10.othersカテゴリーに投稿されたすべての記事です。

2008年3月26日

a000916

弥生の散財、JAZZの精神。

柄にもなく先月は出費をセーブして慎ましく生活していました。実はちょこっとお金を貯めたい(なかなか貯まらないのですが貯金してやりたいことがある)。ところが給料もいただいて、久し振りにCDショップに立ち寄ったところ、試聴しまくって散財癖が出ました(泣)。小遣いが・・・ほんとうに文字通り「小」さくしか遣えないものになってしまう。

でも久し振りに音楽を堪能しました。やはり音楽はいいですね。春のセンバツがはじまってサッカーもあって、スポーツの選手たちはたくさんの声援がいちばんのビタミンだったりするのかもしれませんが、音楽のビタミンもまたいいものです。うろうろとショップ内を放浪して、摂取したいビタミン系のアルバムが大量に出現してしまったのですが、悩みに悩んでまずは4枚を購入。

1枚目はJAZZです。ジョン・コルトレーンの「クル・セ・ママ」。インパルス40周年の企画もので生誕75周年の初回プレス完全限定版らしい。

B00005L8YEクル・セ・ママ(紙ジャケット仕様)
ジョン・コルトレーン ファラオ・サンダース エルヴィン・ジョーンズ
ユニバーサル ミュージック クラシック 2001-06-27

by G-Tools

そもそも、コメントで教えていただいたYouTubeでGiant Stepsを観て、コルトレーンが気になりました。さらに先週ぐらいに読み終えた「ジャズ喫茶 四谷「いーぐる」の100枚」という本で紹介されていて購入。ちなみに試聴していません。

4087204219ジャズ喫茶 四谷「いーぐる」の100枚 (集英社新書 421F) (集英社新書 421F)
後藤 雅洋
集英社 2007-12-14

by G-Tools

しかし、もうちょっと初心者向けのやつを買えばよかったかもしれません。いきなりフリー・ジャズっぽい(苦笑)。あまりJAZZなんて聴いたことがないのに、最初からフリー・ジャズは敷居が高すぎ。そりゃあ、ジャズ喫茶のオーナーがすすめるアルバムだから、若葉マーク向けのおすすめではないでしょう。ちょっとひねくれたアルバムのチョイスだったりするはず。

ところがですね、ダメかなと思ったら、これが非常によかった!

ぼくはコルトレーンに詳しくないのですが、たぶん彼にとっては枠にはまった自分を壊そうとしていた時期のアルバムではないでしょうか。違うのかな。いや、ぼくにはそう聴こえた。音的というよりも、その精神的な何かが非常にリスナーであるぼくにびしばしと響きました。この音がわかるなどと言うこと自体、コルトレーン様に失礼なのだけれど、コルトレーンの縮小100万分の1だとしても、ぼくもいまそういう心境なのかもしれない。創作はもちろん、どこか人生のフレームを壊したい過渡期にあります。だからこの音はわかる。共感できる。

なんというかJAZZもエレクトロニカも同じだ、という乱暴な印象も持ちました。われながらこれはひどい感想ですね(苦笑)。アバウトにもほどがあります。しかしですね、きっちりと機械的に打ち込まれたテクノを始点として、逆回転や音の切り貼り、サビがない複雑な構成、ポリリズムや変拍子などを多用したエレクトロニカへの進化は、どこかジャズがフリージャズに向かった進化(なのか?)の流れに近いものを感じました。クラシックから現代音楽へ、という流れも同じかもしれない。というか、そんなことは偉いひとが音楽論で語っていることでしょうね、ぼくなんかがあえて語らなくても。

ついでに言うと、このアルバムの1曲目は17分もあるのだけれど、その1曲だけを取り出して聴くものではないと痛感しました。アルバム全体に流れがあります。2曲目、ドラムとサックスだけの「ヴィジル」で緊迫して、最後の美しいバラード「ウェルカム」の旋律を聴いたときには、涙が出そうになりました。混沌の水面からすーっと美しい何かが生まれる感じ。

そういえば今日。CDショップへ向かう道すがら、新宿の舗道でとても長身のカップルをみました。

髪の長いきれいな女性は、壁に寄りかかって泣いていた。ちょっとR&B風の(なんだそりゃ。苦笑)彼氏は、彼女の顎に手を触れながら、何か慰めている。慰めているのではないかもしれない。もしかしたら責めているのかもしれない。喧嘩したのでしょうか。それとも嬉しくて泣いているのか。話す言葉は聞き取れないし、立ち止まることもできないのですが、通りすがりのぼくには、なんとなく気になる風景でした。

喧嘩があるからこそ、愛も深まるのではないですかね。どうでしょう(照)。物語は危機と和解という起伏があるからこそ感動も生むのであって、そういう意味では「クル・セ・ママ」の一枚のなかには人生が凝縮されている。混沌があり、対立があり、緊張があり、和解がある。この構成は見事です。

その他の3枚がかすんでしまうのだけれど、あとは全部、日本人のアルバムです。いずれもなかなかよいです。クラブジャズあり、宅録系あり、そしてエレクトロニカあり。ほんとうに雑多ですけれども。


