自己否定が必要で、いまの自分を解体することで新しい何かが生まれてくる。実はいま3拍子の曲とか、マイナーコードの曲などをたくさん作っているのですが、まだまだ破壊が足りなくて、これは!という新しいスタイルがみえない。試行錯誤のなかで比較的まとまりつつある曲を仕上げようとしているのですが、やはりいままでのスタイルになってしまって、突き抜けられずに悶々としています。

趣味というプライベートにおいても仕事においても、自分を常に刷新しつづける行動が重要だと思っていて、昨日の自分は今日の自分ではないぐらいの勢いで臨みたい。そのヒントを与えてくれるのが(いまのところは)大前研一さんの本でした。今日、「ザ・プロフェッショナル」を読み終わったところなのですが、さすがにくたびれてしまい、一方で考えさせられたところがたくさんあってきちんと書きたいので、また後日しっかりとレビューしようと思っています。

と、いうことをつらつらと書きながら、あまりにも個人的な話になってしまったので、自分の小市民的な思考に我慢ができずに自分に再び反論を加えるのですが、なんかおかしいけど、まあいいか、という気の抜き方が、たとえば東京全体を停電に陥れたり、プールの排水溝のなかで幼い命を奪うようなことに通じるのかもしれません。そして、言いたいことがあるのに言えない、やりたいことがあるはずなのにできない、そんな窒息感のある社会だから、家を焼く、親を刺し殺す、自分を殺めるという行き場のない事件を生んでいるともいえるのではないでしょうか。

だからといって誰かが救済してくれるのを待つのは甘くて、自己を救済する強さが求められると思います。格差社会が悪い、と責任転嫁するだけでは、思考停止になります。社会を変える必要があると同時に、個人も変わる必要がある。行き場のない苦しみに自虐的に耐えているのではなく、なんかおかしいだろ!とまずは声を上げる必要がある。そのためのObligation to dissentがあるはず。

どうすれば変わるのだろう。どうすればもっと暮らしやすい社会になるのだろう。そしてぼくらはともかく、子供たちのために、どうすればしあわせな未来を残してあげられるのでしょう。みんな我慢しているし、社会のことだから知らないもーん、というわけにはいかなくて、大人たちのひとりひとりが背筋を正して、考えなければならないことのように思います。

パパやママがなんとかしてくれるからいいや、というわけにはいかない。2007年になると団塊の世代は大量に定年を迎えることになり(2007年問題と呼ばれているようです)、ちょっとばかり上の世代のパパやママたちも、自分たちの将来のことを考えるのにせいいっぱいになります。それぞれの「個」が、自分の生活はもちろん、社会全体のことを、これからの社会のことを構想しなければならない時代にきているのかもしれません。

まだ表層的ですね。自分に突っ込むのですが、視点が甘い感じがする。もう少し考えてみます。

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2006年8月30日

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枠組から自由になる。

気がつくと自分で自分を言及していることがあります。O型だからとか、負け組みだからというステレオタイプな要因もあるだろうし、長男だから、のような育ちの環境に拠る原因もあるかもしれません。

言及することで安心もするのですが、逆にみえない枠組を作ることで、狭い領域に自分を閉じ込めているような気もします。もやもやした気分も言葉化するとはっきりするので、言葉にしてはじめて、ああそういうことだったのか、と気づくときもある。ただ、そうした言葉の枠組にとらわれていると、大きく変わることができなかったり、跳躍の機会を逃すこともあります。

北海道旅行で、層雲峡のホテル大雪というところに泊まりました。

taisetu.jpg

次の日に、上の地図にもある大雪山層雲峡ロープウェイとリフトに乗って黒岳の七合目まで行ったのだけど、うちの息子(長男9歳)がリフトに乗るのを最初は嫌がっていて、でも乗ってみよう、と説得して乗せたところ、逆にものすごく気に入って楽しそうでした。

lift.jpg

乗っているうちはとなりのぼくにひっきりなしに話しかけてきて、嫌がっていたけど乗せてよかったなあ、と思った。こういうとき、実の父親であるぼくは、息子に抵抗されると、そうかーじゃあやめとこうか、と妙に優しくなってしまうのですが、おじさん(というかぼくの弟)が「のるぞー。さあ、のるぞー」と強引に引っ張っていって、それが逆によかったりする。東京で暮らしていると子育てにも人との関わりにも過敏になってしまうのだけど、時には「強引に枠の外に引っ張り出す」ことも大切だなと思いました。