B000XD9KQOREALism
indigo jam unit
インディーズ・メーカー 2007-12-05

by G-Tools

B00141JRZIIt could be done if it could be imagined
folk squat
& records 2008-03-19

by G-Tools
B0013JZ3ZYAntwarps
aus
Preco Records 2008-03-12

by G-Tools


indigo jam unitは昨年ぐらいから気になっていたのだけれどやっと購入しました。1曲目のぶっといベースラインが魅力的です。YouTubeにPVがありました。なかなか素敵です。

■indigo jam unit - AdrenaLine

最後のausは、きらきら感が好きなエレクトロニカです。そんなアルバムも購入しましたが、どちらかというとJAZZっぽい何か、精神的な高揚とかグルーヴに惹かれます。

さすがに3月はいろいろと慌しくて、読了した本も6冊ぐらい溜まっていて感想も滞っているのですが、のんびりゆっくりまったりと、書きたい気持ちが募ったときに更新していきたいと思います。

東京のサクラもそろそろ、いい感じになってまいりました。

投稿者: birdwing 日時: 23:49 | | トラックバック (0)

2008年3月20日

a000914

ゆめか、うつつか。

断片的に1時間ぐらい眠っては目覚めるという時間を過ごして仕事を終えた一昨日。けれども危うげな状態にあることをわかっているのは自分だけだったと思います。ぼくの内面的だけにめまぐるしい思考の暴風が吹き荒れていたとしても、外側に存在するのは、おだやかなハル。

さすがに睡眠が不足していると、ふらふらする。というよりも、ふわふわします。ふあん(不安)という言葉は、地に足の付かない状態を表すのに適切かもしれません。通勤電車のなかで、オフィスの静けさのなかで、どこかまだ夢が続いているような気がして、この気持ちは危険だなとも思った。

リアリティがない、というのではないですね。むしろすべてがリアル。ただしその現実は夢という大きなカッコで括られている感じ。ぼくの視界にないところ、つまり死角で<これは夢ですよー>というプラカードをあげているひとがいるのだけれど、さっとそちらを向くとすばやくプラカードを下げて知らん顔をしているような、どっきりカメラ的な現実。そんな心象の風景がありました。

仮に夢の世界と現実の世界があったとします。夢の世界は曖昧模糊としていて、目が覚めてしまえば消えてしまう。消滅することを前提とした美しい世界です。一方で現実の世界は精彩があって騒がしいけれどもあたたかくて、いつまでも継続している。そしてそれぞれの世界の住人がいる。

夢の世界の住人が現実を訪れたらどうでしょう。きっとそのリアリティに眩暈を感じる。エッジが際立っていて、論理のつじつまが合って、よくも悪くも消滅することがない世界。愛しいものに触れることもできるし、五感のすべてを動員して世界を感じ取ることもできる。その確かさに目が眩む。

でも、しばらくすると夢の世界の住人は所在のなさに落ち込み、現実の世界のなかで消耗していくような気がします。夢の世界の住人は、ぼんやりと影が薄くなって、やがて大気の粒子として消えていってしまうのではないか。誰にも知られずに、また知られたいとも思わずに。

一方で、現実の世界の住人が夢の世界を訪れたら何を感じるのでしょう。夢の世界は曖昧で、茫洋としていて、何が起こるかわからない。しかしながら快楽的で、アドレナリンが噴出するほどスリリングで、できればずっとそこにいたいぐらいに魅力的。

たとえばこんな場所です。河が流れていて、屋形船がけばけばしい電飾の光を水面に散りばめながら静かに運航している。煌いてる原色のあかりが水面でゆらゆらと揺れている。河のほとりには狭い舗道があって、大切な誰かとそこを歩いている。気配だけを感じる。そのひとの存在はあまりにも儚くて、大切すぎて、手を握ることさえできない。触れたらその指の先から、粒子が分解していきそうな予感がある。

しかし、夢の世界には制限時間があり、現実の世界に帰らなければなりません。まるで舞台セットを片付けるように、夢の世界の記憶はすべて失われてしまうわけです。しっかりと網膜に焼き付けておきたいと思うのだけれど、そう思った途端に世界の輪郭がますます曖昧になっていく。写真を撮ろうとしても、焦っているからピンボケでさまにならない。実体の周辺に漂う雰囲気のようなものだけを残して、夢の世界はゆっくりと消滅していきます。そして自分だけが現実世界に取り残される。

metropolitana朦朧とした
睡眠不足

意識のなかで
そんな幻想を思い浮かべました。

ぼくらの世界は、儚く、
脆い。

さて。

そろそろ東京でも、さくらの開花宣言でしょうか。

卒業と入学という終わりと始まりが混在する切ない季節ですが、街を行き交うひとはどこか賑やかです。鞄にしまい込まれたままでしたが、地下鉄の駅で配布されているフリーペーパー「metropolitana」の3月号は「桜色の夜に酔いしれて」でした。

夜桜の写真を大きくレイアウトして、さくらを題材としたいくつかの小説が取り上げられています。水上勉さんの「櫻守」。渡辺淳一さんの「桜の樹の下で」。村上春樹さんの「ノルウェイの森」における夜桜の描写など。

080319_metropolitana2.JPG

そういえば花見の描写で思い出したのは、川上弘美さんの「センセイの鞄」にある花見の描写でした。どこか甘酸っぱいものがある場面で、あらためて本棚から引っ張り出して読んでみました。いま文庫になったかと思うのですが、ぼくが持っているのはハードカバーです。

4582829619センセイの鞄
川上 弘美
平凡社 2001-06

by G-Tools

美術の石野先生(女性)に誘われて、センセイこと松本春綱先生は主人公である大町月子(38歳)を花見に誘います。花見の場所で、月子は同級生の小島孝に出会う。小島孝は、月子の友達の鮎子と結婚してその後は離婚していた。その元配偶者だった鮎子は、高校時代から石野先生に憧れていました。ややこしいスクェアな関係なのですが、松本先生に誘われておきながら月子さんは花見の宴のあいだに小島孝と抜け出して、バーでワインをくるくる回しながら飲んだりしています。松本先生を置き去りにして。

けれども月子の心は、松本先生にある。だから次のように気付きます(P.134 単行本)。

月が、空にかかっていた。
「月子の月だな」小島孝が空を見上げながら、言った。センセイならば、まず言いそうにないせりふである。センセイのことを突然に思い出して、驚いた。店の中にいるときには、センセイのことはあわあわと遠かった。小島孝がわたしの腰にかるくまわしている腕が、突然重く感じられた。

そして、疲れた、年だ、という小島孝に反論しながら、次のように考えます。

わたしはセンセイのことを思っていたのだ。センセイが自分のことを「年だ」などと言ったことは、一度もない。気軽に「年」をもてあそぶ年齢でもないし、質でもないのだろう。ここに、この道に立っている今のわたしは、センセイから、遠かった。センセイと私の遠さがしみじみと身にせまってきた。生きてきた年月による遠さでもなく、因って立つ場所による遠さでもなく、しかし絶対的にそこにある遠さである。

この遠さに共感。それはバーにおける現実と、花見という一種の夢のような儚い場所における距離であるともいえます。あるいは孤独なものと孤独なものの距離かもしれない。「万有引力とは/ひき合う孤独の力である」という言葉はぼくが好きな谷川俊太郎さんの「二十億光年の孤独」の一節なのだけれど、遠いからこそ惹かれるチカラも強まるのかもしれません。

小島孝とは身体的に密着しているのに、月子はそこからは位置関係だけでなくすべてにおいて遠いセンセイのことを思っています。ぼくは最初にこの部分を読んだときに、じれったさのようなものを感じました。なぜ小島孝と付き合ってしまわないんだ、と。月子は実際にかなり揺れている(不意打ちで小島孝にキスをされてしまう)。この、淡いものぐるほしさ(正気の沙汰ではない感情)が、花見という儚いシチュエーションと相まって、なにか痛切なひりひりするような感覚を伝えてくれます。

月も桜も、一種の狂気の象徴として扱われるものかもしれないですね。桜といえば、映像では北野武監督の「Dolls」の桜のシーンを思い出しました。

B000UMP1I4Dolls[ドールズ]
北野武
バンダイビジュアル 2007-10-26

by G-Tools

社長令嬢との縁談のために付き合っていた彼女との約束を破ってお互いに壊れてしまうふたり(西島秀俊さん、菅野美穂さん)が満開の桜の下を、「つながり乞食」として赤い布でつながれながら歩いていくシーンが印象的でした。YouTubeから。

公式サイトのFlashもかなりきれいです。オープニング部分の桜のシーンをキャプチャーしてみました。音楽は久石譲さん。

■Dolls 公式サイト
http://www.office-kitano.co.jp/dolls/
080319_dolls.jpg

愛情は憎しみをともなう、というか、暴力のなかにやさしさが存在することもあると思うのですが(ちょっとSM的な思考かもしれませんけどね)、北野武監督の暴力的なまでに静かで美しい映像に衝撃を受けました。

と、睡眠不足によって覚醒された眠りのような状態で感じたことをそのまま表現してみたいと思ったのですが、なかなか難しいものです。であれば春の空気に包まれながら、ぼーっと花を眺めてしあわせな気分になるのもいいかな、などと。

投稿者: birdwing 日時: 22:10 | | トラックバック (0)

2008年3月 9日

a000910

何もないところから。

いつだったか天気のいい朝、通勤途中にiPodで何を聴こうか迷って日本のエレクトロニカユニットであるausの「Lang」というアルバムを聴いてみたところ、ものすごくぴったりはまったことがありました。朝の空気、きらきらした陽光、そして音楽のすべてが同期して、ある質感を持って周囲を包み込む。朝がリアルに立ち昇るというか、とにかく眠っていた感覚が覚醒されるような感じでした。言葉ではうまく説明できないのですが。

Preco Recordsのmy spaceで、ausの「Halo」を試聴できます。ぼくが聴いたのはこの曲なのですが、いま聴いてもどうってことはあまりません。時間とか場所とかぼくの感情とか、あらゆる条件が同期しなければ、あのちょっとぶっとんだ感覚にはなれないのかもしれません。