旅行中に読んでいた大前研一さんの「即戦力」という本に刺激を受けて、東京に帰って、早速、大前さんの本を2冊購入してしまいました。1冊は、「ザ・プロフェッショナル」です(現在、P.116を読書中)。

4478375011ザ・プロフェッショナル
ダイヤモンド社 2005-09-30

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「即戦力」もそうなのですが、大前研一さんの本を読むと元気になります。際限なく高みをめざそう、という気持ちになる。「ザ・プロフェッショナル」は若干古い本(2005年)なのですが、この本のなかに「「知的怠慢」を拝す」ということが書かれていました(P.29)。引用します。

たいていの人が「自分の限界を、自分で決めて」います。そのほとんどが、かなり手前に設定されています。なぜなら、いままでの経験と相談するからです。これは楽チンです。おそらく失敗しないで済むでしょうから、周囲から怒られることもなければ、バカにされることもありません。ですから、現実的で、賢い判断と言えなくもありません。しかし、私に言わせれば、小賢しい考えでしかなく、そのような人は「できるわけがない」と思ったとたん、すぐ諦めてしまう。これこそ「知的怠慢」なのです。

まあいいか、と思う気持ち。ほどほどで手を抜く気持ちが知的怠慢かもしれません。ひとつの業績を残すようなひとたちは、限界を自分でつくらない。とことん執着し、やり抜くわけです。この、こだわりが成果となる。

執着に対する重要性は大前さんも繰り返し述べられているのですが、ただ、ぼくはパラノイア的に執着することだけがよいのではなく、ときには執着していたことをすべて手放せるフレキシビリティが重要であるような気がします。ブログを書いてぼくが前進できたと思うのは、最初のうちは病的にこだわっていたのですが、最近はON/OFFが自在になってきたことです。書かなくても十分に平気だし、書けばものすごい量だってこなせる(ほんとうは量ではなくて質なんですけど)。自律できるようになった、ということでしょうか。

以下のようにも書かれていて、耳の痛い話でした。

知的好奇心が中途半端な人、すなわち知的に怠惰な人は、ほぼ例外なく自己防衛的で、変化に後ろ向きです。なぜなら、チャレンジ精神とまではいいませんが、新しいことへの興味に乏しいからです。常日頃から、目新しいこと、自分の知らないことを貪欲に吸収しようという姿勢が身についていませんから、いざという時、心理学でいう「ファイト・オア・フライト」(抵抗するか、逃げるか)になってしまう。

いまぼくはいままできちんと関わったことがなかった領域、たとえば英語であるとか、行ったことのない場所だとか、そういうことに対して積極的になろうと思っているのですが、異なった考え方や生き方を吸収できるぐらいにしなやかでありたいと思います。ただ、くだらないことに流されるのはあまりにも人生の無駄なので、それだけは気をつけたい。それから知的怠慢なひとをなんとかしようとしても、無理なことが多いので、そこに注力するのもやめておこうと思っています。

自分から変化しようと思わなければ、変われないものです。変わらないものを変えようとするから、無理が生じる。リフトに乗る前の息子のように気持ちが揺らいでいるのであれば、強引に引っ張っていくこともできるのだけど、硬直反応を示している場合には、触れないでおいたほうがいい。
旅行疲れが蓄積されていてまだ抜けなくて昨日は、人生は旅の途中、というステレオタイプなことを書いて、ブログを終えてしまったのですが、購入した大前研一さんの二冊目の本は、「旅の極意、人生の極意」です。最新刊のようです。何かの符号かもしれないと思って購入したのですが、挿入されている写真も美しい。

406212968X旅の極意、人生の極意
講談社 2006-07-07

by G-Tools


かつて大前研一さんは添乗員をされていたことがあったらしく、働くきっかけはクラリネットが欲しかったことであり、学生時代の北海道の旅行についても書かれていました。

旅にしても、ブンガクにしても、もちろんネットであっても、一歩踏み出すことで世界や風景は変わるものです。ぼくはいままで怠慢だったのかなあ、ということも反省しているのですが、常に一歩前をみていたい。愚痴を言っている場合ではなく、その先の未来へ、という感じです。

さて、今日は早めに帰宅して、子供の夏休みの自由研究を手伝いました。なかなか大変でしたが、明日で子供の夏休みもおしまいです。なんとか間に合いそうです。ほっとしています。