■my space Preco Records
http://www.myspace.com/precorecords

ところで、外界から遮断されたオーディオルームで1本数百万のスピーカーで聴くような音楽は最高の音だろうと思います(聴いたことがないけど)。楽器の臨場感も違うだろうし、音の質感も異なる。オーディオルームではなくても、生のオーケストラの演奏を前にすると、演奏されて生れた音のカタマリには言葉も出ないぐらい圧倒されるのではないでしょうか。ポップスやロックのライブも然り。

しかしながら最高の音楽は、一部のお金や暇に余裕がある特権階級だけが聴くことを許されるものなのかな?という疑問を感じます。クラシックやジャズ、あるいは一部のおっかけ的なリスナーに漂う一種の排他的な雰囲気にはどうしても馴染めないものがある。どうせお前には分からないだろう、きみは分かってるから仲間だ、この音楽はこの機材で聴くべきだ・・・という音楽の聴き方、あるいは知に対する姿勢はどうも好きではない。いやほんと好みの問題です(苦笑)。理屈ではなくてね。

しょぼいヘッドホンとオーディオプレイヤーで聴く音楽なんて音楽とは呼べない、という志向性もあるかもしれませんが、ぼくはそうではないような気がします。子供の頃、1万数千円のモノラルのラジカセ(SONY製)を親から買ってもらったことがあるのだけれど、しばらくの間、そのラジカセはタカラモノでした。寝床でイヤホンを耳に差し込んで深夜放送を聴いて、わくわくしました。低音のかけらも再生されないスピーカーであっても、そこから流れる音楽には心を震わすものがあったことを覚えています。

音楽は、周囲から隔離された防音・無菌室のようなところで単体で存在しているものなのか、あるいは存在すべきものなのかどうか。ぼくはむしろ聴くひとの時間・時代の流れ・場所・心理状況(感情とか体調とか)・個人的なさまざまな関係性や社会の文脈などさまざまな混沌のなかに存在しているものではないかと考えます。だからものすごく俗っぽいものがあっていい。

同様の考え方で、ちょっと視点をずらしてみると、どんなに技術が進歩したとしても最近のノイズキャンセラー付きのヘッドホンのようなものがあまりいいとは思っていなくて、むしろ外界の音とミキシングして音を聞くべきじゃないかとぼくは思う。ジャズのアルバムでも、感極まって叫ぶプレイヤーの声が入っていたり、あるいはライブ盤であればグラスや談笑の声などが入っているやつがいい。もちろんこれもまたぼくの趣味であり、雑音が嫌いなリスナーもいていい。聴き方の違いであって、そこに正解はありません。どんな聴き方もできる。

音楽関連の新書をいくつか買い込んでいたのですが、先々週の金曜日に持田騎一郎さんの「儲かる音楽 損する音楽」を読了しました。

4789732533儲かる音楽損する音楽―人気ラーメン屋のBGMは何でジャズ? (ソニー・マガジンズ新書 1)
持田 騎一郎
ソニー・マガジンズ 2008-02

by G-Tools

この本はBGMコンサルタントとして選曲などをされている持田さんが、BGMという観点から音楽と空間の在り方などについて考察された本です。科学的な考察を期待すると失望するかもしれません。どちらかというとエッセイです。正直なところあまり深い内容ではないので(というのも失礼ですが)、芸術至上主義のひとが読むと眉を潜めるか、つまらないなと放り出すか、という印象です。とはいえ、クラブの話とかJ-POPの歴史などについても書かれていて、ぼくはこういう論考も面白いと思いました。いろんな音楽があっていいと思います。どんなにチープで高尚ではない音楽だったとしても、食事や場の雰囲気を盛り上げるのであれば、その音楽には存在価値がある。

ぼくは趣味のDTMで、パソコンだけを使って音楽を作っていたりするのだけれど、では打ち込みがすべてかというとそうは思っていません。生の楽器を演奏する楽しみもわかります。しかしながら、音楽は絶対に生がいちばんだという主張を聞くと、それはどうかな?と反論したくなる。YMOなどを聴いてきた世代だからかもしれないのですが、テクノロジーによって変わっていく音楽も面白いと思うし、そこに可能性も感じています。単純に「べき」論が嫌いなだけかもしれないですね(苦笑)。

結局のところ生か打ち込みかというのは手法の問題であり、心を打つ音楽は、そんなちまちまとした議論を吹き飛ばしてしまうものです。とんでもなくぼろい数千円で買えるようなギターを持って現われたタマス・ウェルズの歌を聴いて、ぼくは思わず涙を流してしまったことがあるのだけれど、生だろうが打ち込みだろうが超ヘタであろうがオンボロ楽器や機材だろうが、琴線に触れるどころか心をえぐるような音楽がある。技術的に優れたものよりも、きれいにまとまっているものよりも(そして商業的に売れているものよりも)そういうものをぼくは聴きたい。

趣味のDTMでは、できればそれなりの機材を使ってプロ志向の曲作りをしたいけれど、なかなかそうもいきません。といっても機材がないからいい音楽ができない、というのは一種の逃げのような気がしています。そんなわけで手持ちの機材を最大限に活用する方法を考えて、さらに無料で使えるプラグインなどをネットで収集して工夫しながら作りたいと考えています。

技術の進化という恩恵をとても感じていて、現在、インターネットや雑誌で無料のツールがたくさん公開されています。ほんとうにびっくりします。既に最新号(4月号)が出てしまっているのだけれど、DTMマガジンの3月号は「いますぐ使える!無料音楽ツール」という特集があって、なかなか楽しく読みました。まだ試していないのですが、DAW(音楽制作ソフト)自体も高機能なソフトが無料で入手できます。

B00139VBAKDTM MAGAZINE 2008年 03月号 [雑誌]
寺島情報企画 2008-02-08

by G-Tools

DTMマガジンの3月号をぱらぱらめくっていたら、マーク・ビアンキ(her space holiday)のインタビューが載っていました。「集え、インディーズ・ミュージシャン」ということで、「DTMを取り入れた良質なインディーズミュージシャンを紹介する」コーナーとのこと。絵本付きの「the telescope」というアルバムの感想を書いたことがあるのだけれど、インタビューの冒頭の部分がなんだか泣けました。

――バンドをやっていた貴方が、ソロユニット「her space holiday」を始めたのはどういったきっかけですか?
「最初自分だけでレコーディングを始めたときは、作品をリリースするつもりがなかった。最初の何曲かは、人生の辛い時期を過ごしてた友達の女の子を励ますために作ったんだ。彼女は、自分が自分の体から抜け出して、宇宙を漂っているみたい、って言ってた。だから僕は最初の曲たちに"HER SPACE HOLIDAY"って名前を付けた。レーベルから作品をリリースしないかって打診があって、そのときにHER SPACE HOLIDAYって名前を続けようと思った。そのころ僕がやっていたことの雰囲気に合ってたしね」

うーむ。「人生の辛い時期を過ごしてた友達の女の子を励ますために作ったんだ」のようなことをさらりと言えてしまうのが素敵だ(泣)。このやさしさと無欲な感じが、彼の音楽にも表われているように思いました。インディーズの音楽はこうあってほしいものです。ミニマルでかまわないから、ちいさなサークルであったとしても確実にひとびとをあたたかい気持ちにしてくれる音楽がいい。さらに影響を受けたアーティストには、コーネリアス、ブライアン・ウィルソンの名前があり、こちらもなぜか納得。

080309_marc_bianchi.JPG

そんなあれこれを考えつつ、新しい曲を制作中です。いつも土日でさくっと作ってしまえるのですが、今回に限ってなかなか手に負えなくて迷走中。けれども何か突き抜けそうな予感も感じています。

この停滞した感じがたまりません。たまりませんといっても辛いのではなくて楽しい。停滞しているときには、どうしても過去のフレームを持ってきてしまうのだけれど、持ってきても構わないフレームと壊さなきゃいけないフレームがあります。そんな自分のなかにある創作の枠組みを検証しながら、マウスでぽちぽちと曲を描いています。

投稿者: birdwing 日時: 23:45 | | トラックバック (0)

2008年3月 6日

a000909

自由なケイタイ。

インターフェース(interface:2つのものの間のやりとりを仲介するもの)に関心があります。といっても技術者ではないので、SFのような近未来の技術にわくわくしているだけの傍観者なのですが、「コントローラーという楽器。」というエントリー では、音楽のMIDIインターフェースをいろいろと調べてみました。

ふつう楽器といえば鍵盤、弦、あるいはサキソフォンなどのように息を吹き込んで穴を押さえるインターフェース(?)が一般的ですが、そうではない楽器も出てきています。テルミンのような電子楽器は昔からあったのですが、身体全体で音を出すようなものもありました。電子楽器のインターフェースはまだまだいろんな形態が出てきそうです。「新しい音楽のために。」で取り上げましたが、YAMAHAの新しいガジェットであるTENORI-ONにも興味があります。

一方で、パソコンの進化としてマルチタッチスクリーンも面白いなあと思っていて、「指で触れる、操る。」というエントリーを書いてみました。わかりやすいのがiPod Touchだと思うのですが、人差し指と親指などのアクションを組み合わせることでさまざまなショートカットを実現できたり、操作方法も進化しています。やがては映画「マイノリティ・リポート」のように、奥行きのある仮想的な3D空間を指で操ることでファイルなどの操作ができるようになるのでしょうか。

となると、現在はデスクトップ上に広がっているアイコンが、デスクトップの「手前」はもちろん「奥」にも広がってしまうわけで、ますます検索の技術が重要になってくるような気もしています。ファイルをかきわけて探す、などというようなインターフェースになったら大変そうだ。それこそ容量が増えたりインターネットに接続されたら、漆黒の宇宙空間を手探りするような感覚になりそうです。情報技術が進化しているのか、アナログなのかわからなくなりますね。

そんなインターフェースの進化について妄想をしていたところ、CNET Japanのフォトレポートにあるノキアの新携帯端末「Morph」の情報を発見。少し古くて2月の記事ですが、引用してみます

■フォトレポート:伸びて縮んで向こうが見える--新携帯端末「Morph」
http://japan.cnet.com/mobile/story/0,3800078151,20368154,00.htm