ほんとうに早いもので、もう虫の声が騒がしくなりました。

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2006年8月23日

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黙らないこと、前向きになれずに。

ブログを書いているといろいろなことがあります。いまだからこそ少し冷静に書けるのですが、挑戦的に仕事場の批判をして、やんわりと警告されたこともありました。

ただし、それが社会です。そんなことは当たり前かもしれない。いま重松清さんの「小さき者へ」という小説を読んでいるのですが、彼の小説のなかに出てくるお父さんは、リストラだったり子供が引きこもりだったり、かなしい状況下にある父親ばかりで読んでいると痛いです。

結局のところ、いまでも後遺症は消えていません。新しい領域を開拓するときにわだかまりがあり、気持ちが萎えつつあるし、アンダーグラウンドの影に脅かされて、やりにくい。

エントリーを削除させること。言葉を奪うこと。発言の機会を減らしたり、せっかくの前向きな発言を無視すること。耳を傾けないこと。そのような圧力的な行為は、いっときは負け組である弱者を黙らせることができます。けれども黙るという重苦しい空気のなかで、冷泉彰彦さんの著書「「関係の空気」「場の空気」」に書かれている「言葉の窒息」が生まれてしまうことになり、結局のところ、窒息の反動がテロのような行動につながったりもする。

だから聴くことが重要なんですね。大前研一さんの「即戦力の磨き方」の冒頭には下克上の時代が到来したことが書かれていますが、ぼくは、そうだそうだ、という肯定よりも、新しい秩序を回復することが重要であると感じました。それは勝ち組・負け組という格差社会的な秩序ではなく、年老いたものを敬い、若いひとたちの未来のために教育を重視し、弱者をいたわることができる当たり前の秩序です。そのために「対等」なコミュニケーションができるような言葉の在り方が重要になる。

話は変わり、ひとりの親として反省すべき点もあります。自由研究の作文を前にして、9歳の息子はフリーズしたように黙ってしまったのですが、彼が黙ってしまうのはなぜだっただろうと、そんなことをぼくはずーっと考えつづけていて、どうすればその窒息状態を回避して、思っている言葉を自由に話せる状態ができるのだろう、とあれこれ思いを巡らせています。性格なものかもしれないけど、性格だったとしても、彼のなかに眠っている言葉をひとつでも多く引き出してあげたい。コーチングを学んだのですが、まだまだ役にはたつレベルではなく、けれども、言葉を話す、綴る楽しみを教えてあげたい。

何度か、北風と太陽の話を引用したのですが、ぼくは冷たい風でコートを奪う北風ではなく、ぽかぽかとしたぬくもりのなかで自然かつ自発的にコートを脱がせる太陽でありたいと思っています。

その発想の延長線上に、格差社会とか、犯罪やしょうもないトラブルばかりの世のなかを変えていけるような何かがあるような気がする。とにかく、脅しでは何も変わらないのではないか。ネガティブな考えも含めつつ、前向きに考えてみようとしたのですが、なかなか今日は前向きになれません。

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2006年8月19日

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帰省、そして東京とネットふたたび。

1週間ぶりです。帰省して家族とのんびり過ごしました。その間、ネットも断ちました。東京では大変だった方も多いと思うのですが、都内の停電や靖国参拝の議論を、焦点がぼけた田舎の古いテレビのブラウン管の向こうに眺めていました。なんだか遠い世界のようでした。田舎で特筆することもない毎日を平凡に過ごしたのですが、ぼくにとってはターニングポイントのような夏でもあったような気がします。

帰省していつも思うことは、まず目にとびこんでくる緑の色と量が東京とは圧倒的に違う、ということです。そして、遭遇する生き物の種類と量も圧倒的に違う。

東京に暮らしているとわからないのですが(といってもぼくは都内で暮らしているからかもしれないのですが)、蝶というのはこんなに種類があったのか、と思いました。アゲハ蝶であっても、びみょうに異なる種類の蝶に何匹も遭遇して、そのたびに息子は大喜びになる。カワトンボ(たぶん通称で、ほんとうは別の名前があると思うのですが、黒い羽で胴体が青緑色のトンボ)をみつけて、長男は「めずらしいトンボだよ。あんまりみられないんだよ!」と興奮していたのですが、ぼくにとっては、そうでもないだろう、よくみたもんだよ昔には、という感じでした。東京生れの子供たちにとっては貴重なトンボだったのでしょう。

海にも山にも近いぼくの田舎は、さいわいなことに自然に恵まれています。仕事先で自分の田舎を告げると「いいところがふるさとですね。うらやましい」ということをよく言われるのですが、個人的にはよいところというよりも厄介な場所で、観光地としてはすばらしい場所だとは思うのですが、住む場所としてはおおいに疑問が残るものです。