Nokia Research Center(NRC)とケンブリッジ大学によって共同開発された携帯端末のコンセプトモデル「Morph」。同技術は、モバイルデバイスを伸縮可能で柔軟にし、透明度を持たせながら簡単にきれいさを保つため、ナノテクノロジがどのように使われるかを実証することを目的としている。Morphは、ニューヨーク近代美術館(MoMA)が5月12日まで開催の「Design and the Elastic Mind」展と連動したオンライン展示で見ることができる。

ちなみに、MoMAの「Design and the Elastic Mind」展のオンライン展示もナノテクノロジーで羽ばたく虫のようなロボットとか折り紙とか、なかなか面白いのですが、脇道にそれてしまうので機会があればまた取り上げることにして、リンクだけ記載しておきます。

■MoMA「Design and the Elastic Mind」展 オンライン展示
http://www.moma.org/exhibitions/2008/elasticmind/

まず写真で「Morph」のデザインを確認。グリーンのジェルのような印象です。この色合いと様相は日本+北欧系の別のメーカーを想像させるのですが(苦笑)、それはさておき。

ナノテクノロジーの活用によって、ケイタイ(携帯)のケイタイ(形態)がさまざまに変わります。トランスフォーマーではないですが、いくつかのカタチに変身します。これがなかなか少年ごころをくすぐります。

オープンモード。これはミュージックプレイヤーにも使えるような感じ。

080306_01Morph_OpenMode.jpg

フォンモード。上のほうに見える星座のマークのようなものは何でしょう。

080306_03Morph_PhoneMode.jpg

そして、驚くべきなのがリストモード。2つ折どころじゃなくてジャバラに折り畳むこともできるのですが、驚いたことに丸めてブレスレットにもできます。素材自体が透けているのでおしゃれです。スケルトンとかシースルーという感じ。

080306_04Morph_WristMode.jpg

ソフトウェアキーボードのような画面を表示すれば、かなりパソコンに近いこともできそうです。

080306_02Morph_OpenOperating.jpg

写真よりも動画で見たほうがわかりやすいと思います。なのでYouTubeからコンセプト映像を。

■Nokia Morph Concept (long)

携帯電話は肌身離さず持ち歩くメディアである、というようなことが言われたことがありますが、丸めて腕に巻きつけられるのであれば密着型のツールになります。さらにすごいのは、勝手にお掃除してくれたり、太陽光から充電してくれるらしい。電池が切れてひやひやすることがよくあるのですが、そんな心配も不要です。至れり尽くせりの携帯電話ですね。

楽器やパソコンもこんな感じになるといいなあと思いました。そういえばキーボードには、くるくる丸めることができるハンドロールピアノもありました。

B000L3XZG2NEW ハンドロールピアノ61K ACアダプタ付
山野楽器

by G-Tools

ちなみに「morph」というネーミングの語源は「モーフィング(morphing)」ではないかと思います。Wikipediaから解説を引用します。

モーフィング(morphing)は映画やアニメーションの中で使用されるSFXのひとつで、コンピュータ・グラフィックスの手法のひとつ。ある物体から別の物体へと自然に変形する映像をみせる。これはオーバーラップを使った映像のすり替えとは異なり、変形していく間の映像をコンピュータによって補完して作成する。変身・変化を意味する単語「メタモルフォルシス(metamorphosis)」の中間部分から命名されたという説と、move(移動)+morphology(形態) の合成語であるとする説がある。

というわけで、YouTubeで探したモーフィングの映像を。映画女優のモーフィングです。アンジェリーナ・ジョリーの顔がいろいろと変化していきます。キーラ・ナイトレイは「シルク」にも出ていますがいいですね。

■Famous Faces Morphing

ちょっと気持ち悪いような気もします(苦笑)。一方でWikipediaの解説で興味深かったのが、最後の次の解説です。

音響面でも援用され、その場合はクロスシンセシスと呼ばれる技術が用いられる。ある楽器の特徴を持つ音色から別の音色へ、音響スペクトルの滑らかな推移を伴う連続した音響をコンピュータによって合成する。このような音響技術の研究機関のひとつとしてIRCAMが有名。

実際の音をテクスチャーとして音から音へのモーフィングができるということでしょうか。たとえば、アタックはバイオリンだけど次第に減衰していくとピアノの音になっていくとか?うーむ。検索してみたのですが非常に難しい技術的なトピックが多くて理解できません(涙)。音声ファイルをクロスフェードすれば同じようなことができそうですが、それじゃダメなんでしょうね。周波数などが滑らかに変わっていかないとモーフィングとはいえないのかも。

考えてみると、ガジェットも多機能化するようになって、きっちりとした機能の境界がなくなっているような気がしました。携帯電話でありながら音楽プレイヤー・・・のように、機能にグラデーションがかかっている、というかモーフィングによってどちらにもなるような小物が増えています。機械らしい機械というかボリュームがごてごて付いているものも嫌いではないのですが(というか好きだったりするのだけれど。オーディオ系は特に)、機能の切り替えに弾力性があり滑らかになると、より人間的に使いやすくなるのではないかと思いました。

人間もそうかもしれないですね。がちがちのアタマの固さではなく、さらに柔軟すぎるお調子者でもなく、ときには真面目また別のときには軽めと、TPOに合わせてモーフィングして自分自身の形態(というかキャラクター)を変えることができれば社会にフィットできるような気がします。

まあ、大人になるということは、そんな風に妥協したりご都合主義で長いものに巻かれたりすることもあるのですが。

投稿者: birdwing 日時: 00:00 | | トラックバック (0)

2008年2月29日

a000906

新しいオンガクのために。

080229intoxicate_vol72.jpg自称フリーペーパー収集家のぼくは、街で配布されているさまざまなタダの情報誌をついつい手に取って持ち帰ってしまうわけですが、TOWER RECORDSで配られていたフリーマガジン「intoxicate vol.72」で面白いものをみつけました。

ちなみにvol.72の表紙は3月22日から公開される「マイ・ブルーベリー・ナイツ」という映画のサントラ盤です。ウォン・カーウァイ監督でノラ・ジョーンズが主演。ジュード・ロウも出ています。

B00118YOG6マイ・ブルーベリー・ナイツ オリジナル・サウンドトラック
サントラ カサンドラ・ウィルソン ハロー・ストレンシャー
EMI MUSIC JAPAN(TO)(M) 2008-02-14

by G-Tools

■マイ・ブルーベリー・ナイツ 公式サイト
http://www.blueberry-movie.com/

ウォン・カーウァイ監督の作品では、ぼくは「恋する惑星」「花様年華」「2046」と観ているのですが、独特の静けさとせつなさと耽美がある世界観ではないかと思いました。「花様年華」では、トニー・レオンが大人の雰囲気を醸し出していてよかった。あんな渋い男性になれたらいいのですが。

それにしてもこの表紙、気持ちよさそうですね。無駄に拡大。

080229_myblueberrynights.JPG

あああああ(照)。えーと・・・ちゅーしたくなるのでやめとこう。

さて。表紙もいいのですが、ぼくが気になったのは次のツールでした。YAMAHAがメディアアーティストである岩井俊雄さんと6年の歳月を費やして開発したというTENORI-ON。おおお?これは!

080229_intoxicate_tenorion1.JPG

先日「コントローラーという楽器」で書いたmonomeじゃないですかね。16×16のLEDによって構成されていて、光でナビゲーションされるのも似ている。調べてみたところ、2007年12月、岩井俊雄さんのデモンストレーションの記事をみつけました。CNET Japanの「現在の楽器インターフェースは最適解か?――岩井俊雄氏、TENORI-ONを披露」から引用します。

鍵盤や弦、リードやマウスピースなど、旧来の楽器は入力が発音の仕組みと密接に関わってきた。しかしこうした旧来のインターフェースは、現代の電子楽器にふさわしいものなのだろうか? メディアアーティストの岩井俊雄氏がヤマハと共同で制作した「TENORI-ON」は、この問題に大きく迫ったデバイスだ。

つづいて、次のように解説されています

TENORI-ONは、LED付きスイッチが16×16のグリッドに集合したような形状をしていて、このスイッチを押すことで音が出る。複数のスイッチを押すと次第に複雑な音になっていき、やがてミニマルミュージック的な曲として成立していく。演奏デモ動画はYouTubeにもアップロードされている。メディアアート、あるいはガジェット的にも見えるが、今年9月にはイギリスでは実際に楽器として先行販売が実施され、好評を博しているという。

気になるデモですが、以下YouTubeから。

いろいろなアーティストがデモ演奏したり試用をされているようでした。実は2年ぐらい前から話題になっていたらしいですね。「intoxicate vol.72」の記事には、クラフトワーク、元YMOの3人、コーネリアス、嶺川貴子さん、ジム・オルーク、ビヨークなどが試用しているということも書かれていました。

ちょっと長いのですが、趣味のDTMで打ち込みストであるぼくは岩井俊雄さんについて書かれた次の部分には共感しました。

ライブ後、岩井氏からは6年間に渡ったTENORI-ON制作までの道のりが語られた。話は岩井氏が初期の音楽制作に使っていたヤマハのMSXコンピュータの話から始まる。「テレビ画面上の五線譜に音を並べて入力していた。僕は高校時代にギターなどに挫折したクチで、こうしたコンピュータがあれば、自分でも曲が作れるんじゃないかと夢を抱いた」(岩井氏)。しかし、いざやってみると楽譜の壁にぶつかったという。「とても複雑すぎて、自分で入力できるとは思えない」。その頃に出会ったのが手回し式のオルゴールだった。

そう、ぼくも楽器を弾くことに挫折した人間のひとりです。けれども作品は創りたかった。そこで現在もオルゴール職人のように、DTMのピアノロールという画面で音をひとつひとつマウスでおきながら音楽を創っています。

オルゴールでは紙テープの穴の通りに曲が演奏される。「紙テープの穴は、楽譜よりずっとわかりやすく見えた」(岩井氏)。さらに、これを逆に入れると違うメロディが流れるところに大いに興味を引かれたという。また、紙テープに穴が並んでいる様が抽象絵画のように見えてきたところから、視覚表現と音楽は融合できるのではないかという着想を得たと語る。