ロハスだ、自然がいちばんだ、さあ田舎へ引っ越そう、ということが言われます。しかしながら、自然にもよいところと悪いところがあり、蝶やトンボならまだよいのですが、とんでもない虫がいたりするものです。美しい田舎というのは「都会人が描いた田舎」の理想あるいは幻想ではないか、と思うのです。過疎化が進んでいて対策は必要かもしれないのですが田舎はやはり田舎であり、面倒であったり厄介なものの上に成り立っています。面倒や厄介を避けるのであれば、都会で暮らした方がずっと快適です。

さて、ぼくらの田舎では、お盆には迎え火で祖先を迎え、先祖とのひととき一緒にすごし、送り火でまた祖先にさよならをする、という風習があります。このお盆の期間に、田舎の家には、祖先たちだけでなく一度きりの昆虫たちもやってきました。

まずは部屋のなかにジャノメ蝶が迷い込んできたのですが、3歳の次男がとことことこと近づいていくと、ぱっと右手で捕まえてしまった。3歳児に捕まえられてしまう蝶はどうだろうと思ったのですが、その風景は見事でした。つかまえたまま固まっている息子に、「お盆だから離してあげな」と言って網戸を開けてあげると、彼ははそのまま手を離したので、蝶はひらひらと明るい庭へと飛んでいってしまいました。

ただそれだけのことですが、捕まえてほしいという感じで迷い込んできた蝶に、ぼくはどうしても先祖の姿を重ねてしまうわけです。じいさんが蝶に姿を変えてやってきて、孫と遊んでくれた、という感じ。そんな物語をつくって、その光景を眺めてしまう。

その日の夕方、今度は居間の窓をこつこつと叩く音がするので、そちらの方をみると、大きなオニヤンマが空中に静止していました。ぼくが少年の頃にも、夕方5時頃になると、優雅な感じで裏山から道の方へ軍艦のようにすいーっと飛んでいくオニヤンマがいたのですが、といってもそれは数十年前のオニヤンマとはまったく違うわけですが、ああ、また来てくれたんだ、という気がした。さらに、昼間のジャノメ蝶のじいさんが今度はヤンマに変わって来てくれたか、という気もするわけです。大喜びの息子のためにオニヤンマは、何度もすごいスピードで滑空してみせたり空中に静止してみせたりしたのですが、やがて夕食がはじまるとどこかへ消えてしまいました。

もちろん夕暮れ時に蚊などのちいさな昆虫を食するためにヤンマは勝手にやってきたわけで、人間の勝手な物語のなかに自然を絡めとってしまうのはどうかと思います。しかしながら、ぼくらの祖先はそんな自然のなかの一回性の偶然から、神話や物語を見出し、自然と人間をつなげて生きてきたのではないか、とあらためて考えました。テレビもインターネットもなかった時代のひとたちは、きっとそうやって自然が与えてくれた偶然を物語にして楽しみ、ときには自然に感謝したり畏れたりしながら、自然と共存してきたのだと思います。

そんな田舎の生活のあとで東京に戻って感じたのですが、東京というのはこんなに人がいたんだ、とあらためて驚きました。電車のなかではほとんど密接するように人がいて、さまざまなファッションがあり、露出度も高かったりする。とにかく人と人のあいだに距離がない。蝶などの昆虫をみていた息子たちの目が、みるみるうちにぼうっと疲れていくように呆けていって、旅の疲れなのか、あらためて刺激的な東京に適応しようとしているのか、よくわかりませんが、こいつらも大変だなあと感じました。

けれども、こうした東京の生活もぼくは嫌いではなく、むしろどちらかといえば好きで、インターネットの雑然とした世界にも戻ってきたのですが、不健康な部分もいろいろと感じつつ、1週間ばかりネット断ちしたあとでは新鮮ですらあります。ブログスフィアも、もうひとつのふるさとのようなもので、ただいま、という感じでしょうか。

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2006年8月 9日

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言葉化することの意義。

昨日、茂木健一郎さんの音声による講義ファイルの感想を書いて、いろいろなことを考えていたのですが、何気なくブログのサイドバーをみたところ、コメントをいただいていることに気付きました。

凛さんという方からの就職活動に関するコメントだったのですが、7月11日の「メディアに力はあるのだけれど。」というエントリーに対して、日経ビジネスのザ・アール奥谷禮子さんの格差社会に関するコメントは勝ち組からの視点でしか書かれていないのではないか、というぼくの批判に共感するというものでした。ただ、凛さんはこのコメントからザ・アールの面談をキャンセルされようとしていて、そこでぼくはそれはいかがなものかと思い、急いでコメントを返したのでした。