最先端の新しいインターフェースの背景にオルゴールがあったのが面白いですね。とはいえ、やはりテクノロジーの背景には、楽器に対する挫折とか、それでも音楽を創りたい熱意とか、そんなそんなさまざまな人間模様があるものです。ぼくはベースといえば多弦よりもやっぱり4つの弦のほうがいいと思うのだけれど、その一方でベースなのか何なのかわからないベースらしき何かも登場していいと思っています。蜂の巣みたいな鍵盤だって面白いと思うし、テルミンのような空間的な操作のインターフェースも楽しい。

ちなみに「intoxicate vol.72」には、「テノリオンとテルミン」というICC学芸員の畠中実さんの記事もあります。

080229_intoxicate_tenorion2.JPG

この記事のなかからまず次を引用します。

つまり、新しい楽器の発明とは「楽器の発明」である以上に、それによって演奏される音楽自体がいままでの音楽を刷新するようなものへと変化させられてしまうものであるという意味で、新しい音楽の発明と同義なものとなる。それは、20世紀初頭の前衛芸術運動であるイタリア未来派の画家ルイジ・ルッソロが1913年に考案した、自動車や飛行機のエンジン音、サイレンなどの音を模した音響を発する騒音楽器「イントナルモーリ」が、ルッソロの提唱した騒音芸術(アート・オブ・ノイズ)を演奏するための楽器であったように、新しい音楽の発明が新しい楽器を生み出し、また新しい楽器の発明が新しい音楽を生み出す契機となり得るということを示唆するものだろう。

興味深いです。画家が音楽を生み出したというところも面白いし、騒音楽器「イントナルモーリ」ってなんだろう・・・あっ。ググッたらあった。松岡正剛さん(おおっ)がキャロライン・ティズダル&アンジェロ・ボッツォーラの「未来派」という本のレビューに書かれています。中盤あたりに「イントナルモーリ」の写真があります。なんかスピーカーのオバケのようなもので困惑。

■松岡正剛の千夜千冊:『未来派』
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1106.html

こういうのって聴く側の立場からすると結構困ったもので、だからアートってやつはわからないんだよね、という率直な感想を持ってしまうのですが、試みとしてはウェルカムな気がします。

ぼく自身も趣味のDTMでお決まりの曲作りに疑問を感じて(もちろん定番のポップスはそれはそれで気持ちいいんだけど)、ノイズをどう組み込んでいくということを考えはじめましたことがありました。その試みの途中でシューゲイザーなどの音楽に出会いました。エレクトロニカとしては、坂本龍一さん関連ですがクリスチャン・フェネスとかカールステン・ニコライ(このひとは建築家でもありますね)などの試みに新しい何かを感じたものです。ただ、カールステン・ニコライに関しては、ほんとうに音が無機質で、そこにはあたたかみが欠ける。

「テノリオンとテルミン」では、次のような見解もあります。

かつて岩井は、池田亮司やカールステン・ニコライのライブ演奏に触れて「肉体性の喪失」という感想を持ち、演奏者の存在が希薄な、音だけを聴くライブに対するものたりなさを表明していたことを思い出す。音楽とは演奏という行為をともなう、人の手の介在およびその技能によってリアライズされるものであるという考え方があるように、つまり《TENORI-ON》は岩井にとってコンピュータのソフトウェアのようなものではなく、それが特別な習熟を必要としないものであったとしても、より身体的な演奏をともなうパフォーマティヴな「楽器」でなければならなかった。

そんな身体性も含めて「手のり」+「音」というようなネーミングになったかと思いますが、ぼくはネットに氾濫するテキストや電子音のようなテクノロジーもどこかで身体性につながるような気がしています。創造性がどこから生まれてくるのかというのはなかなか大きな命題で、そう簡単には言及できないのだけれど、テクノロジーは人間と融合できるという夢(幻想?)を抱いています。

いや自然がいちばん、音楽はやっぱり生音だよ、という見解もあるかもしれないけれど、もしほんとうに自然な音にこだわるのであれば、ギターやベースだって工業的に人間が作り出したものだからアンプを通していてもいなくても自然な生音とはいえない。人間の身体を叩くか声を出して歌うとか、石をぶつけるとか水面をじゃぶじゃぶ揺らすとか、そんなミニマルかつ原初的なパフォーマンスに回帰したほうがいい(なんだかそれも楽しそうではありますが)。けれどもギターやベースも進化しているように、楽器や音楽にもイノベーションがあって進化してテクノロジーと融合していくのも悪くないのではないか。

ハモニカを吹くように、どこかの路地で「TENORI-ON」であるとかmonomeのような楽器をぽろぽろと爪弾く少年がいるような未来。それも悪くないと思うのは、ぼくだけでしょうか。

+++++

TENORI-ON関連のサイトをまとめてみました。

■YAMAHA 公式サイト/DESIGNサイト
http://www.yamaha.co.jp/design/tenori-on/
公式サイトとDESIGNサイトがあります。ちょっとSONYっぽい。音楽業界のSONYを狙っているのかもしれませんが。

080229_tenorion1.JPG

■TENORION開発日誌
http://tenorion.exblog.jp/

080229_tenorion2.JPG

■my.space
おお、ぼくの好きなI am Robot and Proundも使っている。
http://www.myspace.com/tenorion


投稿者: birdwing 日時: 23:07 | | トラックバック (0)