まず、ぼくは何度かこのブログで書いたことですが、繰り返し書こうと思います。ぼくがなぜ凛さんのコメントに即効でコメントをしなければと思ったかというと、

「言いたいことは時期を逃してしまうと、永遠に言えないことがある」

ということを切実に感じた経験があるからです。来週にとっておこう、もう少しうまく書けたときに発表しようと思っていると、永遠にチャンスを逃してしまうことがある。ぼくは脳梗塞で父をなくしたときに、そのことを痛切に感じました。

9月に倒れた父は(ちょうど9・11の時期でした)入院して脳の手術を受け、一度は言葉は喋れない半身不随だけれども、車椅子でリハビリの生活をすることになりました。

父は教師であり、ぼくにも教師であることを望んだのですが、親不孝なぼくは教師になる道を拒み、会社員という道に進みました。ついでに超一流の大企業に就職した弟に比べて、ぼくは零細な企業(といったら失礼ですが)を転々と転職を繰り返していました。厳格な教師の父としては、あいつは何をやっているんだ、どうせろくでもない仕事をしているんだろう、と腹立たしく感じていたと思います。そんな父を見返してやろうという思いがぼくにはあった。

倒れる前に、ぼくはちいさな賞を取って、ある雑誌に自分の原稿を載せる機会に恵まれました。そして、そのときには正月に帰省したときに話して、びっくりさせてやろうと思っていたわけです。

しかし、実際には、父にそのことを告げることは一生できなくなってしまいました。というのも、幾度か繰り返された手術の経過が思わしくなく、11月に父はあっけなく息をひきとってしまったからです。倒れてわずか2ヶ月あまりでした。彼に正月はなかった。

父の最期にあたって、脳死後も延命措置により、親族が集まるまで心臓を薬で動かしていたのだけど、薬によって父の手はぱんぱんに膨れ上がり、ぼくはもはや賞や原稿などについてはどうでもよくなってしまって、ただ父の手を握って、もう聴こえるはずのない父の身体に向って、バトンタッチしたからね、と繰り返し告げたことを思い出します。何を引き継いだかというと、父親であることを、です。そのとき息子はすでにいたのだけれど、子供が生まれたときではなく、父親を亡くしたときにぼくは父親になったような気がする。そして時々、きちんとバトンタッチできているんだろうか、ということを考えます。

余談が長くなりましたが、いつか言える、またきっとチャンスある、と思っていることは、永遠にチャンスに恵まれないものかもしれません。人生と言うのは「一回性」の出来事の連続であり、同じことがあったとしてもどこか微妙に異なっている。逃したチャンスは永遠に巡ってこないものであり、だから選択した現実と、選択しなかった仮想のことを思い、ぼくらは後悔(regret)するわけです。

若いひとたちの周囲は、可能性で溢れています。だからその可能性の大切さに気付かない。ひとつの可能性を失っても、また別の可能性が得られるからいいや、と思ったりする。若いひとたちは可能性に対して贅沢なのです。贅沢な強者の思考によって考えると、可能性が得られないプアな状態は想像できないし、だからチャンスを逃しても、まあいっか、と言ってみたりする。ほんとうはカオス理論のように、その角を左に曲がるか右に曲がるかの選択の違いによって、それこそ人生が大きく変化するかもしれないのに。

もはやおじさんであるぼくは、「まあいっか」が問題だと思うわけで、「まあいっか」じゃないだろう!と意気込んだりする。「(正月に話をすればいいから)まあいっか」と思ったせいで父に告げることのできなかった言葉を永遠に呑み込んでしまったぼくは、だからこそブログで饒舌に語りはじめてしまったのかもしれないし、茂木健一郎さんの著作をはじめとして脳科学についてもこだわりつづけることになったのかもしれません。

さてさて。実は本日同僚と酒を飲み、酔ってしまいまして、なんとか頑張ってブログを書いたのですが、そろそろ限界のようです(現在、3時28分。と思ったら35分)。いつかそっくり書き直すかもしれません(書き直さないかもしれない)。ちなみに明日というか今日も飲む予定であり、もしかするとブログはお休みかもしれません。そんなテイタラクです。やれやれ。

昨日、父の夢をみました。久し振りの父でした。変わっていないな、記憶のなかでは父は。父は忙しそうに家の屋根を直していました。そういうひとです。そんなに頑張らなくてもいいから、キッチンの椅子に座って映画でも観ながらお酒でも飲んでいればいいのに、と思いました。しかしながら、そんな気持ちも父に告げたことは、なかったなあ。告げればよかったなあ。

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